バーテンダーL氏の守り人

不来方しい

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第二章 フィアンセとバーテンダー

036 得たもの、消えたもの

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「無事に帰還しました!」
 元気良くボスのボスに挨拶をすると、思考の読めない笑みで彼は微笑んだ。
「ご無事で何よりです。もっと長くかかるのかと思っていました。ルイ、あなたの部下はしっかり挨拶をしたのに、あなたは何もないのですか?」
「……ご無沙汰しております」
 ルイが。あのルイが。普段と態度が違う。少ししおらしい。
「大変よくできました」
 ユーリさんが、ルイの頭を撫でている。ルイはおとなしくしている。珍しい光景に、口から変な声が漏れそうだ。というか漏れてしまった。
「ユーリさん、お土産買ってきましたよ。ギモーヴとマカロンです」
「ありがとうございます」
 フランス人に買うお土産なのかと疑問だが、喜んでくれたのでよしとしよう。
「どのような方法で奪還したのか些か気になるところではありますがね」
「へへー、実は……」
「……志樹」
 そんな風に呼ぶから、締まりのない顔になる。ユーリさんは仏のような微笑みでルイを見るが、ルイはフロアの様子を見たいと出ていってしまった。
「せっかく頂いたので、お土産も開けてお茶を入れましょう」
「あ、俺入れます」
 満面の笑みだ。ソファーを指さされ、あの笑顔は「余計なことはするな」だ。長旅で疲れていたので、これは有り難い。
「人間関係は根っこがどっしりと根づいていれば、ちょっとやそっとでは崩れません。外面がどうであれ、例え婚約を結ぼうとも、息子を取り戻してくれ、とても嬉しく思います」
「あれ? なんで……」
「現代はネット社会ですよ。地球の反対側にいようがニュースはスマホ一つでどうにでもなります」
 心なしかユーリさんの声が低くなった気がする。
「あの……怒ってます?」
「怒っているように見えますか?」
「ええと……そうですね……」
「息子を取り戻してくれたのです。感謝しかありませんよ。強いて言うならば、嫉妬しているだけです。お気になさらず」
「いやいやいや、別にそんなつもりじゃないですって! あれしか方法がなかったし、もしルイに好きな人ができたりベルナデットさんと婚約をもう一度したいんなら、俺はすぐに下がりますから」
「それはないでしょう」
 穏やかに微笑むと、ルイが部屋に戻ってきた。三人でお茶をして、現状報告をして早めに就寝した。
 起きたら身体中が重くてベッドから起き上がれなかった。原因は疲労と風邪。おとなしく寝ていろと上から上司二人に凄まれ、俺は起きることさえ許されない。体温計は三十八度を示していた。
 ここ最近は怒濤の日々で、ゆっくりする暇もなかった。結局、外をマラソンできるくらいに回復したのは三日経ってからだった。
 寝込んでいたときに食べていた残りだろうか。冷蔵庫の中にリンゴがある。ユーリさんがどこかで調達してきたミキサーもある。そして今日は、ルイもいる。交代交代看病してくれた最終日は、ルイの番だ。
 リンゴをざく切りにしたら、ミキサーの中に入れる。作り置きのどくだみ茶も入れた。ぎゅるんぎゅるん鳴る音に、ルイがフロアから入ってきた。
「良いタイミング! ちょっとこれ飲んでみてよ」
「おい、冗談はやめろ」
「冗談?」
「そこにあるものはなんだ」
「リンゴの芯だけど」
「……横にあるものだ」
「魔法のドリンクかな」
 俺手作りのどくだみ茶だ。ルイが好んで口にしている。俺も好きだが、ほとんどルイ専用と化している。ちなみにユーリさんが口にしたときは、朴念仁みたいな顔になった。
