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第7章 それぞれのクエスト 編

第 386 話 眼鏡

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「『サーガワー』ってナニモンなんだろうねぇ?」

 森の中―――神村勇気は樹の皮を小刀で剥ぎながら、誰にともなく語りかけた。周囲には数名のエルフ女性に混ざり、小平洋子と小林美月が木の実や山菜を収穫している。

「『カーガワー』っだったら篤樹なんだろうけど、『サーガワー』だろ? 『サガワ』なんて名字のヤツ、ウチのクラスに居ないもんなぁ……」

 誰からの応答も得られないまま、勇気は話を続けた。

「でもさ、案外マジで篤樹だったりして! ホラ、津田が長年の間に『チュダ』に変わってたりしたし……」

「いい加減に黙れ! バカ勇気!」

 屈んで野草を摘んでいた洋子が立ち上がり、勇気を睨みつける。

「あんたはさっきから、口ばっかり動かして……どんだけ収穫したか見せてごらん!」

 洋子の剣幕に一瞬ひるんだ勇気だったが、すぐに不機嫌そうに口を開いた。

「この1週間、草やら木の実しか食べて無いから、お腹空いてて動けないんだよ。便秘と下痢も繰り返してるし……本当なら休んでないと治らないのにさ、無理やり連れて来られたって、そりゃ何も出来ませんよって!」

「はぁ?!」

 不貞腐れた受け答えをする勇気に、洋子は怒りの形相で近付こうとした。

「やめなよ、洋子……」

 洋子の右手をつかんで小林美月が引き止める。仮眼球を収めた左目は、エルフ族の女性が用意してくれた黒布の眼帯が当てられている。残された右目で美月に見つめられ、勇気は視線を樹の幹に向けた。

「神村くんも……立ったり座ったりがお腹にキツイの分かるけど、無駄に樹の皮を剥いだり傷つけたりしたら可哀想だよ」

 再び小刀を幹に当てようとした勇気に、美月が優しく戒める。勇気はバツが悪そうに小刀を折り畳んだ。

「ってかアンタ、何でナイフなんか持ってんの?」

 洋子が尋ねる。

「は? ナイフじゃ無ぇし……『 肥後守ひごのかみ』だし……」

 勇気は折り畳み式の小刀を両手で持ち、開閉させて見せた。

「それ『向こう』のだよね? 持って来てたの?」

 美月も見覚えのある刃物だと改めて気付き、勇気に確認する。

「持って来たって言うか……いつも持ち歩いてるよ……何かと便利だし……」

「犯罪じゃん、それ」

 しどろもどろに応じる勇気に、洋子は呆れ顔で言い放つ。慌てて勇気は口を開いた。

「違うよ! これは刃物じゃなくて『文房具』だから良いんだよ!……多分……」

「ダメに決まってるでしょ! 昭和の祖母ちゃんたちの時代じゃ無いんだから! え? 何? いつも学校に持って来てたっての? 怖ッ!」

 状況の整理がつき始めると、洋子はさらに引き気味の表情で勇気を見ながら言い放つ。口ごもる勇気を助けるように、美月が口を開いた。

「制服のポケットに入れてたの?」

 転移の過程で、全員、身につけていたモノ以外は失っている。美月の問い掛けに、勇気は笑みを浮かべて目線を上げた。

「『隠しポケット』に入れてるんだ。ホラ……」

 勇気は学生服の前ボタンを外し、内面を見せる。

「この裏地の繋ぎ目に……チャックが付いてるんだ! で……」

 自慢げにいくつかの「隠しポケット」を開閉し、中から細いロープや小さな工具類、眼鏡ケースを取り出し見せる勇気を、洋子と美月は唖然と見つめる。

「男子の制服って……そんなんなってたんだ……」

 洋子の呟きに勇気は笑みを見せ、首を横に振る。

「違うよ。俺のは特別製! 自分で加工したんだよ」

「……やっぱ引くわ……アンタ……」

 嬉しそうな笑顔の勇気とは対照的に、奇妙なモノを見るような引きつった笑みを洋子は浮かべ、首をかしげた。美月の笑みも、薄い愛想笑いに変わっていたが、ふと何かに気付いたように真顔になる。

「神村くん、目、悪かったの?」

「え?」

 美月の問い掛けに一瞬キョトンとした勇気は、手に持つ眼鏡ケースに目を向けた。

「ああ! これね。うん。いつもはコンタクトなんだけど、何かあった時のために眼鏡も持ってるんだ。レンズがガラス製のだからケースに入れて……」

「今は?!」

 黒眼帯の美月から詰め寄られ、勇気は樹の幹に背を預けて直立する。

「い……今?」

「コンタクト入ってるの? 入って無いの? 見えてるの?」

 グイグイと迫られた勇気は、爪先立ちになって応える。

「いや……今……見えてるよ。コンタクト……入って無いけど……」

 確認を終えた美月は何かを考えるように目線を下げた。

「どうしたの? 美月……急に……」

「……私も……見えるようになったんだ」

 背後から近づいた洋子の言葉に、美月が噛みしめるように応える。

「えっと……どういうこと?」

 勇気は地にかかとを戻し、キョトンと美月を見つめながら尋ねた。美月はチラリと勇気を見た後、向きを洋子に変えて話を続ける。

「私もコンタクトなの……今は着けて無い……って言うか、こっちに来た時から無くなってるんだけど……でも、ちゃんと『見えてる』んだ……コンタクトしてる時と変わらないくらいに……」

