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5巻
5-3
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ラウラリスはプレートを手で弄び、ニッと笑って懐に戻した。
「贔屓ついでにちと話を聞きたい」
「半月ほど前に殺された男のことですか」
「話が早いね」
「お連れ様はハンター。今この町で起こっていることを考えれば、ただ酒を楽しみに来たというのは無理があります」
ちなみに、アイルの方は出された酒の美味さに絶句し、一口一口を頭に刻み込むように集中してちびちび味わっていた。
「お客様の情報を漏らすのはあまりよろしくはありませんが、剣姫ほどの御仁であるのならば良いでしょう。とはいえ、情報の出所は他言されぬようお願いいたします」
「助かる。話を聞く間にもう一杯、馳走になるよ」
「ご安心ください。当店の自慢は先の一杯だけではございませんので」
「これは参った。話を聞くことの方がおまけになっちまいそうだ」
ラウラリスはくすくすと笑うと、小皿に載ったツマミを口に含むのであった。
いくつかの殺人事件の調査を行ったラウラリスは、宿の一室でアイルと得た情報の見直しをしていた。
「アイルのおかげで、下調べをする手間が省けたのは僥倖だ。でなけりゃぁ、あと三日ほどは時間がかかってたよ」
「私一人だったら、これだけ調べるのに最低でも半月はかかってたよ……」
明るい声のラウラリスに対して、若干落ち込み気味のアイル。
「気落ちしなさんな。私は偶然に伝手があっただけだよ。何もない状況ならあんたの見立てと同じくらいに時間がかかってたさ」
「だとしてもどんな伝手なんだよ。現場も酒場も二度目以降はほとんど顔パスだったじゃないか。何をどうしたらあんな伝手ができ上がるのさ」
「だから偶然だって言ってるだろ。……いや偶然のはず。なんか色々と巻き込まれたのもきっと偶然。…………偶然だよな?」
「いや、私に聞かれても」
少しばかり神妙な顔つきで顎に手を当てるラウラリス。八割ほどは自分から首を突っ込んだ結果だが、残りの二割ほどは単なる巡り合わせだ。つまりはきっと偶然のはずである。
「ともあれ、面白い話が聞けたのはデカいな。特にあの酒場は良かった。美味い酒と美味い話をたっぷりご馳走になった」
「私は最初の一杯以外は飲めなかったけどね。あまりにも高すぎて」
「懐具合が淋しいのかい?」
「どこかの誰かさんにご飯を山ほど奢らされたからね! 本来だったら、あの酒場で二度三度は楽しめるくらいはあったのに!」
「そりゃ残念だった」
酒場でラウラリスが美味そうに高い酒を飲む側で、アイルは恨めしい目でちまちまと水を飲んでいた。ラウラリスが奢ったのは最初の一杯だけであった。
「冗談はそこそこに、真面目な話をしようか」
「誰のせいで……」
不満を吐き出しきれていないアイルを見てカラッと笑ったあと、ラウラリスは手元の紙に目を落としながら真面目な顔になる。
「殺されたのはこれまでで六人。聖人と呼べるほど善人じゃないが、致命的に悪人と呼べるほどでもない。特別に羽振りが良かった風でもなく、小金持ちが真っ当に趣味を楽しむ程度には金払いが良かったと」
紙に記されているのは、殺された人間の詳しい人柄や事件前後の様子。とにかく調べた情報の限りをラウラリス達が片っ端から書き出したものだ。
「商売上、多少の恨みは買っていただろうけど、殺されるほどに恨まれるような阿漕な商売はしてなかった――調べた限りではね」
「あるいは、後ろ暗い商売を表の知り合いにはおくびにも出さないほど演技上手か」
「それを言い出したらキリがないよ」
「可能性は低いが、頭の片隅に留めとく程度だな。とりあえずは除外して良いか」
他には、献聖教会支部の騎士団屯所に残されたそれまでの事件の現場記録。高級酒場からの紹介で他の酒場にも伝手ができ上がり、聞き取ることができた被害者達の人物像。あるいは街中で聞き取った少しでも気になった噂話等々だ。
「殺された内の二人は危機感を覚えて護衛にハンターを雇ったが、もろとも殺されてる。それを数に含めりゃ二桁は死人が出てるか」
「雇われたのは、超一流とまではいかずとも腕利きと呼べるほどには達者の銀級達。それがあえなく全滅だ。おかげでギルドも少し及び腰になってる」
掲示板にこそ手配書は貼り出されているが、それがせいぜいだ。以前は護衛の依頼も貼り出されていたようだが、今は理由をつけて突っぱねているとか。腕の良いハンターの損失はそのままギルドの損失でもある。仕方がないだろう。
「……どう考える、ラウラリス」
手元から顔を上げたアイルが、ラウラリスを見据える。
「十中八九、玄人の仕業だな。それも暗殺に特化したやつだ」
視線を受けた彼女は、珍しくやや重たい口調で言葉を紡いだ。
殺された者達はいずれも、急所への一撃で仕留められている。護衛として雇われていたハンター達もだ。抗戦の形跡は僅かにあるが、致命傷以外の外傷はほとんど存在していない。
「どいつも、自室だったり閉じこもってた部屋だったりで死んでる。しかも部屋にはろくに争った形跡もないとくる。極め付けは殺されたハンターの一人だ」
