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第4章 陰謀渦巻く王都 編
第 216 話 勝利の自覚
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篤樹渾身の完璧な「突き」を咽頭部に打ち込まれたタリッシュは、空中で半回転するように吹き飛び、闘剣場中央付近に頭から落下し転がった。
「よしっ!」
背後で叫んだスレヤーの声が篤樹の耳に届く。
入った……よな? 完璧に……凄い……感触だったけど……
篤樹は剣先を凝視し、そこから視線をゆっくり移動させ、闘剣場中央地面に倒れているタリッシュに目を向ける。起き上がってくる気配が無い事を確認すると、今度は自分の手元に視線を向けた。
今のが……「突き」?
宝物庫で見た「夢」の中で、江口が繰り出していた「突き」の感触を思い出す。
「アツキー! 大丈夫か! 手は?」
背後から投げかけられたアイリの声が耳に届くが、篤樹はその意味をすぐには理解出来ない。
手が……どうしたって?
アイリの言葉に促され視線を右手に向けた瞬間、篤樹は突然右腕に激痛を覚えた。左手に握っていた剣を落とし、そのまま左手で右腕を支え持つ。
「……痛ッ……くゥ……」
篤樹は思わず片膝を地につき、右腕を支えて痛みを堪える。その姿を見たアイリは闘剣場に降りようと動き出した。
「まだだ!」
スレヤーはアイリの腕を掴み、その行動を引き止める。
「ジン! 判断を下せよ! ありゃ……死んじまうぞっ!」
ジンに向かって大声で判定を促すスレヤーの声が闘剣場に響く。あまりにも唐突に終わりを迎えた 剣戟に、ジンは呆然と目を見開いていた。スレヤーの呼びかけにようやく瞬きをしたジンは、首を横に振りその促しに応じる。
「……まだだ……もうしばらく待て! 見極める!」
「やべぇぞ……アイツ……」
ジンから回答を聞き終えたスレヤーの呟く声が、篤樹の耳にも届いた。
えっ?……「アイツ……ヤバイ」って……
篤樹は苦痛に閉じていた目を開き、数メートル先で倒れているタリッシュの姿を改めて確認する。
どういう……こと? お願いだから……もう……立たないで……もう無理だよ……
タリッシュの足がわずかに動いた。
嘘……だろ? 何だよ……まだ続くの?……やめてくれよ……
もう立ち上がって来ないだろうと安心していたタリッシュの両足が、大きく動き出すのを見て、篤樹は絶望的な気持ちになる。しかし、その視線は自分が落とした剣に向いていた。
くそ……
篤樹は左手を伸ばし、剣柄を握る。
「ジン! 早く判定しろ! もうマズいぞ!」
スレヤーの声が再び闘剣場に響いた。その切羽詰まった叫びに、篤樹は事態が自分の危惧する「試合続行」では無いと気づく。
じゃあ……一体……
視線をタリッシュに戻すと、その動きが「立ち上がるためのもの」ではないと気づいた。両手と両足を激しくバタつかせているが……あれは!
