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第1部
1 | 片腕の羊飼い - ベルスタ②
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「ケルビンの家族は羊たちだけど、セルシウスにはオンス爺が家族だったってこと」
「うーん」
物言わぬ犬であれば納得したかもしれないが、相手は偉そうな口ぶりのセルシウスなのだ。恩義があるという爺さんさえオンスと呼び捨てにする犬なのだ。
「一緒に遊ぶとか」
「なにをして?」
「愛情たっぷり可愛がってあげるとか」
「…俺にできると思ってるのか」
なにを想像したのか、モルが笑い出す。
「ばかにしてるんだな」
「違う違う、ごめん。でも冗談じゃなくて、ベルスタなりの精一杯で新しい家族だぞって教えてあげたらいいんだよ」
孤児院育ちの俺にとって、それは何よりの難題だ。
「犬に伝わるもんか」
モルが茶を飲んでいる間に来週の注文リストを書き出す。リストにはもちろん新聞を加えた。
◇◇◇
「おもしろい記事はあったか?」
モルが帰ってからしばらくしてセルシウスは戻ってきた。俺はかまどに立ち、豚の塩漬けと芋とミルポアでスープをつくっていた。
セルシウスはくわえていた新聞を差し出した俺の手に預けて、「ああ、おもしろすぎて腹が立つよ」と言った。
「文字も読めるとはな」
「ふふん、お前より賢いぞ」
「…ベルスタ、だ」
意味がわからないと首を傾げるので、しゃがみこみ目線を合わせて、「俺の名前はベルスタだ。お前、なんて呼び方はやめてくれ」と言い直した。それから立ち上がってセルシウスの頭をわしわしと撫でる。
モルの言ったさびしいだ家族だという前に、偉そうな口調からくる見下されている感じをどうにかしたい。
「一緒に暮らしてるんだ、名前くらい呼んでくれてもいいだろう」
「はは、しおらしいことを」
はぐらかそうとするので、「セルシウス」とたしなめる。
「…わかったよ。たいして話もしない相手に一体どういう心境の変化なのか」
「礼儀の問題だ」
「犬に礼儀を求められてもな、だいたい年齢なら私のほうが上なんだぞヒヨッコが。まあ私は寛大だから若輩の戯言として流してやるよ」
ヒヨコ呼ばわりとは恐れ入る。犬の寿命はせいぜい十五年くらいじゃないのか。つくづく得体が知れない。
「それより今晩からしばらく出かける。私が不在中もしっかり羊たちを守るんだぞ」
出かける?
「しばらくとはどれくらいだ」
「二、三日か、一週間か。もし戻らなければ運が悪かったということだ。さあ、腹ごしらえをするぞ。うまそうな匂いのするスープだな」
戻らない可能性もあるのか。一体どこへなにをしに行くつもりなのか。聞いておきたいが、俺にはしゃべる犬の核心を知る資格がないように思う。
「もう少し煮るから待て…」
「なんだまだ食えないのか」
セルシウスはかまどの前に座り尻尾をはたはたと揺らす。出来上がるまでそうしているつもりなのか。揺れる尻尾を横目で見ながら、犬も旅支度をするのか気になった。それくらいなら聞いてもいいだろうか。
「準備はいいのか、荷物をまとめたり」
「…犬に荷物がまとめられると思っているのか」
冷静に返されると若干腹がたつ。
「思ってない。聞いてみただけだ。首輪をしてないんだから野犬に間違われて無駄死にするなよ」
尻尾の揺れがぴたりと止まる。
「ふむ…それは考えていなかった。首輪か…、あると安心だが。ここには適したものがないだろう」
「たしかに山小屋には……あ」
「あ?」
「いや…、うーん」
「なんだ」
「……サッシュならある」
「却下。そんなもの犬の首輪には使えない」
「持ってきてみよう」
「待て待て待て」
サッシュは貰い物だった。軍を辞める際、隊長が記念にくれたものだ。俺はヒラの斥候だったから勲章を飾る必要もなく自分の官服にサッシュは付いていない。
屋根裏へ上がり、私物を入れた木箱から朱色の布地に金糸で刺繍がされたサッシュを取り出す。これを掛けていれば、間違っても野犬には見えないはずだ。
セルシウスは梯子の下で待っていた。
「それじゃ長すぎる」
「そうだな」としばらく考えてから、「いや大丈夫だ、ほら来い」と言っても来ないので俺から行く。
「目立つのは困るんだ」
「無駄死にするよりいいだろう」
サッシュとは細長い布だ。座っているセルシウスの背後にまわり、サッシュが弛まないように口でくわえつつ肩から前脚を通して背へ、それからもう片方の肩も同じように通して背中で結ぶ。片腕でも口を使えばどうにかなる。
蝶々結びをしたからセルシウスは背中にリボンを背負ったような恰好になった。
「なんだ、どうなっている」と背中を気にするセルシウスに、「動きにくさや支障はあるか」と聞いてみる。
「いや、問題ないが…」
「そのサッシュはお世話になった方からいただいたんだ。きっと良い御守りになる」
「お前な、こんな使い方をして贈ってくれた方に失礼だろう」
「そんな狭量な方じゃない」
「いやいや、お前がそう思っていてもな」
どうして名前くらい呼べないのか。
「外したければ自分で外せ。まあ犬には無理だろうが」
「な!」
「そろそろスープもできる頃合いだ。腹ごしらえでもなんでもしてさっさと出かけてくれ」
