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第四部 第四章 開戦まで
94話 後悔ばかりの男①
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シグルズがバナルトゥスシティの見回りを終えて大通りに戻ったとき、ちょうど首都の門を乗り合い馬車が出ていこうとするところだった。
開戦に先立ち、他国に家族のいる人間は国外避難を選択する者も少なくはない。
グラムの馬上からぼんやりとその馬車を眺めていると、馬車はシグルズの前で止まった。
「見回りご苦労さま」
馬車の窓から顔を出したのは、ゲオルグだった。
「———……陛、下」
「陛下と呼ぶなと言っただろうが。物覚えの悪い奴め」
悪い顔つきで笑う皇帝陛下の周囲を覗けば、馬車に乗っているのは灰色のローブを来た近衛特兵4人だけだった。
乗り合い馬車と偽った皇帝専用の御車らしい。
「……帝国に戻るのですか」
ゲオルグがバナヘイムを出るというのは、つまりはそういうことだろう。
自分はどうなるのだろうとシグルズは思った。確か連れ戻される予定だったはずだが。
「先ほど帝国とバナヘイムの間で軍事同盟が締結された。グルヴェイグも正式に加盟し、同盟盟主はバナヘイムに移った。俺の目的が全て達成された以上、ここにいる意味はない」
顎に手をあてて口の端を上げるゲオルグははたから見ても満足そうだった。
それはそうだろう。
全ては彼の思い通りに事が運んだのだから。
「……バルト長官やトールとは会話をしたのですか」
それはシグルズから発することのできる最大の皮肉だった。
確かにこのタイミングでバナヘイムを盟主とする軍事同盟が結ばれたのは、バナヘイムにとっても有利に働くだろう。
けれど、その過程で失われたものも大きかったのではないだろうか。
ゲオルグは黄色い目をシグルズに向けた。笑いは消えている。
「バルトには怒鳴られるかと思ったが、頭を小突かれただけだった。『一生後悔しろ』と言われた。言われなくてもそのつもりだ」
「トールは?」
「会っていない。今会うのは得策ではない。……あいつにとってタンホイザーはもう一人の父親のような存在だった。せっかく軍事同盟が締結されたのに、ニーベルンゲンの宰相を返り討ちにして仲違いするようなことになったら幸先が悪いだろう」
そう言うと、ゲオルグは珍しく視線を彷徨わせた。
何か発言を迷っているようだ。
「バケモノの恐怖はバナヘイム軍に浸透していた。俺が唆さずともいずれ暴発していただろう。唆される弱みを持つ軍人など、エインヘリヤルにとっては美味い餌に過ぎない」
それはシグルズにも理解できる。
だがそれでも、今の彼の発言は言い訳でしかない。
「俺は自分のやったことは後悔していない。それによって同盟が締結されたのであればなおさら。ただ……、」
まさかタンホイザーが死ぬとは、ゲオルグも思っていなかったのだろう。
傲岸不遜な男が持つ感情の一側面をみたような気がして、シグルズはわずかに笑いを零した。
「……ところで陛下。俺は皇宮に連れ戻されるのではありませんでしたか」
「そのつもりだが、あれだけの変異体を用意されてはお前の力も必要になるだろう。バナヘイムが滅んでしまったら元も子もない。エインヘリヤルとの戦いが終わったら遠慮なく戻ってくるがいい。グルヴェイグ国境にはヴェルスング卿迎えのために一個師団を駐留させてある」
どうやら逃がしてはもらえなさそうだった。シグルズはため息を吐く。
優しいのか残虐なのか。やっぱりこの皇帝陛下が分からない。
シグルズははたと気付いてグラムから降りると、馬車の中にいるゲオルグに向かって胸に手を当て、深く頭を下げた。
ゲオルグがわずかに驚く。
「突然どうした?」
「コロンナ先生の家にエインヘリヤルの暗殺部隊が現れたとき、陛下が咄嗟に庇ってくださらなければ俺は死んでいたと思います。改めて感謝申し上げます」
「ははは」
面白くなさそうに笑う丸眼鏡の男はシグルズから視線を外すと御者に「出せ」と一言命じた。
馬車が動き始める。