「アイリ! タリッシュさんを……」
篤樹はタリッシュの動きが激しい痙攣だと気づいた。剣を再び手放し、右腕を左手で支えたまま立ち上がり見ると、タリッシュの口元からは赤く血に染まった泡が噴出しているのを確認する。
「アイリッ!」
「ダメだ! アッキー……」
アイリに救助を求める篤樹の声に、スレヤーが応じた。
「おい! ジン! 早く判断を下せ!」
再びジンに向かってスレヤーは大声を上げるが、ジンは黙って目を見開いたままその光景を見つめているだけだ。
「アイリッ!」
篤樹はタリッシュの傍に寄り、さらにアイリの名を呼ぶ。タリッシュの痙攣は、すでに収まりかかっている。
「……くそっ! ジンのやろう……。アイリちゃん……降りるなよ……俺らが降りれば、アツキが反則負けになっちまう……おい! ジン!」
スレヤーは恨めし気にジンを睨みつけ叫ぶ。
あの野郎……タリッシュの命を使ってでも勝ちを獲る気かよ……
ジンは額に汗を浮かべながらも、意を決した表情で腕を組み、事態の推移を見守り続けている。
―・―・―・―・―・―
「おお! エルグレド! 小さい剣士が倒したぞ! あヤツの勝ちか?」
ルメロフは席を立ち、興奮したようにエルグレドに尋ねる。
「まだ……分かりませんわ……」
メルサが隣のブースからルメロフに声をかけた。
「……先ほどのカガワアツキも、倒れた後で再び仕切り直されましたでしょう? 試合は続いております。ジンが敗北を宣言しない限り、あの剣士はまだ戦える状態ということ……双方1本ずつでの仕切り直しになるのかと……」
メルサは涼し気な表情で事態の動きを眺めている。
……アツキくんの一撃は、正確に喉笛の一点を突きましたよ……模擬剣とは言え……あの一撃は、命を奪うほどの一撃であるのは明白です。……にもかかわらず、放っておく気ですか……
エルグレドはメルサの態度から、タリッシュが「捨て駒」に使われていることを読み取り、ルメロフに助言する。
「ルメロフ王……正王妃の御説明通りです。ジン大佐は、まだタリッシュを『戦闘不能』と宣言していませんから……現時点では互いに1本という状態です。ただ……あの剣士は確実に『死』へのひと突きを受けています。早々に治療を受けなければ……」
「何? し……死んでしまうのか?! 我の目の前で? 人が? それはダメだぞ! 人死には好かんのだぞ! ミラ王女の侍女に命じて……」
「なりません!」
慌てふためくルメロフを、メルサの一喝が制止する。
「名誉の剣術試合として双方が立っておる試合ですよ。カガワアツキの縁者が試合中の闘剣場に降りるということは……名誉を汚す反則負けとなります。もちろんあの剣士の縁者も同様……まあ大丈夫でしょう? ジンは『正しい判断』の出来る男ですから……」
「正しい判断」ですか……
エルグレドは拳を握りしめる。
部下の命を捨ててでも、アツキくんに「反則負け」を負わせる判断が……? 王の采配による救助を封じ、アツキくんの縁者が「勝手に」救助をするよう仕向けているワケですね……。今、私が飛び出して行っても同じ結果……その前にアイリさんが動くでしょうし……なによりも……
エルグレドはグラバたちのブースに向けている意識を確認する。
彼らの興奮と緊張が、またさらに高まっていますね……一体……何をしているのでしょうか……
グラバと従者たちは、先ほど来、ずっと法力を高める呼吸を続けている。エルグレドは彼らの異常な様子の原因を何とかして探りたいと願いながら、視線を闘剣場に向ける。
「ほ……本当に大丈夫か? メルサ正王妃……やはりミラ王女の侍女に……」
「『従王妃』ですわ……ルメロフ王」
突如投げかけられたミラからの訂正に、ルメロフは目をキョトンと向けた。
「『王女』では無く、今は『従王妃』です、陛下。それと……命懸けの根競べなら……御自身の命を懸けるべきなのでは? メルサ正王妃……」
怒りに満ち、震える声でミラは投げかける。この声に、メルサは機を得たように勢いよく席から立ち上がった。
「ミラ従王妃! 今の言葉は……」
「おお!? アイツは誰だ?」
メルサがミラに向け発しようとした抗議の声を、ルメロフの驚きの声が掻き消し響いた。
―・―・―・―・―・―
「アイリっ!」
篤樹は絶望的な表情で振り返りアイリを見たが、スレヤーもアイリも困惑の表情のまま動けずにいる。剣士以外が闘剣場に下り立てば、当該縁者の剣士は反則負けになってしまう……篤樹はルールを思い出しながらも、今はそんな悠長なことを言っていられない状況だとひしひし感じていた。
タリッシュは激しく大きな痙攣を終え、両手両足の震えが小刻みに残っている状態だ。見開いた目は、まるで膜を張り始めているように光を失って見える。口から溢れる血の気泡は、段々、細かな泡に変わって行く……ルエルフ村でシャルロが心停止に陥った時と同じだ。
「誰か! 早くタリッシュさんを!」
叫びながらジンに目を向けた篤樹は、その決意の表情からタリッシュの命が見捨てられているのだと理解した。
なんで……自分の仲間なのに……くそ!
