サヨナラの終わり

Pero

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サヨナラの終わり その38

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 安来から帰ってきた翌日、僕は優里に手紙を書いた。

 手紙には「昨年のクリスマスイブは夜遅くに電話をしたことを思い出す。九月にあのような形で別れてしまったけど、君は今どうしているのか?
 松江で知り合って以来つき合いのあった女性との赤ん坊は、この世を見ることなく流産してしまった。そして彼女とも終わってしまった。勝手なことを言うと責められても仕方がないが、君が今どうしているのかとても心配だ」というようなことを書いた。

 返事はきっと来ないだろうと思った。

 大晦日から年末年始そして十日戎と、テキ屋にとってはかき入れどきの二週間程を、僕は何も考えずに働いた。

 黙々とたこ焼きや焼きそばを売る僕は、テキ屋仲間が声もかけられないような雰囲気を発していたようだった。

 深夜露店を閉じて事務所に戻り、そのままソファーで数時間仮眠をして、下着だけを着替えて再び朝からバイに出た。

 露店では客がひっきりなしに来た。飛ぶように売れるから次々と材料を焼いた。

 僕は何も考えないように努めた。そういう状態に自分を置かなければ、気持が崩れてしまいそうだった。


 安東総業の新年会を兼ねた打ち上げが一月半ばにナンバ花月近くの料亭で行われた。
 昨年はモツ鍋屋だっただけに、この一年ずいぶん儲けたようだ。

 テキ屋衆の数もかなり増えていた。安東総業は暴力団事務所ではない。レッキとした物産会社だ。

 世間ではテキ屋をヤクザや暴力団組織とつながっていると決め付けているが、厳密に言えばそうではない。

 確かに組織の中にいくつかの部門があって、他の部門の上層部には、ときに暴力的な行為を伴って何らかの業を行うこともあるようだったが、テキ屋自体は全国各所の祭事には必要な商売であり、一概にはヤクザが絡んでいるとは言えない。

 祭事のある地域のいわゆる庭場を仕切っている世話人がいて、そういう人の中に暴力団に属する人がいるのは事実だが、基本は世話人だ。

 世話人がいるからこそ出張するテキ屋が安心してバイに専念できる。場所決めやネタ元の紹介など、庭場の世話人が不在だと混乱してしまうのだ。

「皆さん、年末からずっとお疲れさんでした。特にトラブルや不都合もなく無事に年末年始の大事な時期を乗り切れましたのも、皆さんの仕事に対する真剣な姿勢と、そして頑張りと協力のおかげですわ。
 今年一年、身体にはくれぐれも注意して、家族を大切にして、そして我々仲間の暮らしを守りながら頑張っていきましょう」

 昨年同様、岡田の挨拶から新年会がはじまった。
 岡田の挨拶の言葉は昨年もそうだったが、僕はとても素晴らしいと思った。

「頑張りと協力と、そして仲間の暮らしを守る」が、社会の半端ものであるテキ屋の基本なのだ。
 僕はテキ屋衆の仲間を愛した。

「小野寺、お前ここ半年くらいちょっとおかしかったな。今日は朝まで俺に付き合えよ。何があったか知らんがちゃんと話せ」

 場が盛り上がってきたころに岡田が僕の近くの席に移動して来てそう言った。

「何もないですよ、岡田さん」

「アホぬかせ、俺が気付いてないとでも思ってるんか?俺は分かってるつもりやで、小野寺。お前、大学には全然行ってないやろ。テキ屋のバイトに深入りしてしもうたのが原因やったら俺にも責任があるんや。
 そやから、何があったのか教えろな。この店終わったら一応オヒラキにするよって、俺について来い」

 岡田はそう言って向こうに行ってしまった。いつも強引な男だと思ったが、僕は正直嬉しかった。

 岡田のあと少ししてから、山本がビール瓶を二本持って僕の席の隣に来た。
 僕はテキ屋衆からこのように気にしてもらっていることに、本当は涙が出るくらい嬉しかった。

「小野寺君、一年は早いなあ。まあ一杯いかんか」

 彼は僕のグラスにビールを注いだ。

「山本さん、こんな僕を気にかけてくれてありがとうございます」

 僕はこころの中で礼を言った。僕は彼の欠落した小指にさえ親しみを覚えた。

「どや、最近は?夏祭りにはちょっとだけ来とったみたいやが、そのあと見かけなかったから、大学が忙しいのかと思っていたんや。それはそれでいいことなんだがな。そしたら年末年始にビッシリ入ってくれとったからな。それと小野寺君、アンタの顔付きがちょっと変わってきとるから、何かあったのかと心配しとったんやがな」

 山本と話をするのも久しぶりだった。

「顔付きがどんなふうに変わりましたか?」

「そうよな、どういうのか、何か世間に背を向けたようなと言うのか、投げやりになっとるみたいな感じがするのう。いったいどうしたのかと気になっておったんや」

 山本は考えながら言った。

「山本さんの言うとおりになりましたよ。山本さんは人生を分かっていらっしゃるから、僕は凄い人だと思っています。僕はすべてを失くしました」

 かなり酔いが回ってきたこともあって、僕は少し呂律が回らなくなっていた。

「何があったんや、小野寺君」

 山本はいつもの見据えるような眼光の鋭さで訊いてきた。

 この射抜くような鋭さが戦争で生死を彷徨った挙句、生きて帰還した人間の目なのだろう。甘い生き様の僕など比べるべくもない眼光だ。

「山本さんに言われましたよね。世の中、二つに一つや。金がないなら稼ぐだけ稼いでから大学へ行けばいい。働きながら大学で勉強するなんて都合のよい話があるか。そんなものうまく行かんに決まっとる。
 女も同じ。ひとりだけを大事にするのが渡世の仁義や。複数の女と付き合う奴はトラブルになるに決まっとるってね。憶えてますか、山本さん」

