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解決編
29.
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(side 中野啓太)
そこを通りかかったのは偶然だった。
俺は今日、帝詠学園の中等部校舎で行われた、中高合同の交流試合を見学していた。
いいなぁ、俺もまた剣道したいんだよな。
通う大学には飲みサーに近い剣道サークルしかなく、入る気にならない。
確か竹田先輩は大学でも剣道続けてるんだっけ…相談してみようかなぁ。
そんな事を思いながら、帰る為に原付を取りに向かう。
駅に近い割に料金が格安のこのバイク置き場は、地元民にすらあまり知られてない。
と言うのも、数台のスペースしかない上に、その先の道は階段で行き止まりだからだ。
階段は私有地へと続いていて、馬鹿デカイ日本家屋が一軒あるのみ。
そんな場所、家主以外は滅多に通らないだろう。
家主は地主か何かで、余りある土地の一画をバイク置き場にしたんだろうな、と言うのが俺の推測だ。
因みに俺がここを知ってるのは、晴人の家を訪ねる途中で迷い込んだ事があるからだったりする。
そんな静かな場所だから、階段の上から人の声が聞こえて来た時には驚いた。
良くは聞こえないが男女の争うようなそれに、思わず眉を顰める。
もしかして…不審者か?
基本的に治安のいいこの地域だけど、油断はできない。
高校の時晴人の身に起こった出来事を思い出して、俺は原付を置いて駆け出した。
数段登って見上げた先には、やっぱり男女の人影があった。
夕闇で顔までは見えないけど、体格的に間違いないだろう。
そして、女性と思われる方が必死に手摺にしがみついている。
…これ、ヤバく無いか!?
慌てて残りの段数を駆け登ろうとした時、男の声が響いた。
「我が一族に害を成す阿婆擦れが!その薄汚い胎と共に散るがいい!」
…え、何これラノベ?
余りに突拍子もない台詞に足が止まる。
日常生活で『阿婆擦れ』なんて初めて聞いたんだけど…。
もしかしてネタで、動画撮影してるとかそう言う事なのか?
そんな風に、一瞬迷ったのがいけなかった。
男が手摺に捕まる女性の手を引き剥がして、そしてーー。
突き飛ばされた小柄な体が宙を待った。
「危ない!!」
叫んで駆け上がりながら、必死に手を伸ばす。
地面に打ち付けられる前に、女性の背中に手が届いた。
「うわっ…!」
だけど幾ら小柄な女性とは言え、落下による重量がかかれば腕の力だけじゃ支えられない。
せめてクッションになるように、自分の体をその下に滑り込ませるのがやっとだった。
結果ーー
「…痛ッッてぇ…!!」
腰と背中をコンクリートに強打して、目の前に星が散る。
頭を打たなかったのは本当に幸いで、意識を失わずにいられた。
女性の体はしっかり俺の上に乗っかっていて、地面に激突するのは避けられたようだ。
多少の衝撃はあっただろうけど…。
痛みに顔を顰めながらも身を起こして、女性に声をかけようとして…血の気が引いた。
グッタリと意識が無い事と、それから…斜めがけしたスマホケースにぶらさがるマークに。
…この女性、妊婦さんなのか!!
知識は少なくても、母体への物理的な衝撃が良くない事くらいは分かる。
「大丈夫ですか!?」
大声で呼びかけると、女性の唇が開いた。
目は閉じたまま、呟くように何か言う。
「しょう…」
しょう?