「色がおかしい。リンゴジュースの色ではない」
「わー、ほんとうだー、なぜかなー?」
「志樹、お前が飲め。ひと口飲め」
 逃げ場がない。というより、なぜいけない味だと決めつけているのか。どくだみ茶入りのミックスジュースを飲んでみた。喉を通るどろっとしたものは、完全に刻まれていなくて少し固形として残っている。
「リンゴと、どくだみ茶の味がする。ではどうぞ」
 ちょっとした賭けのようなものだ。もし何かと一緒に食べたり飲んだりできれば、味覚障害をもっと緩和ができるのではないか。みそ汁に混ぜたり、肉をつけてみたり。どこまでもどくだみ茶の味がつきまとってしまうのが難点だが、期待を込めた第一歩だ。
 ルイの喉が鳴る。男らしく喉仏が突き出ている。
「どうだ?」
「……どくだみ茶と、リンゴの味がする」
「ひどい感想だなあ。それだけ?」
 何か言いたげに、ルイは口を噤んだ。
「味は……ああ、リンゴの味だ。久々に感じた」
「何かに混ぜても味覚が戻るってことか。例え一瞬でも、すごい発見じゃんか」
「そうだな。さすがに私もこのような方法は思いつかなかった」
 美味しいとは言ってもらえなかったけれど、人生を左右する発見だと思う。
 朝食は簡単にクロワッサンで済ませ、残った特製リンゴジュースはふたりで半分にした。
 今日から久々の講義である。少し大人になった気分で講義を受け、教授からレポートを楽しみに待っているとやんわりとした催促を受けた。
 課題以外の問題もまだまだ山積みだ。さっそくおかしなメールが届いたが、相手は奥野さんだった。帰国したとき、メールをしたら学校で待ってると返事をくれた。
──大柄で角刈りの男性の知り合いっている?
 混乱し、思考が停止してしまった。大柄な男性。バイト先の上司二人であれば、そんな感想は持たないだろう。どちらも長身で、ルイは美術館にいる人、ユーリさんはオリエンタルが融合したモデルだ。そもそも角刈りではない。
──いきなりどうかした?
──特に何も。大学内でいきなり声をかけられた。花岡とは仲が良いのって聞かれたけど、どう見ても怪しかったから、誰それって答えておいたわ。
 黄色い規制線が勢いよくぶち破られた。新しく張っても意味は成さない。時間との戦いだ。
──それっていつの話?
──三十分くらい前かな。
 角刈りで大柄な男性といえば、俺の中でたった一人しか浮かばない。俺は前に特殊清掃員のアルバイトをしていて、重野カズアキという先輩にお世話になった。彼の家にほいほいついていき、襲われかけたのだ。
──家に送っていくよ。
──そこまでしてもらわなくていいわ。別に怖い思いもしていないし。何か事件絡みなら警察に行った方がいいよ。
──ありがとう。そうさせてもらう。なるべく今日は早急に帰ってほしい。
 これだけ学生がいる中、ピンポイントで奥野さんを狙って声をかけたのだ。俺と彼女がいるところを見られ、覚えられてしまった。奥野さんはいつも漆黒を身にまとっているため、とても目立つ。
 どうしよう。どうしようしか言葉が出てこない。自分の大切な人に、もし何かあったりしたら。足の裏の感覚がなくなったかのように、地に着いている感覚がない。目の前が真っ暗だ。
 入れ違いに今度はユーリさんからメールが届いた。おおよその検討はつきながらも、通話アプリを開く。
──今は大学ですね? すぐに帰ってきなさい。
 命令形で大ボスからの連絡だ。帰ります以外、猶予も与えてくれない。既読をつけて返事をしないという返事をした。
 駅まで走り、電車に乗って久しぶりの自宅までの道のりを歩く。走りたかったが、恐怖と何かあったときのために体力を温存しておこうと脇を締めた。
 自宅近くのアパートまで行くと、警察官と鉢合わせになった。目を逸らすと声をかけられた。やってしまった。
「君、名前は?」