「誰かー!」
篤樹は絶望的な気持ちで叫んだ。
「全く! なんて連中だよ!」
視界の端に、闘剣場に降り立ち駆け寄って来る人影を感じ、篤樹は目を向ける。
え?……この声は……
「ほらほらキミ! ちょっとそこをどいて!」
決して身軽には見えない小太り体型の男……内調隊の外套を羽織ったミゾベは、篤樹を追い払うようにタリッシュの脇に屈みこみ両手をかざす。
「いやいや……まったく……」
「ミゾ……ベ……さん?」
篤樹は突如訪れた助け手に感謝を覚えるよりも、「なんでこの人が?」という疑念に満ちた思いで呟いた。
「いやぁ、凄い突打だったねぇキミ! スレヤー伍長の直伝かい?」
ミゾベはタリッシュの首筋と胸部にかざした手を移動させながら、軽い口調で尋ねて来る。
「え? いや……あの……ミゾベさんが……なんで?」
尋ねられた質問に答えるよりも、なぜミゾベがここで登場したのか困惑する篤樹は尋ね返す。
「……ここで死なせるワケにはいかないんだよ。キミも、この人もね……ん?……コイツは……あの失礼な兵士か!……まったく……自業自得だな……。人を軽んじると思わぬ足をすくわれるものだ。私も昔は自分の力に 自惚れていた時があってねぇ……」
「おい貴様! 何をやってるんだ!」
タリッシュに治癒魔法を施し始めたミゾベに向かい、闘剣場の縁を回り駆け寄りながらジンが怒鳴りつける。しかし、ミゾベは手を休めない。
「……部下の命を、こんな茶番に投げ捨てるようなヤツが偉そうに……さて……あとは……」
ジンの姿をチラッと確認したミゾベは、かざす手の位置をタリッシュの右肩と左脇腹に変える。
あ……この位置は……
「セッ!」
ミゾベが短く声を発すると、タリッシュの身体がビクンと震えた。すぐに手の位置をタリッシュの心臓の上に移動させたミゾベは、何かを確認するように目を閉じ頷き、かざした手をジッと見つめ治癒魔法を続ける。
「ミシュバットで覚えたばかりの法術だが……なるほどねぇ……心臓の『震え』を先ず止めることで、止まった心臓の再起動をスムーズにいかせるわけなんだね。……うん……これは使えるなぁ……」
篤樹はミゾベが「何をしているのか」を理解すると、とにかくこの「心肺蘇生」が上手くいくことを祈る思いで見つめ続けた。
「ゲホっ! ゴホッ!」
タリッシュが口の血泡を、咳き込みながら吹き出す。
「ほ! 凄いなぁ……上手くいったみたいだよ……」
そう言うと、ミゾベはタリッシュの身体を横向きにして気道を確保する。
「……さて……これでとりあえずは大丈夫だろう……」
「あの……ミゾベさん……ありがとうございました……」
篤樹はとにかく先ずはミゾベに礼を述べた。ミゾベは苦笑を浮かべながら応える。
「ホントに……何年もかけて、ようやくここまでこれたってのに……まいったなぁ……」
「おい! 貴様!」
スレヤーたちの傍まで来たジンが、縁に立ってミゾベを怒鳴りつけた。
「その格好は内調の人間だな! キサマ、何を勝手な真似を……」
「内調……だよなぁ?」
隣に立つスレヤーが、ニヤニヤと笑みを浮かべ確認するようにジンに尋ねる。
「ああ? あの外套は内調だろ……?!……俺は知らんぞ!」
スレヤーからの問い掛け意図に気付き、ジンはハッとしたように首を横に振る。しかし、言質をとったスレヤーは得意気な笑みを浮かべたまま口を開く。
「さてさて……俺たちはエルグレドさんの部隊で、ルメロフ王直属の探索隊だからよぉ……『内調』とは縁遠いよなぁ? 『内調』は独立隊とはいえ、軍部と共に正王妃が関り深いんじゃなかったかい?」
