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第四部 第二章 思惑に翻弄されるまで

幕間・隣の国の花火が綺麗―留学時代小話―②

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 ◇



 乱闘騒ぎから1週間後。

 ゲオルグとトールが渡り廊下を歩いているときにフリッカが現れた。
 未だ怪我が完治せず、頬に白い木綿布を当てているトールは瞬時に戦闘態勢に入った。


「ゲオルグ、トール。あなたたち建国祭のこと知らないわよね?」


「おい、本当に八つ裂きにされたいのか! 前回と同じ発言で来るやつがあるか!? まずは謝罪するのが礼儀ではないのか!?」

 トールは構えを崩さないまま、問題点と改善点を解説する丁寧なキレ方を見せた。器用な男だと思う。ゲオルグは感心した。

「ごめんなさい」

 フリッカは眉を八の字にして、手を揃え、頭を深く下げる。

「あのときはお金が無くて焦っていました。“お前のやっていることは野盗に近い。どんなに成績が良くても野盗を大学に置いておく義理はない”とバルト先生に怒られたわ」

 怒り方も怒られ方も斬新だ。



「お金欲しさもあるけど、建国祭のことを教えたかったのも本当なのよ」

 大学構内の庭園のベンチに腰掛けて、フリッカは神妙に話し始めた。
 トールもゲオルグもバナヘイムに来て日が浅い。この国の建国祭がどんなものなのかは知らなかった。

「バナヘイムのものではないわ。エインヘリヤルの建国祭」
「……宗教国家の?」
「エインヘリヤル、だと」

 ゲオルグもトールも声を上げたがその反応はだいぶ異なった。
 特にトールの声は鋭く、普段とは違って鬼気迫るものがある。

「そう。エインヘリヤルの建国祭。とても綺麗らしくて、一度でいいから見てみたいの」
「待て、コロンナ。バナヘイムとエインヘリヤルは戦争中だろう。そんな国の建国祭を見てどうするんだ」
「隣国の文化を知りたいという欲求に戦争中かどうかって関係あるの?」

 フリッカは大きな目をぱっちりと開いてトールを見た。

「エインヘリヤルは敵だろう!? 憎くはないのか」
「そういう意味では大好きとは言えないけど、敵ならなおさらどういう国なのか知っておいたほうがいいと思わない?」

 フリッカの発言を聞いてトールは黙った。真面目な男だから考え込んでいるのだろう。
 ゲオルグは彼女の発言に興味を持った。

「君はエインヘリヤルの建国祭で何が見たいんだ?」

 フリッカは「えっ」と言って絶句した後、パアと花が咲くように笑顔になった。
 その様子を見てゲオルグは理解する。

 おそらく彼女は、発想が突飛すぎて同意してくれる友人が周りに誰もいなかったのだろう。

 貴族階級にいながら学者を目指すゲオルグを、父も兄も奇異な目で見ていたのを思い出す。

「空よ! 花火!」
「花火?」
「建国祭の当日、エインヘリヤルの首都スヴァルト・アールヴヘイムの夜空はとても綺麗な色に染まるらしいわ! 私はそれを見てみたいの」

 隣国と言えどバナヘイムとエインヘリヤルの間にはかなりの地理的距離がある。相当な高台に上らないと花火とやらは見えないらしい。

「あなたたち金持ちでしょう? バナルトゥスシティの高層ホテルの屋上に上がらせてもらえない? お金を握らせれば簡単だと思う」

 相変わらず発言がえげつないが、フリッカの言っていることは理解できた。ゲオルグは頷く。

「じゃあ建国祭当日、そこに上がらせてもらうか」
「え、可能なの!?」
「俺の下宿先がそこだ」
「なんだと!?」

 フリッカに次いでトールも叫び声を上げた。

「俺の国よりも金があるのか、帝国の子爵家は」





 そして今。
 宗教国家エインヘリヤルの建国祭を楽しむために、学生3人がバナヘイム首都の高層ホテル屋上にいた。

 はるか東の方角。
 宗教国家の首都上空には、白く輝く星とともに花火とは似ても似つかない現象が広がっている。

「すごい! エインヘリヤルはこんなに美しい空が作り出せるの?」

 フリッカは感嘆する。トールもゲオルグもその現象に声が出なかった。

 それは初めて見る光景だった。
 青や緑、赤などの光のヴェールが風にそよぐカーテンのような柔らかさを纏って揺れている。

「なんだこれは……エインヘリヤルの魔術か?」
「おそらく、“アウロラ”や“天の割れ目”と呼ばれるものだと思う。確かカドモスでもだいぶ昔に観測されたことがある現象だけど、どうやって発生するのかは解明されていない」
「アウロラ」

 ゲオルグは初めて聞く単語だった。帝国の書物にはアウロラのことは一切記されていない。

「理由は分からないけど、帝国では見られたことがないから知ってる人も少ないんでしょうね。私に建国祭のことを教えてくれた人も“当日は空に花火が上がって綺麗なんだ”と教えてくれただけなの。―――でも本物は、花火よりもずっと綺麗だった」

 うっとりとした声を出すフリッカとは対極的に、トールは東の空を睨みつけていた。

「これはエインヘリヤルが人工的に生み出した見世物なのか」
「それは分からないわ」
「どんなに綺麗な空を演出しようと俺は心を動かされたりはしない。あそこは死者の国だ。この美しさが誰かを従わせるために利用されるのだとしたら、俺はそれを止めたい」

 トールの言葉には熱がこもっていた。
 彼は以前、その素性と留学理由をゲオルグに話した。彼の国ニーベルンゲンが設立された経緯を考えれば、エインヘリヤルに敵意を抱く気持ちも分かる。

「アウロラはエインヘリヤルにいる巫女・ワルキューレたちが死者の世界の門を開く際に起きるとも言われているの。それを良きものと捉えるか、悪しきものと捉えるかは人それぞれだと思うわ」

 フリッカの言葉からは、彼女がいかに多くの知識を有しているかが伝わってくる。
 特に神話や国家形成に関する彼女の見識は非常に優れたものだった。

「詳しいな。さすがだ」

 ゲオルグが珍しく褒めたものだから、フリッカははにかんだ笑顔を見せた。

「そういうあなたはどうなの? ゲオルグ。あなたはこの景色を見てどう思う?」

「俺?」

 東の空を見る。光のカーテンは濃淡を重ねながらゆらりゆらりと動いている。



「俺は―――」






 ゲオルグがミドガルズ帝国辺境にある子爵家からバナヘイムに留学して、ちょうど1カ月が経過した日だった。



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