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1章、悪役は覆水を盆に返したい。
9、ワンコ、薄日、影の里(SIDE:憂炎)
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薄日に優しい色をみせる梅の花笠の中、春告鳥がのびやかに鳴いている。
尚山の各所に、魔教に身を置く魔人たちの棲家がある。
集団で、あるいは師弟や親しい者と日々を過ごす魔人たちは、この二十余年ですでに数を半数にまで減らしていた。
というのも、彼らの元香主『音彧』が乱心し、魔教の中でも特に魔功に長けた門弟や悪逆無道で知られる魔人たちをどんどんと滅ぼしていったからだ。
音彧の暴走は彼の父により止められたが、少なくはない被害を出した魔教は身を守るのが精一杯の小勢力と成り果てて、『この状態で正派などの外敵に根拠地を知られて襲われたらひとたまりもないぞ』と全力でこそこそしているのである。
――そんな魔教の関係者が暮らす隠れ里のひとつ【影の里】に、快活な声が響いていた。
「泰軒の兄貴ィ! オレたちの兄弟子、音繰様が戻られたらしいですぜ!」
「なんだと泰宇! そりゃめでたい!!」
灰色の毛をした泰宇と、浅黒い毛をした泰軒――共に狼獣人の魔人は、血のつながりはないが義兄弟の契りを交わした仲である。
音繰の弟弟子である二人は、行方不明の彼を捜して日々あっちへこっちへと走り回っていた。
そして、ふと山に戻ってみたら、探し人は既に戻っているというのである。
二人は互いの拳をぶつけ合い、喜びを分かち合っていた。
「聞いたところによると音繰様はご体調を崩されているとかで、戻ってから一年、ずっと床につかれていて一度も目を覚まされてないのだと」
「そいつはお労しい……見舞いにいって精気を献上せねばならんな!」
傍には、ふらっと里帰りした二人に壊れた家屋の修繕を手伝ってもらっていた縁戚の母子がいる。
「おにーちゃんたちのおにーちゃん?」
父を亡くした子供は、この二人の狼獣人を父親、あるいは兄のように慕っていた。
両手で枇杷を捧げ持つ手は小さく、まだ十にも満たない。
「坊。その枇杷はオレたちにくれるのかい」
「おうちの雨漏り直してくれるお礼なんだよ。どーぞ!」
「ありがとな!」
鋭く尖った犬歯を見せて笑う狼獣人たちは、小休憩をとりながら兄弟子音繰について語るのだった。
「オレたちの兄弟子、小香主様はずっと行方不明だったんだ」
「探しても見つからなくてさ、ちょうど失踪なされたのが時期的に前香主様がご乱心なさる直前だったから、被害に遭われたのではと噂もされてたんだよ」
二人は嬉しそうに尻尾をふぁっさふぁっさと揺らした。
「オレたちの小香主様はすげえ美人で!」
「オレたちの小香主様はすげえ綺麗で!」
そんな二人に冷ややかな目を向けて、憂炎が隠れ里唯一の衣装屋に入っていく。後ろに付き従うのは、博文だ。
「先日頼んだ衣装は出来たのか? ……これは西方の生地か。美しいな……、この生地で新しく仕立ててくれ――そちらの首飾りは? それもくれ」
大量の花が入った籠を持つ博文が微妙な面持ちで見守る中、憂炎は前回立ち寄った時に頼んだ品物を受け取り、新たに衣装を注文していく。
華やかな彩糸に飾られた綵、薄紗、小夜衣。
青糸に合う挿頭は雛星めいた佳麗な宝玉が煌めいている。
「あの紅玉の膚にふさわしきは水精か。瞳に合わせた青灰宝玉、いや少し変化をつけた菫青石、生地色とあわせて天河石を飾るもよし」
「憂炎様、衣装はもう十分ですよ。大体、小香主様は毎日延々と寝てるだけで仕立てた衣装を着る機会もないじゃないですか」