「そ……それは……だがアイツは知らん! 勝手に乱入して来ただけで……おい! 貴様!」
ジンは突き刺すような視線をミゾベに向ける。ミゾベは、急に「恐怖におびえる低姿勢」を見せた。
「も、申し訳ございませんジン大佐! しかし……王前剣術試合の場で死人を出すことは、王の本意に反することではないかと……。私は治癒魔法にも覚えの有る身ですので、この剣士の心音が消えたのを確認し……慌てて処置を施させていただいた次第でありまして……」
致死的戦闘不能状態を放置していたジンに対し、この申し立ては効果的だった。治癒魔法術士が「心音消失確認」をしたという証言は、周りの観衆の耳にも届く。
「やっぱり戦闘不能だったんじゃないか?」
「生きてるのかしら? まだ起き上がらないわよ……」
辺りから漏れ聞こえる声に、ジンは身を震わせている。
「ジンよぉ……どっちでも良いぜ? 俺たちはよぉ。……縁者乱入による反則負けだろうが、致死的戦闘不能状態での敗北だろうが、おめぇの好きなほうを早いとこ宣言してくれや」
ジンの左肩に自分の右手を載せ、スレヤーは教え諭すように語りかけた。ジンはその手を払い除けスレヤーを睨み、そのまま王族観覧席へ視線を向けメルサと目を合わせる。メルサは怒りに満ちた目と、無理に作る平静を装った表情を向け、ゆっくり首を横に振り口を開く。
「困ったものですね。名誉の剣術試合に水を差す大馬鹿者が出ようとは……しかもよりによって『内調の者』でありながら!……仕方ありません。ジン大佐、宣言をなさい!」
下された指示を受け、ジンは方針を決めると大きく息をついた。
「この試合……当方縁者の乱入により、不本意ながら、我が剣士タリッシュの反則負けだ!」
ジンの宣言に続き、スレヤーも周囲を見回し大声で宣言する。
「先方立ち合い人ジン・サロン大佐の宣言を承知した! この試合……勝者は当方剣士カガワアツキである! 勝者の名誉を讃えよ!」
観衆から盛大な拍手と歓声が一斉に沸き起こった。王族観覧席でも、ルメロフ王をはじめ全員が席を立ち手を打って勝者への賛辞を表す。
闘剣場の真ん中に立つ篤樹の横にはすでにアイリが駆けつけ、右腕をしっかり包み込むように治癒魔法を始めていた。篤樹は響き渡る賞賛の声に動揺しながら、キョロキョロと周りに目を向ける。
「アッキー!」
そんな挙動不審な篤樹に向かい、スレヤーが声をかけた。視線を向けた篤樹にスレヤーは高々と右腕を天に突き上げ、勝利者の姿勢を見せる。つられるように篤樹も左腕をゆっくりと持ち上げた。
「勝者を讃えよ!」
再びスレヤーが大声を上げる。周囲の歓声は、さらに一段と大きくなった。
……終わ……ったんだ……よね? それに……勝った……勝ったんだ!
篤樹は急に勝利の実感が湧き上がって来る。勝った……勝ったぞ!
「勝ったぞーっ!」
心の喜びが、大きな叫び声となって飛び出すと同時に、篤樹は左腕を高々と天に突き上げる。鳴りやむことの無い大きな拍手と歓声が響き渡る中、篤樹は駆け抜けた活路を見つめる思いで、深く碧い空に目を上げた。
「よしっ!」
背後で叫んだスレヤーの声が篤樹の耳に届く。
入った……よな? 完璧に……凄い……感触だったけど……
篤樹は剣先を凝視し、そこから視線をゆっくり移動させ、闘剣場中央地面に倒れているタリッシュに目を向ける。起き上がってくる気配が無い事を確認すると、今度は自分の手元に視線を向けた。
今のが……「突き」?
