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第三部
14.リクエスト希望
しおりを挟む耳元で声が聞こえる。
甘さを含んだ優しい声音の、穏やかで温かみのある声が。ずっと聞いていたいと思わせる低すぎず高すぎないテノールの美声が。ゆっくりと私の名前を紡ぐ。
「麗、そろそろ起きてください」
「う~ん……お水……」
喉が異様に渇く。ごろりと寝返りを打った私は、無意識に小さく自分の要求を述べた。くすりと笑った気配が届くと、意図的に仰向けにされて。柔らかな感触が唇に押し当てられる。ゆっくりと流れ込むのは、まるで甘露のような水だ。
コクリ。
お水ってこんなに甘かったっけ? そう思わせるほど、甘みがあっておいしい。もっと欲しいと強請ったら、再び甘いお水が与えられた。
ようやく息をつけたところで、思考がクリアになっていく。
ゆっくりと瞼を押し上げると、間近で微笑む白夜の姿。一言「もっと?」と訊かれて、ぼうっと見つめながら首を左右に振った。寝起きにこの美形の顔は本当に眩しい。むしろ刺激的すぎるのですが。
「夕食が7時ですので、それまでに一汗流しておきましょうね」
「今、何時?」
「丁度5時を回ったところです」
そう告げた白夜は寝起きの私を抱き上げて、まっすぐに浴室まで連れて行った。ああ、この人にお風呂場へこうして連れて行かれるのって、一体何度目だろう……。なんて、頭の片隅で考えてしまう。
「寝ているあなたを私が入れてもよかったのですが、カラーコンタクトを外すのはご自分でしていただかないとまずいと思いまして」
それにせっかくの温泉ですしね、ちゃんと堪能したいでしょう?
その言葉に頷く。確かにウィッグ+カラコンを外すのは自分でやりたいし、付け睫毛もつけているから顔は自分で洗いたい。それにやっぱり温泉にはゆっくり浸かりたいじゃないか! ……一緒に入ってゆっくりできるかどうかは、怪しいけど。
脱衣所に下ろしてもらった瞬間。つ、と太ももを何かが伝う感触がして、身体が強張った。……そういえば、下着、つけていない……。っていうか、さっきこの服着たままヤっちゃったよね? んでもって、ゴム、つけなかった気が……
さぁーと青ざめる私は戸惑いを隠せない。確か、今日は危険日じゃなかったはず! それにそう簡単に妊娠はしないだろう。あれは授かりものなんだし!
でも、このナイトドレスは流石に汚しちゃったよね……。これって借り物だっけ?
クリーニングに出さないとまずいんじゃ!?
一向に脱ぐ気配がない私に、白夜が訝しげに声をかけた。
「麗? 脱ぎにくいのなら私が……」
「それは遠慮します!」
メイク落としに時間がかかるから先に入って! と半ば無理やりお風呂場へ押し込んで、ビシャリと扉を閉める。ふう、やっと一人きりになれた! 太ももを伝う感触にぶるりと背筋が震えるけれど、ささっとティッシュで拭ってから鏡の中の私を覗く。
うわ、顔真っ赤だよ!
黒髪に青い目の私は自分で見ても別人に見える。長いウイッグを取って、ささっと形を整えてから近くに置いた。慎重にカラコンも外して、付け睫毛も取っていく。徐々にディアナから麗に戻っていった。
最後にクレンジングフォームで顔を洗えば、すっかり見慣れた顔が現れる。スッピンの私はどこか幼く見える……。我ながら本当にメイクすると顔が変わるよね……。それって喜んでいいのか悲しむべきなのか。いろんな自分が楽しめるっていう意味では、喜ぶべきだろうけど。
「う~本当はバスタオルを巻いていきたいけど、それって非常識なんだっけ?」
アメリカで入った温泉は確か水着着用だったのに……。まあ、これは家庭用のお風呂なんだから水着は変だけど!
手ぬぐいで最低限身体をカバーして、がらりと一般家庭のお風呂よりは広めの浴室へ赴いた。
◆ ◆ ◆
お肌つるつるの美肌効果がある温泉をこの別荘でも引っ張っているから、わざわざ温泉宿にまで行かなくても済むなんて、すっごく贅沢だ。疲れきっていた身体が徐々に温まっていって、ほぐれていくよう。極楽じゃ~なんて、ばばくさい声が出そうになる。
「幸せそうな顔してますね」
ゆったりとした声音で白夜に告げられて、へにゃんと笑った。だって気持ちいいんだもん!
