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第一部 番外編

悪竜の妹②

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 ◇


 皇宮ドラウプニルはいつ建てられたものなのか定かではないが、ミドガルズ帝国建国の前から存在していたという説が有力だった。当時の先住民たちの宗教施設だったのではないかと言われている。

 この迷路のような大きな皇宮の地下には広大な貯蔵庫、水路、武器庫、そして牢獄が広がっている。
 ゲオルグは地図でその全貌を把握はしているものの、実際に歩いたことはない。あまりにも広すぎるのだ。


 牢獄の門番兵は椅子に座って半分眠っていた。

「牢ってのはここか」

 門番兵はいきなり話しかけられて明らかに戸惑っていた。目の前には丸眼鏡をかけて顎髭を生やしている風変りな男が立っている。服装だけが豪奢だった。

「?……えっと」
「これから処刑される罪人はここに収監されているのか」

 男が誰なのか分からず言葉に窮していると、その男の後ろにいる兵が皇帝直属の近衛兵だと分かって血の気が引いた。こんなところに皇帝が来るなど前代未聞だ。

「へ、へいか……!? は、はい」
「扉を開けろ。ファゾルテ・フォン・テルラムントに会う」
「てっテルラムントの一族ですね!はい、今ご案内します!!」

 ファフニルの妹が収監されている牢は入口からもっとも遠く、水の臭いがする暗い部屋だった。
 暗くてよく分からないが、牢の中央にうずくまった人間の影が見える。

「ファゾルテとは君か」

 ゲオルグは人影に声をかけた。
 牢の前に立つゲオルグの周囲を帝国近衛兵が囲んでいる。

「ファゾルテ・フォン・テルラムント。ファフニルの妹」

 その声掛けに、影がぴくりと動いた。


「………そうです。私は罪人の妹。何も、話すことはありません」


 声は擦れていて小さい。だが、おそらく通常であれば高く澄んだ美しい声色の持ち主なのだろうと察せられた。

「私はゲオルグ。この国の皇帝だ」
「ゲオ………、皇帝陛下?」

 影が大きく上に伸びた。中にいる人間が背を伸ばし、顔を上げたのだ。

 汚れているとはいえ、ファゾルテは兄に劣らず美しい容姿の持ち主だった。腰まで伸びた金髪と緑の目。着ている白色のチュニックは羊毛で作られていた。
 緑の目が大きく開かれ、苦悶の表情が浮かぶ。

「陛下、誠に申し訳ございません。兄の、ファフニルの所業……私ごときの命で償えるとは思いませんが、明後日の処刑は立派にこなしてみせます」

 ファゾルテはゲオルグに頭を下げ、床に突っ伏してしまった。すすり泣きが聞こえてきた。

「お前は兄の行為を知っていたのか」

「はい。知っておりました。ですが、それを外に漏らせば家族に危害が及ぶ恐れがありました。父の足が不自由だったのは、兄の横暴を指摘した際に腱を切られたからです。ですがこれはただの言い訳……帝国に忠誠を誓う身でありながら蛮族に魂を売るなどあってはならないこと。父や母、兄らが旅立った今、私もまたそれを追う覚悟はできております」

「立派な覚悟と受け取っておこう。ところでひとつ聞きたい。お前が絞首刑を願う理由を聞かせてほしい」

 ファゾルテはピクリと反応した後、黙った。
 息すら止めてしまったのかと思うほどに静かになった。
 ゲオルグも特に言葉を挟まずにその時間を待った。

 やがてファゾルテが顔を上げてゲオルグを見る。
 その目はか弱い女のそれではなく、何かの覚悟を決めた者の目だった。

「理由はお話できません」

「貴様! 陛下になんという口を……!」
「よい。黙っていろ」

 近衛兵が柵に近づいてファゾルテを恫喝する。それをゲオルグは静かに制した。
 牢の中の女は近衛兵が至近距離に近づいてくると一瞬身をこわばらせたが、息を整えてもう一度言葉を発した。

「理由は話せません。ですが、陛下にご慈悲があるならば、どうか」

 緑の目から水滴が零れ落ちる。そしてもう一度深く頭を下げた。

「理由なく刑を下げることはできぬ。お前は死ぬ覚悟があると言った。その言葉は偽りか」
「そんな、ことは…」
「お前の親や兄弟は体を裂かれて死んでいった。自分だけでもプライドを守りたいか」

 ファゾルテは美しい表情をこれ以上ないほど歪めた。そして頭を振ると、立ち上がり、ゲオルグのほうに歩いてきた。足枷となっている鎖がじゃらりと鳴る。

「死の覚悟を疑わないでくださいませ! 例え女に生まれたといえど、私も帝国貴族の一人。その心に偽りはありません。……ですが!」

 近衛兵がゲオルグと牢柵の間に割り込んだ。

「陛下、お気をつけください」

 ファゾルテの足はふらついていたが、それでも一歩一歩、裸足の足で岩の床を歩み、柵の前まで来た。

 真っ暗な牢獄の中で、血だらけになった素足だけが鮮明に映る。

「ですが私には、守らねばならないものがあります。四つ裂きの刑でも、斬首でもなく、どうか、絞首刑にしてください。その結果、汚辱にまみれ地獄に堕ちることになっても私は構いません」


