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2章、ヒーローはオメガバースに抗いたい。
31、オメガバースがやってくる。
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まだ明け切らぬ山道にりんりんと鈴が鳴る。
道の脇にはしっとりと露に濡れた草花が綺麗な色をみせている。
からん、からんと山の朝を賑やかすのは、銀の鍋だった。
鍋は今日も元気そうだ。
蓋をパカパカさせて挨拶するみたいに音繰の隣を転がり落ちていく。
「おはよう鍋……君は朝から元気だね」
音繰は軽く片手を持ち上げ、ひらひらと手を振って鍋を見送った。
『疯狂』(マッドサイエンティスト)と呼ばれる泰然の禁術研究処は、以前来た時よりも観葉植物が増えていた。
泰然の姿にも、どことなく以前はなかった自然な柔らかさが感じられる。
「さて、術開発についてご報告申し上げます~」
泰然は兎耳をひょこりと揺らして、おっとりと構想を語った。
「音繰様に近い獣――狼。その習性を大いに活かしたのが、音繰様が以前仰ったオメガバースの術といえましょう。私の術の問題点といえば、ベータと呼ばれる性がなくて、かけた対象がアルファとオメガのどちらの症状を発症するかが予測できないことくらい」
「アルファとオメガは選べたほうが使い勝手がよい術になるんじゃないかな、泰然?」
「実験です。そこで、実験を重ねるのですよ音繰様」
泰然は乾元、坤泽、信息素、雨露期について改めて説明をして実験を始めた。
「まあ、仕方ないのかなぁ」
――気付けば音繰は施術台に寝かされていた。
「お気を楽になさって~くださいね~」
術を展開する泰然が、のんびりとした口調で微笑む。
「この術は狼の習性を活かしていますから狼獣人には馴染みやすいと思うのですよ~……」
淡い光の文字が踊り、身体をぐるりと取り巻いて、吸い込まれるみたいに身体の中に入ってくる。
身体の内部で原始的な獣の本能みたいなものが強く呼び起こされるような感覚が起きて、肌がぞわぞわとする。
「ん……ちょっとぞわっとするね」
「ご体調を診させていただきますね」
真剣な表情の泰然が脈を取り、舌をみて、体液を採取する。
「これはオメガですね。よろしいですか音繰様。こちらが発情抑制剤です。今のところ、遅効なのが最大の欠点ですが」
透明な硝子小瓶に入った薬を渡しつつ、泰然は謎の匂いを発する薬液を取り出した。
(あ――)
その香りを知覚した瞬間――思考がくらりと揺らめいた。
「こちらは疑似フェロモン液――名づけるなら発情促進香です」
「っ……そ、それは……くらくらする」
蜜のような甘ったるい香りが全身にまとわりつくように意識を奪う。
(うまく平常を装えない)
音繰は高まりかけている自分を意識した。
「効いていらっしゃるようで」
確認しただけ、というように発情促進香を引っ込めて、泰然は発情抑制剤をすすめてくれた。
「ご気分はいかがですか~」
「ちょっと疲れたなぁ……ほら、発情とかすると精神的に疲れるよね」
「発情は精神的に疲れる、と」
「それはちょっと想像したらわかることじゃないかなっ?」
二人がほのぼのとしたやりとりをしていると、地面がぐらりと一度揺れた。
「結界が破られたようですね」
泰然がそう言って、施術室の入り口に術の罠を仕掛ける。
「侵入者かい」
「ええ、ええ。しかし、問題ありません」
獣人の気配が近づいてきて、施術室の扉が乱暴に開かれる。
「『疯狂』め! ご不調の小香主様に何をしている――あっ!?」
怒号が響き渡り、部屋に乗り込んできたのは憂炎だった。
罠の術が発動して、音繰が何度もかけられた術が憂炎の全身を変容させる気配が感じられた。
「くっ……? この術は……」
戸惑う大柄な身体から、馨しい香りが漂う。
音繰はぴくりとその香りに反応した。
(あ、また――……、さっきの香りに、似ている)
思わず恍惚となって身を委ねたくなるような、強い雄の匂い。
嗅いでいるだけでうっかり『濡れて』しまいそうな、天然の媚薬みたいなフェロモン。
蕩けてしまいそうな――、
「好い匂いだ」
音繰は思わず呟いた。
「はっ? 音繰……?」
憂炎が驚いたように目を見開き、近寄ろうとして足を止める。
「なんだ、これは……なんだ、この感覚は」
「くらくらする……熱い……」
「フェロモンです~、今、お二人はアルファとオメガなんですね~」
泰然は無言で術を使い、二人のフェロモンを抑制した。
「これで、正気になりましたか~?」
のんびりとした声にホッとしながら、二人は一斉に泰然を見た。
「この術はどうかと思う……」
「早く治してほしい」
口々に訴える二人は、未だかつてなく息がぴったりだった。