「というと?」
「応戦しようとした形跡はあるが、剣を鞘に収めたまま殺されてるのがいる。こいつは致命傷以外は本当に無傷だ。つまり、護衛の中で最初に死んだやつは、不意打ちで仕留められたってことだ」
ガシガシとラウラリスは面倒臭そうに頭を掻いた。
「ギルドはこのことに気がついてるのか?」
「献聖騎士団と警備隊とそれなりに情報は共有してるはず。現場の状況で死んだハンターの状態は伝わってるだろうから、おそらくはね」
となると、必要になってくるのは対人戦闘に特化したハンターだ。普段は危険種を相手にしているような者達では分野が違いすぎる。
「私も可能性としては考えていたけど、剣姫のお墨付きが出るなら間違いないかな」
「献聖騎士団の方もわかってるはずだ。ただ、あそこは専守防衛が基本。明確に信者を害する輩が出てくればその限りじゃないが、でなければ表立って動くことはないだろう」
かつて、信者を巻き込んだ大規模なテロを画策していた集団がおり、それらに対しては一切の容赦もなく、献聖騎士団が総出で殲滅したという記録もあるにはある。ただやはり、献聖騎士団は守りが主題だ。
「現場の調査や記録に出張ってきてるのは、領主からの要請があったとしてもほとんど無償奉仕に近い。これ以上の助力を期待するのは難しいな」
「残念ながら、殺された人達は献聖教会の信徒ではなかったらしいし。もしそうだったら教会も本腰を入れていたかもしれないね」
「私としちゃぁ、直接的ではないにしろ知り合いの部下が殺される展開にならなくてほっとしてるがな」
「随分と冷たいことを言うんだ」
ラウラリスはしれっと薄情な台詞を吐き出す。アイルの口から僅かばかり責めるような言葉が漏れたが、声色や視線には特にそういったものは含まれていなかった。一応は聞いてみたというところなのだろう。
「殺されちまった奴らには多少の同情はあるが、それよりもまずはこれ以上死人が出るのを防ぐのが大事だ。同情して死ぬ奴らが減るならいくらでも同情してやるよ。事に全てをケリつけたあとでもね」
怒りや悲しみで思考を停止する暇があるのならば、いくらでも冷徹になれる。言外に述べたラウラリスは改めて思考を巡らせた。
「……本領じゃないとはいえ、最初の一人以外はハンター達も応戦しようとしてたんだ。それが一方的に殺された。となると、犯人の技量はかなりのもんだ。おまけに現場には痕跡らしい痕跡はほとんど残されてない。……ただ一つを除いてな」
「でも、今ラウラリス自身が言ったじゃないか。痕跡らしいものは残されていないって。他に残されてるのなんて、被害者の死体くらいしか……あ」
そこまで言って、アイルはハッとした顔になる。ラウラリスの言葉の意味にアイルも気がついたのだ。
「……もし暗殺のプロというのなら、そもそも『暗殺』という事実すら隠蔽できても不思議じゃない。なのに、過去六度の殺しで全て暗殺されたという事実が残されてる」
『殺す』だけならいくらでも手があったはずだ。強盗に見せかけたり、通り魔を偽装したり、事故死を誘発したり。であるのに、件の暗殺者は『暗殺』という痕跡を現場に残している。
判断材料はあったとはいえ、ラウラリスの僅かなヒントだけでここまで辿り着くあたり、やはりアイルも只者ではない。頭の回転は良さそうだ。
満足げに頷くラウラリスは改めて問いかける。
「理由はいくつか考えられるが、この手の話だと大きく分けて二つだ。わかるかい?」
アイルは目を瞑り一呼吸を経てから、ゆっくりと己の答えを吐露した。
「『見せしめ』か『報復』…………」
「あるいはその両方だ」
不思議とラウラリスは笑みを浮かべていた。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだった。
閑話 身から出た錆
ギルドの幹部ともなればその仕事量は膨大なものとなる。
寄せられた仕事に対する難易度の判断やハンターに支払う報酬の割合。市場に流す素材の調整。生態系を壊さぬ適切な狩猟量の設定。他にも職員の人事や給与体制、残業問題や職権濫用の防止等々。これだけの職務をこなすともなれば、書類作業とは無縁の現場から叩き上げで務めるのは酷な仕事だ。
多くのハンターは知らぬだろうが、ギルドの屋台骨を支えているのは、裏方で鍛えられてきた事務職である。
「頭の痛いことばかりだ、まったく」
もはや夜半を過ぎ、家族も寝静まった頃。仕事を自宅に持ち帰った一人の男が暗がりの部屋にランプに光を灯し、手元の書類を机に置いてため息を吐いた。
剣姫への監視を提言したギルドの幹部だ。
直前まで読んでいた書類は、剣姫の調査の一環で彼自身が部下に命じて調べさせていた報告を纏めたものだ。書かれていた内容そのものは無難であったが、事情を知る者が読めば大方はこの幹部と同じ反応を見せただろう。
「随分とお疲れのようだ」
「――――ッッ……どこかの誰かのせいでな」
突如として投げかけられた声に驚くものの、虚勢に近い意地でそれを噛み殺した幹部は疲れを色濃く含んだ言葉を返した。
声の方に目を向けると、彼がもっとも顔を見たくない人物が立っていた。部屋の扉に鍵はかけていなかったが、だとしてもいつ現れたのかは全くわからない。