品物は祁家で昏々と眠る小香主、音繰のために揃えている。
大量の花は寝台の傍に供えておくと、眠る小香主様が無意識に精をお召しあがりになるらしい。
この大柄な男が配下魔人を連れて花圃に日参し、花筐を手に懸命に花を選び、時には花綵や花輪など編んで嬉しそうに尻尾を振って眠れる貴人の枕元に献上する。
そんな一年を顧みて、博文は色々察しつつあった。
「何を言うのだ博文。今はお休みなさっているが、いつか必ずお目覚めになるのだぞ。その時に備えて支度をするのは当たり前ではないか」
真面目な顔でそう語る憂炎の背で、尻尾がわさわさとはち切れんばかりにはしゃいでいる。
「ああワンコ。このワンコ牙が抜かれてる。もう色々おしまいです――」
博文は小さく呟き、天を仰いだ。
「別に私を見限っても構わないぞ。今まで世話になったな博文」
「憂炎様っ!」
身にまとわれる機会もない服飾品をせっせと集め、花を供える憂炎は魔人たちの間でも噂になっている。
「どうもおかしなことになったなぁ」
少し前までの憂炎は、自分を捨てて出て行った元師匠を怨むような気配を濃くのぼらせていたのに。
封印を解いて助け出したあの日以来、眠る音繰が弱々しく無防備であればあるほど、憂炎は大切そうに甲斐甲斐しく世話をするようになっていったのだ。
「師匠の御髪が短いならば弟子もそれを越える長さにはしないのがよいだろう」
そう言って自分の髪を定期的に断ち、師匠の伸びる様子がない黒髪を心配そうに見つめる瞳は、まるで忠犬。
どうも憂炎の中では、日に日に思慕の念が怨みに勝っていくようなのだった。
「この青い生地はとても似合いそうだ……こちらの赤もいいな。帯飾りに揃いの宝玉など――ハッ、私は何を……揃いだなどと……しかし……買っていこう」
「憂炎様、買いすぎだと思うんです」
「博文、これは必要な物なのだ。私は必要な物を揃えているだけで……」
憂炎の尻尾がパタパタと揺れる。
派閥魔人たちはなんとも言えない顔でその買い物に付き合うのだった。
尚山の各所に、魔教に身を置く魔人たちの棲家がある。
集団で、あるいは師弟や親しい者と日々を過ごす魔人たちは、この二十余年ですでに数を半数にまで減らしていた。
というのも、彼らの元香主『音彧』が乱心し、魔教の中でも特に魔功に長けた門弟や悪逆無道で知られる魔人たちをどんどんと滅ぼしていったからだ。
音彧の暴走は彼の父により止められたが、少なくはない被害を出した魔教は身を守るのが精一杯の小勢力と成り果てて、『この状態で正派などの外敵に根拠地を知られて襲われたらひとたまりもないぞ』と全力でこそこそしているのである。
――そんな魔教の関係者が暮らす隠れ里のひとつ【影の里】に、快活な声が響いていた。
「泰軒の兄貴ィ! オレたちの兄弟子、音繰様が戻られたらしいですぜ!」
「なんだと泰宇! そりゃめでたい!!」
灰色の毛をした泰宇と、浅黒い毛をした泰軒――共に狼獣人の魔人は、血のつながりはないが義兄弟の契りを交わした仲である。
音繰の弟弟子である二人は、行方不明の彼を捜して日々あっちへこっちへと走り回っていた。
そして、ふと山に戻ってみたら、探し人は既に戻っているというのである。
二人は互いの拳をぶつけ合い、喜びを分かち合っていた。
「聞いたところによると音繰様はご体調を崩されているとかで、戻ってから一年、ずっと床につかれていて一度も目を覚まされてないのだと」
「そいつはお労しい……見舞いにいって精気を献上せねばならんな!」
傍には、ふらっと里帰りした二人に壊れた家屋の修繕を手伝ってもらっていた縁戚の母子がいる。
「おにーちゃんたちのおにーちゃん?」
父を亡くした子供は、この二人の狼獣人を父親、あるいは兄のように慕っていた。