宝物庫で見た「夢」の中で、江口が繰り出していた「突き」の感触を思い出す。
「アツキー! 大丈夫か! 手は?」
背後から投げかけられたアイリの声が耳に届くが、篤樹はその意味をすぐには理解出来ない。
手が……どうしたって?
アイリの言葉に促され視線を右手に向けた瞬間、篤樹は突然右腕に激痛を覚えた。左手に握っていた剣を落とし、そのまま左手で右腕を支え持つ。
「……痛ッ……くゥ……」
篤樹は思わず片膝を地につき、右腕を支えて痛みを堪える。その姿を見たアイリは闘剣場に降りようと動き出した。
「まだだ!」
スレヤーはアイリの腕を掴み、その行動を引き止める。
「ジン! 判断を下せよ! ありゃ……死んじまうぞっ!」
ジンに向かって大声で判定を促すスレヤーの声が闘剣場に響く。あまりにも唐突に終わりを迎えた 剣戟に、ジンは呆然と目を見開いていた。スレヤーの呼びかけにようやく瞬きをしたジンは、首を横に振りその促しに応じる。
「……まだだ……もうしばらく待て! 見極める!」
「やべぇぞ……アイツ……」
ジンから回答を聞き終えたスレヤーの呟く声が、篤樹の耳にも届いた。
えっ?……「アイツ……ヤバイ」って……
篤樹は苦痛に閉じていた目を開き、数メートル先で倒れているタリッシュの姿を改めて確認する。
どういう……こと? お願いだから……もう……立たないで……もう無理だよ……
タリッシュの足がわずかに動いた。
嘘……だろ? 何だよ……まだ続くの?……やめてくれよ……
もう立ち上がって来ないだろうと安心していたタリッシュの両足が、大きく動き出すのを見て、篤樹は絶望的な気持ちになる。しかし、その視線は自分が落とした剣に向いていた。
くそ……
篤樹は左手を伸ばし、剣柄を握る。
「ジン! 早く判定しろ! もうマズいぞ!」
スレヤーの声が再び闘剣場に響いた。その切羽詰まった叫びに、篤樹は事態が自分の危惧する「試合続行」では無いと気づく。
じゃあ……一体……
視線をタリッシュに戻すと、その動きが「立ち上がるためのもの」ではないと気づいた。両手と両足を激しくバタつかせているが……あれは!
「アイリ! タリッシュさんを……」
篤樹はタリッシュの動きが激しい痙攣だと気づいた。剣を再び手放し、右腕を左手で支えたまま立ち上がり見ると、タリッシュの口元からは赤く血に染まった泡が噴出しているのを確認する。
「アイリッ!」
「ダメだ! アッキー……」
アイリに救助を求める篤樹の声に、スレヤーが応じた。
「おい! ジン! 早く判断を下せ!」
再びジンに向かってスレヤーは大声を上げるが、ジンは黙って目を見開いたままその光景を見つめているだけだ。
「アイリッ!」
篤樹はタリッシュの傍に寄り、さらにアイリの名を呼ぶ。タリッシュの痙攣は、すでに収まりかかっている。
「……くそっ! ジンのやろう……。アイリちゃん……降りるなよ……俺らが降りれば、アツキが反則負けになっちまう……おい! ジン!」
スレヤーは恨めし気にジンを睨みつけ叫ぶ。
あの野郎……タリッシュの命を使ってでも勝ちを獲る気かよ……
ジンは額に汗を浮かべながらも、意を決した表情で腕を組み、事態の推移を見守り続けている。
―・―・―・―・―・―
「おお! エルグレド! 小さい剣士が倒したぞ! あヤツの勝ちか?」
ルメロフは席を立ち、興奮したようにエルグレドに尋ねる。
「まだ……分かりませんわ……」
メルサが隣のブースからルメロフに声をかけた。
「……先ほどのカガワアツキも、倒れた後で再び仕切り直されましたでしょう? 試合は続いております。ジンが敗北を宣言しない限り、あの剣士はまだ戦える状態ということ……双方1本ずつでの仕切り直しになるのかと……」
