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第7章 それぞれのクエスト 編

第 425 話 透濁の水晶

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「そう……だったん……ですか……」

 エシャーの説明に小宮直子や加藤美咲が補足をし、ようやく内容を理解した柴田加奈は、動揺して目を泳がせる。どう応えれば良いのかが分からない。エシャーは申し訳なさそうに途中途中で謝りの言葉を挟んだが、加奈にとっては何故彼女が謝るのかが理解出来なかった。ただ1つハッキリと理解出来たことは……この3人は「私の全てを知っている」という事実―――加奈の瞳に怯えた警戒色が浮かぶ。

 この世界に連れて来られた時……加奈を出迎えたのは「バスの運転手」だった。状況が分からない加奈に運転手は「佐川」と名乗り、初めの内……ほんの数時間だったかも知れないが「大人の対応」で状況を説明してくれた。そして、意味不明の指示を出される。

 光る子どもが求める「輝くモノを創り出せ」という指示に、加奈は応えることが出来なかった。いや、佐川自身が、もはや光る子どもの要求など気にもしていなかったのだ。ただ加奈に「失敗」をさせ、その失敗を理由に責め立て、精神的優劣関係を構築し、そして……支配する。加奈は佐川の思い描く策にはめられ、あっという間に従属者に追い込まれてしまった。もちろん精神的支配だけでなく、あらゆる暴力による支配に置かれる中、いつしか佐川は加奈の「全ての情報」を手に入れていた。「全て」を知った上で佐川は加奈を利用し、極限まで凌辱し恥辱を与えたのだ。心底楽しそうに笑いながら……輝きながら……加奈が最も嫌悪する「お父さん」と同じように……

 そんな加奈の警戒に気付いた直子と美咲は視線を交わし合い、不測の動きに備えようとした。しかし、エシャーは「前提」を伝え終ると、食い入るような目で加奈を見つめて語り出す。

「だから……ねえ、カナ? 私は聞きたいの! カナは本当に、お母さんや『お父さん』のところに帰りたいの?」

「え……」

 唐突な質問に、加奈は声を洩らし返答に窮した。その様子に、エシャーは確信をもって語り続ける。

「本当はイヤなんだよね? サーガワーの言いなりになるのも、『お父さん』やお母さんのところに戻るのも……カナはホントは嫌なんだよね?」

「わ……私……私は……」

 オドオドと視線を泳がせ、加奈はエシャーからの問いに対する「良い子の答え」を必死に探す。だが、上手い言葉が見つからない。ただ、母親と「男」から何度も教え込まれた言葉以外に「良い子の答え」を思いつかなかった。

「私は……お母さんやお父さんと……一緒に居たい……」

「それはウソだよ! 私、分かるもん! カナの目は、本当の事を言ってない目だよ? 私の目はエルフの眼『真偽鑑定眼』だから、ちゃんと分かるんだよ!」

 加奈の定型返答に、エシャーは一気にまくし立てる。

「本当の気持ちを言って、カナ! そうしないと、いつまでもカナは黒水晶の中から出て来れないんだよ!」

「でも! お家に帰らないとお母さんに怒られちゃう!『お父さん』が怒らないように、言う事を聞く良い子にしてないと、お母さんから嫌われちゃう!」

 エシャーの剣幕に触発されたかのように、加奈は叫ぶように応えた。

「お母さんに嫌われたら私……どこに行けばいいの?! 帰る場所が無くなっちゃう!」

「カナはどこにだって行けるよ!」

 絶叫する加奈の声に被せ、もっと大きく、力強い声をエシャーが発した。その勢いに呑まれたように、加奈は目を大きく見開き口を閉ざす。エシャーは加奈の応答を心底喜ぶ満面の笑みを向けた。

「カナのお母さんは確かにカナを産んでくれた女の人だよ。だけどさ……カナはカナ、お母さんはお母さん……別々の存在だよ? カナを大事に想わない人の事なんか、カナが大事に想う必要なんか無い……そんな人のところに戻る必要は無いよ! そんなところ……カナの居場所なんかじゃない!……カナはカナを大事に想ってくれてる人のところに行って良いんだよ?……自分の居場所は自分で決めて良いんだよ!」

