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第1章 海の向こう
10.どしゃ降りの日
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夏休みの少し前のことだった。
まだ梅雨が明けていなくて、その日もしとしと雨が降っていた。雨の日は基本、家にいるのだけれど、ここのところ雨ばかりで、そろそろ海の顔が恋しくなっていた。だから学校の帰り道、ランドセルを背負ったままで公園に寄った。もしかしたら海も同じことを考えているんじゃないかなあと思って。
期待通り、海は公園のベンチにいた。そこは木の下で、ちょっとくらいの雨ならしのげる。
海はすぐにあたしに気づいて手を挙げた。あたしは小走りでかけより、おしりが濡れるのもかまわずベンチに腰を下ろした。
「そこ、濡れてる」
「いいよ、ちょっとだけだし」
「おもらししたみたいになるけど」
「えー、それはいやだ」
ぴょんと立ちあがってたしかめたけど、もう手遅れだった。
「いやいや、大丈夫だって。あたしもう1年生だし……あ、わかった。全身雨に濡れればいいんだ!」
「やめとけって。学校の帰り?」
「うん。もしかしたら会えるかなと思って。海は、どうしてた?」
「千夏が来るのをずっと待ってた」
「あ、そうなの? えへへ」
うれしくてにやにやしてしまう。
「ごめん嘘。ちょっと前まで紫陽花屋敷に行ってて、その帰り」
「ちょっとー、その嘘はないわー」
母さんの言い方をマネしたら、笑われた。
「で、紫陽花屋敷で何してたの?」
「うん、ちょっと……」
海は言葉を濁した。
「まさかひとりで肝試し!?」
「違うよ」と苦笑する。
「野暮用、かな」
「ヤボヨーってなに?」
「さあね。おれもよくわからない」
「なんだそれ」
ふっと緩む海の表情がなんだかいつもより穏やかに見えて、あたしはなぜか不安になる。
「千夏」
海が急に真顔になる。心臓がトクンとはねた。
「……なに?」
「もしも、もしもだけど。おれがいなくなったらさ」
「えっ、なに、引っ越すの!?」
「いや違う。もしもの話だって……そうなったらさ、前みたいに探して、見つけてくれる?」
「この世の果てまで探して見つけるよ! それで、どうしていなくなったのかとことん問い詰める!」
「こぶしを打ちつけながら言うなよ。たとえばの話なんだから」
「だって当然でしょ!」
葉っぱにたまった雨しずくがぴしゃんと頭上に落ちてきて、あたしは「わー」と不快な声を出す。ちょっとおしりも冷たい。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「べつに」
足元の地面が少しくぼんで水たまりになっているところを、海はぴしゃんと蹴った。
「もし自分がこの世界から消えても、だれか1人くらいはおれのことを覚えていてほしいなって思っただけ。残念ながら、千夏ぐらいしか友だちいないんだよね」
「海も学校に来ればいいのに」
「ほかのやつらは、来ないほうがいいと思ってるよ」
「そんなやつ、あたしがぶっとばすから!」
「本物のギャングスターになりたいわけ?」
「いいよもう、慣れてるし。それより、海のことが心配」
「お気遣いどうも。でもおれは、教室で気の合わないやつらと教科書読むより、ひとりで本を読んだりぶらぶらしてるほうが気楽でいいんだ。たぶん学校に向いてないんだよ」
「あたしだって、嫌いな子もいるしずっと椅子に座って勉強するのはいやだけど……」
それでもみんな我慢しているのにずるい、と思った。
じっとりした空気が、余計に心をいら立たせる。
雨音が急に大きくなったように感じた。どこからか、蛙の鳴く声も聞こえる。空は、どんよりと重い。
「ごめん」
先に沈黙を破ったのは海だった。
「こんな天気ばかり続くから、気分がふさいで変なことばかり考えてたんだ」
「ううん」とあたしは首を振る。
「ぜんぶ雨のせいだよ」
でも心の中では別のことを考えていた。
前みたいに、海が別の世界に連れてってくれればいいのに。あっちは晴れていて、外で遊び放題かもしれない。けれどあれ以来、海は一度もあたしを向こうへ連れて行ってくれない。あんまりしつこく言うと怒るので、あの現象、海の不思議な能力についての話は、今ではタブーみたいになっている。もしかしたら夢だったのかもしれない、とも思う。
「早く、晴れろー!」
厚い雲に向かって叫ぶ。
「早く、晴れろー!」
海が面白がってマネをする。
子どもがふたり晴れ乞いをしたところで天気は変わらない。
代わりに、遠くでゴロゴロと雷の鳴る音がした。
こうなってしまってはもう、帰るしかない。
「帰るか」
「そうだね」
ピカッと雷が光り、あたしたちは慌てて木の下から離れる。
「傘、差さないのか?」
「雷落ちたらいやだもん。大丈夫、家までそんなに遠くないし」
「そっか。風邪ひくなよ」
「そっちもね」
海はもとから傘を持っていなかったようで、手ぶらだった。
「ばあい」と手を振ったけれど、その声は雷雨にかき消されてしまう。それでも海は振り返って、大きく手を振ってくれた。
あたしとは反対方向に、海は走り去っていく。
豪雨の中、あたしは走って帰った。ランドセルの中身がはずんでガバガバとうるさかった。