「え? いやいや、急いでいるので!」
「ここのアパートの人? 大学生?」
「まあ、はい」
「ちょっとね、不審者がうろついているって通報があったんだ。知らない? 学生証はあるかな」
 ユーリさんの不思議な笑みがぼんやりと浮かぶ。感謝だが後が怖い。
 学生証を渡すと、顔を二度見されてしまった。
「花岡君ね。事情は聞いてるけどどうしてここまで問題を放っておいたの?」
「いろいろ未遂で終わっているし、家に入られたのは確証がはっきり持てなかったので。今から家に戻りたいんですけど……」
 警察官は何を今さらという顔で、俺の後ろをついてきてくれた。二階の部屋の前で鍵を差し込む。間違いなく鍵はかかっているが、そんなものは当てにならない。世の中は施錠という正しい行いをしても、不条理を前面に出してくる輩だっているのだ。
「先に入ろうか?」
 頭を振り、一歩前に出た。蒸し暑いくらいで、鼻につくような臭いはない。
 何も変わらないはずの部屋を見渡した。違和感がないように見えてある。ベッドも乱れていないし、押入もそのままだ。けれど何かが違う。警察官はトイレや風呂場をチェックしている。
「何か変わったところはない?」
 警察官の言葉に、ふとルイの顔が頭をかすめた。彼はなんと言っていた? ルイとの会話を思い出せ。
 ルイは俺の部屋に小型のカメラを設置してくれた。秋葉原で購入し、便利な場所だと呟いていた。
「そうだ……あのとき……」
 ルイから何かをもらった。ルイも誰かに渡された。あれだ。チラシだ。
 ゴミ箱の中を見ても、ちり紙一つ入っていない。俺はルイからチラシを渡され、二つ折りにしてテーブルに置いたはずだ。それが無くなっている。
「どうかした? やっぱり違和感ある?」
「テーブルに置いていた紙が無くなっています。チラシなんですけど」
「チラシ?」
 警察官は訝しみながら目を細めた。勘違いではないのかと、疑いの目だ。ルイからもらったものだ、勘違いなわけがない。
 一応あのときの流れを説明するが、警察官の目は変わらなかった。
 中までついてきてくれた警察官だが、なるべく俺の勘違いの方向で持っていきたいと見え見えだった。こうなると、被害届は出せないだろう。
 警察官は何かあったらすぐに連絡がほしいと言い、帰っていった。
 もう一度タンスの中なども見るが、手をつけられた跡はない。やはりチラシだけだ。疑問なのは、なぜチラシを盗んでいったのか。お金になるわけでもないし、特別変わったものでもない。メイド喫茶のチラシは秋葉原でよく配られているもので、ルイだから渡されたのでもないし、その他大勢が受け取っているものだ。
 あまり意味はないかもしれないが、しっかりと鍵をかけ、駅に向かう。秋葉原はあまり行かないし土地勘はない。俺の家からだと乗り換えもしなくてはならないし、趣味や知識のつまった街は俺には少し縁が遠い。
 チラシのメイド喫茶を思い出せたのは、ニュースで取り上げられたりドラマの舞台になった場所で、脳の片隅に記憶していたからだ。場所は分からないのでネットで検索すると、一番上に来るほど有名なメイド喫茶だ。
「一番人気……あいにゃん。確かこの子だ」
 チラシにも人気ナンバーワンだと書いていた。見逃してしまうほど小さな文字で、しばらく休業中と書いてある。
 雑多に並ぶビルの間をくぐると、イメージしていた店とは違い、わりとこじんまりとした喫茶店だった。行列を作っていたためすぐに目を引いた。
 ガラス越しには忙しく動き回るコスプレをした女性の姿が見える。これでは話を聞くことは不可能だし失礼だ。並んでいる男性からは、非難めいた目で見られる始末。
 意を決し、俺は列の最後尾に並んだ。
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