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第三部 第一章 経済国家グルヴェイグに赴くまで

55話 すれ違い

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 全ての価値は金銭に帰する。
 グルヴェイグという国を端的に表現するとそうなる。

 帝国との国境を越えたその瞬間から「グルヴェイグらしさ」を感じることになるシグルズたちだった。

 街道を進むたびに露店が広げられている。売り物はアクセサリーや調味料、雑貨などさまざまだ。
 また、各国の食事を提供する食事処なども大きな交差路に至るたびに目に入った。

「おい、2人とも!あれを見てみろ」

 栗毛色の馬に乗っているネフィリムが馬上で興奮している。
 シグルズは嫌な予感がしたがいちおう彼の指さす方向を見てみると、「見世物みせもの小屋」という旗が立っていた。
 小屋と言っても、小さなテントが立っているだけである。


『奇怪!ここでしか見れないヘビ男 閲覧料1人・1銀貨』


「私はヘビ男という生き物を見たことがない! 本当にいるのだろうか…!?」

 いるわけがない。が、ネフィリムの顔には「すごく見てみたい」と書いてある。

 結局、ネフィリムの期待の眼差しに根負けしたシグルズが「行ってこい」と述べ、銀貨を持った青年は喜び勇んでテントの中に入っていった。


 数分後。トボトボと出てきたネフィリム。聞くだけ野暮だが聞かないのはもっと野暮だ。

「顔はヘビに似た人間だった。だが胴体が明らかに緑の布でできていて、それがどんどん伸びていくんだ。そして最後には10本の手が後ろから出てきて……つまりあれは2人芝居というわけだな」

 ヘビ男が存在しなかった結論にしょげるネフィリム。人はこうやって学んでいくんだなとシグルズはしみじみとした。



 日が落ちかける時刻。だいぶ進んだので今日はこのあたりで宿を取ろうということになった。
 グルヴェイグは街道周辺に多くの宿泊所があるので休む場所に困ることはない。
 首都・ゴットフリートまでおおよそ半分ほどの行程を残し、一行は宿を取った。

 グルヴェイグでは帝国の通貨がそのまま使える。追加料金を支払えば帝国ではそれほど流通していない珈琲コーヒーや紅茶も飲めると言われて、シグルズは喜んで宿を決めた。

 高価とは言えないが安価でもない宿。
 だが経済の国だけあって、内装も小綺麗でサービスも良い。一般的な宿には珍しく、バスタブまでついている。

 食堂で出された食事は、鮭のカムリーヌ・ソース煮、加えて塩漬けベーコンと棒状の固焼きパン、装飾菓子だった。パンを手に取りながらネフィリムが述べる。

「経済国家とは、金が頻繁に出入りする国なのだな」

 ヘビ男の対価1銀貨は彼の勉強料となったわけだ。

 帝国にも街道近くに店が出ることはあるがグルヴェイグほどではない。ましてニーベルンゲンは国柄もあり街や村以外で商売をする人間は皆無だ。ネフィリムが驚くのも当然だった。

「グルヴェイグの交易網は全国に及ぶ。詳しくは分からないが、エインヘリヤルやニブルヘイムとも商売をしていると思う。グルヴェイグの国政は資本家たちが牛耳っていて、合議制で決まると聞いている」

 帝国は皇帝から領地を拝した貴族兼地主がそれぞれの土地を仕切るが、グルヴェイグで地主となるのは資本家だ。土地も切り売りされる。

「グルヴェイグの4大資本家の名前は私も聞いたことがある」

 4大資本家とは、金銀・宝石商、武器商、食糧(調味料)商、古美術商から出世した資本家4人のこと。太い流通ルートを確保し、主要な商い以外にも融資業などにも手を広げている。
 グルヴェイグの資本家たちの頂点に立つのが4大資本家で、国政への影響力も強い。
 

「ああ。ヴェルスング家に見合いの話を持ってきたのはその4大資本家のひとつ、カロルスフェルト家だ」
「カロルスフェルト……。食糧商か」

 わずかな沈黙がおりる。シグルズの杯に葡萄酒ワインを注いで席についたミモザは笑顔で沈黙を破った。

「シグルズ様はご結婚なさいますの?」

 ネフィリムの目がカッと見開かれる。シグルズは苦笑した。

「いや……しないよ。俺がそういうのを嫌っているのはお前も知っているだろ?」
「確かに、結婚したらもう女性遊びができなくなりますものね」
「おいミモザ。そういうわけでは」

