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第6章 ユフ大陸の創世7神 編

第 337 話 隔ての壁

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「当然の英断とは言え、よく逃げ出さずにおいで下さいましたわね」

 レイラは馬車の客車内正面に座るミッツバンに、笑みを浮かべ語りかけた。

「逃げられはせんでしょう……。今となっては貴女1人だけでなく、王国全てを敵に回す事になるのですから……」

 ミッツバンは自嘲気味に薄く笑い答える。

「それに……私自身だけでなく娘家族も守るには、貴女に聞き従うことが最良であることも事実ですからね。黒魔龍を滅す事が叶うのなら、本望ですよ」

「確かに、自己保身能力が高い商人さんだことで」

 スレヤーが嫌味タップリに口を挟む。ミッツバンはその言葉には反応を返さず、レイラに目を向けた。

「しかし、道案内……と言いましても、大してお役には立てないと思いますよ? もう、何十年も前の記憶で……しかも『入口』は崩されてる上、この老体です……かえってお邪魔になるだけかと……」

「御身体は労わりながら進みますから御安心下さいな。洞窟の案内も、大して期待はしていませんことよ」

 レイラの言葉の真意を測るように、ミッツバンは視線を真っ直ぐ向けた。

「それなら……なぜこんな足手まといな老人を……同行させるのですか?」

 不安と諦めが籠る溜息のようなミッツバンの問いに、レイラは優しく応じる。

「馬車の中で言いましたわ。『あなたのお力になれるかも知れない』と。覚えておいでかしら?」

 ミッツバンはキョトンと首をかしげる。

「黒魔龍本体の黒水晶の少女……それを封じる 守人もりとの女性……彼女に謝罪する機会を差し上げたいだけですわ。あなたの成すべき務めは、黒魔龍を滅することでは無くてよミッツバンさん。信頼を裏切り、私利私欲のために彼女との約束を破り捨てたあなた自身が、彼女と顔と顔を会わせられる場を設けて差し上げますのよ」

「な……」

 絶句したミッツバンの目を射抜くように、鋭い視線をレイラは向けた。

「後悔だの、反省だの、罪滅ぼしだのなんてのは、正しい謝罪を経なければ単なる自己満足に過ぎませんわ。相手との隔ての壁を取り除かないまま、いつ失せるやも知れぬ『自己満足の 贖罪しょくざい行為』を繰り返していても、誤魔化し続けられない不安をお持ちなのではなくて?」

 レイラの視線から逃れるようにミッツバンは目を閉じ、腕を組んで天を仰ぐ。しかし、その声に耳を塞ぐことはしなかった。小さくうなずき、ゆっくり目を開くと、レイラに視線を合わせる。

「……ありがとうございます、レイラさん。赦しを得られるか否かは分かりませんが……いやむしろ、命を奪われる裁きを受けるやも知れませんが……彼女の前で全てを謝罪します。どうぞ、私を彼女の前に連れて行って下さい」

 嘘偽りなき 懺悔ざんげの思いをその目に読み取ったレイラは、ミッツバンに笑みを向けうなずいた。2人のやり取りを黙って聞いていたスレヤーが、ここで口を開く。

「ま、アッキーの先生なんだし、大丈夫さ! しっかり謝りゃ赦してくれるでしょうよ。ねえ、レイラさん?」

「先生? それは一体……」

 スレヤーの言葉に反応し、ミッツバンもレイラに視線を向ける。レイラは笑みを浮かべたまま車窓に視線を移し、外の景色を眺める。

「『先生』ねぇ……。さぁ? どうかしら……」


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 柴田加奈の目に映るのは、自分に背を向け流し台に立つ母の背中―――ヘッドフォンで耳を塞ぐ母親に、加奈の声は届かない。

「さぁて、加奈。『お父さん』と遊ぶ時間だよぉ」

 「父親」を名乗り、いつの日からか共に暮らしている男の手が加奈の両肩に載せられた。

 イヤ……

 心の声を口に出しても、母の耳にも心にも届かない。この男には尚更だ。もう何年もの間にそのことは身に染みて理解している。拒んだり、泣いたり、叫んだりすれば、痛みと苦しみを全身に加えられるだけ。「父親」を名乗るこの男だけでなく、母親からも叱られ、殴られ、痛みを加えられる。

 私が苦しむことで、お母さんを笑顔にさせてあげられるの?

 男と母親は加奈に暴力を加える間、とても仲良く楽しんでいるように見えた。その間は、男が母親に対して暴言を吐くことも、暴力を振るうことも無かった。母親に向けられる暴言や暴力を、自分が代わりに負って上げているのだろうか? と、加奈は感じる。

 コップやビンが割れるほどの強さで投げつけられる恐怖……裸にされて、砕け散ったガラスの破片を片付けさせられる痛み。受けた傷が癒えるまで、何日も暗く狭い押入れに置かれる寂しさ……加奈は男と母親を怒らせないように、いつも気を付けて日々を過ごすようになった。

 しかし、加奈が「怒りの対象」にされない日は、いつも長くは続かない。どんなに気を付けて「良い子」にしていても、母親からも男からも何故か怒りを向けられる。男の事はどうでも良かった。だが「お母さん」からだけは嫌われたくなかった。加奈は母親に嫌われたくない一心で、男の暴力にも要求にも あらがわずに過ごすようになった。

 男との「遊び時間」が、加奈には苦痛で不快で気持ち悪かった。正直、男が何をしたいのか分からない。裸にされた身体に加えられる痛みを堪え、不快感を表さず、男に問われるままに「はい」と応じ続ける数十分間―――加奈は台所と和室を隔てるガラス戸に目を向ける。凹凸細工のガラスの向こうで母親が動く姿を見ながら、心の中で叫ぶ。

 お母さん、助けて! この人、嫌い! 気持ち悪い! 痛いよぉ!