「何の用だ」
「決まってる。監視任務の経過報告さ。現時点で判明していることを伝えに来たまでだよ」
「随分と早いな」
「それが持ち味でね。なかなかに面白い内容だから是非とも読んでいただきたい」
侵入者――アイルはクスリと笑みを浮かべると、取り出した数枚の紙を幹部に手渡した。
幹部は黙って紙を受け取り、紙面に目を通していく。
――十数分後。
報告書を読み終えた幹部の眉間には深い皺が浮かび上がっていた。
「…………ここに書かれていることは事実なのか」
「ええ、嘘偽りなく」
アイルの率直な肯定に、幹部は低い唸り声を上げるしかなかった。
大胆不敵とも取れる行動力は事前に調べていた通りではあったが、報告書に書かれている最大の懸念事項は監視対象が有する人脈だ。
「レヴン商会と献聖教会への伝手か」
「前者はおそらく本店の要職に属するレベルの大物。後者にしても、大司教クラスの人間に繋がりがありそうだ。下手するともっと上かもしれない」
「たかだか十六歳かその辺りの娘が繋ぐには不相応すぎる」
「でもきっと、彼女は相応になるほどの何かをしたんだろうね」
ラウラリスが商会と教会にまつわる仕事に携わっていたことは、幹部も知っていた。だが、想定していたものよりもはるかに重大な繋がりを得るに至っていた。
「そういえば、商会の方にはギルドも人を出してたよね。時期的に剣姫も無関係ではないだろうし、話は聞けないの?」
「商会との契約には、仕事内容の守秘義務も含まれていた。無理に聞き出そうとすればそれこそ商会との関係に悪影響を及ぼす」
レヴン商会の販路は、素材流通の大きな割合を担っている。事を荒立ててそれらが滞れば、ギルドにとって大きな損失だ。
「でも言い換えたら、剣姫と良好な関係を結ぶことができれば、教会や商会の重役と強固な繋がりを得られるとも取れる」
「どうだろうな。簡単にはいかんだろう」
魅力的な話をしたつもりであったが、幹部の返事は明るくなかった。アイルは首を傾げる中、ふと思い出す。
「ところで、私が部屋に入ってきた時も随分難しい顔をしてたけど?」
「……これを読んでみろ」
幹部はアイルが声をかけてくる直前まで読んでいた書類を渡した。
「なになに……剣姫が商会と接触する直前の行動?」
ギルドと国から派遣された騎士団の団員との合同作戦。内容はテロ組織『亡国を憂える者』の拠点襲撃。騎士団からの紹介で剣姫も参加しこれに尽力した――と書かれている。
ラウラリスが竜を一人で仕留めたという事実はハンターの間では噂話として広まっており、アイルも知っている。ただ、具体的にどういった経緯かは曖昧であった。
「剣姫は『亡国』を目の敵にしてると聞くし、なんら不思議じゃないけど」
「問題は剣姫を呼び込んだ騎士団の方だ」
幹部は返された書類を手の甲でパンと叩く。
「お前も『獣狩り』の噂は聞いたことがあるだろう。この騎士団は奴らが表立って動く際の隠れ蓑だ」
「あの無法集団か。つまるところ、そっちの方にも剣姫は繋がりがあるってことか」
秩序を守るため、時には法すら破って実力行使を行う非公式の国営組織。ギルドの幹部ともなればこの『闇』を知る機会はそれなりにあった。実際に、彼も獣狩りの無茶な要請に応じたことが幾度かあったが、事後処理に多方面への調整で大変な目に遭った。
「お前の言う通り、確かにあの剣姫という娘を起点に、二つの大きな組織と強い繋がりを築くというのは可能だろう。しかし、同時に面倒事も一緒についてくるのは必然だ。リスクとリターンを考えれば判断に迷う」
現時点では『保留』以上の答えを出すことはできない。他の幹部達も、これらの話を聞けば同じ判断を出すだろう。それほどに悩ましい話だ。
「ここまでくると、どこぞの王族の娘だの滅んだ国の血縁だのと言われても驚かなくなってきそうだ」
「気持ちは私も少し理解できる。あれはこの時代においての『劇薬』だ。当人がどう動こうとも周囲が反応せざるをえない。良いか悪いかは別にしてね」
ラウラリスの望む望まぬ如何にかかわらず、彼女は常に騒動の中心部にいた。実のところ、半分ほどは間違いなく当人のお節介と好奇心故であるが、そのような事情はこの場にいる二人には知る由もない。
――ついでに、幹部が口にした当てずっぽうは真実の一端を言い当てているのだが、やはりこの場にいる誰もがそれを確かめる術を持っていなかった。
椅子の背もたれに深く腰かけた幹部は、息を吐きながら肩を落とした。
「本音を言えば、この件からは手を引きたいところだ。調べれば調べるほどあの娘の異質具合がわかってくる」
「依頼を出した張本人が何を言っているの? それじゃぁ私が困る」
「どこかの誰かに脅迫されていなければさっさと取り下げている」
「ご愁傷様。それこそ、どこかの誰かさんがギルドの金に手を出していなければ、すぐにでも叶っていただろうね」
「……………………」
幹部はキッとアイルを睨みつけるが、当人は口元に手を当てて忍び笑いするだけだ。
ラウラリスへの監視。
表面上は、幹部がアイルへと依頼を出した形になっていたが、真実は逆だ。
