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第四部 第二章 思惑に翻弄されるまで
79話 タンホイザー②
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司令官室の席に人数分の飲料が運ばれてきた。
カップの中の黄色く透明な液体は独特の香りを放っている。飲食物に聡いベヌウが運んできた下士官に「これは?」と問うた。
「トウモロコシ茶です。乾燥させたトウモロコシを煮出したものになります」
「ほう。カドモスやニーベルンゲンでは見かけませんが香ばしくて良い香りですね」
「バナヘイムではよく飲まれる。まあ……黒麦酒ほどではないがな」
次の瞬間にはベヌウが席を立って「う、うまい!」と興奮していた。ベヌウの大げさな喜怒哀楽表現に慣れているニーベルンゲン兄弟は特に反応をしなかった。
ネフィリムも飲んでみたが、優しい味の中にも後引く風味が隠れている。美味しい。ベヌウが作り方を下士官に聞いているからきっとニーベルンゲンでも飲めるようになるだろうと思うと嬉しくなった。
「なるほど。対北東との軍事同盟か」
タンホイザーのカップの中に注がれているのはマイステーではなく黒麦酒だった。
「私は大賛成だ」
一口飲むと、元帥は簡潔に言い切った。
「むしろ今まで無かったのがおかしいくらいだな。……だが、それを決めるのは最終的にはバルトであり議会だ。軍としてはあの国の異様さや危険性は身に染みて感じているが、現状は親エインヘリヤル派が幅を利かせている。バルトも加盟を決断するのは難しいだろうな」
「護民長官にはゲオルグが説得を行っている」
「ゲオルグ!? 帝国の皇帝までもが来ているのか。これは一大事だ」
タンホイザーは笑いながらもう一口黒麦酒を飲むとカップをテーブルに置いた。
先ほどとは打って変わって真剣な表情で語りだす。
「ワーグナーも、その妻である君たちの母親クリームヒルトを殺したのもエインヘリヤルのようなものだ。バナヘイムの建国理念とも相容れない」
“共に和す”政治のバナヘイムと、国教を定めてその教義を国営の柱とするエインヘリヤル。確かに国家としての価値観の違いは大きいだろう。
だが、とネフィリムは思う。
信仰国家であるニーベルンゲンは、大国に囲まれたがゆえの切迫性からとはいえ、現実に存在する戦神“戦乙女”が実質上の統治者である。
どちらの国に近いかと言えば、どう考えてもエインヘリヤルだ。
「正直、君たちの母親に関してもあまりいい感情を持っていなかった。ワーグナーは稀有な政治家だった。彼が護民長官のままでいれば、そしてバルトと組めば、バナヘイムはもっと良い方向へ進んでいただろう」
戦乙女であるネフィリムには耳が痛い話ではあるが、得体の知れない教義の国に友人を突然奪われたタンホイザーの気持ちは理解できる。
ネフィリムが膝に目を落としていると、トールにトントンと人差し指で軽く叩かれた。
何かと思って顔を上げればタンホイザー元帥が優しそうな笑顔でネフィリムを見つめている。
「だが、最近になってニーベルンゲンが周囲の国で生きられない人々を難民として受け入れていると聞いて『ワーグナーの意思が受け継がれている国なのだな』と認識を改めたのだ。不快にさせたならすまない」
ネフィリムもバナヘイムの英雄を見つめ返す。
以前だったら動揺していたかもしれないが、今のネフィリムにはその言葉が深く沁みる。
「いえ。当然の感情かと思います。私自身も……戦乙女信仰になど頼らずにニーベルンゲンが国家として成長していくことがもっとも健全だと思いますから」
グルヴェイグでの戦いを経て、ネフィリムは戦乙女の力とその弊害について考えることが増えた。
魂の魅了や、変異。そして、死した人間さえも戦いの道具として利用する。
人を人ならざるものに変化させる力に頼るのがいかに恐ろしいことか。
始祖ブリュンヒルデのような力があれば最強の軍隊を作ることはできるかもしれないが、その代償はあまりにも大きい。
残るものは……人間ではなく、変異体なのだから。
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