 エシャーは加奈の視線を誘導するようにゆっくり顔を動かし、そばに立つ美咲を見上げ、次いで、隣に浮かぶ光球体内の直子を見る。2人もエシャーの思いを汲み、加奈に優しく微笑みながらうなずいた。

「柴田さん……さあ、一緒に行きましょう?」

「私たちが居るわ。安心して、加奈さん」

 直子と美咲が光球体内でそれぞれの手を加奈に向かい差し伸ばす。エシャーは視線を加奈に戻した。加奈が怯えたような目で見返すと、エシャーはニマッと笑み「ね?」と小首をかしげ見せた。

「私も一緒だよ。オトモダチになろうね、カナ」

 語りかけながら手を差しだしたエシャーは、黒水晶の透明度が徐々に高まって行く変化に気付き、視線を美咲に向けた。美咲もその変化を承知しているようで、嬉しそうに微笑みを返す。

「私……帰らなくても……良いの? もう……」

 加奈は恐る恐る手を伸ばし始める。

「もう……『あの人』の言う事を……聞かなくても……良いの? 怒られない?」

「大丈夫だよ、カナ! 私たちがずっと一緒にいるから! 絶対に、守ってあげるから!」

 墨水のように濁っていた水晶が、真水のように透き通って行く。加奈は手を伸ばし、水晶の内壁に触れ、さらに「外」で差し出し待つエシャーの手に触れようと身体を動かした。その時―――

