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第一部 第三章 テルラムント領脱出まで
19話 そのまま走れ①
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シグルズとネフィリムが休息した場所からそれほど離れていない場所に、適度な針葉樹が集まった小規模原生林を見つけた。
周囲を確認したが人工物はない。領地境界線からも離れていれば人目につきにくく、火が大きくなるまでの時間を確保することができる。
集めたアブラヅタの一部は木に巻きつけ、一部は木と木の間に置いて火が燃え広がるようにしてから火を放つ。空気が乾燥しているのも幸いした。
火は勢いよく燃え上がり、しばらくすると煙が立ち上りはじめた。
「うまくいくかな」
シグルズは楽し気に火を見守っている。
「成功する確率は低いと思っている」
ネフィリムはあっさりと答えた。
「自然現象は人間の意のままにならないことが多いから。だが、領内でぼやを起こすだけでも兵たちに動揺が生まれるはずだ。隙をつくのが容易くなる」
「それは俺も同意だ。さて、行くとするか」
煙が森の外から見えるほどまで立ち上れば、ここにもテルラムント兵が来るだろう。その頃にはさらに燃え広がっているはずだ。
シグルズとネフィリム、グラムは森の中を南の方角へと進んだ。
森を移動して丸三日。
久しぶりに聞こえた人間の声は慌ただしいものだった。
木陰から様子を伺うと、テルラムント領に南接する領地の簡易砦が見えた。
中から軽装のチェインメイルを着た男たちが2人出てきた。
「かなり大がかりな火事らしいぞ」
「辺境伯は何をやっているんだ! こっちにも燃え広がってきている」
「とりあえず子爵にもお伝えしないと」
子爵。
シグルズは遠い昔に学んだ領地図をぼんやりと頭の中に思い浮かべた。
「ああ……ここはアイゼンフート子爵家の土地か」
「どのあたりだ?」
ネフィリムは小声で尋ねる。
「ヴェルスング家の領地からは3つ挟んで東側だ。おそらく十字路の近くまで来ている」
この森の東側には南北に走る街道があり、森の南側には東西を貫く街道が通っている。
ヴェルスング家の領地に行くためには、森の最南端までくだり、そこから東西を走る街道に出て西へ向かう必要がある。
シグルズのいう十字路とは両街道がまたがる南東地点の十字路のことで、道中はかなり順調であったと言っていいだろう。
「火事が起きているのであれば、兵の数も少なくなっている可能性がある。体力的にもこれ以上森の中を進んでいくのは得策じゃない。道中の人混みに紛れて距離を稼ぐのがいいと思うが」
要するに「街道に出よう」ということだった。
シグルズの提案にネフィリムは目を閉じて何かを考えている様子だったが、少しして「そうだな」と賛同の意を示した。
「このままだと私が足手まといになってしまうだろうな……。リスクがあるのは承知だが、街道に出よう」
久しぶりに木々の葉が遮らない日の光を浴びた。
街道はミドガルズ帝国が建国されたと同時期に整備され、人や物資を国内に循環させている。近隣領地の貴族には一定数の街道警備兵を派遣する義務が課され、数百メートルごとに詰所が置かれる。
さらに、街道の南北と東西がつながる十字路には旅人や商人たちを相手にする休憩所が設置されており、簡単な食事も取れる。人が集まるため行商人がバザーを開くこともある。
道行く人はここで旅先の情報を交換したり、別の地方から来る知り合いと待ち合わせをするのだ。
「北方の火事は相当ひどいみたいだ」
「テルラムント伯の兵士が全然動いてくれなくて山火事が酷くなったんだと」
「通行止めになってる場所もあるらしい」
通行人の会話に聞き耳を立てていたネフィリムが何度か頷いている。
「ここからは山火事の煙がはっきりとは見えない。おそらく北部を燃やしたのみで火は消えてしまったのだろう」
少し悔しがっているようにも聞こえた。シグルズは苦笑する。
「いや、ここまでやってくれれば十分だ。テルラムントの兵らしき人間はちらほら見えるが、これが集団で来ていたらどうにもならなかった。お手柄だよ」
「それならいいが……」
今度は明らかに照れている。
何気に感情表現が豊かなネフィリムだった。
「あとは距離を稼ぐだけだ。少し目立つがグラムに乗って駆けるぞ」
ネフィリムは頷いた。
「分かった。だが、兵と遭遇する可能性も……」
「そのときは正面突破するしかない」
陽はもっとも高い場所を過ぎ、徐々に西に傾き始めている。
わずかな水と保存食で食いつないではいるが睡眠もろくに取れてはいない。
シグルズ自身も疲れは自覚していた。
だがそれよりもネフィリムだ。
どんなに強がっていても、ネフィリムの体力はもう限界に近かった。いつ倒れてしまうか分からない状態だ。
加えて、森を抜けるというのは愛馬にもかなりの負担を強いた。
通常の騎馬であれば立ち止まってしまう荒道もグラムならば駆け抜けてくれるが、その疲れは走りに現れている。こちらもまた無理をさせるわけにはいかない。
できれば今日の夜にはヴェルスング領にたどり着きたかった。