メルサは涼し気な表情で事態の動きを眺めている。
……アツキくんの一撃は、正確に喉笛の一点を突きましたよ……模擬剣とは言え……あの一撃は、命を奪うほどの一撃であるのは明白です。……にもかかわらず、放っておく気ですか……
エルグレドはメルサの態度から、タリッシュが「捨て駒」に使われていることを読み取り、ルメロフに助言する。
「ルメロフ王……正王妃の御説明通りです。ジン大佐は、まだタリッシュを『戦闘不能』と宣言していませんから……現時点では互いに1本という状態です。ただ……あの剣士は確実に『死』へのひと突きを受けています。早々に治療を受けなければ……」
「何? し……死んでしまうのか?! 我の目の前で? 人が? それはダメだぞ! 人死には好かんのだぞ! ミラ王女の侍女に命じて……」
「なりません!」
慌てふためくルメロフを、メルサの一喝が制止する。
「名誉の剣術試合として双方が立っておる試合ですよ。カガワアツキの縁者が試合中の闘剣場に降りるということは……名誉を汚す反則負けとなります。もちろんあの剣士の縁者も同様……まあ大丈夫でしょう? ジンは『正しい判断』の出来る男ですから……」
「正しい判断」ですか……
エルグレドは拳を握りしめる。
部下の命を捨ててでも、アツキくんに「反則負け」を負わせる判断が……? 王の采配による救助を封じ、アツキくんの縁者が「勝手に」救助をするよう仕向けているワケですね……。今、私が飛び出して行っても同じ結果……その前にアイリさんが動くでしょうし……なによりも……
エルグレドはグラバたちのブースに向けている意識を確認する。
彼らの興奮と緊張が、またさらに高まっていますね……一体……何をしているのでしょうか……
グラバと従者たちは、先ほど来、ずっと法力を高める呼吸を続けている。エルグレドは彼らの異常な様子の原因を何とかして探りたいと願いながら、視線を闘剣場に向ける。
「ほ……本当に大丈夫か? メルサ正王妃……やはりミラ王女の侍女に……」
「『従王妃』ですわ……ルメロフ王」
突如投げかけられたミラからの訂正に、ルメロフは目をキョトンと向けた。
「『王女』では無く、今は『従王妃』です、陛下。それと……命懸けの根競べなら……御自身の命を懸けるべきなのでは? メルサ正王妃……」
怒りに満ち、震える声でミラは投げかける。この声に、メルサは機を得たように勢いよく席から立ち上がった。
「ミラ従王妃! 今の言葉は……」
「おお!? アイツは誰だ?」
メルサがミラに向け発しようとした抗議の声を、ルメロフの驚きの声が掻き消し響いた。
―・―・―・―・―・―
「アイリっ!」
篤樹は絶望的な表情で振り返りアイリを見たが、スレヤーもアイリも困惑の表情のまま動けずにいる。剣士以外が闘剣場に下り立てば、当該縁者の剣士は反則負けになってしまう……篤樹はルールを思い出しながらも、今はそんな悠長なことを言っていられない状況だとひしひし感じていた。
タリッシュは激しく大きな痙攣を終え、両手両足の震えが小刻みに残っている状態だ。見開いた目は、まるで膜を張り始めているように光を失って見える。口から溢れる血の気泡は、段々、細かな泡に変わって行く……ルエルフ村でシャルロが心停止に陥った時と同じだ。
「誰か! 早くタリッシュさんを!」
叫びながらジンに目を向けた篤樹は、その決意の表情からタリッシュの命が見捨てられているのだと理解した。
なんで……自分の仲間なのに……くそ!