「エシャー!!」

 突然、下方からエシャーの名を呼ぶ男性の声が聞こえて来る。加奈は伸ばしかかっていた手をハッと引き戻し、水晶内で正座姿勢をとると両腕で胸を隠した。

「あ! アッキーの声だ!」

 喜びの声を上げ、顔を下方に向けたエシャーは、タクヤの塔から出て来た篤樹の姿を見つける。

「もう! 間の悪い子ね!」

 加奈との対話が成立し、心が通じ合い始めた喜びと、「本体」として篤樹に再会出来る喜びを込め、直子も冗談口調で溜息を吐く。

「加奈さん、とりあえずこれを……」

 美咲は即座にエシャーのワンピースと良く似た服を、加奈の水晶前に創造した。加奈は水晶内から手を伸ばし、その服を引き入れるとすぐに頭と腕を通し着る。

「わあ! お揃いだね、カナ」

 エシャーは加奈に笑みを向けた。加奈は恥ずかしそうに顔を伏せ笑み、うなずく。

「佐川さんは……姿が見えないわね?」

 直子は注意深く観察し、塔のそばでエシャーを探しているのが篤樹1人だけだと確認する。

「先生……どうします?」

 少し緊張のこもる声で美咲が尋ねた。

「そうね……賀川くんを拾って……一旦、態勢を立て直しましょう」

 答えるとすぐに直子は篤樹に向かい下降して行く。

「あっ、私も!」

 エシャーが声を上げたが、直子の耳に届いていない様子だ。

「私も下に!」

 美咲の顔を見上げ、エシャーは改めて声をかける。美咲は一瞬考えたが、了解のうなずきを示す。

「じゃあ、一緒に下りましょうか? えっと……加奈さんはここで少し待って……る?」

 不安そうな表情で見つめる加奈に気付き、美咲は言葉を追加する。

「それとも、一緒に行く?」

 加奈はすぐに笑みを浮かべコクンとうなずいた。美咲も、今は加奈を1人にしないほうが良いと考え直し、笑みで応じる。

「じゃあ、賀川くんを回収したら、一旦、ここを離れましょう!」

 美咲の光球体は直子を追い下降を始めた。今や完全に透き通った水晶内に居る加奈も、その後に続き地上へ降りて行く。

「良かったぁ……アッキーも無事で!」

 エシャーは下方を覗き見つつ喜びを声に出す。

「塔の中までサーガワーを追いかけて行ったから……でもアッキーだけってことは何でだろう? まさか、1人でもうやっつけちゃったのかな?!」

「さあ……塔内の法力感知が出来ないから分からないけど……」

 エシャーの言葉に美咲もやわらかく応える。

「あの様子だと戦闘中でも逃走中でも無いわね……笑顔を見せてるくらいだし……」

 先に降下している直子の光球体に気付き、篤樹は顔を上げてこちらに手を振っている。その表情は……確かにどこか安堵の笑みに見えた。

「エシャー! あッ! 柴田……柴田も一緒かぁ! おーい!」

 距離が近づき、篤樹の声がさらにハッキリと聞こえる。エシャーも手を振り返し応えた。

「エシャー、探したよ! 塔の周りにいなかったからさ。まさか先生たちと一緒だったとか……ビックリした!」

 地上に降り立った直子と美咲は光球体を解いている。エシャーも足裏の地面に安心し、近寄る篤樹を迎えた。

「それに……柴田も……黒魔龍は……消えたんだね」

 同級生とは言え、加奈の記憶に篤樹の顔はほとんど残っていない。10数名の男子全員が、加奈の目には「同じ顔」という印象しか無かった。そのため、声をかける篤樹に視線を合わせることも出来ず、エシャーの足下に目線を置いたままでいる。篤樹も同じで、どこかよそよそしい声かけだけで挨拶を済ませた。

「えっと……フィルフェリーさんは?」

 天から舞い降りた4人を確認し、篤樹は木霊化が始まっていたフィルフェリーの姿をも探して視線を巡らす。すぐにエシャーがその問いかけに応じた。

「アッキー……フィリーはあの後すぐ……木霊になったよ……」

「え……」

 篤樹が塔に入る直前に見たフィルフェリーは、まだ大部分が「肉体」だった。そのため、まだ「在る」ものだと思い込んでいた篤樹は、やはりショックを覚える。

「そう……か……」

「ねえ、賀川くん? 佐川さんを追いかけたんでしょ? どうなったの?」

 フィルフェリーとの別れをエシャーから聞き、視線を下げた篤樹に向かい、小宮直子が尋ねた。その問いかけで、篤樹は用件を思い出しハッと顔を上げる。

「そうだ! あの……大事な情報が手に入ったんです! それで、みんなと共有したくって……」

 どこかウキウキとした調子で語り始めた篤樹に、一同は「ん?」と視線を集中した。

「今、塔の中で『本物の佐川さん』と話したんです! それで、今まで悪い事をやってたのは『光る子どもが創った偽物の佐川さん』で、本物の佐川さんは何も悪い事はやってないって分かったんです! だから本物の佐川さんと協力して、あの『光る子ども』を……」

 嬉々として語り始めた「新しい情報」に対し、直子と美咲そしてエシャーの表情が笑顔から困惑、そして驚きから怒りへ見る見る変わった事に気付き、篤樹は最後まで語る勢いを失う。

「何を……言ってるの? あなた……」

 直子が小さいながらも厳しい声で尋ねた。

「えっ……と……だから……塔の中に居る佐川さんが『本物』で……」

「佐川さんは佐川さんよ! 『本体』と『分身体』の違いはあっても、この世界に佐川さんは1人しか存在しないわ! 私たちだって……先生と私だってそうよ!」

 篤樹の返答に美咲が激しい口調で返すと、エシャーも続く。

「何? アッキーは今まで、塔の中でサーガワーと『お話し』をしてたの? じゃあ、アイツはまだ塔の中に居るの?!」

「え? あ、うん……え! だけど……ちょっと待ってよみんな、落ち着いて聞いて!」

 あまりの剣幕に気圧されていた篤樹は、佐川との約束を思い出す。ちゃんとみんなに説明して上げなきゃ……

「本物の佐川さんだって困ってるんだって! みんなが光る子どものフェイクニュースを信じちゃったせいで、自分が命を狙われてるって! だから一緒に光る子どもをやっつけようって提案してくれてるんだって! 先生! 相手の話もちゃんと聞いて上げようって、いつも言ってるじゃないですか!」

 佐川のために必死で 擁護ようごの声を上げる篤樹を、エシャーたちは「信じられない……」と目を見開き唖然と見つめている。
 3女性の背後に立つ加奈の水晶が、再び透明感を失い黒く濁り始めたことに、まだ誰も気付いていなかった。
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