――アイルが己に監視の依頼を出すように幹部を『脅迫』したのが本当の形である。
この幹部はギルドの資産に手をつけたのだ。理由は――魔が差したと言ったところだ。特別に深い事情があるわけでもない。
だがその手癖を見抜いた者がいたのだ。
「悪さなんてするもんじゃないね。だから、望まぬ仕事でも続けるしかなくなる。身から出た錆なんて言葉もあるけど、まさしく誰かさんにピッタリの言葉だ」
アイルはあえて名を口にしない。それがなおさらに幹部を挑発するとわかっているから。この事態を招いたのは彼自身の過ちであると理解させるためだ。
「安心して。あなたが彼女の調査を続けている限り、『横領』の証拠はどこにも漏れない。なんだったら隠蔽の手助けすらしてくれるかもしれないよ」
「……経過報告が済んだのならさっさと出ていってもらおう。それと、ノックもなしに人の部屋に入るのはこれ以降は勘弁願いたいな」
苦虫を噛み潰したような顔になった幹部は、部屋の扉に目を向けながらアイルへ退出を促した。
「良いよ。とりあえず報告は果たせたし、私も面白い話を聞けたからね。それと、これから忙しくなりそうだから、しばらくはこっちに来ないよ」
「二度と来ないで結構だ」
「まぁそう言わずに――くれぐれも諸々の件はご内密に」
次に幹部がアイルに目を向けた時、既に人の姿は存在していなかった。
第三話 名君とババァ
調査を継続していた二人だが、あまり悠長にもしていられなかった。
殺人は一定の周期で行われており、数日の前後はあれどそろそろ次の事件が起こる時期が迫ってきていた。
このまま進展がなければまた次の犠牲者が出てくる。
少しでも手がかりを得ようと、殺された者達の近辺のみならず様々なところで聞き込みをするラウラリス達であったが、暗殺者に直接繋がるような話を聞くことはできなかった。
「急いては事をし損じる、とはよく言うか」
民家の外壁に背中を預けたラウラリスはぼやく。今は一人で行動中だ。アイルとは後程合流する予定である。
ふと空を見上げると、一羽の鳥が空の低い位置を飛んでいた。この辺りではあまり見かけない類だ。大きく翼を広げて宙を舞う光景は感慨深いものがある。
鳥が視界から消えるとラウラリスは視線を元に戻し、思案に戻った。
「こんな状況だってのに、むしろ領主様を気遣う声が出てくるくらいだ」
殺人犯がのさばっている現状。ハンターギルドや警備隊。他にも献聖騎士団の怠惰だと不満を募らせる住民は少なくない。実際にそういった声はラウラリスも聞いた。彼女をハンターだと思い、険しい目を向けてくる者もいた。
一方で、領主への不平不満を口にする者はいなかった。いたとしても非常に少数であった。領主への信頼が厚いことの証左だ。
今でこそ暗い雰囲気に包まれているこの街であるが、それ以前は周辺の街に比べて大きな賑わいを見せていたようだ。一際目を惹く特産品があるわけではなかったが、交易要所としての発展を遂げている。
もっとも、ここまでくるのに順風満帆というわけでもなかった。
現在の領主が先代から今の地位を引き継いだのは十年ほど前であったが、その前後は天災が立て続けに襲いかかり、かなり困窮していたようだ。だが、領主の見事な手腕によって踏み留まり、今日に繋がっているのだという。
故に、今回のこともきっと領主がなんとかしてくれるという期待が集まっている。
「こりゃぁ領主さんも大変だねぇ」
殺人犯の捕縛なんて門外漢もいいところだ。その辺りをわかっているからこそ領主も予算を投じてギルドに手配書を回させているのだ。そう考えるとやはりこの街の領主は人の扱い方というのをわかっているのだろう。
「ラウラリス!」
見ればアイルがこちらへ小走りに向かってきている。
「お疲れさん。何かわかったかい?」
「それが全然だよ。もう正直なところ、何をどう探ればいいのかさっぱりだ」
アイルはお手上げとばかりに肩を竦めた。
「でも、やっぱり。ハンターも含めてどこか街の空気がピリピリしてるのは歩いてて感じたよ。みんな、次の犠牲者が誰なのか、もしかしたら自分じゃないかって危惧しているんだろうね」
「犯人が暗殺者なら、一般人に被害は出ないんだろうが……そいつを喧伝してやるわけにもいかないからねぇ」
ラウラリスの中ではほとんど確定に近い情報であったが、かといって確固たる証拠があるわけでもない。悪戯に情報を広めればかえって面倒な混乱を引き起こしかねない。つまりは放置するしかなかった。
「やっぱりあれから調べたけど、被害者は殺されるほどに恨まれてる感じはしなかったよ。やられてもせいぜい、怪我を負わせる闇討ちくらいなもんだよ。その結果、加減を間違えて死んでしまったというのならまだわかるけど」
「でも実際に死人は出てるんだ。奴ら、自らの殺しを喧伝してる」
通常は殺害現場に『殺人』という証拠を残さないのが暗殺者だ。だが、それが己の殺しを痕跡として残す場合、その目的はいくつか考えられる。
そのうちの一つが、まだ生きている第三者、もしくは複数人を対象に『次はお前だ』という恐怖心を抱かせること。要人の関係者を暗殺し、相手陣への牽制を行うというものだ。まさしく外道の行いだが、後ろ暗い権力争いの中ではそれほど珍しいことではない。かつての帝国ではよくある話であった。
