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第一部 第一章 騎士と戦乙女が出会うまで

02話 ニーベルンゲンの戦乙女

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 気配を感じ取ったシグルズは相手の姿を確認する前に剣を抜き、わずかに小枝を踏む音がした斜め後ろに振り向きざまに剣をふるった。

 致命傷には至らなかったが、小柄なニーベルンゲン兵の肩を切り付けた。さらにその後ろからもう一人槍兵が出てきた。


 敵兵の槍の先端は、鮮血でれていた。月の光が反射する。

 シグルズは言葉も発することなく表情も変えなかったが、全てを悟った。


 何かを叫んで飛び掛かってくる槍兵と長剣兵が左右から同時に襲い掛かってくる。

 間合いを見極めて一歩下がり、敵兵の持つ槍に手をかけてそのまま反対方向からやってくる長剣兵の胴体に刺した。次いで、槍兵と長剣兵が戸惑っている間に長剣兵の剣を奪って槍兵の顔面に切り込んだ。

 相打ちのような格好になり動けなくなっているところを、自身の長剣でそれぞれ一突きする。

 これなら数分もすれば出血多量で死ぬだろう。冷ややかな目で見下ろすシグルズの眼前で、ニーベルンゲンの兵が立ち上がろうとする。背から鋭い一撃を浴びせた。

「死ぬならさっさと死んでおけ。立ち上がっても余計に苦しむだけだ。それがお前らの望んだ信仰の対価なのか」

 ニーベルンゲン兵の体は痙攣けいれんしていた。

 そのとき、わずかに離れたところで不自然な葉のざわめきを聞いた。

 シグルズはすぐに顔を上げた。


 木の影のところに誰かいる。



 暗闇の中ではっきりとは分からない。

 だが、暗闇の中でさえ浮かぶ「漆黒」がそこにいる。


 長い髪と、黒い瞳。片翼の髪飾り。長いローブ状の服を着た女が馬上からこちらを見ていた。


「―――女?」


 その漆黒は、人間のかたちをしていた。



 ◇



「野営地周辺にニーベルンゲン軍迫る!至急応戦せり!」

 戦の開始を知らせる鐘が激しい勢いで鳴らされた。


 つい先ほどまで、ここでの戦況は帝国軍が有利なはずだった。
 それが一瞬にしてくつがえったのは「帝国軍本陣が奇襲を受けた」という悲鳴に近い伝令の一声が兵士たちの間を駆け抜けたときのこと。

 本陣は、先陣を組んだ前線野営地の後方にある。夜襲やしゅうをかけられたときにいっぺんに被害に合わないようにするためだった。
 だが、ニーベルンゲン軍は先に本陣を襲い、その後に前線基地を襲ったのだ。

 さらに、本陣にて戦況を見守っていた帝国軍総司令官ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの所在と安否が不明であるとの報が自軍本営の惨状さんじょうを示していた。

 前線基地に戻り戦の準備をしていたシグルズは大きく舌打ちした。

 本陣が陥落かんらくすれば補給も退路も断たれる。
 兵の士気が落ちて総崩れになるのも時間の問題だった。



 落ち着いて考えろ。勝機はまだある。

「グラム!お前の出番だ」

 うまやに駆け付けたシグルズは最奥から顔を出している黒い馬に声をかける。

 シグルズの愛馬、グラム。全身が真っ黒で、どの騎馬よりも体が大きい。

 だが、どの騎馬よりも凶暴で、どの騎馬よりも早く、どの騎馬よりもシグルズの心を理解している。

「ちょっと厳しい状況だが、お前と一緒ならまあ大丈夫だろう」

 シグルズは笑ってたてがみをでた。グラムは任せろ、といった感じで尻尾をひと振りする。



 グラムにまたがり外に出れば、すでに北東の方向が騒がしかった。戦闘が始まっているようだ。愛馬の脇腹を蹴り、駆けながらシグルズはあることを思い出していた。


 そうだ。先ほどバオムと話していた戦乙女ヴァルキリー


 ニーベルンゲン兵の異常な士気。これを支えているのが現神として信仰されている「戦乙女ヴァルキリー」だとされている。

 信仰国家建国時から伝わる戦神の伝承でんしょう。ニーベルンゲンには戦乙女ヴァルキリーという戦神が戦場に立てば負けることはないというジンクスがあると伝令部隊の知り合いが言っていた。


