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第三部 第一章 経済国家グルヴェイグに赴くまで
53話 君のためなら①
しおりを挟む帝国図書館の2人との会話が思ったより長引いた。
食堂に赴いたが他の人間はすでに食事を終えていたようだ。
シグルズとネフィリムの姿を見つけたミモザが「お食事、ご用意しますね」と笑顔で厨房に飛んで行く。
「今日は2人きりの食事になりそうだな」
「ああ、そうだな」
2人だけで食事をするのはテルラムント領から逃げ延びたあの日々以来だ。
なんだかネフィリムは嬉しくなった。
2人のディナーに気を利かせてくれたミモザが、食卓を美しく彩り始めた。
レースに花柄の刺繍をあしらったテーブルクロスと優しい灯りを揺らめかせるキャンドル、美しい花瓶に活けられた花々。これからの食事を楽しむ前夜祭のようだった。
「まだ食事も並んでいないのに、なんだか豪勢な食卓だな」
シグルズは笑いながら葡萄酒を受け取っている。ミモザは胸を張って答えた。
「お2人とも大変な旅路を終えられたのです。たまにはささやかな贅沢も必要ですわ」
言うとミモザは再び厨房へと走り去る。続いて執事や料理人たちが腕によりをかけた食事を運んできた。
ヴェルスングの森で狩った鴨の肉のロースト、きのこと野菜のスープ、マスの香草焼き、そして焼きたてパンとサニーベリータルト。
「どれも美味しそうだ……! 全部食べきれるだろうか」
ネフィリムの黒い瞳がキラキラと輝く。それを見たシグルズの顔には喜色が宿った。
「腹を壊さない程度にしておけよ」
美味しい食事と美味しい葡萄酒 ――ネフィリムはサニーベリージュースだ――で2人の会話も大いに弾む。
シグルズとグラムの暴れ話や、ディートリヒに人生で一番怒られた日の話。シグルズの大げさな話しぶりが面白くて大笑いしてしまった。ネフィリムは兄の奇人ぶりやニーベルンゲンの祭りの様子などを話した。
「そうだ、ネフィル。ちょっといいか」
話の途中でシグルズが席を立った。
普段どんな立ち振る舞いもそつなくこなす彼にしては、珍しく緊張しているようにも見えた。
何だろうと思って見守っていると、彼は食堂の棚の奥から花束を持ってきた。
ネフィリムの前に差し出す。
「花?」
それは大輪のユリの花束だった。白いユリと、ネフィリムが見たことのない青いユリが混じっている。
「これは?」
「君へのプレゼントだ」
「……私?」
私に花? シグルズが?
「純粋でありながら威厳のある君にはユリがぴったりだと……。黒も映えるしな。あと、青色は君の瞳が明るく輝いたときの色だ」
「………どうして、私に」
「な、なんだ。おかしいか。君をかけがえなく思っている……その気持ちを込めたつもりだ」
シグルズが視線を彷徨わせる。その目元は少しだけ赤かった。
「あまり人に物を贈ったことがなくてな。ベヌウにも相談に乗ってもらったのだが」
私に、花。
シグルズが、私に花をプレゼントしてくれた。
――堪えきれるわけがない。
「ネフィル?」
「う、うううう」
ネフィリムは泣いた。思いきり泣いた。
もちろん嬉しくて泣いている。
嬉しすぎる。
まさか人生でこんな日が来るとは思わなかった。
「ありがとう、シグルズ……。とても嬉しい……」
プレゼントなんて兄以外からもらったことがない。
それに花、なんて。
大きなユリの花弁に顔を近づける。
綺麗。とても綺麗だ。
「こ、こんな幸せで……夢みたいだ」
「君は大げさだな。でも喜んでもらえてよかった」
大げさじゃない。
これまでの人生で楽しかったことと言えば、就寝前に兄が絵本を読んでくれるときくらい。
大切な人と一緒に美味しいご飯を食べて、こんなに綺麗な花をもらって。
全然、大げさじゃない。
「私は幸せの使いすぎではないだろうか……明日はちゃんと生きているかな」
照れ隠しのつもりでそう言った。
だがシグルズは予想外に真面目な顔をして私を抱きしめた。
「ネフィルは俺が守る。これからたくさん楽しいことが待っているよ。だから冗談でもそんなことを言わないでくれ」
どちらからともなく唇を重ねた。言葉がいらなくなる時間の始まりだった。
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