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第一部 第五章 決着をつけるまで

31話 皇宮ドラウプニル

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 ミドガルズ大帝国首都、アースガルズ。
 千年以上続く帝国の都は、幾度の災害や戦火を乗り越えてなお繁栄し続けていた。

 市街地の中央に位置する大広場から大通りが放射線ほうしゃせん状に延び、中央の広場周辺には行政施設やギルド、礼拝堂などが並ぶ。
 大通りと大通りの間は網の目のように街路が繋がっており、武器屋や服屋、薬屋やパン屋などそれぞれの業種の店舗が固まり合って街区を形成していた。

 基本的に貴族は皇帝から領土をたまわり、その地に自らの邸宅を構えるのだが、皇宮に仕える者の中には――例えば家令や将軍など――爵位を持ちながらも首都の中に居宅を構える者もいる。

 シグルズの祖父の後に大家令(大臣)になったフギン・ムニン、帝国軍総司令官のエッシェンバッハ大公などがそれに当たる。

 エッシェンバッハなどは特異な人物で「広い家は移動が面倒だから狭くてよい」と言って、男爵程度の貴族に与えられる邸宅に住んでいるという。

 比較的中央広場に近い場所に貴族の邸宅があり、街はずれにいけばいくほど下層市民の家が増える。帝国の貧富ひんぷの差は歴然だった。
 華やかな帝都と言えど、外壁近くはスラムのようになっている場所も見受けられた。



「大きい……」

 帝都までの道中、ネフィリムはシグルズからアースガルズの概要を聞いていた。
 しかしいざ帝都の壮大さを目にすると、やはり驚きを禁じ得ない。

 視界に入りきらぬばかりの外壁が東西南北に伸びて街を囲んでおり、外壁の上に通されている巡回路には区域ごとに衛兵が歩き目を光らせている。

 行政施設は四階建て、ギルドはそれ以上の高さで、街のどこにいても見失うことがない大きな旗が風にたなびいている。大聖堂の屋根は、空に住む神へ手を伸ばすかのような水色の円錐えんすいが二つ、並び立っていた。

 
 そして。
 帝都のもっとも奥。


 北側にそびえている城が皇帝ゲオルグのいる皇宮こうぐうドラウプニルだという。


 大聖堂とは反対に、天に反逆はんぎゃくの意思を示すかのように高くそびえる槍のような鋭い守備塔が複数見られるのが印象的だった。突き上げられた槍に囲まれた中心部に黒い城があった。

 ネフィリムはここに来てニーベルンゲンの弱さを痛感した。

 ここまで国力の異なる国が隣接していて、むしろよく今まで自国が独立していられたものだ。その幸運さに意識が向いてしまうほどに、その帝都の光景は衝撃的だった。



 ◆



 帝都の入口についたシグルズたちは守衛を呼び出し、名前と用件を伝えた。
 
「シグルズ・フォン・ヴェルスング殿、帝都までご苦労様でした。陛下のところに案内させていただきます。付き添いの二人も馬車にお乗りください。騎馬は後から連れていきます」

「ありがとう。グラム、ちゃんと皇宮兵の言うことを聞けよ」

 愛馬を降りたシグルズがその背を撫でる。グラムは聞いているのかいないのかよく分からなかった。

 馬車から見渡す帝都の風景は新鮮で、ネフィリムは窓から身を乗り出して目を輝かせた。

「あの市場で売っている食べ物は何だ?」

 広場に差し掛かったところで、にぎわっている朝市を指さす。

「あれはメロンだろう」
「メロン? 野菜か」
「果物だ。見たことがないのか」
「あの巨大な固まりは……」
「あれはチーズだ」
「あんな色をしたブロックみたいなチーズがあるのか。あっ…あの黒いの……」

