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第5章 王都騒乱 編

第 236 話 発動した仕掛け

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「先生! イニシャルって、どう書けば良いんですかぁ?」

 中2の1学期……英語の授業中に川尻恵美かわじりえみが唐突に質問した。剣道部顧問で英語教員の村田は、一瞬呆気に取られた表情を見せた後で答える。

「Why do you ask ?」

「……な、なんつった?」

 恵美の質問に村田が英語で返したせいで生徒たちがザワつく。恵美は隣に座っている 愛川紗希あいかわさきに、助け舟を求めるように視線を向けた。

「あ……えっとぉ……美術の絵画展に作品を出すんですけど……イニシャルって、姓が先なのか後なのか分からなくって……」

「ほぉ。2人ともか?」

 紗希のリスニングに一応満足したのか、村田は微笑みながら今度は日本語で聞き返した。

「はい! それで……絵にイニシャルを入れるようにって言われたんですけど……」

 恵美が説明を始めたが、続きを紗希が引き受ける。

「恵美が通ってる教室の先生は『名』が先で『姓』は後って教えたらしいんです。でも、私は『姓』が先で『名』は後だって教わってたから、どっちで書くのが正解なんだろうって……」

「んなもん、名字が先に決まってんじゃん!」

 紗希の言葉に男子が口を挟む。すると女子からも声が上がった。

「アルファベットで書くんなら、イニシャルも外国人に合わせないと混乱するんじゃない? 外国人は名前が前だから……」

 生徒たちはしばらく、周り同士でイニシャルの書き方を確認し合っていた。

「昔は……」

 数分間の自由討論を見守った村田は、おもむろに口を開いた。

「外国……特に欧米の人物名に合わせて、日本でもイニシャルやローマ字は『名』を前に『姓』を後にってルールにしてたんだ。でも、日本人の名前を欧米式に合わせる必要も無いだろってことで、何年か前に、ローマ字もイニシャルも日本の氏名の順番通りにしようって話が国から出てな……だから1年の時のテストでも『氏』『名』の順番でローマ字を書いただろ?」

「親から『イニシャル逆だ』って叱られたことある」

 誰かが口を挟んだ。

「先生たちの頃も、お父さん、お母さんたちの頃も、英語表記は姓・名を逆に書くようにって教わってたんだよ。でも今は違う。国際社会の中で、日本がしっかりと自立して立っていくためにも、外国にアイデンティティーを合わせるのではなく、自分の名前にも誇りをもって……」


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 村田の熱い弁を最後まで聞いていたのは、あの時も江口くらいだったよな……

 篤樹は絵に描かれた初代エグデン王の姿と、その左下端に描かれた「A.S.」というイニシャルを見つめながら、クラスの一場面を思い返していた。

 間違い無い……名字が「あ行」で名前が「さ行」は愛川紗希だけだ……。愛川は……江口と同じ時代に「落ちた」のか?