「アハ。実験台が増えましたね~。これでもっと踏み込んだ実験もできるのでは~?」
泰然はそんな二人にニコニコと上機嫌になった。
道の脇にはしっとりと露に濡れた草花が綺麗な色をみせている。
からん、からんと山の朝を賑やかすのは、銀の鍋だった。
鍋は今日も元気そうだ。
蓋をパカパカさせて挨拶するみたいに音繰の隣を転がり落ちていく。
「おはよう鍋……君は朝から元気だね」
音繰は軽く片手を持ち上げ、ひらひらと手を振って鍋を見送った。
『疯狂』(マッドサイエンティスト)と呼ばれる泰然の禁術研究処は、以前来た時よりも観葉植物が増えていた。
泰然の姿にも、どことなく以前はなかった自然な柔らかさが感じられる。
「さて、術開発についてご報告申し上げます~」
泰然は兎耳をひょこりと揺らして、おっとりと構想を語った。
「音繰様に近い獣――狼。その習性を大いに活かしたのが、音繰様が以前仰ったオメガバースの術といえましょう。私の術の問題点といえば、ベータと呼ばれる性がなくて、かけた対象がアルファとオメガのどちらの症状を発症するかが予測できないことくらい」
「アルファとオメガは選べたほうが使い勝手がよい術になるんじゃないかな、泰然?」
「実験です。そこで、実験を重ねるのですよ音繰様」
泰然は乾元、坤泽、信息素、雨露期について改めて説明をして実験を始めた。
「まあ、仕方ないのかなぁ」
――気付けば音繰は施術台に寝かされていた。
「お気を楽になさって~くださいね~」
術を展開する泰然が、のんびりとした口調で微笑む。
「この術は狼の習性を活かしていますから狼獣人には馴染みやすいと思うのですよ~……」
淡い光の文字が踊り、身体をぐるりと取り巻いて、吸い込まれるみたいに身体の中に入ってくる。
身体の内部で原始的な獣の本能みたいなものが強く呼び起こされるような感覚が起きて、肌がぞわぞわとする。
「ん……ちょっとぞわっとするね」
「ご体調を診させていただきますね」
真剣な表情の泰然が脈を取り、舌をみて、体液を採取する。
「これはオメガですね。よろしいですか音繰様。こちらが発情抑制剤です。今のところ、遅効なのが最大の欠点ですが」
透明な硝子小瓶に入った薬を渡しつつ、泰然は謎の匂いを発する薬液を取り出した。
(あ――)
その香りを知覚した瞬間――思考がくらりと揺らめいた。
「こちらは疑似フェロモン液――名づけるなら発情促進香です」
「っ……そ、それは……くらくらする」
蜜のような甘ったるい香りが全身にまとわりつくように意識を奪う。
(うまく平常を装えない)
音繰は高まりかけている自分を意識した。
「効いていらっしゃるようで」
確認しただけ、というように発情促進香を引っ込めて、泰然は発情抑制剤をすすめてくれた。
「ご気分はいかがですか~」
「ちょっと疲れたなぁ……ほら、発情とかすると精神的に疲れるよね」
「発情は精神的に疲れる、と」
「それはちょっと想像したらわかることじゃないかなっ?」
二人がほのぼのとしたやりとりをしていると、地面がぐらりと一度揺れた。
「結界が破られたようですね」
泰然がそう言って、施術室の入り口に術の罠を仕掛ける。
「侵入者かい」
「ええ、ええ。しかし、問題ありません」
獣人の気配が近づいてきて、施術室の扉が乱暴に開かれる。
「『疯狂』め! ご不調の小香主様に何をしている――あっ!?」
怒号が響き渡り、部屋に乗り込んできたのは憂炎だった。
罠の術が発動して、音繰が何度もかけられた術が憂炎の全身を変容させる気配が感じられた。
「くっ……? この術は……」
戸惑う大柄な身体から、馨しい香りが漂う。
音繰はぴくりとその香りに反応した。
(あ、また――……、さっきの香りに、似ている)
思わず恍惚となって身を委ねたくなるような、強い雄の匂い。
嗅いでいるだけでうっかり『濡れて』しまいそうな、天然の媚薬みたいなフェロモン。
蕩けてしまいそうな――、
「好い匂いだ」
音繰は思わず呟いた。
「はっ? 音繰……?」
憂炎が驚いたように目を見開き、近寄ろうとして足を止める。
「なんだ、これは……なんだ、この感覚は」
「くらくらする……熱い……」
「フェロモンです~、今、お二人はアルファとオメガなんですね~」
泰然は無言で術を使い、二人のフェロモンを抑制した。
「これで、正気になりましたか~?」
のんびりとした声にホッとしながら、二人は一斉に泰然を見た。
「この術はどうかと思う……」
「早く治してほしい」
口々に訴える二人は、未だかつてなく息がぴったりだった。
「アハ。実験台が増えましたね~。これでもっと踏み込んだ実験もできるのでは~?」
泰然はそんな二人にニコニコと上機嫌になった。
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