スープをよそうまでの間、セルシウスはサッシュの端を捕まえられないかと、自らの背中を追いかけてくるくると回っていた。
「うーん」
物言わぬ犬であれば納得したかもしれないが、相手は偉そうな口ぶりのセルシウスなのだ。恩義があるという爺さんさえオンスと呼び捨てにする犬なのだ。
「一緒に遊ぶとか」
「なにをして?」
「愛情たっぷり可愛がってあげるとか」
「…俺にできると思ってるのか」
なにを想像したのか、モルが笑い出す。
「ばかにしてるんだな」
「違う違う、ごめん。でも冗談じゃなくて、ベルスタなりの精一杯で新しい家族だぞって教えてあげたらいいんだよ」
孤児院育ちの俺にとって、それは何よりの難題だ。
「犬に伝わるもんか」
モルが茶を飲んでいる間に来週の注文リストを書き出す。リストにはもちろん新聞を加えた。
◇◇◇
「おもしろい記事はあったか?」
モルが帰ってからしばらくしてセルシウスは戻ってきた。俺はかまどに立ち、豚の塩漬けと芋とミルポアでスープをつくっていた。
セルシウスはくわえていた新聞を差し出した俺の手に預けて、「ああ、おもしろすぎて腹が立つよ」と言った。
「文字も読めるとはな」
「ふふん、お前より賢いぞ」
「…ベルスタ、だ」
意味がわからないと首を傾げるので、しゃがみこみ目線を合わせて、「俺の名前はベルスタだ。お前、なんて呼び方はやめてくれ」と言い直した。それから立ち上がってセルシウスの頭をわしわしと撫でる。
モルの言ったさびしいだ家族だという前に、偉そうな口調からくる見下されている感じをどうにかしたい。
「一緒に暮らしてるんだ、名前くらい呼んでくれてもいいだろう」
「はは、しおらしいことを」
はぐらかそうとするので、「セルシウス」とたしなめる。
「…わかったよ。たいして話もしない相手に一体どういう心境の変化なのか」
「礼儀の問題だ」
「犬に礼儀を求められてもな、だいたい年齢なら私のほうが上なんだぞヒヨッコが。まあ私は寛大だから若輩の戯言として流してやるよ」
ヒヨコ呼ばわりとは恐れ入る。犬の寿命はせいぜい十五年くらいじゃないのか。つくづく得体が知れない。
「それより今晩からしばらく出かける。私が不在中もしっかり羊たちを守るんだぞ」
出かける?
「しばらくとはどれくらいだ」
「二、三日か、一週間か。もし戻らなければ運が悪かったということだ。さあ、腹ごしらえをするぞ。うまそうな匂いのするスープだな」
戻らない可能性もあるのか。一体どこへなにをしに行くつもりなのか。聞いておきたいが、俺にはしゃべる犬の核心を知る資格がないように思う。
「もう少し煮るから待て…」
「なんだまだ食えないのか」
セルシウスはかまどの前に座り尻尾をはたはたと揺らす。出来上がるまでそうしているつもりなのか。揺れる尻尾を横目で見ながら、犬も旅支度をするのか気になった。それくらいなら聞いてもいいだろうか。
「準備はいいのか、荷物をまとめたり」
「…犬に荷物がまとめられると思っているのか」
冷静に返されると若干腹がたつ。
「思ってない。聞いてみただけだ。首輪をしてないんだから野犬に間違われて無駄死にするなよ」
尻尾の揺れがぴたりと止まる。
「ふむ…それは考えていなかった。首輪か…、あると安心だが。ここには適したものがないだろう」
「たしかに山小屋には……あ」
「あ?」
「いや…、うーん」
「なんだ」
「……サッシュならある」
「却下。そんなもの犬の首輪には使えない」
「持ってきてみよう」
「待て待て待て」
サッシュは貰い物だった。軍を辞める際、隊長が記念にくれたものだ。俺はヒラの斥候だったから勲章を飾る必要もなく自分の官服にサッシュは付いていない。
屋根裏へ上がり、私物を入れた木箱から朱色の布地に金糸で刺繍がされたサッシュを取り出す。これを掛けていれば、間違っても野犬には見えないはずだ。
セルシウスは梯子の下で待っていた。
「それじゃ長すぎる」
「そうだな」としばらく考えてから、「いや大丈夫だ、ほら来い」と言っても来ないので俺から行く。
「目立つのは困るんだ」
「無駄死にするよりいいだろう」
サッシュとは細長い布だ。座っているセルシウスの背後にまわり、サッシュが弛まないように口でくわえつつ肩から前脚を通して背へ、それからもう片方の肩も同じように通して背中で結ぶ。片腕でも口を使えばどうにかなる。
蝶々結びをしたからセルシウスは背中にリボンを背負ったような恰好になった。
「なんだ、どうなっている」と背中を気にするセルシウスに、「動きにくさや支障はあるか」と聞いてみる。
「いや、問題ないが…」
「そのサッシュはお世話になった方からいただいたんだ。きっと良い御守りになる」
「お前な、こんな使い方をして贈ってくれた方に失礼だろう」
「そんな狭量な方じゃない」
「いやいや、お前がそう思っていてもな」
どうして名前くらい呼べないのか。
「外したければ自分で外せ。まあ犬には無理だろうが」
「な!」
「そろそろスープもできる頃合いだ。腹ごしらえでもなんでもしてさっさと出かけてくれ」
スープをよそうまでの間、セルシウスはサッシュの端を捕まえられないかと、自らの背中を追いかけてくるくると回っていた。
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