両手で枇杷を捧げ持つ手は小さく、まだ十にも満たない。
「坊。その枇杷はオレたちにくれるのかい」
「おうちの雨漏り直してくれるお礼なんだよ。どーぞ!」
「ありがとな!」
鋭く尖った犬歯を見せて笑う狼獣人たちは、小休憩をとりながら兄弟子音繰について語るのだった。
「オレたちの兄弟子、小香主様はずっと行方不明だったんだ」
「探しても見つからなくてさ、ちょうど失踪なされたのが時期的に前香主様がご乱心なさる直前だったから、被害に遭われたのではと噂もされてたんだよ」
二人は嬉しそうに尻尾をふぁっさふぁっさと揺らした。
「オレたちの小香主様はすげえ美人で!」
「オレたちの小香主様はすげえ綺麗で!」
そんな二人に冷ややかな目を向けて、憂炎が隠れ里唯一の衣装屋に入っていく。後ろに付き従うのは、博文だ。
「先日頼んだ衣装は出来たのか? ……これは西方の生地か。美しいな……、この生地で新しく仕立ててくれ――そちらの首飾りは? それもくれ」
大量の花が入った籠を持つ博文が微妙な面持ちで見守る中、憂炎は前回立ち寄った時に頼んだ品物を受け取り、新たに衣装を注文していく。
華やかな彩糸に飾られた綵、薄紗、小夜衣。
青糸に合う挿頭は雛星めいた佳麗な宝玉が煌めいている。
「あの紅玉の膚にふさわしきは水精か。瞳に合わせた青灰宝玉、いや少し変化をつけた菫青石、生地色とあわせて天河石を飾るもよし」
「憂炎様、衣装はもう十分ですよ。大体、小香主様は毎日延々と寝てるだけで仕立てた衣装を着る機会もないじゃないですか」
品物は祁家で昏々と眠る小香主、音繰のために揃えている。
大量の花は寝台の傍に供えておくと、眠る小香主様が無意識に精をお召しあがりになるらしい。
この大柄な男が配下魔人を連れて花圃に日参し、花筐を手に懸命に花を選び、時には花綵や花輪など編んで嬉しそうに尻尾を振って眠れる貴人の枕元に献上する。
そんな一年を顧みて、博文は色々察しつつあった。
「何を言うのだ博文。今はお休みなさっているが、いつか必ずお目覚めになるのだぞ。その時に備えて支度をするのは当たり前ではないか」
真面目な顔でそう語る憂炎の背で、尻尾がわさわさとはち切れんばかりにはしゃいでいる。
「ああワンコ。このワンコ牙が抜かれてる。もう色々おしまいです――」
博文は小さく呟き、天を仰いだ。
「別に私を見限っても構わないぞ。今まで世話になったな博文」
「憂炎様っ!」
身にまとわれる機会もない服飾品をせっせと集め、花を供える憂炎は魔人たちの間でも噂になっている。
「どうもおかしなことになったなぁ」
少し前までの憂炎は、自分を捨てて出て行った元師匠を怨むような気配を濃くのぼらせていたのに。
封印を解いて助け出したあの日以来、眠る音繰が弱々しく無防備であればあるほど、憂炎は大切そうに甲斐甲斐しく世話をするようになっていったのだ。
「師匠の御髪が短いならば弟子もそれを越える長さにはしないのがよいだろう」
そう言って自分の髪を定期的に断ち、師匠の伸びる様子がない黒髪を心配そうに見つめる瞳は、まるで忠犬。
どうも憂炎の中では、日に日に思慕の念が怨みに勝っていくようなのだった。
「この青い生地はとても似合いそうだ……こちらの赤もいいな。帯飾りに揃いの宝玉など――ハッ、私は何を……揃いだなどと……しかし……買っていこう」
「憂炎様、買いすぎだと思うんです」
「博文、これは必要な物なのだ。私は必要な物を揃えているだけで……」
憂炎の尻尾がパタパタと揺れる。
派閥魔人たちはなんとも言えない顔でその買い物に付き合うのだった。
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