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第四部 第四章 開戦まで

92話 大神官の布告②

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「元帥!!」

「やめろ中将! ただの銃は効かない!!」

 トールが黒い物体に銃を放つエリーザベド中将に叫ぶが、混乱しているのか喚きながら銃を撃ち続けている。

 タンホイザーは片手に持ったサーベルで黒い物体を攻撃しようとするが、視界が遮られているせいかうまく当たらなかった。
 頭部を喰う黒い花がぶくぶくと膨らんでいくうちに、ぐちゃり、とひどく生々しい音がした。



 花弁から血が滴る。


 もがいていたタンホイザーの手足がだらりと垂れさがった。




「ヨーゼフ……」


 バルトの呆然とした声が聞こえた。

 シグルズは鞘からノートゥングの剣を抜くと、膨らんだ花の部分を切り裂いた。

 普段よりも体は重いが、戦うことはできる。
 己の状態がそれほど悪くないと確認できたシグルズは、振り向きざまにヘルマンの体から生えていた黒い管にも切り付けた。

 ヘルマンの口だった部分から黒い液が漏れだし、奇声が発せられた。


『たんホイざーげ  んスいィイイイイイ イ……イタイイタイ……ゲンスイそんけ いしていますマス………バナヘイムヲイッしょにまモリマ しょううううウウウウウウ ウウウウウウウウウウううアアアアアアアアアア アアアア アアアアアアアアいだダダ ダダダダダダ   』


 膨らんだ花はタンホイザーの胸部分までを喰った状態で床にぼとりと落ちた。
 花の先端が非常に細い触手のようになってタンホイザーの体を覆っていく。

 さらにヘルマンの体部分の黒い管は、近くに倒れていたヴァルトラウテの体に向かってうねうねと動き出していた。


「兄さん!」

 ネフィリムが叫んだ。トールがネフィリムを見る。
 弟は、兄の持つ黄金の銃に手を添えていた。

「今です! ミョルニルを撃って!!」
「———分かった」

 トールが銃口を変色しつつあるタンホイザーに向けた。
 顔は泣きそうに歪んでいたが、照準がブレることはなかった。

 ここまで変異してはもう助かるはずはない。


 トールは黒い花に2発、タンホイザーの遺体に3発の銃弾を打ち込んだ。



 ネフィリムの力によって変異体への攻撃が成功したようだと悟ると、シグルズは数歩後ろに下がった。

「ヘイムダル」

 槍を構え、今にも変異体に攻撃を仕掛けようとしているローブの少年に話しかける。

「いくら君が強くても変異体相手ではどうにもならない。バルト長官と中将を地下へ避難させてくれ」

 ヘイムダルは困惑した表情を見せた。

「しかし陛下のご命令は……」
「俺を守れと言われたんだろ? それは分かっている。だが今は緊急事態だ。ゲオルグでさえここに変異体が出現することは予想していなかったはず」

 チラリとバルトのほうを見る。
 肝が座っている男でも、目の前で元帥が喰われたのを見たダメージは大きいようだった。

「バルトが死んだらゲオルグも困るだろう」

 タンホイザーはしばし黙ったが、「分かりました」と言って槍を持ち替えた。

「バルト長官、エリーザベド中将。今のうちにゲオルグの近衛特兵ロイヤル・ガードとともに地下に避難を! 変異体は俺たちが何とかします」

 2人とも有事の判断は素早かった。
 頷くと、隣室にいる護衛兵とともに素早く部屋を出る。


「ヴェルスング卿……、いやシグルズ君。教えてほしい。ヨーゼフはもう……」

 シグルズの横を通るとき、バルトが小さな声で尋ねた。


 ヨーゼフ。
 長官と元帥が、長い付き合いだったことがその語感から伝わってきた。


「助かりません」
「………そうか。ありがとう」


 立派な人だと思う。
 感謝の声には、すでに張りが戻っていた。


「長官。エインヘリヤルの変異体が複数体、バナヘイムに近づいてきています。先ほどの使者の言葉は本気だと思います。どうか、戦いの準備を」
「ああ、心得た」

 バルトは口の端を上げて応じた。






 トールの攻撃は命中し、タンホイザーの遺体を喰っていた黒い花は消えていった。
 一方、ヴァルトラウテの体に巻き付いた黒い管はそのまま体を丸ごと飲み込むと、ヘルマンの腹の中に消えていく。

 ごぼぼぼ、ごぼ。

 再び不快な音が室内にこだまして、ひとつになった黒い塊が膨張していく。人間の形は失われつつあった。
 手足のない蛙が膨らんだような、異形。

「ベヌウ。私が力を———」
「待て、ネフィル」

 ベヌウに攻撃を依頼しようとしていたネフィリムを止めて、シグルズが前に出る。

「あまり時間をかけているとさらに膨張して街に被害が出る可能性がある。俺がノートゥングの剣で止めを刺す。君の力を貸してくれ」

 返事がない。
 ネフィリムのほうを見ると、黒い目はこちらをじっと見つめているものの、口元が若干強張っていた。

「私は……お前に無理をさせたくない」

 シグルズの体を心配しているのだろう。
 リラックスさせるように、敢えて軽く振舞う。

「騎士から戦う機会を奪うのか? そのほうが調子が狂ってしまうな」
「シグルズ……」
「君を守らせてくれ。君に格好いいところを見てほしいんだ、そして、」


 もっと俺に惚れてほしい。


 最後の台詞は耳元で囁くように。

 ネフィリムは少しだけ頬を染めたが、「全く……」と言ってから剣の柄を握るシグルズの手に自分の手を添えた。

「我が騎士」
「わが主、命令を」

「どうか変異の者を屠る力を」



 体の重さが消える。
 剣が羽のように軽くなる。

 目の前で不快な音を立てる異形に向かって、黒い剣身ブレードを振るう。


 隣国への怯えを、ずる賢いミドガルズの皇帝に利用された軍人。
 その悲鳴が剣身を通して伝わってくる。

 愚かだ、と思った。
 国だろうが人間だろうが、力がなければ守ることはできない。


 ああ、気持ちいい。

 俺とお前ネフィルがいれば、どんな変異も切ることができる。



 ネフィリムの命に従い、ネフィリムを守るために剣を振るうときの俺はこの上なく幸せだった。

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