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第一部 第一章 騎士と戦乙女が出会うまで
04話 帝国貴族の社交界②
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階段の上を見やれば、燕尾服を見事に着こなした赤毛の青年が軽く手を振りながら降りてくるところだった。シグルズはその姿を見て軽く目を見張る。
「グント!」
「おやおや、騎士様は人気者だね。両手に花といったところかい」
「ああ……ありがたいことではあるが」
語尾を濁してグンターの目を強く見つめる。
人好きのする青年は肩をすくめて苦笑いをひとつ。そして、
「美しいお嬢様方、ダンスの時間まではまだ余裕がある。申し訳ないが私の父が急用でシグルズを呼んでいるんだ。少しだけ英雄の身柄をお借りしてもいいかな」
その声を聞きながらなんとか逃亡に成功したことに安堵するシグルズだった。
◇
グンターとシグルズは、人気のない場所に移動した。
ここはパーティー会場とテューリンゲン公爵家のプライベートエリアを結ぶ廊下。公爵邸の中庭に広がる壮大な薔薇園がガラス越しに広がっていた。
招待された貴族たちはみな会場に集まっているため、ここには誰もいない。
「―――バオムのことは聞いた。残念だったな」
グントと呼ばれた赤毛の青年は少しだけトーンを落としてそう言った。
彼はグンター・フォン・ブルグント。シグルズのひとつ下の年齢で、バオム同様、従軍時に知り合った。
前線で戦うシグルズとは異なり、彼がいたのは補給線の確保や偵察・伝令などを担当する部隊。
シグルズが作戦会議などで補給部隊との連絡を兼ねることが多く、戦略を考える中心だったグンターと接する機会が増えた。
グンターの従軍はニーベルンゲンとの戦いが初めてだったが、にも関わらず彼は落ち着いて軍務をこなす。その姿が部隊の人間に安心感をもたらしていた。
その理由は単純で、彼がブルグント子爵家の人間だったからだ。彼の父、ブルグント子爵は帝国の軍事府で伝令官(諜報・伝令など情報戦略を司る部署のトップ)を勤めている。
「……戦争だ。仕方ないさ」
シグルズは庭園に咲く薔薇たちの優雅な姿を瞳に映していた。
「それはそうだ。だが、人の気持ちというものはそう簡単に割り切れるものじゃない」
グンターは顔を俯かせる。彼もバオムとは何度か酒を飲んだ仲だった。情に脆い彼は、貴族には珍しく真っ当な意見を吐く。少し青臭い気さえする。
「シグルズ。―――これを」
グンターは真っすぐにシグルズに向き合い、ポケットから小さく折りたたまれた羊皮紙を取り出した。
これはブルグント子爵からの極秘情報だ。シグルズはすぐにピンときた。
「なんだ。今日の目的は愛する女性を探しに来たのではなかったのか、グント」
「いや、それもある」
冗談のつもりだったが、真面目に返された。
「『戦争も終わったんだから早く嫁を娶れ』と父に言われている。見合いもいくつか来ているが、僕は政略結婚なんて嫌だ。……愛する相手は自分で選びたい」
「―――………君は、相変わらずだな」
この純情な青年が情報戦の期待の星というのだから世の中分からない。
頭がよく、身分制度など堅苦しいことが嫌いなグンターとは話が合ったが、唯一決定的に違ったのは女性への接し方―――……彼に言わせるならば「愛」の話だった。
「将来を約束した一人の女を不孝にするより、相手を定めず自由恋愛で快楽を享受するほうが健全だ」というシグルズに対し、グンターは「たった一人を全力で愛したい」と言い切っていた。
「まあつまりは、友人の顔を見ることと、将来の妻を探しに来た。これが僕の今日の目的だというわけさ」
グンターはウインクしながらさりげなく羊皮紙をシグルズに渡す。シグルズは流れるような動作でそれを受け取った。
このときの周囲を警戒するグンターの表情だけが、彼が帝国の情報戦の鍵を握る存在であることを感じさせた。
「グント!」
「おやおや、騎士様は人気者だね。両手に花といったところかい」
「ああ……ありがたいことではあるが」
語尾を濁してグンターの目を強く見つめる。
人好きのする青年は肩をすくめて苦笑いをひとつ。そして、
「美しいお嬢様方、ダンスの時間まではまだ余裕がある。申し訳ないが私の父が急用でシグルズを呼んでいるんだ。少しだけ英雄の身柄をお借りしてもいいかな」
その声を聞きながらなんとか逃亡に成功したことに安堵するシグルズだった。
◇
グンターとシグルズは、人気のない場所に移動した。
ここはパーティー会場とテューリンゲン公爵家のプライベートエリアを結ぶ廊下。公爵邸の中庭に広がる壮大な薔薇園がガラス越しに広がっていた。
招待された貴族たちはみな会場に集まっているため、ここには誰もいない。
「―――バオムのことは聞いた。残念だったな」
グントと呼ばれた赤毛の青年は少しだけトーンを落としてそう言った。
彼はグンター・フォン・ブルグント。シグルズのひとつ下の年齢で、バオム同様、従軍時に知り合った。
前線で戦うシグルズとは異なり、彼がいたのは補給線の確保や偵察・伝令などを担当する部隊。
シグルズが作戦会議などで補給部隊との連絡を兼ねることが多く、戦略を考える中心だったグンターと接する機会が増えた。
グンターの従軍はニーベルンゲンとの戦いが初めてだったが、にも関わらず彼は落ち着いて軍務をこなす。その姿が部隊の人間に安心感をもたらしていた。
その理由は単純で、彼がブルグント子爵家の人間だったからだ。彼の父、ブルグント子爵は帝国の軍事府で伝令官(諜報・伝令など情報戦略を司る部署のトップ)を勤めている。
「……戦争だ。仕方ないさ」
シグルズは庭園に咲く薔薇たちの優雅な姿を瞳に映していた。
「それはそうだ。だが、人の気持ちというものはそう簡単に割り切れるものじゃない」
グンターは顔を俯かせる。彼もバオムとは何度か酒を飲んだ仲だった。情に脆い彼は、貴族には珍しく真っ当な意見を吐く。少し青臭い気さえする。
「シグルズ。―――これを」
グンターは真っすぐにシグルズに向き合い、ポケットから小さく折りたたまれた羊皮紙を取り出した。
これはブルグント子爵からの極秘情報だ。シグルズはすぐにピンときた。
「なんだ。今日の目的は愛する女性を探しに来たのではなかったのか、グント」
「いや、それもある」
冗談のつもりだったが、真面目に返された。
「『戦争も終わったんだから早く嫁を娶れ』と父に言われている。見合いもいくつか来ているが、僕は政略結婚なんて嫌だ。……愛する相手は自分で選びたい」
「―――………君は、相変わらずだな」
この純情な青年が情報戦の期待の星というのだから世の中分からない。
頭がよく、身分制度など堅苦しいことが嫌いなグンターとは話が合ったが、唯一決定的に違ったのは女性への接し方―――……彼に言わせるならば「愛」の話だった。
「将来を約束した一人の女を不孝にするより、相手を定めず自由恋愛で快楽を享受するほうが健全だ」というシグルズに対し、グンターは「たった一人を全力で愛したい」と言い切っていた。
「まあつまりは、友人の顔を見ることと、将来の妻を探しに来た。これが僕の今日の目的だというわけさ」
グンターはウインクしながらさりげなく羊皮紙をシグルズに渡す。シグルズは流れるような動作でそれを受け取った。
このときの周囲を警戒するグンターの表情だけが、彼が帝国の情報戦の鍵を握る存在であることを感じさせた。
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