「ワシ、そんな偉そうなこと言ったか?」

「言われました。でも正論でした。山本さんは凄い人です。本当に山本さんの言うとおりになってしまったんです・・・」

 優里と江美がもう手の届かないところへ行ってしまったと思うと、何もする気がなくなっていた。

 それを解決するには、何も考えなくてよい何かをし続けて自分を痛めつけないとどうにもならなくなっていた。
 山本の顔が揺れて見えるほど、僕は激しく酔った。

「岡田はん、小野寺君、ちょっと参ってるようやな。いったい何があったんや?」

 山本が心配して岡田を呼んでいる声が微かに聞こえた。
 新年会のあと岡田の行きつけの韓国クラブへ、僕はまるで引きずられるように連れて行かれた。

 その店で僕は泣きながら酒を浴びるように飲んだ。
 もう何もかもがどうでもよくなった。

 ホステスの女の子が「いったいどうしたの?」と一緒になって泣いてくれた。可愛くてとても素敵な女の子だった。

 僕は自分の感情をどうにも抑えられず、声をあげて子供のように泣き続けた。「泣かせておいてやってくれ」という岡田の静かな声が遠くに聞こえ、そして僕は意識をなくした。


 翌日、目が覚めるといい匂いのするベッドに寝ていた。
 慌てて起きようとしたが背中が痛んで起き上がれなかった。いったいここはどこなのだと部屋を見渡した。

 部屋の隅にはドレッサーがあり、たくさんの女性の化粧品類が置かれていた。
 もしかしたら昨夜一緒に泣いてくれたホステスの女の子の部屋なのだろうか。ともかく帰らないといけない。

「おう、目が覚めたか、よう寝てたな小野寺よ。俺はびっくりしたぞ、昨晩のお前には」

 隣の部屋から岡田が現れた。どうやら岡田のマンションのようだった。

「まだ寝とってもかまわんぞ。ベッドの主は仕事に出てるからな。俺のこれや」と岡田は小指を立てて少し苦笑いをして言った。

「小野寺、あとでちょっと喫茶店でもいくか。起きれるまで寝とけ」

「大丈夫です、今すぐ起きます。ちょっと顔だけ洗わせてください」

 時計を見ると、もう十一時前だった。少し気分が悪かったが二日酔いの頭痛はなかった。

 岡田はマンションの一階にある喫茶店に僕を連れて行った。
 マンションの前の道路の向こうに大阪環状線の高架が見えた。

「酔っ払ったらお前は大変やな。俺、往生したわな、ホンマに」

 岡田はコーヒーを啜ってから言った。

 僕は猛烈に腹が空いていたのでトーストをかじり、コーヒーを飲んだ。

「おかしな奴やで、お前は」と岡田はさらに言った。

「すみません、何かご迷惑をかけていたら謝ります。全然憶えていないんです」

「まあそれはええ。誰でも飲んで酔っ払いたい日があるからな。それよりもお前、何があったんや?それが心配なんや」

 岡田は本当に心配そうな顔をして言った。

 岡田は三十歳を越えて、口髭を生やすようになり、ますます貫禄が出てきた。
 立ち居振る舞いは完全なヤクザに見えた。

「恥ずかしいから本当は言いたくないんですけど、ずいぶん前から僕はふたりの女性と付き合っていたんです。どっちも凄く素敵な女性で、本当にふたりとも好きなんですよ。でもいろいろあって、結局は二人とも失ってしまったってわけです。
 山本さんにも言われたことがあるんですが、ふたりとうまくやろうってこと自体が渡世の仁義に反する。絶対にうまくいくはずはないってね。そのとおりになりました」

 僕は昨夜、山本にも同じようなことを言った記憶がある。

 こんな恥ずかしい話は、もう岡田でやめにしよう。もう誰にも言わないでおこう、自分の恥部なのだからと思った。

「もうそれはええやないか、小野寺よ。大学へ行け。大学には長いこと行ってないやろが?俺には分かるぞ、お前が大学に行っていないことくらいは。金の苦労しながら大学へ行っているときの顔と今のお前の顔は違う。金が足らんかったらバイトに来い。分かったな」

 岡田はしばらく黙ってコーヒーを飲んだあと、僕の目を見据えて言った。

「お前は俺の弟分やからな、大学は卒業して欲しいんや。俺にはないものをお前は一杯持ってるんやから」

 そう言って岡田はジャケットの内ポケットから茶封筒を出して僕の前に置いた。

「何ですか、これは?」

「授業料、払っておけ。叔父や言うて大学に確認したら、事務局とかいう人間が、お前、授業料未納で除籍とか何とかの処分前やと言うとったぞ。ともかくすぐに払って来い」

 僕は岡田の前で泣いた。

 その涙は嬉しいからだけではなく、自分自身の情けなさからのものでもあった。

「何やお前、泣く奴があるか。渡世はもっともっとシンドイことがいっぱいあるぞ。しっかりせんか、小野寺よ」

 僕は大学へ戻ろうと思った。


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