「へ……え……」

 何が言いたいのか分からず、洋子は曖昧に返事をした。しかし、美月は考えをまとめるように視線を下げたまま、構わずに語り続ける。

「神村くんもだけど……田中くんも康平も、視力悪かったハズだよね? 2人とも眼鏡だよ……田中くんは試合の時はコンタクトみたいだけど……康平はいつも……」

「あっ!」

 美月の説明で、ようやく勇気も意味を理解した。

「和希くんも康平も、そういや眼鏡をしてなかった! え? こっちに来たら、みんな目が良くなるってこと? スゲェ! 大発見じゃん!」

 素直に驚きの声を上げた勇気をチラッと見、美月は視線を洋子に戻す。

「……全然、違和感が無かったから……こっちに来て2日くらい経って気が付いたんだ……最初はどこかに落としたのかな? って思ったんだけど……色々あったから気にならなくなってたし……」

 美月の片目の視線が、勇気の左手の眼鏡ケースに向けられる。

「あんたそれ、中身は入ってんの?」

 その様子に気付き、洋子が勇気に確認した。問われた勇気はケースの蓋を開く。

「……うん。ホラ!」

 クリーニングクロスに包まれた眼鏡を取り出し、勇気は2人に見せた。

「メインのはカバンに入れてたから無くなったけど、こっちは大丈夫!……って言っても、かけなくても今は全然問題無いけど……」

「アンタたちッ!」

 唐突に女性の声で怒鳴られ、3人は身をすくめる。

「何をペチャペチャとくっちゃべってんの!」

 同行エルフ女性の1人が、厳しい視線を向けながら3人に近づいて来た。その容姿と怒声に、家庭科教師の「ヒステリック西田」を同時に思い出した3人は、思わず直立不動の姿勢をとってしまう。

「す、スミマセン! 神村くんがサボってたから注意しようかと……」

「は? はあ?」

 即座に汚名を着せられた勇気は、目を見開いて洋子を睨む。

「あ……神村くんが眼鏡を持ってたから……ちょっと情報交換をしてました」

 美月が説明をする頃には、エルフ女性は3人の目の前で立ち止まり、怪訝そうに視線を向けていた。

「『メガネ』? それは何だ? チガセの世界のモノか?」

 見た目、三十代半ほどの「ちょっと怖いお姉さん風」のエルフ女性は、勇気が手に持つ眼鏡とケースに視線を向ける。勇気は慌ててそれが怪しいモノではことを説明した。

「ふうん……」

 勇気の手から眼鏡とケースを受け取ったエルフ女性は、物珍しそうに確認しながらその説明を聞き終えると、少しだけ表情をやわらげる。

「『目が悪くなる』ってのが、一体、どういう状態なのか良く分かんないけど……じゃあ、今は『これ』が無くても、ちゃんと見えるようになってるってことか?」

「あ……はい! 見えます!」

 緊張が解けないままの勇気が、すぐに応じる。しかしエルフ女性は眼鏡のレンズに視線を向けたままブツブツと何かをつぶやいていた。

「あ、それ、良かったら差し上げますよ!」

 この場の緊張から早く解放されたい洋子が、作り笑顔で女性に提案する。横から勇気が「えっ……」と声を洩らすが「どうせ使わないでしょ!」と小声で洋子に制され、口を尖らせた。

「え? 良いのか?」

 驚いた表情で顔を向けたエルフ女性に、勇気もすぐに作り笑顔で応じる。

「あ……はい! どうぞ! どうせ、ここじゃ使わないモノだし、良いですよ! 」

「神村くん……」

 心配そうに美月が声をかけたが、思いのほかエルフ女性の雰囲気が「優しくなった」ため、それ以上の検討を促す事はしなかった。エルフ女性は笑顔を見せる。

「いやぁ……良いのか? ありがとな! これはかなり珍しい水晶だよ! 天然のモノじゃないねぇ……すごくキレイだ!」

 嬉しそうに感想を述べながら3人に視線を向け、眼鏡をケースに収めると服の中へ入れた。

「ワタシは『バルーサ』。メシャクの腹違いの姉さ! よろしくな、チガセの人間種!」

 バルーサと名乗ったエルフ女性に、3人は緊張の混ざった愛想笑いと苦笑いを浮かべながらそれぞれ自己紹介を返す。

「さ! アンタたちもおしゃべりしながらで良いから、引き続き食料採集に励んどくれ! 遠征用の携行食分まで作っちまわないといけないから、食材はいくら有っても足りないからね!」

 指示を残して立ち去るバルーサの背を見送りながら、3人は顔を合わせてうなずく。

「ヒステリック西田かと思ったよ……」

「こっちのほうが美人なだけ、余計に怖かった……」

 思いがけない「恐怖」を共有した3人は、楽しそうに笑いながら収穫作業を再開した。
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