「アッキー!」

 スレヤーの声が耳元で響いた。

「うわっ! ちょ……なんです?」

「『なんです?』じゃ無ぇだろ! どうしたんだよ、魂でも抜かれちまったような顔しやがって。何か発見したのか? エグデン王の記憶か?」

 ボンヤリと絵を見てる間に、何度か声をかけられたのだと気付いた篤樹は、一旦、気持ちを整理してスレヤーに答えた。

「江口の……エグデン王の記憶じゃないですけど……あれ、分かります? 左下の文字……他の草の色と違う模様があるでしょ? あれ、僕の世界の文字なんです」

「アッキーの世界の……文字?」

 スレヤーは篤樹が指さす部分をジッと見る。掛け布を手に持つユノンも、額の横に立って覗き込んだ。

「あれ……イニシャルなんです。えっと……この絵を描いた人が、自分が描いたって印に、自分の名前の頭文字を書き入れるんです。……僕の世界だと」

「目印の……模様ですか?」

 ユノンは興味深そうに左下の「模様」に顔を近付け確認する。

「あんな『紐』をまとめたような文字を使ってんのかよ? お前ぇの世界は……」

「あっ……いや……あれは英語のアルファベットで……日本語は……。まあ、そうですね。とにかく、僕の世界の文字です」

 スレヤーに説明しようかと思ったが、面倒なのでとりあえず話を流す。村田に聞かれたら「自分の文化に誇りを持て!」とか言われそうだけど……

「……んで? 心当たりがあるってことか?」

 篤樹の葛藤を気にも留めずスレヤーが確認する。篤樹はうなずいた。

「愛川紗希……同級生です。美術部で……絵がメチャクチャ上手かった女子です」

 スレヤーは篤樹から視線を外し、改めてエグデン王の絵を見つめ直している。

 愛川紗希……か。

 篤樹もスレヤーに並んで、改めて絵に向き合った。中央に描かれている初代エグデン王…… 江口伝幸えぐちのぶゆきは左頬に大きな傷跡が有るが、見た目は「あの頃」とほとんど変わらない若さで描かれている。少し大人っぽさを感じるが、二十歳そこそこ位の時期に描かれたのではないかと思われた。

 あんまり……親しくは無かったけど……高木さんと仲良かったよな……

 同級生といっても、全員と親しいワケでは無い。同じ学校で2年ちょっと一緒に過ごしてても、顔と名前が何となく一致するかどうか怪しいくらいの同級生もいる。篤樹にとって、愛川紗希はその程度のつき合いしか無かった同級生の1人だ。

 それでも……

「千年前……か……」

 ポツリと呟いた。

 江口と一緒の時代なら……心強かったかもな……同級生と一緒なら……

 グゴォーン!!

 突然、連結通路方向から激しい音が聞こえた。3人は顔を見合わせる。

「あの音……」

 篤樹が確認しようと尋ねる途中で、再び、同じような音が聞こえ、今度は振動も感じた。

「法術戦の音だ!」

 スレヤーは叫ぶなり、一気に通路へ向かって駆け出した。途中で、武具棚に飾られているエグデン王の「竹刀」を拝借して行く。

「あっ、待って……」

 篤樹も後を追って駆け出そうとしたが……

「ダメです、アツキさま! 装備を外されて下さい!」

 ユノンからの切羽詰まった金切り声で呼び止められる。

「あ……ゴメン! すぐに……」

 焦るほどなかなか脱げない!

 初代エグデン王の立像裏からユノンも飛び出し、篤樹を手伝いながら早口でまくし立てた。

「急いで下さい! スレヤーさまが剣を持って行かれました! 宝物庫内の物を許可なく持ち出そうとすれば、入口の魔法術で滅消されてしまいます!」

「め、滅消ぉ?!」

 ユノンの必死の口調と「滅消」という単語に、篤樹も危機感が高まる。王族や侍女がある程度自由に宝物庫を出入り出来るのは、出入口に強力な法術が施されているからに他ならない。宝物庫内のものを持ち出せないように施されている強力な法術……でも滅消なんて……

「スレヤーさまをお止め下さい!」

 最後の装備となった「すね当て」を外すと同時に走り出した篤樹の背に、ユノンの必死の叫びが投げかけられる。

お願いだからスレヤーさん……飛び出さないで!


―・―・―・―・―・―・―


――― 数分前 ―――

 宝物庫扉前に立つアイリは、小さな鼻歌に合わせ身を揺らしながら、エルグレドが来るのを待っていた。

 へへ……なんだよ……ふつうに話せるじゃん! アツキも気にしてくれてたんだ……オレがアツキに怒るわけないじゃん! ……ああ、よかったぁ……

 カツン……

 意識を周囲に集中していなかったせいか、アイリは、思いの ほかすぐ近くで聞こえた足音に驚き、顔を左に向けた。2mと離れていない場所に、外套姿でフードを被っている人物が立っている。

 エルグレドさま……では……ない?

 あまりにも突然の状況に思考が混乱する。

 あの外套は……グラバ様の……

 ようやく現状認識が出来そうな段階で、アイリは、背後から別の何者かに羽交い絞めにされた。一方の手で上半身を両腕ごと押さえられ、もう一方で口を塞がれる。数日前の失われた記憶が甦った。

 こいつらだ……

 正面の外套男がアイリに向かい、ゆっくり右手を向ける。

 殺気?……拘束魔法じゃない!

 グゴォーン!!

