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第1部
1 | 片腕の羊飼い - ベルスタ①
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人間の言葉を話す魔物はいる。魔物の言葉を理解する人間もいる。しかしこの世にしゃべる犬が存在しているとは思いもしなかった。
「間抜けな顔だな」
「犬じゃないのか…」
「ははは、犬以外のなにに見えるんだ。お前はしがない羊飼いだし、私はただの牧羊犬だ」
「ただの牧羊犬は言葉を話さない」
「ワケありの、ただの牧羊犬なんだ」
人里から離れた山小屋。羊飼いの暮らしは孤独と退屈を覚悟していたが、どうやらそうでもないらしい。
◇◇◇
牧羊犬のセルシウスとケルビンは、先代の羊飼いであるオンス爺さんから引き継いだ。
セルシウスの被毛はトライカラー。額の中央から鼻先、胸元、足先が白色、眉と口元、脚は栗色、それらをフード付きのケープでも羽織っているように艶やかな黒い毛が覆っている。
ケルビンの被毛は羊と同じ毛色をしていて両耳だけが砂色。骨格はセルシウスよりケルビンのほうが一回り大きくがっしりと重量感がある。
二匹ともこの辺りの山岳地域によくいる垂れ耳で長毛の大型犬種だが骨格は異なるから血筋は違うらしい。
見習い期間中、俺は少しずつ二匹との信頼関係を築き、爺さんほどではないにしても意思の疎通がとれるようになった。だからこそ一人前と認められたはずなのに。
「セルシウスが働くかどうかは、お前さんしだいだ」
爺さんはそう予言して隠居した。
それは、「お前に仕えるつもりはない」と、ほかならぬセルシウスが宣言したことで現実となる。
信頼関係なんてこれっぽっちも築けていなかったのだ。
「お前に恩義はないからな。しかしオンスに頼まれた手前もあるし、片腕を無くした軍人くずれを憐れに思わなくもないから山小屋には居てやるよ」
と、セルシウスが、牧羊犬が、偉そうにのたまったのだ。爺さんが隠居した翌朝に。
そのときの俺の驚きといったら、左腕を魔物に喰いちぎられたときの次くらいに衝撃だった。
◇◇◇
「セルシウス、朝だぞ」
羊飼いの朝は夜明け前からはじまる。
太陽が稜線から顔を出す前に目を覚まし支度を整える。山小屋に来たばかりの頃は爺さんに起こされていたが、毎日繰り返しているうちに体が起きる時間を覚えた。
「……」
俺は眠っている犬の頭を撫でるとベッドから起き上がる。爺さんが隠居してから一週間、セルシウスは宣言どおり山小屋に居るだけだった。
名ばかりの牧羊犬であるが、山の夜は冷えこむからと隣で寝てくれる。偉そうだし得体は知れないが、たぶん悪いやつではない。恩義があるからと羊飼いの爺さんを手伝っていたくらいなのだから。
「さぁて、と」
朝の仕事は水汲みからだ。山頂付近の万年雪がとけてつくった小川へ水を汲みにいくのが日課である。
左腕を失ったときはどうなることかと思ったが、なければないなりの生活はできる。服も着れるし料理(というにはお粗末だが)も作れる。
羊飼いの仕事だって問題ない。放牧に付き合わないセルシウスとは違い、ケルビンは正真正銘の牧羊犬で、羊たちと寝起きを共にし、彼らを家族として守ってくれる。
俺にできることは剣の代わりに羊飼いの杖を振り回すことだけなので、ケルビンの存在は心強い限りだった。
水を汲み、桶を杖に引っ掛けて、山小屋へ戻る。白んでいく空には雲ひとつない。
◇◇◇
クーリエのモルが食糧を運んできたのはその日の午後だった。
「どう、仕事には慣れた?」