だがそうなると、次の問題が出てくる。
「贔屓ついでにちと話を聞きたい」
「半月ほど前に殺された男のことですか」
「話が早いね」
「お連れ様はハンター。今この町で起こっていることを考えれば、ただ酒を楽しみに来たというのは無理があります」
ちなみに、アイルの方は出された酒の美味さに絶句し、一口一口を頭に刻み込むように集中してちびちび味わっていた。
「お客様の情報を漏らすのはあまりよろしくはありませんが、剣姫ほどの御仁であるのならば良いでしょう。とはいえ、情報の出所は他言されぬようお願いいたします」
「助かる。話を聞く間にもう一杯、馳走になるよ」
「ご安心ください。当店の自慢は先の一杯だけではございませんので」
「これは参った。話を聞くことの方がおまけになっちまいそうだ」
ラウラリスはくすくすと笑うと、小皿に載ったツマミを口に含むのであった。
いくつかの殺人事件の調査を行ったラウラリスは、宿の一室でアイルと得た情報の見直しをしていた。
「アイルのおかげで、下調べをする手間が省けたのは僥倖だ。でなけりゃぁ、あと三日ほどは時間がかかってたよ」
「私一人だったら、これだけ調べるのに最低でも半月はかかってたよ……」
明るい声のラウラリスに対して、若干落ち込み気味のアイル。
「気落ちしなさんな。私は偶然に伝手があっただけだよ。何もない状況ならあんたの見立てと同じくらいに時間がかかってたさ」
「だとしてもどんな伝手なんだよ。現場も酒場も二度目以降はほとんど顔パスだったじゃないか。何をどうしたらあんな伝手ができ上がるのさ」
「だから偶然だって言ってるだろ。……いや偶然のはず。なんか色々と巻き込まれたのもきっと偶然。…………偶然だよな?」
「いや、私に聞かれても」
少しばかり神妙な顔つきで顎に手を当てるラウラリス。八割ほどは自分から首を突っ込んだ結果だが、残りの二割ほどは単なる巡り合わせだ。つまりはきっと偶然のはずである。
「ともあれ、面白い話が聞けたのはデカいな。特にあの酒場は良かった。美味い酒と美味い話をたっぷりご馳走になった」
「私は最初の一杯以外は飲めなかったけどね。あまりにも高すぎて」
「懐具合が淋しいのかい?」
「どこかの誰かさんにご飯を山ほど奢らされたからね! 本来だったら、あの酒場で二度三度は楽しめるくらいはあったのに!」
「そりゃ残念だった」
酒場でラウラリスが美味そうに高い酒を飲む側で、アイルは恨めしい目でちまちまと水を飲んでいた。ラウラリスが奢ったのは最初の一杯だけであった。
「冗談はそこそこに、真面目な話をしようか」
「誰のせいで……」
不満を吐き出しきれていないアイルを見てカラッと笑ったあと、ラウラリスは手元の紙に目を落としながら真面目な顔になる。
「殺されたのはこれまでで六人。聖人と呼べるほど善人じゃないが、致命的に悪人と呼べるほどでもない。特別に羽振りが良かった風でもなく、小金持ちが真っ当に趣味を楽しむ程度には金払いが良かったと」
紙に記されているのは、殺された人間の詳しい人柄や事件前後の様子。とにかく調べた情報の限りをラウラリス達が片っ端から書き出したものだ。
「商売上、多少の恨みは買っていただろうけど、殺されるほどに恨まれるような阿漕な商売はしてなかった――調べた限りではね」
「あるいは、後ろ暗い商売を表の知り合いにはおくびにも出さないほど演技上手か」
「それを言い出したらキリがないよ」
「可能性は低いが、頭の片隅に留めとく程度だな。とりあえずは除外して良いか」
他には、献聖教会支部の騎士団屯所に残されたそれまでの事件の現場記録。高級酒場からの紹介で他の酒場にも伝手ができ上がり、聞き取ることができた被害者達の人物像。あるいは街中で聞き取った少しでも気になった噂話等々だ。
「殺された内の二人は危機感を覚えて護衛にハンターを雇ったが、もろとも殺されてる。それを数に含めりゃ二桁は死人が出てるか」
「雇われたのは、超一流とまではいかずとも腕利きと呼べるほどには達者の銀級達。それがあえなく全滅だ。おかげでギルドも少し及び腰になってる」
掲示板にこそ手配書は貼り出されているが、それがせいぜいだ。以前は護衛の依頼も貼り出されていたようだが、今は理由をつけて突っぱねているとか。腕の良いハンターの損失はそのままギルドの損失でもある。仕方がないだろう。
「……どう考える、ラウラリス」
手元から顔を上げたアイルが、ラウラリスを見据える。
「十中八九、玄人の仕業だな。それも暗殺に特化したやつだ」
視線を受けた彼女は、珍しくやや重たい口調で言葉を紡いだ。
殺された者達はいずれも、急所への一撃で仕留められている。護衛として雇われていたハンター達もだ。抗戦の形跡は僅かにあるが、致命傷以外の外傷はほとんど存在していない。
「どいつも、自室だったり閉じこもってた部屋だったりで死んでる。しかも部屋にはろくに争った形跡もないとくる。極め付けは殺されたハンターの一人だ」
「というと?」
「応戦しようとした形跡はあるが、剣を鞘に収めたまま殺されてるのがいる。こいつは致命傷以外は本当に無傷だ。つまり、護衛の中で最初に死んだやつは、不意打ちで仕留められたってことだ」