その時、凄い勢いで何かが横を走り抜けた。
手摺が隔てる反対側の階段を駆け降りる人影。
「…ッ待て!」
それが女性を突き落とした男だと気が付いた時には、もう後ろ姿になっていた。
反射的に立ち上がろうとしたけど、今は追うより人命救助が先だと思い直す。
ズボンの後ろポケットから取り出したスマホは、画面がバキバキになってはいたものの119に繋がった。
「女性が階段から落ちました!妊婦さんです!」
ややパニックを起こしながらの電話だったけど、直ぐに救急車を寄越してくれる事になり。
待ってる間何度か呼び掛けたけど、反応のない女性に不安が募る。
家族に連絡できたらいいんだけど…。
「あっ!」
何か無いかと見回した先に落ちてたのは、女性物の財布。
抱えた体を揺らさないように細心の注意を払って、足で手繰り寄せる。
「失礼します。」
一声かけて中身を開くと、幸運な事に直ぐに保険証が出てきた。
その名前を確認して、目をみはる。
『切藤美優』
見覚えのありすぎるその苗字は、実はかなり珍しい。
少なくとも関東圏には自分の家族しかいないと、何かの折に本人が言っていた。
そこで思い出したのは、女性が発した言葉。
過去に1度遭遇した事がある切藤の兄貴の名前は、確か…『翔』だった筈。
妊娠している女性とその名前を踏まえて考えると、行き着く答えは一つ。
「もしかして切藤の…義理のお姉さん…なのか?」
驚いて固まる俺を現実に戻したのは、聞こえて来たサイレンの音だった。
「こっちです!」
階段下に救急隊員の姿が見えて安堵する。
慎重に担架で運ばれる女性を見守っていると、救急車に同乗するよう促された。
「君も検査が必要だ。」
そう言われて気付いたが、左の手首が何だかおかしい。
大人しく乗り込んで、ふと思った。
切藤の関係者なら、切藤総合病院の方がいいんじゃないか?
そうすれば家族への連絡もスムーズに行くだろうし、何より女性も安心だろう。
「あの…」
少し緊張しながらその旨を話すと、病院までの距離が遠くなかった事もあり了承してくれた。
程なくして、広大な敷地面積に聳え立つ切藤総合病院が見えて来た。
事前に患者の名前が伝えられていたそこで、待ち構えていたのは…。
「き、切藤理事長…。」
救急隊員達がトップ直々のお出ましに驚く中、女性…美優さんはストレッチャーで慌ただしく運ばれていく。
「君が目撃者だね?悪いが話しを聞かせてもらいたい。」
スラリとした体型、人形みたいに整った顔と冷たい双眸、硬質な声。
そのどれをとっても…。
「激似すぎる…。」
数十年後の切藤がタイムマシンでやって来たと言われたら、信じてしまうと思う。
まじまじと顔を見て呟いた俺に、彼はほんの少し眉を寄せた。
「あ、すみません。俺、切藤…蓮君の友達で中野って言います。」
「中野…もしかして晴ちゃんの?」
「あ、はい。晴人の親友です。」
自分で言うのはやや照れるが、その間違いない関係性を告げる。
すると、ピンと張り詰めていた空気が緩んだ。
「そうか、君が中野君か。私は蓮の父親でここの理事長をやっている。義理の娘を助けてくれてありがとう。」
少し柔らかくなった目許に、息子よりは表情筋が仕事してるなと思った。
理事長自ら案内してくれたのは、ゲートを通るのに指紋認証や眼球認証が必要なフロアだった。
診察室で俺をイスに座らせて、問診を始める。
左手首の違和感を伝えると、すぐにCTを撮ってくれた。
幸い骨に異常はなく捻挫で、強く打った背中も青アザができただけ。
我ながら丈夫な体で良かったと思う。
看護師さんに処置してもらった後、眼鏡の男性が現れて俺を理事長室へと案内してくれたんだけど…その隙の無さに驚く。
武道とか、そっちの経験が豊富そうだ。
秘書だと名乗っていたけど、SP的な役割もしてるのかもしれないな。
そんな風に考えつつ辿り着いた部屋では、温かな湯気の出る紅茶と共に理事長が迎えてくれた。
「中野君が怪我をしてるのは重々承知してるんだが、事態は一刻を争うかもしれない。目にした事を話して貰っていいだろうか。」
親子でも、こう言う所は似てないんだなぁ。
俺の体調を気遣ってくれているのが分かるし、何なら先に手当てだってしてくれたし。
道徳心ってものを(晴人以外の事では)置き去りにする息子を思い出す。
まぁアイツも、俺が死にかけてたら助けてくれる位の情はあるよな。
え…、ある…よな…?
ちょっと不吉な考えが浮かびそうになって、慌てて頭を切り替えた。
そう、今は目撃証言を求められてるんだから!
