長命種の愛は重ため

うづき

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3-1.代わり

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「エステル、ちょっと良い?」

 穏やかな日だった。いつものように、フィラスを起こしてから、家まで帰る道のりの中で、不意に声をかけられてエステルは足を止める。
 そこには、エステルの家から二軒隣に住んでいる友人――ユーリが立っていた。ユーリはエステルと同じ年の女性で、今度隣村の男性の元へ嫁ぐことが決まっている。

「ユーリ。どうかしたの?」
「ちょっとお願いがあって……、エステルはフィラス様の家からの帰り?」
「そう。フィラスを朝起こすのは私の役割だからね」

 エステルは頷く。ユーリは僅かに相好を崩した。気の置けない友人を呆れたように――けれど、心配そうに、見守る表情だ。
 エステルがここ十年以上、フィラスの家に通い詰めているのは、この村に住む人であれば誰もが知っていることである。最初の内は止めた方が良い、危ない、と言われていたが、エステルが頑としてフィラスの家に通い詰めたことと、エステルに手を引かれてフィラスが村に訪れ、多くの人と話をするようになってから、そういった反対意見はなりを潜めている。

 誰もがフィラスを好きになる。それがわかっていたから、エステルは渋るフィラスを説得して、村まで手を引いた。結果として、フィラスは十年前に比べると村に溶け込んでいる。
 ただ、多くの人は、『神に愛されし隣人』のことを、神と同様に扱ってしまう節があった。エステル以外に、フィラスの名前を気さくに呼ぶ人間は、今のところ、一人も居ない。

 ただきっと、これから出てくる可能性は――無きにしもあらず、である。エステルが生きている間にも、もしくは、エステルが居なくなった後にでも、フィラスと親しくなる誰かが出てくる存在はあるだろう。
 だって、フィラスには、それほどの魅力があった。放っておけなくて、手を引いて、輪の中に入れてしまいたくなるような、そんな魅力が。

「エステルってフィラス様のこと、大好きだよね」
「そうだね。フィラスは優しいし……、良い人だよ」
「はは」

 ユーリはエステルの言葉に、笑い声で返す。それから、「私はフィラス様のこと、少しだけ怖いよ」とだけ続ける。
 独り言めいた口調だった。だからこそ、その言葉が本心で紡がれていることがわかる。エステルは瞬く。フィラスに怖いと思うような要素なんて、どこにもないように思われた。

「フィラスが? どうして? あ、もしかして、凄く凄く綺麗だから? わかる、私も最初この人絵から飛び出してきた人なのかなって思った。静かにしてると死んでるのかなって一瞬思う」
「そうじゃなくて――ほら、フィラス様は『神に愛されし隣人』でしょ。話していても、芯のところでなんだか違うなあって思う時があるというか……」

 ユーリの言葉は、自身の中にある曖昧な感情を、こねくり回して形にするかのように響く。所々、言葉を選んで、詰まりながら紡がれた言葉に、エステルは瞬く。

「……確かに、フィラスは『神に愛されし隣人』だけど。でも、朝起きるのが苦手で、若干おっちょこちょいで――それだけ。私たちと一緒だよ」
「エステルはそう思うんだろうね。凄いと思うよ。でも、なんだろう、」

 ユーリは囁く。そうしてから、ぐっと背を伸ばした。自分で、少し意地悪なことを言ったと思ったのか、ばつが悪そうな表情を浮かべる。

「ごめん。なんだか私、酷いこと言ってるね。けど、……その、大丈夫なのか、心配で」
「心配……?」
「そう。ほら、『神に愛されし隣人』は……、私達と生きる時が違うでしょう。だから、エステルが最終的に悲しい目に遭わないかどうかが、凄く……。それにほら、おとぎ話でもよく言うじゃない。神に愛されし隣人と人は相容れない、って」

 ユーリは困ったように眉根を寄せた。幼い頃、エステルがフィラスに恋をしていたことを知っているからこそ、エステルのことを心配してくれているのだろう。
 エステルは瞬いて、それから笑う。

「大丈夫だよ、私ももう、ほら、大人だから!」
「……確かに、そうだけど」
「子どもの頃は確かにフィラスと結婚するって言ってたけど、今はもうそんな夢みたいなこと考えてないよ」

 ユーリの心配の種を取り去るように、エステルは首を振る。幼い頃からの気持ちは、きちんとエステルの中で昇華が出来ている。フィラスのことは好きだが、結ばれることなんて十歳を超えたくらいから諦めた。エステルが向けている感情を、フィラスが同じように返してくれることはないのだと気付いてからは、無謀とも言える恋心は終息を迎えた。

「……フィラス様はどうかな」
「フィラスは私のこと犬か猫だと思って居ると思う。遠慮がないもん」
「それは……どうかなあ」

 ユーリが考え込むような間を置いてから首を振る。そうしてから、困ったように笑った。

「エステルが本当に心配。本当に大丈夫? 私が居なくてもやっていける?」
「あ! ちょっと、酷いこと言う。ユーリこそ、私が居なくても大丈夫? 隣村で泣いたって駆けつけたり出来ないんだからね」

 エステルの言葉に、ユーリが笑う。そっちこそ、と同じように返されて、エステルも笑った。
 ユーリは近いうちに、隣村へ嫁ぐことになっている。こうやって気安く話せるのも、これから先は少なくなるのだろう。だから、その一つ一つの言葉の応酬を、大事に心の奥に仕舞い込みながら、エステルはユーリと僅かな間、歓談を楽しんだ。
 少しして、ユーリがエステルにお願いしたいこと、を思い出すまでの間、だけ。


 ユーリの頼み事は、簡単なことで、結婚の際に持っていく花を調達して欲しい、というお願いだった。エステルの居る国において、花は様々な行事で用いられる。それぞれの行事に応じて、使う花は事細かに決められていた。花が一種の資源として地位を形成しており、王都でしか育てられないものもある。それもあって、王都近くには沢山の花畑が存在している。他国から訪れる人々は、まずその様子を見て驚くのだと聞いたことがある。

 エステルの家は農家なので、多少なり花を育てることはある。だが、今回頼まれた花は、エステルの家で育てていないものだった。伝手を辿って取り寄せるしかないだろう。
 母に連絡を行い、伝手先へ手紙を書いている内に、時刻が過ぎていく。あとは手紙を郵送屋に頼んで送るだけだ。

 そう思って、郵送屋の方へ向かった、のだが。

「あれ、フィラス?」
「エステル。どうしたの、なんだか奇遇だね」

 道の途中、エステルはフィラスに出会った。フィラスがこうやって町中を出歩いていることは、あまり無い。大きな袋を抱えている所を見るに、恐らく買い物に出かけたのだろう。
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