ガシガシとラウラリスは面倒臭そうに頭を掻いた。
「ギルドはこのことに気がついてるのか?」
「献聖騎士団と警備隊とそれなりに情報は共有してるはず。現場の状況で死んだハンターの状態は伝わってるだろうから、おそらくはね」
となると、必要になってくるのは対人戦闘に特化したハンターだ。普段は危険種を相手にしているような者達では分野が違いすぎる。
「私も可能性としては考えていたけど、剣姫のお墨付きが出るなら間違いないかな」
「献聖騎士団の方もわかってるはずだ。ただ、あそこは専守防衛が基本。明確に信者を害する輩が出てくればその限りじゃないが、でなければ表立って動くことはないだろう」
かつて、信者を巻き込んだ大規模なテロを画策していた集団がおり、それらに対しては一切の容赦もなく、献聖騎士団が総出で殲滅したという記録もあるにはある。ただやはり、献聖騎士団は守りが主題だ。
「現場の調査や記録に出張ってきてるのは、領主からの要請があったとしてもほとんど無償奉仕に近い。これ以上の助力を期待するのは難しいな」
「残念ながら、殺された人達は献聖教会の信徒ではなかったらしいし。もしそうだったら教会も本腰を入れていたかもしれないね」
「私としちゃぁ、直接的ではないにしろ知り合いの部下が殺される展開にならなくてほっとしてるがな」
「随分と冷たいことを言うんだ」
ラウラリスはしれっと薄情な台詞を吐き出す。アイルの口から僅かばかり責めるような言葉が漏れたが、声色や視線には特にそういったものは含まれていなかった。一応は聞いてみたというところなのだろう。
「殺されちまった奴らには多少の同情はあるが、それよりもまずはこれ以上死人が出るのを防ぐのが大事だ。同情して死ぬ奴らが減るならいくらでも同情してやるよ。事に全てをケリつけたあとでもね」
怒りや悲しみで思考を停止する暇があるのならば、いくらでも冷徹になれる。言外に述べたラウラリスは改めて思考を巡らせた。
「……本領じゃないとはいえ、最初の一人以外はハンター達も応戦しようとしてたんだ。それが一方的に殺された。となると、犯人の技量はかなりのもんだ。おまけに現場には痕跡らしい痕跡はほとんど残されてない。……ただ一つを除いてな」
「でも、今ラウラリス自身が言ったじゃないか。痕跡らしいものは残されていないって。他に残されてるのなんて、被害者の死体くらいしか……あ」
そこまで言って、アイルはハッとした顔になる。ラウラリスの言葉の意味にアイルも気がついたのだ。
「……もし暗殺のプロというのなら、そもそも『暗殺』という事実すら隠蔽できても不思議じゃない。なのに、過去六度の殺しで全て暗殺されたという事実が残されてる」
『殺す』だけならいくらでも手があったはずだ。強盗に見せかけたり、通り魔を偽装したり、事故死を誘発したり。であるのに、件の暗殺者は『暗殺』という痕跡を現場に残している。
判断材料はあったとはいえ、ラウラリスの僅かなヒントだけでここまで辿り着くあたり、やはりアイルも只者ではない。頭の回転は良さそうだ。
満足げに頷くラウラリスは改めて問いかける。
「理由はいくつか考えられるが、この手の話だと大きく分けて二つだ。わかるかい?」
アイルは目を瞑り一呼吸を経てから、ゆっくりと己の答えを吐露した。
「『見せしめ』か『報復』…………」
「あるいはその両方だ」
不思議とラウラリスは笑みを浮かべていた。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだった。
閑話 身から出た錆
ギルドの幹部ともなればその仕事量は膨大なものとなる。
寄せられた仕事に対する難易度の判断やハンターに支払う報酬の割合。市場に流す素材の調整。生態系を壊さぬ適切な狩猟量の設定。他にも職員の人事や給与体制、残業問題や職権濫用の防止等々。これだけの職務をこなすともなれば、書類作業とは無縁の現場から叩き上げで務めるのは酷な仕事だ。
多くのハンターは知らぬだろうが、ギルドの屋台骨を支えているのは、裏方で鍛えられてきた事務職である。
「頭の痛いことばかりだ、まったく」
もはや夜半を過ぎ、家族も寝静まった頃。仕事を自宅に持ち帰った一人の男が暗がりの部屋にランプに光を灯し、手元の書類を机に置いてため息を吐いた。
剣姫への監視を提言したギルドの幹部だ。
直前まで読んでいた書類は、剣姫の調査の一環で彼自身が部下に命じて調べさせていた報告を纏めたものだ。書かれていた内容そのものは無難であったが、事情を知る者が読めば大方はこの幹部と同じ反応を見せただろう。
「随分とお疲れのようだ」
「――――ッッ……どこかの誰かのせいでな」
突如として投げかけられた声に驚くものの、虚勢に近い意地でそれを噛み殺した幹部は疲れを色濃く含んだ言葉を返した。
声の方に目を向けると、彼がもっとも顔を見たくない人物が立っていた。部屋の扉に鍵はかけていなかったが、だとしてもいつ現れたのかは全くわからない。
「何の用だ」
「決まってる。監視任務の経過報告さ。現時点で判明していることを伝えに来たまでだよ」
「随分と早いな」