見た事を全て話し終えると、切藤理事長は掌で額を覆った。
「成る程…。極めて重要な証言だ。2度目になるが本当にありがとう。」
対面のソファで深々と頭を下げられて(後ろに立つ秘書の人もそれに習ってて)困惑する。
地位も名誉もある大人にこんな事されたの、初めてだし。
それにーー
「お礼を言っていただくのは心苦しいです。
俺がもっと早く駆け付けてたら、美優さんは無事だったかもしれませんから。」
素直な気持ちを伝えると、切藤理事長が目を見張った。
「何と言うか…息子が、晴ちゃんから君を引き離さない理由が分かった気がするよ。」
その表情は柔らかい。
うん、やっぱり切藤より変化が分かりやすいな。
少しホッコリしていた俺は、続く言葉に度肝を抜かれる。
「君は犯人に顔を見られた可能性がある。安全が保証されるまではここで過ごして欲しい。
さっきいたフロアの病室なら政府要人も利用するから、セキュリティーには懸念が無いんだ。」
「…え?」
「ご家族も心配だ。笹森、警備員を数名中野君の家へ。」
「承知しました。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
頷いた秘書の人が部屋を出ようとして、慌てて声を上げる。
「気持ちは有難いんですけど、そこまでする必要は…!」
もし俺が顔を見られてたとしても、身元を突き止めるなんてまず無理だと思う。
確かに、現場が大学やいつも利用する駅なら、そこで常に見張ってれば発見される可能性はゼロじゃないかもしれない。
でも、今回俺は偶々あそこに居合わせただけで、普段の生活圏とは違う。
碌な手がかりもなく、全国有数の人口を誇るこの都市でたった1人の人間を探し当てるなんて無理だ。
と言うか、執念深すぎる。
そこまでして口封じなり報復なりする奴なんて、いる訳がーー「それが、いるんだ。」
…俺、今声に出してたっけ?
「犯人が言った台詞を思い出してくれ。其奴は美優ちゃんが妊娠してる事を知っていて階段から突き落とした…明確な殺意がある。
そんな奴等が、失敗した上に顔を見られて、そのままでいると思うか?
世の中には、生活圏や人口なんて関係なく相手の素性を調べられる機関が存在する。」
心の内を読まれて驚愕するのと同時に、ハタと思い付く。
IQが高い人間は、相手の思考を予測する事ができるらしい。
きっとこの人も、切藤や黒崎と同じように『先読み』ができるんだろう。
因みにこの能力に『先読み』って名称付け時、厨二かよって切藤に冷めた目で見られたなぁ。
いやいや、今はそれよりも話しの内容だ。
あまり楽観的ではいられない単語が節々に入ってたし。
怖いとまではいかないけど、少しゾワリとする。
「でも、警察が捕まえてくれるんじゃ…?」
俺の言葉に、切藤理事長は少し哀しげな顔をした。
「そうだったらいいんだが…。上の対応次第でどうなるか分からない。警察は良くも悪くも組織だからね。」
どう言う事だろう。
まるで、圧力が掛かるのを見越してるみたいな言い方だ。
良く考えたらさっきからずっとそうだよな。
犯人は単独だったのに『奴等』って言ったりして。
「もしかして、犯人に心当たりがあるんですか?」
そんな俺の疑問は想定内だったのか、切藤理事長は動揺する事なく頷く。
「多いにあるとしか言えないな。…結果的に中野君を巻き込む形になってしまって申し訳ない。」
またもや深く頭を下げられそうになって、慌てて止める。
「巻き込むって、一体何に?」
「…君に危機感を持ってもらうには、正直に話すのがいいと思うんだが…。」
渋るような言葉は電話の音で遮られた。
「蓮さんが下に着いたようです。」
電話越しに誰かと遣り取りしていた秘書の人が、理事長にそう伝える。
「分かった。…中野君、色々聞いて混乱しているだろうから少し別の部屋で待っていてくれるかい?