モルは同じ孤児院で育ったひとつ年下の幼馴染で、頼まれた荷物を運ぶクーリエという職業に就いている。こうして山小屋の羊飼いに食糧を届けるのも仕事のひとつだ。
「ああ。狼は二度来たが、今のところ羊たちも俺も無傷だ」
「そりゃよかった…ベルスタ、嫌になったらいつでも」
「モル、ありがとう。俺に不満はないよ。茶を淹れよう、ちょっと待っててくれ」
持ってきてもらったばかりの荷物に茶葉が入っているはずだ。と、荷物に目をやるとベッドで寝ていたはずのセルシウスが麻袋に鼻を突っ込んでいた。
「おい、なにをしている」
声をかけるとがばっと顔を出したが、口には新聞がくわえられている。そして眉をひそめる俺を「間抜けな顔」とでも言いたそうに見つめて小屋の外へ出ていった。
「あはは、セルシウスは相変わらず新聞のインクの匂いが好きなんだな」
愉快そうに笑うモルに、いや読むつもりだろうとは言えない。
一週間前、爺さんと注文リストを作成していたときに、「新聞は必ず頼むこと、山小屋にいると国が滅んだとしても気付かんからな」と言われたが、それは俺のためというよりセルシウスのためだったんじゃないかと思えた。
「あいつは俺を主人と認めてないんだ」
麻袋から目的の茶葉を取り出しながらついぼやいてしまう。
「たしかに、オンス爺がいた頃とは露骨に態度が違うなぁ」
「山小屋への配達仕事はいつからやってるんだ?」
「十三歳で親方に付いてクーリエをはじめてからずっと通ってるよ。だから、六年前かな」
「その頃から二匹はいたのか?」
「ううん、昔は別のもっと年寄りの犬がいたよ。ケルビンは三年前くらい、仔犬と遊べるから山小屋への配達日が待ち遠しかったのを覚えてる」
「セルシウスは?」
「二年前かなぁ。僕が出会った頃にはもう成犬で、オンス爺は迷い犬って言ってたけど」
迷い犬、か。
湯が沸いたから鍋の中へ適当に茶葉を入れる。しばらく蒸らしてから、木製のボウルへゆっくりと注ぐ。
モルがぽつりと、「さびしいのかも」と言った。
「…犬が?」
「間抜けな顔だな」
「犬じゃないのか…」
「ははは、犬以外のなにに見えるんだ。お前はしがない羊飼いだし、私はただの牧羊犬だ」
「ただの牧羊犬は言葉を話さない」
「ワケありの、ただの牧羊犬なんだ」
人里から離れた山小屋。羊飼いの暮らしは孤独と退屈を覚悟していたが、どうやらそうでもないらしい。
◇◇◇
牧羊犬のセルシウスとケルビンは、先代の羊飼いであるオンス爺さんから引き継いだ。
セルシウスの被毛はトライカラー。額の中央から鼻先、胸元、足先が白色、眉と口元、脚は栗色、それらをフード付きのケープでも羽織っているように艶やかな黒い毛が覆っている。
ケルビンの被毛は羊と同じ毛色をしていて両耳だけが砂色。骨格はセルシウスよりケルビンのほうが一回り大きくがっしりと重量感がある。
二匹ともこの辺りの山岳地域によくいる垂れ耳で長毛の大型犬種だが骨格は異なるから血筋は違うらしい。
見習い期間中、俺は少しずつ二匹との信頼関係を築き、爺さんほどではないにしても意思の疎通がとれるようになった。だからこそ一人前と認められたはずなのに。
「セルシウスが働くかどうかは、お前さんしだいだ」
爺さんはそう予言して隠居した。
それは、「お前に仕えるつもりはない」と、ほかならぬセルシウスが宣言したことで現実となる。
信頼関係なんてこれっぽっちも築けていなかったのだ。
「お前に恩義はないからな。しかしオンスに頼まれた手前もあるし、片腕を無くした軍人くずれを憐れに思わなくもないから山小屋には居てやるよ」
と、セルシウスが、牧羊犬が、偉そうにのたまったのだ。爺さんが隠居した翌朝に。