「それが持ち味でね。なかなかに面白い内容だから是非とも読んでいただきたい」
侵入者――アイルはクスリと笑みを浮かべると、取り出した数枚の紙を幹部に手渡した。
幹部は黙って紙を受け取り、紙面に目を通していく。
――十数分後。
報告書を読み終えた幹部の眉間には深い皺が浮かび上がっていた。
「…………ここに書かれていることは事実なのか」
「ええ、嘘偽りなく」
アイルの率直な肯定に、幹部は低い唸り声を上げるしかなかった。
大胆不敵とも取れる行動力は事前に調べていた通りではあったが、報告書に書かれている最大の懸念事項は監視対象が有する人脈だ。
「レヴン商会と献聖教会への伝手か」
「前者はおそらく本店の要職に属するレベルの大物。後者にしても、大司教クラスの人間に繋がりがありそうだ。下手するともっと上かもしれない」
「たかだか十六歳かその辺りの娘が繋ぐには不相応すぎる」
「でもきっと、彼女は相応になるほどの何かをしたんだろうね」
ラウラリスが商会と教会にまつわる仕事に携わっていたことは、幹部も知っていた。だが、想定していたものよりもはるかに重大な繋がりを得るに至っていた。
「そういえば、商会の方にはギルドも人を出してたよね。時期的に剣姫も無関係ではないだろうし、話は聞けないの?」
「商会との契約には、仕事内容の守秘義務も含まれていた。無理に聞き出そうとすればそれこそ商会との関係に悪影響を及ぼす」
レヴン商会の販路は、素材流通の大きな割合を担っている。事を荒立ててそれらが滞れば、ギルドにとって大きな損失だ。
「でも言い換えたら、剣姫と良好な関係を結ぶことができれば、教会や商会の重役と強固な繋がりを得られるとも取れる」
「どうだろうな。簡単にはいかんだろう」
魅力的な話をしたつもりであったが、幹部の返事は明るくなかった。アイルは首を傾げる中、ふと思い出す。
「ところで、私が部屋に入ってきた時も随分難しい顔をしてたけど?」
「……これを読んでみろ」
幹部はアイルが声をかけてくる直前まで読んでいた書類を渡した。
「なになに……剣姫が商会と接触する直前の行動?」
ギルドと国から派遣された騎士団の団員との合同作戦。内容はテロ組織『亡国を憂える者』の拠点襲撃。騎士団からの紹介で剣姫も参加しこれに尽力した――と書かれている。
ラウラリスが竜を一人で仕留めたという事実はハンターの間では噂話として広まっており、アイルも知っている。ただ、具体的にどういった経緯かは曖昧であった。
「剣姫は『亡国』を目の敵にしてると聞くし、なんら不思議じゃないけど」
「問題は剣姫を呼び込んだ騎士団の方だ」
幹部は返された書類を手の甲でパンと叩く。
「お前も『獣狩り』の噂は聞いたことがあるだろう。この騎士団は奴らが表立って動く際の隠れ蓑だ」
「あの無法集団か。つまるところ、そっちの方にも剣姫は繋がりがあるってことか」
秩序を守るため、時には法すら破って実力行使を行う非公式の国営組織。ギルドの幹部ともなればこの『闇』を知る機会はそれなりにあった。実際に、彼も獣狩りの無茶な要請に応じたことが幾度かあったが、事後処理に多方面への調整で大変な目に遭った。
「お前の言う通り、確かにあの剣姫という娘を起点に、二つの大きな組織と強い繋がりを築くというのは可能だろう。しかし、同時に面倒事も一緒についてくるのは必然だ。リスクとリターンを考えれば判断に迷う」
現時点では『保留』以上の答えを出すことはできない。他の幹部達も、これらの話を聞けば同じ判断を出すだろう。それほどに悩ましい話だ。
「ここまでくると、どこぞの王族の娘だの滅んだ国の血縁だのと言われても驚かなくなってきそうだ」
「気持ちは私も少し理解できる。あれはこの時代においての『劇薬』だ。当人がどう動こうとも周囲が反応せざるをえない。良いか悪いかは別にしてね」
ラウラリスの望む望まぬ如何にかかわらず、彼女は常に騒動の中心部にいた。実のところ、半分ほどは間違いなく当人のお節介と好奇心故であるが、そのような事情はこの場にいる二人には知る由もない。
――ついでに、幹部が口にした当てずっぽうは真実の一端を言い当てているのだが、やはりこの場にいる誰もがそれを確かめる術を持っていなかった。
椅子の背もたれに深く腰かけた幹部は、息を吐きながら肩を落とした。
「本音を言えば、この件からは手を引きたいところだ。調べれば調べるほどあの娘の異質具合がわかってくる」
「依頼を出した張本人が何を言っているの? それじゃぁ私が困る」
「どこかの誰かに脅迫されていなければさっさと取り下げている」
「ご愁傷様。それこそ、どこかの誰かさんがギルドの金に手を出していなければ、すぐにでも叶っていただろうね」
「……………………」
幹部はキッとアイルを睨みつけるが、当人は口元に手を当てて忍び笑いするだけだ。
ラウラリスへの監視。
表面上は、幹部がアイルへと依頼を出した形になっていたが、真実は逆だ。
――アイルが己に監視の依頼を出すように幹部を『脅迫』したのが本当の形である。
この幹部はギルドの資産に手をつけたのだ。理由は――魔が差したと言ったところだ。特別に深い事情があるわけでもない。
だがその手癖を見抜いた者がいたのだ。