「シグルズ。ひとつだけ言っておいてやる」
頭を上げて皇帝を見たとき、すでに視線が合うことはなかった。
「後悔はするなよ。———俺のように」
開戦に先立ち、他国に家族のいる人間は国外避難を選択する者も少なくはない。
グラムの馬上からぼんやりとその馬車を眺めていると、馬車はシグルズの前で止まった。
「見回りご苦労さま」
馬車の窓から顔を出したのは、ゲオルグだった。
「———……陛、下」
「陛下と呼ぶなと言っただろうが。物覚えの悪い奴め」
悪い顔つきで笑う皇帝陛下の周囲を覗けば、馬車に乗っているのは灰色のローブを来た近衛特兵4人だけだった。
乗り合い馬車と偽った皇帝専用の御車らしい。
「……帝国に戻るのですか」
ゲオルグがバナヘイムを出るというのは、つまりはそういうことだろう。
自分はどうなるのだろうとシグルズは思った。確か連れ戻される予定だったはずだが。
「先ほど帝国とバナヘイムの間で軍事同盟が締結された。グルヴェイグも正式に加盟し、同盟盟主はバナヘイムに移った。俺の目的が全て達成された以上、ここにいる意味はない」
顎に手をあてて口の端を上げるゲオルグははたから見ても満足そうだった。
それはそうだろう。
全ては彼の思い通りに事が運んだのだから。
「……バルト長官やトールとは会話をしたのですか」
それはシグルズから発することのできる最大の皮肉だった。
確かにこのタイミングでバナヘイムを盟主とする軍事同盟が結ばれたのは、バナヘイムにとっても有利に働くだろう。
けれど、その過程で失われたものも大きかったのではないだろうか。
ゲオルグは黄色い目をシグルズに向けた。笑いは消えている。
「バルトには怒鳴られるかと思ったが、頭を小突かれただけだった。『一生後悔しろ』と言われた。言われなくてもそのつもりだ」
「トールは?」
「会っていない。今会うのは得策ではない。……あいつにとってタンホイザーはもう一人の父親のような存在だった。せっかく軍事同盟が締結されたのに、ニーベルンゲンの宰相を返り討ちにして仲違いするようなことになったら幸先が悪いだろう」
そう言うと、ゲオルグは珍しく視線を彷徨わせた。
何か発言を迷っているようだ。
「バケモノの恐怖はバナヘイム軍に浸透していた。俺が唆さずともいずれ暴発していただろう。唆される弱みを持つ軍人など、エインヘリヤルにとっては美味い餌に過ぎない」
それはシグルズにも理解できる。
だがそれでも、今の彼の発言は言い訳でしかない。
「俺は自分のやったことは後悔していない。それによって同盟が締結されたのであればなおさら。ただ……、」
まさかタンホイザーが死ぬとは、ゲオルグも思っていなかったのだろう。
傲岸不遜な男が持つ感情の一側面をみたような気がして、シグルズはわずかに笑いを零した。
「……ところで陛下。俺は皇宮に連れ戻されるのではありませんでしたか」
「そのつもりだが、あれだけの変異体を用意されてはお前の力も必要になるだろう。バナヘイムが滅んでしまったら元も子もない。エインヘリヤルとの戦いが終わったら遠慮なく戻ってくるがいい。グルヴェイグ国境にはヴェルスング卿迎えのために一個師団を駐留させてある」
どうやら逃がしてはもらえなさそうだった。シグルズはため息を吐く。
優しいのか残虐なのか。やっぱりこの皇帝陛下が分からない。
シグルズははたと気付いてグラムから降りると、馬車の中にいるゲオルグに向かって胸に手を当て、深く頭を下げた。
ゲオルグがわずかに驚く。
「突然どうした?」
「コロンナ先生の家にエインヘリヤルの暗殺部隊が現れたとき、陛下が咄嗟に庇ってくださらなければ俺は死んでいたと思います。改めて感謝申し上げます」
「ははは」
面白くなさそうに笑う丸眼鏡の男はシグルズから視線を外すと御者に「出せ」と一言命じた。
馬車が動き始める。
「シグルズ。ひとつだけ言っておいてやる」
頭を上げて皇帝を見たとき、すでに視線が合うことはなかった。
「後悔はするなよ。———俺のように」
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