そのときの俺の驚きといったら、左腕を魔物に喰いちぎられたときの次くらいに衝撃だった。
◇◇◇
「セルシウス、朝だぞ」
羊飼いの朝は夜明け前からはじまる。
太陽が稜線から顔を出す前に目を覚まし支度を整える。山小屋に来たばかりの頃は爺さんに起こされていたが、毎日繰り返しているうちに体が起きる時間を覚えた。
「……」
俺は眠っている犬の頭を撫でるとベッドから起き上がる。爺さんが隠居してから一週間、セルシウスは宣言どおり山小屋に居るだけだった。
名ばかりの牧羊犬であるが、山の夜は冷えこむからと隣で寝てくれる。偉そうだし得体は知れないが、たぶん悪いやつではない。恩義があるからと羊飼いの爺さんを手伝っていたくらいなのだから。
「さぁて、と」
朝の仕事は水汲みからだ。山頂付近の万年雪がとけてつくった小川へ水を汲みにいくのが日課である。
左腕を失ったときはどうなることかと思ったが、なければないなりの生活はできる。服も着れるし料理(というにはお粗末だが)も作れる。
羊飼いの仕事だって問題ない。放牧に付き合わないセルシウスとは違い、ケルビンは正真正銘の牧羊犬で、羊たちと寝起きを共にし、彼らを家族として守ってくれる。
俺にできることは剣の代わりに羊飼いの杖を振り回すことだけなので、ケルビンの存在は心強い限りだった。
水を汲み、桶を杖に引っ掛けて、山小屋へ戻る。白んでいく空には雲ひとつない。
◇◇◇
クーリエのモルが食糧を運んできたのはその日の午後だった。
「どう、仕事には慣れた?」
モルは同じ孤児院で育ったひとつ年下の幼馴染で、頼まれた荷物を運ぶクーリエという職業に就いている。こうして山小屋の羊飼いに食糧を届けるのも仕事のひとつだ。
「ああ。狼は二度来たが、今のところ羊たちも俺も無傷だ」
「そりゃよかった…ベルスタ、嫌になったらいつでも」
「モル、ありがとう。俺に不満はないよ。茶を淹れよう、ちょっと待っててくれ」
持ってきてもらったばかりの荷物に茶葉が入っているはずだ。と、荷物に目をやるとベッドで寝ていたはずのセルシウスが麻袋に鼻を突っ込んでいた。
「おい、なにをしている」
声をかけるとがばっと顔を出したが、口には新聞がくわえられている。そして眉をひそめる俺を「間抜けな顔」とでも言いたそうに見つめて小屋の外へ出ていった。
「あはは、セルシウスは相変わらず新聞のインクの匂いが好きなんだな」
愉快そうに笑うモルに、いや読むつもりだろうとは言えない。
一週間前、爺さんと注文リストを作成していたときに、「新聞は必ず頼むこと、山小屋にいると国が滅んだとしても気付かんからな」と言われたが、それは俺のためというよりセルシウスのためだったんじゃないかと思えた。
「あいつは俺を主人と認めてないんだ」
麻袋から目的の茶葉を取り出しながらついぼやいてしまう。
「たしかに、オンス爺がいた頃とは露骨に態度が違うなぁ」
「山小屋への配達仕事はいつからやってるんだ?」
「十三歳で親方に付いてクーリエをはじめてからずっと通ってるよ。だから、六年前かな」
「その頃から二匹はいたのか?」
「ううん、昔は別のもっと年寄りの犬がいたよ。ケルビンは三年前くらい、仔犬と遊べるから山小屋への配達日が待ち遠しかったのを覚えてる」
「セルシウスは?」
「二年前かなぁ。僕が出会った頃にはもう成犬で、オンス爺は迷い犬って言ってたけど」
迷い犬、か。
湯が沸いたから鍋の中へ適当に茶葉を入れる。しばらく蒸らしてから、木製のボウルへゆっくりと注ぐ。
モルがぽつりと、「さびしいのかも」と言った。
「…犬が?」
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