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第一部 第二章 戦乙女を救い出すまで

11話 私の名前は

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 食糧庫の頑丈がんじょうな扉を開けると、ほこりと腐水の臭いがゆるい風の流れに乗って運ばれてきた。

 地下水路は小さなトンネルのように細く長く続いていて、人の歩く通路部分と水路が半分ずつを占めている。

 来た道が断たれると同時に周囲が真っ暗になった。普段使われることのないメンテナンス用の通路に光源が用意されているはずもない。

「ちょっと待っていろ」

 シグルズはそういうと、横抱きにしていたネフィリムをそっと下ろした。
 腰に巻きつけていた麻袋の中からカチャリと音を立てて何かを取り出す。

 ネフィリムには暗くてよく分からないがシグルズは夜目が利くようだった。カチャカチャと何かの道具を使って作業をしているらしい。数分経ってからボッと発火音がして、小さな火がかれた。
 カンテラだ。

 大きな灯りではないが、シグルズとネフィリム、そして二人の周囲の様子が火に照らし出された安心感は決して小さいものではなかった。

 ネフィリムがぼんやりとその火を見つめていると、今までの出来事が頭の中を目まぐるしく駆け抜けていく。
 高鳴る動悸どうきを、ゆったりと揺れながら燃える火の温かさが落ち着かせてくれるような気がした。

「大丈夫か」

 シグルズが少しかがんでネフィリムを覗き込む。
 ここまでは逃げることが先決で、ネフィリムの顔をしっかり見る時間もなかったのだ。

 久しぶりに見たネフィリムは少しやつれているようにも見えた。今は瞳に力がなくどこか茫洋ぼうようとしているようにも感じる。

「……あ…」

 何かを必死に伝えようとしているが、どうやらうまく声が出ないようだった。

 出会いは最悪だったし、今もあまり同情する気にはなれないのがシグルズの本音だった。
 それでも突然国を追われ、さらにテルラムントの城で手ひどい扱いを受けていたのであれば――寝室の様子でだいたいは分かった――それほど厳しい言葉をかける気にはなれなかった。

「話せる状況じゃないなら無理に話さなくてもいい。近隣の街に俺の馬を留めてある。まずはそこに行こう」

 ネフィリムは小さく頷いた。が、頷き返したシグルズはネフィリムの全身を見て考え込む。

「それでは風邪を引いてしまうな。俺のマントを羽織はおっておけ。と………靴もないのか」

 君は嫌かもしれないがおぶっていくことになる、いいか。
 そう問われても今のネフィリムに拒否できるわけがない。

 おずおずとシグルズの背中に乗り上げるたネフィリムの口から、とても小さな声で「すまない」と謝罪の言葉が出た。

「その、なんといったらいいのか……感謝も、している」
「いや、謝るのはこちらのほうだ。パーティーで会ったあの日、もし俺が君の正体にもう少し早く気付いていたら……その場で助け出すことができた」

 背中からではシグルズの表情を見ることはできないが、その言葉には僅かな後悔の念がにじんでいた。

「気付いていたら……? あなたと私は敵同士だ」
「そうだ。だがここは戦場ではないし、今の君は弱っている。それをほおっておけるほど俺も冷血ではない」

 ネフィリムからは返事はなかったが、背中から彼のわずかに早い心臓の音が伝わってくる。


「……やはり、悪夢から私を助け出してくれたのはあなただった」

 呟かれたそれは帝国語ではなかった。シグルズが聞き返そうとすると、背に掴まる手にぎゅっと力が入った。

「ネフィリム」
「え?」
「ネフィリム・ニーベルンゲン。戦乙女ヴァルキリーと呼ばれることのほうが多いが、それが私の名だ。母や兄はネフィルと呼ぶ」

「ネフィリム、か。いい名だ。俺もそう呼ばせてもらおう」
「ああ……」



 美しい銀の髪が彼の歩くリズムに合わせて目の前で揺れ動く。
 たくましい背中から伝わるのは騎士の熱い体温と強い鼓動。


 自分を子どもだと馬鹿にし、男娼と称した騎士。

 でも構わない。だって、事実なのだから。



 ここはまだ敵地。分かっている。だが、ネフィリムは押し寄せる安心と睡魔に身をゆだねるしかなかった。

 シグルズがネフィリムの名を呼んだ気がしたが、応じる前にその目は閉じていた。

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