が、身体が温まり眠気が完璧に覚めたところで、先ほどまでの情事を一気に思い出してしまった。
すぐ近くで同じように温泉に浸かりながら窓の外を眺める旦那様を見つめる。ほんのりと上気した肌は薄らと赤く染まり、髪は水気を帯びて後ろに撫でつけられている。浮かび上がる汗も遠くを見つめる横顔も、壮絶な色気を纏っているようだ。彼の一挙一動が目を逸らせなくて、私の熱もどんどん高まる。
うわ、うわー!!
やばい、完璧に思い出した!! 私ったら、何大胆な事をーーー!?
羞恥から声もなく身悶える。ばしゃばしゃとギリギリまでお風呂の端っこに移動した私を、白夜は訝しげに眺めた。顔を真っ赤にさせている私に、首を傾げて尋ねる。
「どうしたのですか? 急に。もうのぼせましたか?」
「の、のぼせてはいないよ!? でものぼせそうではあるかな!!」
そう。羞恥でのぼせそうだよ!!
ありえない、さっきの私はありえない!
違うよ、あれは麗じゃなかった。絶対に麗じゃなかった! そう、ディアナが私の身体を乗っ取っていたとしか思えない。じゃないと、あんな大胆で淫らに乱れるなんて、恥ずかしすぎて私には絶対に無理だ!!
「~~~今すぐ、穴に埋まりたい~……」
「はい?」
誰か、穴を掘ってください。暗くて狭い穴を。(棺桶は却下だけど!)
何かに気付いた白夜は、やれやれといった風に嘆息した。
「麗、おいで?」
ちゃぷん、とお湯が跳ねる。片手を私に差し出して、私が近づくのを待っているようだ。大人3人は入れるこの浴槽は、数歩移動すればすぐに白夜のもとまでたどり着ける。じっと見つめて待っている彼の視線に耐えられなくなって、お湯に入ったまま移動した。なんだかさっきよりお湯が熱く感じる。
子供のように私を抱き上げて、向かい合わせで抱きしめてきた白夜の首元に、顔を埋めた。温泉の匂いが鼻腔をくすぐる。すべすべの肌が心底羨ましい……。でも白夜の首筋や鎖骨に散った赤い痣を見つけて、くらりと眩暈がしそうになった。やべ、私調子に乗ってさっきこんな物をつけちゃいましたか……!!
「何今更恥ずかしがっているのでしょうかね、あなたは」
くすりと笑った白夜が腰に腕をまきつけて、ぎゅっと抱きしめてくれる。白夜の顔を見れないのをいいことに、私も抱きしめ返しながら消えそうな声で「だって」と呟いた。
「だって、まさかあんな事しちゃうなんて~~~!! 違う、あれは麗じゃなかったから! ディアナがやった事だからー! だから、私の事呆れちゃったり嫌いにならないで……」
「何を言っているのですか。私があなたを嫌いになるはずがないでしょう? むしろ大歓迎ですよ。あんな風に積極的に乱れた麗を見ることができて」
――むしろもっと乱れて?
そう耳元で掠れた色っぽい声で囁く旦那様は、やっぱりSなんじゃないかと思った。どんだけ私をその色気で追い詰めるんだ。
おずおずと羞恥に染まった顔を上げる。ふわりと微笑む白夜の顔に安堵する。その顔には軽蔑も嫌悪も見えない。
よかった、嫌われていないのは本当みたい……
「本当に? あんな風に白夜を誘惑……っていうか、襲ったのに、嫌にならない?」
「もちろんです。どんなあなたでも私はちゃんと受け止めますよ。それにお願いしたのは私の方です。応えてくれたあなたには感謝しないとですね」
チュ、とおでこにキスをされて、それだけでかあ~っと頬が赤くなる。
私に何をされても文句は言わないし、淫らに乱れても歓迎すると告げた白夜がたまらなく愛しくて、照れ笑いをした。よかった、大胆で積極的になった私が嫌われたらどうしよかと思ったよ。
「あなたからのリクエストもちゃんと応えますから。してほしい事があったら些細な事でもいいので、なんでも仰ってくださいね?」
「何でも?」
「ええ」
にっこり笑顔で告げられて、いつでもキスして? とか、そういった類の”お願い”の権利を与えられるのかと考える。
でも、脳裏にかすめるのは、別の顔。
白夜がめったに見せない、あの表情――
調子に乗った私は、「それじゃあ……」と遠慮なく申し出た。
「切なげに顔を歪めて色っぽく喘ぐ白夜の顔が見た……」
「それ以外でお願いしますね」
「………」
ちっ。
何て不公平な!
内心で舌打ちをしたのは、内緒だ。
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何度目になるかわからないお風呂でのイチャイチャですが、これにてお仕置き編は終わります! 次回から東条セキュリティに戻るかと……
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