グラムに跨ったネフィリムがぐっとシグルズの体に腕を回す。シグルズは手綱を引いた。
「さて、ここからが本番だ。――街道を駆け抜けるぞ。しっかり掴まっていろ。グラム、行くぞ!」
周囲を確認したが人工物はない。領地境界線からも離れていれば人目につきにくく、火が大きくなるまでの時間を確保することができる。
集めたアブラヅタの一部は木に巻きつけ、一部は木と木の間に置いて火が燃え広がるようにしてから火を放つ。空気が乾燥しているのも幸いした。
火は勢いよく燃え上がり、しばらくすると煙が立ち上りはじめた。
「うまくいくかな」
シグルズは楽し気に火を見守っている。
「成功する確率は低いと思っている」
ネフィリムはあっさりと答えた。
「自然現象は人間の意のままにならないことが多いから。だが、領内でぼやを起こすだけでも兵たちに動揺が生まれるはずだ。隙をつくのが容易くなる」
「それは俺も同意だ。さて、行くとするか」
煙が森の外から見えるほどまで立ち上れば、ここにもテルラムント兵が来るだろう。その頃にはさらに燃え広がっているはずだ。
シグルズとネフィリム、グラムは森の中を南の方角へと進んだ。
森を移動して丸三日。
久しぶりに聞こえた人間の声は慌ただしいものだった。
木陰から様子を伺うと、テルラムント領に南接する領地の簡易砦が見えた。
中から軽装のチェインメイルを着た男たちが2人出てきた。
「かなり大がかりな火事らしいぞ」
「辺境伯は何をやっているんだ! こっちにも燃え広がってきている」
「とりあえず子爵にもお伝えしないと」
子爵。
シグルズは遠い昔に学んだ領地図をぼんやりと頭の中に思い浮かべた。
「ああ……ここはアイゼンフート子爵家の土地か」
「どのあたりだ?」
ネフィリムは小声で尋ねる。
「ヴェルスング家の領地からは3つ挟んで東側だ。おそらく十字路の近くまで来ている」
この森の東側には南北に走る街道があり、森の南側には東西を貫く街道が通っている。
ヴェルスング家の領地に行くためには、森の最南端までくだり、そこから東西を走る街道に出て西へ向かう必要がある。
シグルズのいう十字路とは両街道がまたがる南東地点の十字路のことで、道中はかなり順調であったと言っていいだろう。
「火事が起きているのであれば、兵の数も少なくなっている可能性がある。体力的にもこれ以上森の中を進んでいくのは得策じゃない。道中の人混みに紛れて距離を稼ぐのがいいと思うが」
要するに「街道に出よう」ということだった。
シグルズの提案にネフィリムは目を閉じて何かを考えている様子だったが、少しして「そうだな」と賛同の意を示した。
「このままだと私が足手まといになってしまうだろうな……。リスクがあるのは承知だが、街道に出よう」
久しぶりに木々の葉が遮らない日の光を浴びた。
街道はミドガルズ帝国が建国されたと同時期に整備され、人や物資を国内に循環させている。近隣領地の貴族には一定数の街道警備兵を派遣する義務が課され、数百メートルごとに詰所が置かれる。
さらに、街道の南北と東西がつながる十字路には旅人や商人たちを相手にする休憩所が設置されており、簡単な食事も取れる。人が集まるため行商人がバザーを開くこともある。
道行く人はここで旅先の情報を交換したり、別の地方から来る知り合いと待ち合わせをするのだ。
「北方の火事は相当ひどいみたいだ」
「テルラムント伯の兵士が全然動いてくれなくて山火事が酷くなったんだと」
「通行止めになってる場所もあるらしい」
通行人の会話に聞き耳を立てていたネフィリムが何度か頷いている。
「ここからは山火事の煙がはっきりとは見えない。おそらく北部を燃やしたのみで火は消えてしまったのだろう」
少し悔しがっているようにも聞こえた。シグルズは苦笑する。
「いや、ここまでやってくれれば十分だ。テルラムントの兵らしき人間はちらほら見えるが、これが集団で来ていたらどうにもならなかった。お手柄だよ」
「それならいいが……」
今度は明らかに照れている。
何気に感情表現が豊かなネフィリムだった。
「あとは距離を稼ぐだけだ。少し目立つがグラムに乗って駆けるぞ」
ネフィリムは頷いた。
「分かった。だが、兵と遭遇する可能性も……」
「そのときは正面突破するしかない」
陽はもっとも高い場所を過ぎ、徐々に西に傾き始めている。
わずかな水と保存食で食いつないではいるが睡眠もろくに取れてはいない。
シグルズ自身も疲れは自覚していた。
だがそれよりもネフィリムだ。
どんなに強がっていても、ネフィリムの体力はもう限界に近かった。いつ倒れてしまうか分からない状態だ。
加えて、森を抜けるというのは愛馬にもかなりの負担を強いた。
通常の騎馬であれば立ち止まってしまう荒道もグラムならば駆け抜けてくれるが、その疲れは走りに現れている。こちらもまた無理をさせるわけにはいかない。
できれば今日の夜にはヴェルスング領にたどり着きたかった。
グラムに跨ったネフィリムがぐっとシグルズの体に腕を回す。シグルズは手綱を引いた。
「さて、ここからが本番だ。――街道を駆け抜けるぞ。しっかり掴まっていろ。グラム、行くぞ!」
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