 ネフィリムは好奇心旺盛だった。
 見たことのないものに関して貪欲どんよくに知識を吸収しようとする。

 ヴェルスング邸に滞在していたときも、読んでもいいと言われた書物に熱中するあまり睡眠時間を削ってしまったほどだ。

「若。謁見えっけんが終わったらネフィル様と帝都見学をされたらいかがですか」
「そうだな、そうしようか」


 窓の外を見るネフィリムの横顔をシグルズは複雑な心境で見やった。

 皇帝がニーベルンゲンの戦乙女ヴァルキリーをどうするつもりなのか。
 殺すとまではいかずとも、皇宮に軟禁される可能性は大いにあり得る。

 帝都見学など叶わぬ夢かもしれない。

 その場合、己はどうすべきか。シグルズは自問自答する。
 
 ネフィリムはあまりよく分かっていないようだったが、帝国の騎士であるシグルズが他国の人間であるネフィリムに誓約を述べるというのは常識ではあり得ないことだった。

 だが、シグルズは本気である。

 死にたがりの戦乙女ヴァルキリーをあの日戦場で見た日から、なぜか心を占領されている。

 できればニーベルンゲンまで送ってやりたいが、いざとなったらまた二人で逃避行をするか、などとぼんやり考えていた。








 レギナスが家に戻ったあの日。
 ネフィリムを呼ぶ前に、シグルズは祖父にそのことを告げた。

 戦乙女ヴァルキリーと騎士の誓約を交わしたと。
 祖父は大きなため息をついて「この馬鹿孫めが」と呟く。が、その後クツクツと笑い始めた。

「お前はそういう奴だと思っていた。国などに縛られない、ヴェルスングという家にも縛られることはない」

 シグルズは胸に刃を差し込まれた気分だった。

 ヴェルスングという家に縛られない。
 つまりはヴェルスング家当主として期待外れだ、という意味だと受け取った。


 自分がジークフリードになりきれないように、血の繋がりがない「偽物」に、ヴェルスングを任せられる価値はない、と。


「……それは、」
「勘違いするなよ、シグ」

 レギナスはポン、とシグルズの肩を叩く。
 自分よりもずっとずっと背が高く体の大きい孫に向ける笑顔は、慈愛じあいに満ちた祖父の顔だった。

「ニーベルンゲンやカドモスとの関係はいずれ帝国にも戦火をもたらすだろう。ヴェルスング家は騎士の家柄だ。だが、その戦いの舞台は帝国だけとは限らない。……ジークは、この世に存在するはずのないドラゴンを退治して堕ちた森ギヌ・ガ・カップに姿を消した。帝国も皇帝の代替わりを迎え、カドモスが動き始めている。
となれば、北の宗教大国・エインヘリヤルや軍事国家・スルトも動き出すかもしれん。世界が大きく動く、そういう流れが来ているのだと私は感じている」

「8つの国の均衡きんこうが崩れる、と」

「そうだ、その始まりがニーベルンゲンだった。お前が戦乙女ヴァルキリーと騎士の誓約を交わしたと聞き、その思いを強くした。8つの国家が存在していずれも和平を宣言していない以上、均衡きんこうなど所詮いっときのまやかしに過ぎない」

 レギナスは力を込めて言い放った。

「シグルズ。誰よりも強い騎士であり、愛する孫よ。お前は帝国の騎士だ。だが、何よりもお前が守りたいものをその剣に誓い、誇りを胸に生きよ」
「お祖父様」

 シグルズはその一言に全ての気持ちを込めた。
 血のつながらない自分を愛し、大きな信頼を寄せてくれるミドガルズ一の知恵者と呼ばれたレギナス。

「御意。必ずやヴェルスングの名を汚さぬ働きをしてまいります」



 ◇



「シグルズ」

 名を呼ばれて我に帰る。ネフィリムが心配そうに黒い瞳をこちらに向けていた。

「どうした。何か考えごとか」
「ああ、いや……。ファフニルはどうしているのかなと」
「確かに帝都に着くまで接触はしてこなかったな」

 ネフィリムも口元に手を当てて考え込む。

「何度か手下どもが襲撃しようとする気配はありましたが、勝てないと悟ったんでしょうね。少ししたら撤収していきましたが」

 ヴィテゲは気がなさそうに答えた。シグルズも分かっていたことだが、ネフィリムのために説明したのだろう。

「それも皇帝に申上する必要があるだろうな。………さて、着いたようだ」


 馬車を降りた3人の前には皇宮ドラウプニルがそびえていた。

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