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8-2.隣村の『隣人』
しおりを挟む一人で。紡がれた言葉に、なんとなく寂しさのようなものを覚える。
神に愛されし隣人という種族は、得てして神聖視されやすい。フィラスがそうだったように、人間にとって不可侵の存在に思われるのだろう。だからこそ、彼らは孤独になりやすい。ただ、そういった孤独を彼らが悲しんでいるかどうかについて、芯まで分かる、とは言いづらいだろう。
――ただ、幼いエステルは、フィラスの笑顔が寂しそうに見えた。だから、手を取った。それだけの話だ。
幼いエステルのような存在が居なければ、フィラスだってきっと、まだずっと、あの古めかしい家の中で、一人で過ごしていたかもしれない。
「ただ……、その隣人はなんていうか、少しおかしな言動をする隣人だったらしくて」
「え?」
「時々村に出てきては、誰かを探すんだ。私の隣人はどこ、どこって」
「……」
「おかしい話だよな。『隣人』は女性のことなのに」
「……」
エステルは答えられない。ただ、なんだか――どうしようもない、引っかかりのようなものを覚える。
「村中探し回って、『隣人』が居ないことを知ると自分の家へ戻る。そういうのを繰り返して、最終的に、若い姿のまま、死去したらしい。だから、『居た』って言われてる。昔話みたいなものだよ」
「……なんだか、その、寂しい話……ですね。その人は他の隣人と結婚していた、とかじゃなくて?」
「まさか! 一人居たら珍しい隣人なのに。夫婦で居たら、もの凄く噂になっているよ」
ケイが笑う。ただ、その笑顔を、エステルは上手く受け止めきれなかった。
知らず、手の平に汗が滲む。パンを食べる手が完全に止まってしまい、それを見てかケイが「ごめん、あんまり面白く無い話だったよな」と首を振った。エステルは慌てて首を振る。
「とにかく、この村に隣人が来るのは本当に久しぶりで……、だから誰もが気にしてるみたいだ」
「そうなんですね。フィラスは、その、……なんというか、優しい人なので、是非話しかけてください。きっと答えてくれます」
「――ね。僕の話、してる?」
不意に、エステルの背に何かが――というより、フィラスがのしかかってくる。気配が無かった。ケイも今し方気付いた、というように目を丸くしている。
「フィラス? いつの間に……?」
「なに。聞かれたら嫌な話してた?」
「いや、そうじゃないけど……ここにも隣人がいたんだっていう話。女性の隣人だって。聞いたことある?」
エステルが言葉を続けると、フィラスはふうん、と顎を引いた。エステルの隣に腰を下ろし、それから「僕は聞いたことないなあ」と相好を崩した。
「この辺りに女性の『隣人』がいたっていう話は。まあ、僕は結構居を変えるから、それのせいで話が入って来ていない可能性もあるかもしれないけれどね」
「……あの、いま、突然、あらわれて」
ケイが恐る恐る、というように言葉を続ける。フィラスが笑った。ぱちん、と指を鳴らすと同時に、エステルの隣からフィラスがかき消える。ケイが大きな声を上げる。エステルも同じようにフィラスを探して視線を動かした。
一つ、二つ、瞬きをして――三回目、エステルの肩にずし、と何かがのしかかってきて、――フィラスの体が現れる。
「魔法だよ。僕、魔法得意なんだ」
「魔法……」
「そう。――なんでも出来るよ。こうやって自分の姿を消したり、はたまた、他人の姿を消して、一生誰にも知覚出来なくさせることだって、ね」
フィラスが笑みを浮かべながら、ケイを見つめる。言い含めるような声音だった。――脅すような、と言う形容が一番正しいだろう。
それは多分、ケイに向けられた言葉だった。それに気付いたからこそ、エステルはフィラスの肩を軽く叩く。
「フィラス。そういう風に言うの、やめておくべきだと思う」
「そういう風って?」
「わかるでしょ。――わからないなら、怒るよ」
「……」
フィラスが拗ねたように唇を尖らせる。そうしてから「僕と結婚するって言ったのに……」とぼそぼそと口にするので、エステルは苦笑した。
見た目は完全に美青年だし、年だってエステルには想像も出来ないほど重ねてきているのに、フィラスは時々、凄く子どもっぽくなる。そういう所もフィラスの魅力と言えば魅力なのだが、とりあえず今は――。
「ごめんなさいは?」
「……ごめん。しないよ。そんなこと。したら、エステルに嫌われてしまう」
「え?」
ケイが驚いたような声を上げる。そうしてから「あ! もしかしておれにするっていう脅しだったのか」と手を打った。
言われた当人は全く気がついていなかったようである。ケイは朗らかに笑うと、「全然。気にしてない」と首を振った。
「それじゃあ、おれは次の配達もあるから出るよ。色々話せて楽しかった、エステル、それにフィラス様。また今度」
「あ、はい、また今度。パン、美味しかったです」
慌てて手を上げる。ケイが笑って、そのままの勢いで宿を出て行った。
エステルはそっと息を吐く。そうしてから、フィラスを見た。
「ケイには通じていなかったみたいだけど、フィラス、本当に駄目だよ。魔法を使って脅したりしたら」
「……脅しじゃないよ。本当にそうしようと思ったから言った、それだけ」
「それの方がタチが悪いよ。駄目だからね。――あんな風に接したら、フィラスの傍に近づく人が居なくなっちゃうよ」
「良いよ。エステルが居てくれるでしょう。僕はそれだけで良いし、それだけが良い。エステルだけ、居てくれたら、それで良いよ」
「私が居なくなったらどうするの」
「またそういうことを言う。僕を悲しませて楽しい?」
フィラスが拗ねたように眉根を寄せる。悲しませて楽しい、わけではないが、フィラスにとってそう遠くない未来、確実にエステルは居なくなるのだから、心づもりはしていて欲しいとは思う。
「私が居なくなると悲しいの? 一人は寂しくないっていってたのに」
「寂しいよ。寂しい。一人は寂しくなかったのに、そう思うようになったのはエステルのせいだから、エステルがきちんと責任を取るべきだ」
「ものすごく責任転嫁してる気がする。――とにかく、魔法を使って脅すのは駄目だよ、本当に」
フィラスがぎゅうっと眉根を寄せて、それから小さく笑った。しないよ、エステルが言うなら、と、フィラスは歌うように言葉を口にする。
そうしてから、エステルの腰にそっと手を回してきた。体を寄せるようにして抱きしめられて、じんわりと体温が伝わってくる。エステルは少しだけ吐息を零した。
そうしてから、先ほどケイと話していたことを思い出す。
この村に居た、女性の――『神に愛されし隣人』。
時々村の中に来ては、『隣人はどこだ』と探し回っていたという、その人。
フィラスは、その隣人のことを知らない、と言った。居を変えることがあるというのは、恐らく隣人全体が往々にしてすることなのだろう。人間が想像も出来ない期間を生きる彼らは、一つ所に定まるのが、少しばかり難しい。エステルの村では『守り人』のような扱いになっていたが、一つ間違えたら排斥される可能性だってあるだろう。
それでも、フィラスはエステルの住む村に、数百年は居るはずだ。そのフィラスが知らない、という。
ならば、この村に住んでいた『隣人』は、一体、何だったのだろうか。
エステルは思わずポケットの中に入れた、ハンカチに触れる。その中に包んだ腕輪をすり、と撫でた。
僅かにひびの入ったそれは、微かなつっかかりを皮膚に残して、けれど静かにそこに在った。
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