 最近はそんなに遊んでないよ、と苦しい弁明が聞こえた。
 見開いた黒い目はシグルズとミモザの間を行ったり来たりしている。

「でも私、ひとつ疑問に思っていることがございます。もし今回の“任務”で形だけでも婚姻を結ぶ必要がある場合、シグルズ様はどうなさいます?」

 任務。
 すなわち北東3国への対軍事同盟を結ぶこと。

 仮に4大資本家であるカロルスフェルト家が賛成に回れば、他の資本家の説得も容易くなるだろう。

「それは――――」

 しないだろうな。







「したほうがいいかもな」




「なぜそうなる!?」

 ネフィリムのツッコミは早かった。
 ミモザが「ネフィル様、早すぎます」と小声で訴えたが後の祭り。

「え?」

 シグルズは心の底から困惑した声を出した。

「え?」
「え!?」
「いや、だってそれは―――」

 シグルズが再び弁明を始めようとしたとき、勢い余って立ち上がったネフィリムのポケットから小さな手帳がコトンと床に落ちた。

 ハッとしたネフィリムが慌ててそれを拾おうと手を伸ばす。

 が、ちょうどシグルズたちのテーブルの横を通った男が先に拾った。


「落とし物ですか?」


 手帳を拾ったのは、つばの大きな帽子を被った男。額の真ん中で分けた赤色の髪が肩ほどまで伸びていた。

 顔を上げたネフィリムと目が合う。
 すると男は「へえ」と言って顔を近づけ、次いでネフィリムの手を握った。

「これはずいぶんと美しいお方だ。珍しい黒髪も映えている」

 目を細めてそう言った男は、その握った手の上に手帳を返そうとした。

 が、その腕がいきなりひねり上げられる。手帳が再び床に落ちた。


「……シグルズ!?」


 無表情で帽子の男の腕をひねり上げている。
 男は苦痛で顔を歪めていたが、特に声を上げることもなくシグルズの顔を見ていた。観察しているようにもみえた。


「触るな」


 シグルズの低い声。すると帽子の男が「これ以上力を入れられると骨が折れます…」と訴えた。

「シグルズ。その人は手帳を拾ってくれただけだ。離してやってくれ」
「―――……君はもう少し下心に敏感になったほうがいいな」

 さらに低い声でそう言ったが、ため息を吐いて手を離した。
 ネフィリムは帽子の男に向かって慌てて頭を下げる。

「あの、手帳を拾っていただき感謝します。……腕は大丈夫でしょうか」
「うーん、ちょっと痛いですが大丈夫です。こちらこそ気分を害したならすいません。特にそちらの……男性の方」

 シグルズは無言で席に着く。

「あなたの恋人でしたか」
「え、いや、彼は……私の護衛です」

 ネフィリムはどう説明しようか迷ったが、無難な表現を選択した。

「そうですか……。護衛にしてはだいぶ身分の高そうな方ですが」

 帽子の位置をずらしながら男が笑う。

「あなたのお顔が美しかったので私も本音を申したまでです。できればお許しいただきたい。それでは」

 帽子の男はネフィリム、次いでシグルズのほうを見てから食堂を後にした。



「あの帽子の殿方、口説き方もそうですが身のこなしがなかなかスマートですね。おそらくグルヴェイグの上流階級の方ですわね」

 ミモザが評する。シグルズも頷いた。葡萄酒ワインを煽る。

「それにしてもシグルズ様。男の嫉妬は見苦しいです~~~! ちょっと雄っぽくてキュンとしたのは秘密ですけども」
「うるさい」
「そしてそしてネフィル様。以前から手帳をお持ちでしたっけ?」
「いや、これは……」

 ネフィリムは言いよどんだが、結局はページを開いてそれを見せた。
 中にはユリの押し花が入っていた。

「綺麗なお花ですね」
「ああ、その、プレゼントにもらったから……枯れる前にこうしておけば保存できると聞いたのでな」
「あーー! ミモザ、全て理解できましたわ。今日はお部屋でオールナイト恋バナしましょうね」
「あ? ああ……?」

 いや、私はミモザと同室なのか?男なのに? と聞きたかったネフィリムだがミモザの勢いについていけず最後まで戸惑っていた。

 シグルズはその様子をチラリと見ただけで特に何も言葉を挟まなかった。

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