「悪さなんてするもんじゃないね。だから、望まぬ仕事でも続けるしかなくなる。身から出た錆なんて言葉もあるけど、まさしく誰かさんにピッタリの言葉だ」
アイルはあえて名を口にしない。それがなおさらに幹部を挑発するとわかっているから。この事態を招いたのは彼自身の過ちであると理解させるためだ。
「安心して。あなたが彼女の調査を続けている限り、『横領』の証拠はどこにも漏れない。なんだったら隠蔽の手助けすらしてくれるかもしれないよ」
「……経過報告が済んだのならさっさと出ていってもらおう。それと、ノックもなしに人の部屋に入るのはこれ以降は勘弁願いたいな」
苦虫を噛み潰したような顔になった幹部は、部屋の扉に目を向けながらアイルへ退出を促した。
「良いよ。とりあえず報告は果たせたし、私も面白い話を聞けたからね。それと、これから忙しくなりそうだから、しばらくはこっちに来ないよ」
「二度と来ないで結構だ」
「まぁそう言わずに――くれぐれも諸々の件はご内密に」
次に幹部がアイルに目を向けた時、既に人の姿は存在していなかった。
第三話 名君とババァ
調査を継続していた二人だが、あまり悠長にもしていられなかった。
殺人は一定の周期で行われており、数日の前後はあれどそろそろ次の事件が起こる時期が迫ってきていた。
このまま進展がなければまた次の犠牲者が出てくる。
少しでも手がかりを得ようと、殺された者達の近辺のみならず様々なところで聞き込みをするラウラリス達であったが、暗殺者に直接繋がるような話を聞くことはできなかった。
「急いては事をし損じる、とはよく言うか」
民家の外壁に背中を預けたラウラリスはぼやく。今は一人で行動中だ。アイルとは後程合流する予定である。
ふと空を見上げると、一羽の鳥が空の低い位置を飛んでいた。この辺りではあまり見かけない類だ。大きく翼を広げて宙を舞う光景は感慨深いものがある。
鳥が視界から消えるとラウラリスは視線を元に戻し、思案に戻った。
「こんな状況だってのに、むしろ領主様を気遣う声が出てくるくらいだ」
殺人犯がのさばっている現状。ハンターギルドや警備隊。他にも献聖騎士団の怠惰だと不満を募らせる住民は少なくない。実際にそういった声はラウラリスも聞いた。彼女をハンターだと思い、険しい目を向けてくる者もいた。
一方で、領主への不平不満を口にする者はいなかった。いたとしても非常に少数であった。領主への信頼が厚いことの証左だ。
今でこそ暗い雰囲気に包まれているこの街であるが、それ以前は周辺の街に比べて大きな賑わいを見せていたようだ。一際目を惹く特産品があるわけではなかったが、交易要所としての発展を遂げている。
もっとも、ここまでくるのに順風満帆というわけでもなかった。
現在の領主が先代から今の地位を引き継いだのは十年ほど前であったが、その前後は天災が立て続けに襲いかかり、かなり困窮していたようだ。だが、領主の見事な手腕によって踏み留まり、今日に繋がっているのだという。
故に、今回のこともきっと領主がなんとかしてくれるという期待が集まっている。
「こりゃぁ領主さんも大変だねぇ」
殺人犯の捕縛なんて門外漢もいいところだ。その辺りをわかっているからこそ領主も予算を投じてギルドに手配書を回させているのだ。そう考えるとやはりこの街の領主は人の扱い方というのをわかっているのだろう。
「ラウラリス!」
見ればアイルがこちらへ小走りに向かってきている。
「お疲れさん。何かわかったかい?」
「それが全然だよ。もう正直なところ、何をどう探ればいいのかさっぱりだ」
アイルはお手上げとばかりに肩を竦めた。
「でも、やっぱり。ハンターも含めてどこか街の空気がピリピリしてるのは歩いてて感じたよ。みんな、次の犠牲者が誰なのか、もしかしたら自分じゃないかって危惧しているんだろうね」
「犯人が暗殺者なら、一般人に被害は出ないんだろうが……そいつを喧伝してやるわけにもいかないからねぇ」
ラウラリスの中ではほとんど確定に近い情報であったが、かといって確固たる証拠があるわけでもない。悪戯に情報を広めればかえって面倒な混乱を引き起こしかねない。つまりは放置するしかなかった。
「やっぱりあれから調べたけど、被害者は殺されるほどに恨まれてる感じはしなかったよ。やられてもせいぜい、怪我を負わせる闇討ちくらいなもんだよ。その結果、加減を間違えて死んでしまったというのならまだわかるけど」
「でも実際に死人は出てるんだ。奴ら、自らの殺しを喧伝してる」
通常は殺害現場に『殺人』という証拠を残さないのが暗殺者だ。だが、それが己の殺しを痕跡として残す場合、その目的はいくつか考えられる。
そのうちの一つが、まだ生きている第三者、もしくは複数人を対象に『次はお前だ』という恐怖心を抱かせること。要人の関係者を暗殺し、相手陣への牽制を行うというものだ。まさしく外道の行いだが、後ろ暗い権力争いの中ではそれほど珍しいことではない。かつての帝国ではよくある話であった。
だがそうなると、次の問題が出てくる。
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