全身ずぶ濡れだ。
母さんがため息を吐く姿が目に浮かんだ。
まだ梅雨が明けていなくて、その日もしとしと雨が降っていた。雨の日は基本、家にいるのだけれど、ここのところ雨ばかりで、そろそろ海の顔が恋しくなっていた。だから学校の帰り道、ランドセルを背負ったままで公園に寄った。もしかしたら海も同じことを考えているんじゃないかなあと思って。
期待通り、海は公園のベンチにいた。そこは木の下で、ちょっとくらいの雨ならしのげる。
海はすぐにあたしに気づいて手を挙げた。あたしは小走りでかけより、おしりが濡れるのもかまわずベンチに腰を下ろした。
「そこ、濡れてる」
「いいよ、ちょっとだけだし」
「おもらししたみたいになるけど」
「えー、それはいやだ」
ぴょんと立ちあがってたしかめたけど、もう手遅れだった。
「いやいや、大丈夫だって。あたしもう1年生だし……あ、わかった。全身雨に濡れればいいんだ!」
「やめとけって。学校の帰り?」
「うん。もしかしたら会えるかなと思って。海は、どうしてた?」
「千夏が来るのをずっと待ってた」
「あ、そうなの? えへへ」
うれしくてにやにやしてしまう。
「ごめん嘘。ちょっと前まで紫陽花屋敷に行ってて、その帰り」
「ちょっとー、その嘘はないわー」
母さんの言い方をマネしたら、笑われた。
「で、紫陽花屋敷で何してたの?」
「うん、ちょっと……」
海は言葉を濁した。
「まさかひとりで肝試し!?」
「違うよ」と苦笑する。
「野暮用、かな」
「ヤボヨーってなに?」
「さあね。おれもよくわからない」
「なんだそれ」
ふっと緩む海の表情がなんだかいつもより穏やかに見えて、あたしはなぜか不安になる。
「千夏」
海が急に真顔になる。心臓がトクンとはねた。
「……なに?」
「もしも、もしもだけど。おれがいなくなったらさ」
「えっ、なに、引っ越すの!?」
「いや違う。もしもの話だって……そうなったらさ、前みたいに探して、見つけてくれる?」
「この世の果てまで探して見つけるよ! それで、どうしていなくなったのかとことん問い詰める!」
「こぶしを打ちつけながら言うなよ。たとえばの話なんだから」
「だって当然でしょ!」
葉っぱにたまった雨しずくがぴしゃんと頭上に落ちてきて、あたしは「わー」と不快な声を出す。ちょっとおしりも冷たい。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「べつに」
足元の地面が少しくぼんで水たまりになっているところを、海はぴしゃんと蹴った。
「もし自分がこの世界から消えても、だれか1人くらいはおれのことを覚えていてほしいなって思っただけ。残念ながら、千夏ぐらいしか友だちいないんだよね」
「海も学校に来ればいいのに」
「ほかのやつらは、来ないほうがいいと思ってるよ」
「そんなやつ、あたしがぶっとばすから!」
「本物のギャングスターになりたいわけ?」
「いいよもう、慣れてるし。それより、海のことが心配」
「お気遣いどうも。でもおれは、教室で気の合わないやつらと教科書読むより、ひとりで本を読んだりぶらぶらしてるほうが気楽でいいんだ。たぶん学校に向いてないんだよ」
「あたしだって、嫌いな子もいるしずっと椅子に座って勉強するのはいやだけど……」
それでもみんな我慢しているのにずるい、と思った。
じっとりした空気が、余計に心をいら立たせる。
雨音が急に大きくなったように感じた。どこからか、蛙の鳴く声も聞こえる。空は、どんよりと重い。
「ごめん」
先に沈黙を破ったのは海だった。
「こんな天気ばかり続くから、気分がふさいで変なことばかり考えてたんだ」
「ううん」とあたしは首を振る。
「ぜんぶ雨のせいだよ」
でも心の中では別のことを考えていた。
前みたいに、海が別の世界に連れてってくれればいいのに。あっちは晴れていて、外で遊び放題かもしれない。けれどあれ以来、海は一度もあたしを向こうへ連れて行ってくれない。あんまりしつこく言うと怒るので、あの現象、海の不思議な能力についての話は、今ではタブーみたいになっている。もしかしたら夢だったのかもしれない、とも思う。
「早く、晴れろー!」
厚い雲に向かって叫ぶ。
「早く、晴れろー!」
海が面白がってマネをする。
子どもがふたり晴れ乞いをしたところで天気は変わらない。
代わりに、遠くでゴロゴロと雷の鳴る音がした。
こうなってしまってはもう、帰るしかない。
「帰るか」
「そうだね」
ピカッと雷が光り、あたしたちは慌てて木の下から離れる。
「傘、差さないのか?」
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「そっか。風邪ひくなよ」
「そっちもね」
海はもとから傘を持っていなかったようで、手ぶらだった。
「ばあい」と手を振ったけれど、その声は雷雨にかき消されてしまう。それでも海は振り返って、大きく手を振ってくれた。
あたしとは反対方向に、海は走り去っていく。
豪雨の中、あたしは走って帰った。ランドセルの中身がはずんでガバガバとうるさかった。
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