私は息子と話しをしなければ。」
ここで食い下がってもどうにもならないけど、足は重い。
そんな俺に苦笑して、彼は言った。
「私は君を信頼に足る青年だと考えているよ。
ただ、友人に身内の恥を晒すのを良しとするか蓮にも確認しないとならないからね。」
ハッとして顔を上げると、そこには『父親』の顔をした男性がいて。
「蓮にとって中野君は大事な友人のようだから。」
そう…か???
アイツの中のカテゴリーは『晴人かそれ以外か』しか無さそうだけど…。
「ふふっ、分かりにくい息子ですまないね。
蓮と長く付き合える人間は本当に少ないんだ。
例え晴ちゃんの親友だとしても、関係性が続いてるのは蓮が君に気を許してる証拠だよ。」
そう優しく微笑まれて、何だか擽ったい気持ちになる。
「念の為に聞くけど、何も聞かずに私達に身を委ねてくれる気持ちはあるかい?」
「俺は…自分の身に降り掛かる事にはちゃんと納得したいです。」
キッパリ言うと、彼は頷いた。
恐らく俺の答えが分かってたんだろう。
別の部屋に案内されて、お茶やらお菓子やら出してもらって。
30分くらい経った頃にまた呼ばれた。
秘書の人(笹森さんと教えてもらった)について、再び理事長室に足を踏み入れる。
室内から注がれた胡乱気な視線は、直ぐに驚きに変わって。
「は…?中野…?」
珍しく困惑を露わにした友人に、俺は緩々と片手を上げた。
●●●
全て蓮がマンションを出て行った日の出来事です。
翔・蓮・遥に続き4人目のラノベ疑い。笑
霊泉家、笑い声はきっと『フハハハ』だしテンションは『俺tueee』だしピンチになったら『くっ…殺せ…』とか言うに違いない。笑
そこを通りかかったのは偶然だった。
俺は今日、帝詠学園の中等部校舎で行われた、中高合同の交流試合を見学していた。
いいなぁ、俺もまた剣道したいんだよな。
通う大学には飲みサーに近い剣道サークルしかなく、入る気にならない。
確か竹田先輩は大学でも剣道続けてるんだっけ…相談してみようかなぁ。
そんな事を思いながら、帰る為に原付を取りに向かう。
駅に近い割に料金が格安のこのバイク置き場は、地元民にすらあまり知られてない。
と言うのも、数台のスペースしかない上に、その先の道は階段で行き止まりだからだ。
階段は私有地へと続いていて、馬鹿デカイ日本家屋が一軒あるのみ。
そんな場所、家主以外は滅多に通らないだろう。
家主は地主か何かで、余りある土地の一画をバイク置き場にしたんだろうな、と言うのが俺の推測だ。
因みに俺がここを知ってるのは、晴人の家を訪ねる途中で迷い込んだ事があるからだったりする。
そんな静かな場所だから、階段の上から人の声が聞こえて来た時には驚いた。
良くは聞こえないが男女の争うようなそれに、思わず眉を顰める。
もしかして…不審者か?
基本的に治安のいいこの地域だけど、油断はできない。
高校の時晴人の身に起こった出来事を思い出して、俺は原付を置いて駆け出した。
数段登って見上げた先には、やっぱり男女の人影があった。
夕闇で顔までは見えないけど、体格的に間違いないだろう。
そして、女性と思われる方が必死に手摺にしがみついている。
…これ、ヤバく無いか!?
慌てて残りの段数を駆け登ろうとした時、男の声が響いた。
「我が一族に害を成す阿婆擦れが!その薄汚い胎と共に散るがいい!」
…え、何これラノベ?
余りに突拍子もない台詞に足が止まる。
日常生活で『阿婆擦れ』なんて初めて聞いたんだけど…。
もしかしてネタで、動画撮影してるとかそう言う事なのか?