 ゲオルグは途中からファゾルテの話を聞きこぼしていた。

 丸眼鏡の奥、猛禽類の目が注視するのは……彼女の腹。

 下腹部の膨らみ。



「―――君は今年いくつになる」
「15でございます。陛下」

 僅かに考えた後、ゲオルグは目を閉じた。

「医者を呼べ」

 振り向くことなく、近衛兵の一人に命じる。

「医者だ。ただし女の助手を伴うこと」

 言うと、用は済んだとばかりに牢を後にする。

 牢の奥から、どさりと座り込む音が聞こえた。ファゾルテは最後まで言葉を発さなかった。




 ゲオルグは執務室に戻り、大法官と大公官に告げた。

「テルラムントの子女、親戚の刑は法外放置アウトローとする」

 法外放置アウトローとは、罪人に対して帝国が何の処罰も行わない代わりに、身分を問わず誰でも罪人を害してよいというお触れを出すこと。

 つまり、罪人を殺害しても罪には問われないという制度だ。

 何の説明もなかったが、二官はその決定にただ頭を下げる。
 皇帝が決めたことは絶対だった。


 2日後、刑は執行された。



 ◇


 法外放置の顛末てんまつがフギン・ムニンから報告されたのはさらにその3日後だった。

「全員殺害されました」

 ゲオルグは別の書類を見ながら「そうか」とだけ返した。

「ほぼ全員が八つ裂きにされました」

 ゲオルグは気のない返事をしただけだった。法外放置にすると決めたときから結末は分かっていた。

 民衆は残酷なのだ。罪人に対しては。


 一点だけ気になっていることがあった。ゲオルグは気だるげに大家令に視線をやる。

「ファゾルテ・フォン・テルラムントを殺害したのは誰だ」
「―――………」
「どうした、フギン」
「陛下はあの女を誰が殺したか把握しているのですか」
「いや。分からないから聞いている」

「特定の誰かが殺害したとなぜ分かるのですか。他の一族は皇宮を出た瞬間、平民の集団に囲まれ体を引き裂かれました。なぜあの女だけが特定の誰かに殺されたのだとお思いになるのですか」

 パサリと書類を机に置くと、丸眼鏡を外して手で弄び始めた。


「あの女、妊娠していた」


 大家令はその言葉を聞いても相変わらず顔色を変えなかったが、いつも淡々と一定のスピードで紡がれる言葉にはわずかな間が生じた。


「――……ファゾルテを殺したのはアイゼンフート子爵家の息子です。昨日、首を持ってきました」


「―――そうか」

 ゲオルグは立ち上がってフギンに書類を突き返す。

「目は通した。これらは全て各官の意向通りに進めよ。俺は書庫に行く。すぐ戻る」
「………御意」
「もう分かっていると思うが、アイゼンフートは辺境伯の候補から外せ。あとの2家から検討せよ。大公官に伝えておけ」





 15歳の女。
 逆賊ファフニルの妹。
 兄と同様の端麗な容姿を持ち、兄とは正反対のまっとうな心の持ち主。



 女は自分の命はどうでもいいと言った。

 女が守ろうとしたのは自分の子ども。

 女が刑にこだわったのは、わずかな可能性でも子どもが助かるようにするため。

 自分の生存時間がもっとも長い、絞首刑。

 四つ裂きでは下腹部までもが破れてしまう。



 男は以前から女の兄の不正を把握していた。

 男は誰から“兄”の不正を聞いたのか。

 そして男は女の首を持ってきた。

 男の持ってきた首はひとつだが、殺したのは2人。




 女が守ろうとした子の父親は誰か。

 女は自分が死んだ後、誰が子どもを腹から出してくれることを期待したのか。

 自分のプライドと引き換えに、たった数秒の猶予を手に入れて。

 誰が、我が子を救い出してくれると信じていたのか。


『爵位の低い者からすれば喉から手が出るほど欲しい称号です』



 罪人の妹が子どもを身籠ったとき、窮地に立たされるのは誰か。







 ゲオルグは書庫で一冊の本を手に取った。

『人に供する国――都市連邦バナヘイムに見る共同体のあり方』

 古ぼけたその本は十分な綿埃を被っており大帝国皇帝の手を汚す。それを気にする様子もなくページをめくりながら、窓際の壁に佇む。

 呟くのは独り言。




「俺は未だに、国家が人に何をもたらすのかがよく分からないんだよ」






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番外編二編はこちらで完結です。読んでいただきありがとうございました!
次回からは本編(第二部・ニーベルンゲン編)がスタートしますのでこちらもよろしくお願いします。
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