『ジンクスはどうであれ、確か現国王・王妃の娘が黒髪黒目の少女らしいよ。王家の人間であるならば建国神話とも整合性がつく』

『水の山脈付近で圧死した俺の部隊の槍兵が「黒髪の綺麗な女性を見かけた」と』




 シグルズは先ほど目の端で捉えた黒髪の存在を思い出していた。


 帝国では見かけたことがない黒髪・黒目。
 透き通るほどの白い肌と、冷静に戦場を見つめる眼差し。
 そもそも普通、少女は戦場には来ない。


 間違いない。

 あれが戦乙女ヴァルキリーだ。



 帝国軍本営地が奇襲を受けて前線までもが崩れ始めている。
 シグルズは決意した。

 勝つ方法はただひとつ、戦乙女ヴァルキリーを仕留めること。



 ニーベルンゲン軍と帝国軍の全面衝突が始まっていた。

 ここで加勢かせいしたいのは山々だが、それではひとつの局面の打開にしかならない。

 シグルズはさやから剣を抜き、天に向かってかかげた。



「誇りある帝国の騎士たちよ!」

 声高に叫んだ。

 戦場全体に響くように、腹の底から声を出す。

「我らの総司令官は、あの不死鳥エッシェンバッハであるぞ! 敵の奇襲などで撃たれるほど軟弱者なんじゃくものではあるまい! 本陣へ戻れないのならば帝国騎士の威信にかけて前へ進もうではないか。狙いはただひとつ、戦神ヴァルキリーの首ぞ! これを持って戦の趨勢すうせいを決し、不死鳥への土産とする。騎士は主に忠誠を近い、主に勝利を捧げるのだ。帝国騎士の誇りを忘れるな!!」

 一瞬静まり返った森の中の戦場は、次の瞬間には怒声が渦巻いた。

 士気の上がった帝国騎士たちと、戦乙女ヴァルキリーの名を挙げられて激怒するニーベルンゲン兵たちと。

 それぞれが決死の覚悟でぶつかり、普段は静謐せいひつなはずの森は一気に血に染まっていった。

 ニーベルンゲンの兵士は特にシグルズを標的にした。
 信仰の対象を「殺す」と言ったのだ。彼らの怒りは尋常じんじょうではなかった。

 シグルズも無傷というわけにはいかなかったが、この混戦状態に乗じて一気に敵陣の奥まで入り込み、戦乙女ヴァルキリーの前に出るつもりだった。


 信仰や宗教はときに人間の超越的ちょうえつてきな力を引き出すことがある。

 ニーベルンゲン側にとってそれが現神と呼ばれる少女の存在なのであれば、帝国の兵士にとっては「騎士の誇り」がそれに当たる。

 長く続くミドガルズ帝国。貴族や騎士の血筋は国家の歴史と同じように続き、皇帝陛下に忠誠を誓いながら日々剣技を磨いてきた。

 伝統は怠惰たいだを招くこともあるが、同時に存在価値を個人に与えることもある。


「ヴェルスングを前に進ませよ!帝国の騎士は死を恐れることはない!我らが皇帝陛下からたまわった領地を蛮族ばんぞくに汚させてはならぬぞ」

 別の騎士が叫んだ。

 シグルズの前に立ちはだかっていたニーベルンゲンの兵士たちは横から長剣で刺され、前方からバトルアックスで撃ち落とされ、後方から放たれたクロスボウによって倒れた。


 今だ。

 この間隙かんげきって敵本陣へ突っ込む。

「グラム!死ぬ気で駆けてくれよ」

 愛馬は黒い毛を逆立ててからググっと前足を屈め、そのまま力いっぱい駆けだした。


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