そんな風に、一瞬迷ったのがいけなかった。
男が手摺に捕まる女性の手を引き剥がして、そしてーー。
突き飛ばされた小柄な体が宙を待った。
「危ない!!」
叫んで駆け上がりながら、必死に手を伸ばす。
地面に打ち付けられる前に、女性の背中に手が届いた。
「うわっ…!」
だけど幾ら小柄な女性とは言え、落下による重量がかかれば腕の力だけじゃ支えられない。
せめてクッションになるように、自分の体をその下に滑り込ませるのがやっとだった。
結果ーー
「…痛ッッてぇ…!!」
腰と背中をコンクリートに強打して、目の前に星が散る。
頭を打たなかったのは本当に幸いで、意識を失わずにいられた。
女性の体はしっかり俺の上に乗っかっていて、地面に激突するのは避けられたようだ。
多少の衝撃はあっただろうけど…。
痛みに顔を顰めながらも身を起こして、女性に声をかけようとして…血の気が引いた。
グッタリと意識が無い事と、それから…斜めがけしたスマホケースにぶらさがるマークに。
…この女性、妊婦さんなのか!!
知識は少なくても、母体への物理的な衝撃が良くない事くらいは分かる。
「大丈夫ですか!?」
大声で呼びかけると、女性の唇が開いた。
目は閉じたまま、呟くように何か言う。
「しょう…」
しょう?
その時、凄い勢いで何かが横を走り抜けた。
手摺が隔てる反対側の階段を駆け降りる人影。
「…ッ待て!」
それが女性を突き落とした男だと気が付いた時には、もう後ろ姿になっていた。
反射的に立ち上がろうとしたけど、今は追うより人命救助が先だと思い直す。
ズボンの後ろポケットから取り出したスマホは、画面がバキバキになってはいたものの119に繋がった。
「女性が階段から落ちました!妊婦さんです!」
ややパニックを起こしながらの電話だったけど、直ぐに救急車を寄越してくれる事になり。
待ってる間何度か呼び掛けたけど、反応のない女性に不安が募る。
家族に連絡できたらいいんだけど…。
「あっ!」
何か無いかと見回した先に落ちてたのは、女性物の財布。
抱えた体を揺らさないように細心の注意を払って、足で手繰り寄せる。
「失礼します。」
一声かけて中身を開くと、幸運な事に直ぐに保険証が出てきた。
その名前を確認して、目をみはる。
『切藤美優』
見覚えのありすぎるその苗字は、実はかなり珍しい。
少なくとも関東圏には自分の家族しかいないと、何かの折に本人が言っていた。
そこで思い出したのは、女性が発した言葉。
過去に1度遭遇した事がある切藤の兄貴の名前は、確か…『翔』だった筈。
妊娠している女性とその名前を踏まえて考えると、行き着く答えは一つ。
「もしかして切藤の…義理のお姉さん…なのか?」
驚いて固まる俺を現実に戻したのは、聞こえて来たサイレンの音だった。
「こっちです!」
階段下に救急隊員の姿が見えて安堵する。
慎重に担架で運ばれる女性を見守っていると、救急車に同乗するよう促された。
「君も検査が必要だ。」
そう言われて気付いたが、左の手首が何だかおかしい。
大人しく乗り込んで、ふと思った。
切藤の関係者なら、切藤総合病院の方がいいんじゃないか?