 外套男が法術を発しようとした瞬間、その左横の石床が突然破壊された。

「やめなさい!」

 エルグレドの声が石廊に響く。アイリを束縛していた男は、そのままアイリを盾にして振り返った。正面に立っていた外套男は、仕切り直して腕を伸ばし、エルグレドに向かって攻撃魔法を放つ。

 ゴォーン!!

 エルグレドはその攻撃を避けると、石廊の端から一気に駆け出して来る。攻撃を仕掛けた外套男は、即座に背を向け逃げ出した。しかし、アイリを束縛している男は、そのまま宝物庫入口を塞ぐように立ち尽くす。

「近づくな! 侍女を殺すぞ! 止まれ!」

 アイリを盾にして向き合う男の声で、エルグレドは目前で足を止めた。

「……グラバ様の従者ですね? 何をやってるんです?」

 息も切らさずにエルグレドが微笑みながら尋ねた。男は明らかに「失敗」に動揺している様子だ。次の手を考えあぐねている。

「黙れ! 動くなよ……」

 男はアイリを羽交い絞めにしたまま後ずさりし、宝物庫内へ移動し始めた。その時、背後から迫って来る足音に気付き、男は振り返った。

「こんにゃろうがー!」

 思い描いていたよりも、男が振り返るタイミングが早かった。スレヤーは瞬時に状況判断し、直接攻撃よりも間接攻撃を選択する。握りしめていたエグデン王の「竹刀」を槍のように男の背に向かい投げつけた。

 ほぼ同時に、エルグレドはアイリを両手で掴み、男から引き離すように引っ張る。結果的に、男は身を避ける事も出来ずに、スレヤーの投げた竹刀を真っ直ぐ顔面に受けることになった。飛んで来た竹刀を止めようとしたのか、両手で竹刀を握った状態で男は宝物庫の外へ弾き出される。

「クッ……」

 エルグレドは周囲に強大な法力波を感じ、完全に男の手から引き離したアイリを抱きしめたまま、さらに数歩後方まで跳び退いた。直後、開かれていた宝物庫扉全体が真っ白に輝き、目の前にヨロけ立つ男に向かい無数の光の矢を放つ。

「う……うわぁーー!」

 男の姿は白い光に包まれたかと思うと、わずかに肉の焦げたような匂いと、粉のような灰を少量残し消え失せてしまった。

 カランッ……

 男が立っていた石廊の上に、初代エグデン王の竹刀が転がり落ちる。

「大将っ!」

 宝物庫内からスレヤーが叫びながら駆け寄って来た。

「スレヤーさーん!」

 その後方から篤樹も遅れて駆けて来る。エルグレドは石廊の端壁に背を預け座った状態のまま、左手でアイリを抱き、右手を真っ直ぐ伸ばして防御魔法壁を作っていた。

「大丈夫っすか!」

 スレヤーは石廊へ出ると再び声をかける。エルグレドは苦痛に歪む顔を無理やり笑顔に変えながら、ダラリと右手を下げた。

「やられ……ました……ね……」

「え?」

 安否を尋ね駆け寄りながらも、扉に施された法術はエルグレドにもアイリにも届いていないことをスレヤーは確認していた。それだけの状況判断の目を持っていると自負している。それなのに……エルグレドからの返答が予想と違う事に困惑した。

 大将……ここはいつも通りに「大丈夫です」って返事でしょうや……

「アイリ!」

 数秒遅れで石廊に篤樹も飛び出して来る。

 かなり離れた場所からチラッと見えただけだけど……滅消って……完全に消し去っちゃうんだ……

 襲撃犯が「消えた」場所を避けるように、篤樹はスレヤーの隣へ近づく。

「アイリは?」

「……咄嗟に……意識を奪いました……。相手は2名……グラバ様の従者です。1名は逃亡……。アイリさんを……あと……上手い事……お願いします」

 エルグレドの意味不明な報告に、篤樹とスレヤーは顔を見合わせ、エルグレドに覆いかぶさるように抱かれているアイリをかかえ上げた。

「エルグレドさんっ!」

 直後に篤樹は叫ぶ。

「大将……そりゃ……一体……」

「盗聴……だけじゃ……無かったみたいですね……。2つも仕掛けが……やられました……」

 エルグレドは、ゴッソリ吹き飛ばされている自分の左脇腹に両手を添えたまま、ゆっくり意識を失い……静かに息を引き取った。
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