 しかし、母がこのガラス戸を開いて加奈を助け出すことは一度も無かった。加奈と「遊ぶこと」に満足した男が、飽きて台所に立ち去るまで「ガラス戸」が開かれることは無い。

 見えてるはずなのに……聞こえてるはずなのに……

 加奈はガラス戸を睨みつける。

 こんな「壁」があるからいけないんだ……


―・―・―・―・―・―・―


 見知らぬオジサンとオバサンが家を訪ねて来ることがあった。加奈は押入れの中で声を押し殺し、気配を消して時を過ごす。時折り聞こえる「ツウホウ」や「ギャクタイ」という言葉の意味は分からなかったが、「たすけられる」という言葉には心が「ギュッ!」と反応した。ここから飛び出せば「たすけてもらえるかも」という期待が広がる。
 しかし「ウチに助けは要りません!」と怒鳴る母親の声を聞くと、加奈は押入れから動けなくなった。後に、オジサンとオバサンは悪い人たちで、お母さんから加奈を盗もうとしていると聞かされた。

 「父を名乗る男」と母親から、何度も教え込まれた言葉がある。オジサンとオバサンにもしも連れ去られたら、「お父さんとお母さんが大好きです」「お父さんとお母さんと一緒に暮らしたいです」とだけ言うように、何度何度も練習をさせられた。まさか自分が「連れ去られる」など考えたことも無かった加奈だったが、しばらくして、本当にオジサンとオバサンのほかに何人もの大人が来て「加奈を連れ去る日」が来た。

 お家で何をしていたか、「お父さん」やお母さんから何をされたかを何度も聞かれたが、加奈は母親との約束を守り、自分が何をされているかをオジサンやオバサンには言わなかった。ただ、練習した通り答えることに気持ちを向ける。お母さんから嫌われないように……あの男から怒られないように……

「大好きなお母さんとお父さんと、一緒に暮らしたいです。早く、お家に帰らせて下さい」

 部屋の外……透明なガラス窓の向こうでは、何人かの大人たちがこちらの様子を伺いながら加奈の話に耳を傾けている。首をかしげ、何かを話し合う姿を、加奈は期待して見ていた。練習した「お父さんとお母さん」という順番を変え「お母さんとお父さん」にした。それが、せめてもの抵抗だった。
 口から出す言葉の裏で、心の中では大声で叫んでいたのだ。「あの男を家から追い出して下さい! お母さんが優しくなるように言って下さい! もう、私が痛い思いをしないで済むように助けて下さい!」と。

「……じゃあ、お話は終わり。すぐにお父さんとお母さんが迎えに来るから、待っててね」

 1人残された部屋の中で、加奈は廊下との仕切りガラス窓を見つめる。窓の外を行き交う大人たちは、もう、誰も加奈に目を向けることはなかった。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 日暮れの影を帯び始めたグラディー山脈―――その東端の峰をレイラとスレヤー、バスリムとミッツバンは ふもとから見上げていた。グラディー抑留地境界線監視部隊が駐留するサラハ村で装備を整え直し、村の西にある監視所に馬車を預け、麓に広がる森の中を約3時間かけて移動して来た。

「ぼちぼち、野営準備を始めましょっかね?」

 スレヤーがのんびりとした声をかける。すぐにバスリムが応じた。

「陽が沈むとこの辺りでも野獣やサーガどもがうろつくらしいですから、周囲に警戒法術を施しておきます」

 ひと言を残し、バスリムは腰を下ろすミッツバンの横を通り過ぎ、森の中へ入って行く。腰を下ろすに程良い岩に腰掛けるミッツバンは、両肩を上下に揺らしながら荒い息をゆっくり整えていた。

 エルフ族のレイラは当然ながら、軍部で鍛えているスレヤーも、秘密情報組織の一員であったバスリムにとっても、本来なら小一時間程度の距離に過ぎない。しかし、60歳を過ぎるミッツバンにとってはかなり重労働の移動だった。労わるように視線を向けるレイラに、ミッツバンは整い切れない呼吸のままで声をかける。

「やはり……足手……まといに……なりましたな。……もうしわけ……ない……」

「あら? お気になさらなくても大丈夫ですわよ。お誘いしたのはこちらですし、予定通りには進んでいるのですから」

 レイラはニッコリ微笑み、ミッツバンを ねぎらう。

「タグアの商人と監視所の連中の情報からすりゃ、あと1時間もありゃ『元の入口』に着くんですけどね……」

 スレヤーは、進行方向奥に見える傾斜地の森に視線を向ける。

「無理は禁物よ、スレイ。バスリムさんが商人さんからいただいた地図通りに進みますわよ」

 レイラはスレヤーよりも視線をさらに上にあげ、山脈の いただきを見上げた。

「洞窟の入口が、どれほど厚く塞がれてるか分からないんですもの……情報通りに、峰近くの縦穴を目指すのが1番の近道ですわ」

 その言葉に、ミッツバンが不安そうな声で尋ねる。

「指定境界線の……すぐ手前ですよね? 大丈夫ですか? その……グラディーの連中に……見つかりでもしたら……」

 その問いに反応し、レイラは一瞬だけミッツバンを見つめる。しかしすぐに静かに笑みを浮かべると、視線を山頂へ戻した。

「あちらとこちらを『隔てていた壁』は、とうの昔に無くなっていましてよ……ミッツバンさん」

 同じように笑みを浮かべて立つスレヤーとレイラの横顔を、ミッツバンは不思議そうに見比べた。
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