そうすれば家族への連絡もスムーズに行くだろうし、何より女性も安心だろう。
「あの…」
少し緊張しながらその旨を話すと、病院までの距離が遠くなかった事もあり了承してくれた。
程なくして、広大な敷地面積に聳え立つ切藤総合病院が見えて来た。
事前に患者の名前が伝えられていたそこで、待ち構えていたのは…。
「き、切藤理事長…。」
救急隊員達がトップ直々のお出ましに驚く中、女性…美優さんはストレッチャーで慌ただしく運ばれていく。
「君が目撃者だね?悪いが話しを聞かせてもらいたい。」
スラリとした体型、人形みたいに整った顔と冷たい双眸、硬質な声。
そのどれをとっても…。
「激似すぎる…。」
数十年後の切藤がタイムマシンでやって来たと言われたら、信じてしまうと思う。
まじまじと顔を見て呟いた俺に、彼はほんの少し眉を寄せた。
「あ、すみません。俺、切藤…蓮君の友達で中野って言います。」
「中野…もしかして晴ちゃんの?」
「あ、はい。晴人の親友です。」
自分で言うのはやや照れるが、その間違いない関係性を告げる。
すると、ピンと張り詰めていた空気が緩んだ。
「そうか、君が中野君か。私は蓮の父親でここの理事長をやっている。義理の娘を助けてくれてありがとう。」
少し柔らかくなった目許に、息子よりは表情筋が仕事してるなと思った。
理事長自ら案内してくれたのは、ゲートを通るのに指紋認証や眼球認証が必要なフロアだった。
診察室で俺をイスに座らせて、問診を始める。
左手首の違和感を伝えると、すぐにCTを撮ってくれた。
幸い骨に異常はなく捻挫で、強く打った背中も青アザができただけ。
我ながら丈夫な体で良かったと思う。
看護師さんに処置してもらった後、眼鏡の男性が現れて俺を理事長室へと案内してくれたんだけど…その隙の無さに驚く。
武道とか、そっちの経験が豊富そうだ。
秘書だと名乗っていたけど、SP的な役割もしてるのかもしれないな。
そんな風に考えつつ辿り着いた部屋では、温かな湯気の出る紅茶と共に理事長が迎えてくれた。
「中野君が怪我をしてるのは重々承知してるんだが、事態は一刻を争うかもしれない。目にした事を話して貰っていいだろうか。」
親子でも、こう言う所は似てないんだなぁ。
俺の体調を気遣ってくれているのが分かるし、何なら先に手当てだってしてくれたし。
道徳心ってものを(晴人以外の事では)置き去りにする息子を思い出す。
まぁアイツも、俺が死にかけてたら助けてくれる位の情はあるよな。
え…、ある…よな…?
ちょっと不吉な考えが浮かびそうになって、慌てて頭を切り替えた。
そう、今は目撃証言を求められてるんだから!
見た事を全て話し終えると、切藤理事長は掌で額を覆った。
「成る程…。極めて重要な証言だ。2度目になるが本当にありがとう。」
対面のソファで深々と頭を下げられて(後ろに立つ秘書の人もそれに習ってて)困惑する。
地位も名誉もある大人にこんな事されたの、初めてだし。
それにーー
「お礼を言っていただくのは心苦しいです。
俺がもっと早く駆け付けてたら、美優さんは無事だったかもしれませんから。」
素直な気持ちを伝えると、切藤理事長が目を見張った。
「何と言うか…息子が、晴ちゃんから君を引き離さない理由が分かった気がするよ。」
その表情は柔らかい。
うん、やっぱり切藤より変化が分かりやすいな。
少しホッコリしていた俺は、続く言葉に度肝を抜かれる。
「君は犯人に顔を見られた可能性がある。安全が保証されるまではここで過ごして欲しい。
さっきいたフロアの病室なら政府要人も利用するから、セキュリティーには懸念が無いんだ。」
「…え?」
「ご家族も心配だ。笹森、警備員を数名中野君の家へ。」
「承知しました。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
頷いた秘書の人が部屋を出ようとして、慌てて声を上げる。
「気持ちは有難いんですけど、そこまでする必要は…!」
もし俺が顔を見られてたとしても、身元を突き止めるなんてまず無理だと思う。
確かに、現場が大学やいつも利用する駅なら、そこで常に見張ってれば発見される可能性はゼロじゃないかもしれない。
でも、今回俺は偶々あそこに居合わせただけで、普段の生活圏とは違う。
碌な手がかりもなく、全国有数の人口を誇るこの都市でたった1人の人間を探し当てるなんて無理だ。
と言うか、執念深すぎる。
そこまでして口封じなり報復なりする奴なんて、いる訳がーー「それが、いるんだ。」
…俺、今声に出してたっけ?
「犯人が言った台詞を思い出してくれ。其奴は美優ちゃんが妊娠してる事を知っていて階段から突き落とした…明確な殺意がある。
そんな奴等が、失敗した上に顔を見られて、そのままでいると思うか?
世の中には、生活圏や人口なんて関係なく相手の素性を調べられる機関が存在する。」
心の内を読まれて驚愕するのと同時に、ハタと思い付く。
IQが高い人間は、相手の思考を予測する事ができるらしい。
きっとこの人も、切藤や黒崎と同じように『先読み』ができるんだろう。
因みにこの能力に『先読み』って名称付け時、厨二かよって切藤に冷めた目で見られたなぁ。
いやいや、今はそれよりも話しの内容だ。
あまり楽観的ではいられない単語が節々に入ってたし。
怖いとまではいかないけど、少しゾワリとする。
「でも、警察が捕まえてくれるんじゃ…?」
俺の言葉に、切藤理事長は少し哀しげな顔をした。
「そうだったらいいんだが…。上の対応次第でどうなるか分からない。警察は良くも悪くも組織だからね。」
どう言う事だろう。
まるで、圧力が掛かるのを見越してるみたいな言い方だ。
良く考えたらさっきからずっとそうだよな。
犯人は単独だったのに『奴等』って言ったりして。
「もしかして、犯人に心当たりがあるんですか?」
そんな俺の疑問は想定内だったのか、切藤理事長は動揺する事なく頷く。
「多いにあるとしか言えないな。…結果的に中野君を巻き込む形になってしまって申し訳ない。」
またもや深く頭を下げられそうになって、慌てて止める。
「巻き込むって、一体何に?」
「…君に危機感を持ってもらうには、正直に話すのがいいと思うんだが…。」
渋るような言葉は電話の音で遮られた。
「蓮さんが下に着いたようです。」
電話越しに誰かと遣り取りしていた秘書の人が、理事長にそう伝える。
「分かった。…中野君、色々聞いて混乱しているだろうから少し別の部屋で待っていてくれるかい?
私は息子と話しをしなければ。」
ここで食い下がってもどうにもならないけど、足は重い。
そんな俺に苦笑して、彼は言った。
「私は君を信頼に足る青年だと考えているよ。
ただ、友人に身内の恥を晒すのを良しとするか蓮にも確認しないとならないからね。」
ハッとして顔を上げると、そこには『父親』の顔をした男性がいて。
「蓮にとって中野君は大事な友人のようだから。」
そう…か???
アイツの中のカテゴリーは『晴人かそれ以外か』しか無さそうだけど…。
「ふふっ、分かりにくい息子ですまないね。
蓮と長く付き合える人間は本当に少ないんだ。
例え晴ちゃんの親友だとしても、関係性が続いてるのは蓮が君に気を許してる証拠だよ。」
そう優しく微笑まれて、何だか擽ったい気持ちになる。
「念の為に聞くけど、何も聞かずに私達に身を委ねてくれる気持ちはあるかい?」
「俺は…自分の身に降り掛かる事にはちゃんと納得したいです。」
キッパリ言うと、彼は頷いた。
恐らく俺の答えが分かってたんだろう。
別の部屋に案内されて、お茶やらお菓子やら出してもらって。
30分くらい経った頃にまた呼ばれた。
秘書の人(笹森さんと教えてもらった)について、再び理事長室に足を踏み入れる。
室内から注がれた胡乱気な視線は、直ぐに驚きに変わって。
「は…?中野…?」
珍しく困惑を露わにした友人に、俺は緩々と片手を上げた。
●●●
全て蓮がマンションを出て行った日の出来事です。
翔・蓮・遥に続き4人目のラノベ疑い。笑
霊泉家、笑い声はきっと『フハハハ』だしテンションは『俺tueee』だしピンチになったら『くっ…殺せ…』とか言うに違いない。笑
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ふゆきまゆ
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この国に生きる者は必ず受けなければいけない「天啓の儀」。それはその者が未来で最も大きく人生が動く時を見せる。
フィルニース国の貴族令息、アレンシカ・リリーベルは天啓の儀で未来を見た。きっと殿下との結婚式が映されると信じて。しかし悲しくも映ったのは殿下から婚約破棄される未来だった。腕の中に別の人を抱きながら。自分には冷たい殿下がそんなに愛している人ならば、自分は穏便に身を引いて二人を祝福しましょう。そうして一年後、学園に入学後に出会った友人になった将来の殿下の想い人をそれとなく応援しようと思ったら…。
●婚約破棄ものですが主人公に悪役令息、転生転移、回帰の要素はありません。
性表現は一切出てきません。
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