「誰かー!」
篤樹は絶望的な気持ちで叫んだ。
「全く! なんて連中だよ!」
視界の端に、闘剣場に降り立ち駆け寄って来る人影を感じ、篤樹は目を向ける。
え?……この声は……
「ほらほらキミ! ちょっとそこをどいて!」
決して身軽には見えない小太り体型の男……内調隊の外套を羽織ったミゾベは、篤樹を追い払うようにタリッシュの脇に屈みこみ両手をかざす。
「いやいや……まったく……」
「ミゾ……ベ……さん?」
篤樹は突如訪れた助け手に感謝を覚えるよりも、「なんでこの人が?」という疑念に満ちた思いで呟いた。
「いやぁ、凄い突打だったねぇキミ! スレヤー伍長の直伝かい?」
ミゾベはタリッシュの首筋と胸部にかざした手を移動させながら、軽い口調で尋ねて来る。
「え? いや……あの……ミゾベさんが……なんで?」
尋ねられた質問に答えるよりも、なぜミゾベがここで登場したのか困惑する篤樹は尋ね返す。
「……ここで死なせるワケにはいかないんだよ。キミも、この人もね……ん?……コイツは……あの失礼な兵士か!……まったく……自業自得だな……。人を軽んじると思わぬ足をすくわれるものだ。私も昔は自分の力に 自惚れていた時があってねぇ……」
「おい貴様! 何をやってるんだ!」
タリッシュに治癒魔法を施し始めたミゾベに向かい、闘剣場の縁を回り駆け寄りながらジンが怒鳴りつける。しかし、ミゾベは手を休めない。
「……部下の命を、こんな茶番に投げ捨てるようなヤツが偉そうに……さて……あとは……」
ジンの姿をチラッと確認したミゾベは、かざす手の位置をタリッシュの右肩と左脇腹に変える。
あ……この位置は……
「セッ!」
ミゾベが短く声を発すると、タリッシュの身体がビクンと震えた。すぐに手の位置をタリッシュの心臓の上に移動させたミゾベは、何かを確認するように目を閉じ頷き、かざした手をジッと見つめ治癒魔法を続ける。
「ミシュバットで覚えたばかりの法術だが……なるほどねぇ……心臓の『震え』を先ず止めることで、止まった心臓の再起動をスムーズにいかせるわけなんだね。……うん……これは使えるなぁ……」
篤樹はミゾベが「何をしているのか」を理解すると、とにかくこの「心肺蘇生」が上手くいくことを祈る思いで見つめ続けた。
「ゲホっ! ゴホッ!」
タリッシュが口の血泡を、咳き込みながら吹き出す。
「ほ! 凄いなぁ……上手くいったみたいだよ……」
そう言うと、ミゾベはタリッシュの身体を横向きにして気道を確保する。
「……さて……これでとりあえずは大丈夫だろう……」
「あの……ミゾベさん……ありがとうございました……」
篤樹はとにかく先ずはミゾベに礼を述べた。ミゾベは苦笑を浮かべながら応える。
「ホントに……何年もかけて、ようやくここまでこれたってのに……まいったなぁ……」
「おい! 貴様!」
スレヤーたちの傍まで来たジンが、縁に立ってミゾベを怒鳴りつけた。
「その格好は内調の人間だな! キサマ、何を勝手な真似を……」
「内調……だよなぁ?」
隣に立つスレヤーが、ニヤニヤと笑みを浮かべ確認するようにジンに尋ねる。
「ああ? あの外套は内調だろ……?!……俺は知らんぞ!」
スレヤーからの問い掛け意図に気付き、ジンはハッとしたように首を横に振る。しかし、言質をとったスレヤーは得意気な笑みを浮かべたまま口を開く。
「さてさて……俺たちはエルグレドさんの部隊で、ルメロフ王直属の探索隊だからよぉ……『内調』とは縁遠いよなぁ? 『内調』は独立隊とはいえ、軍部と共に正王妃が関り深いんじゃなかったかい?」
「そ……それは……だがアイツは知らん! 勝手に乱入して来ただけで……おい! 貴様!」
ジンは突き刺すような視線をミゾベに向ける。ミゾベは、急に「恐怖におびえる低姿勢」を見せた。
「も、申し訳ございませんジン大佐! しかし……王前剣術試合の場で死人を出すことは、王の本意に反することではないかと……。私は治癒魔法にも覚えの有る身ですので、この剣士の心音が消えたのを確認し……慌てて処置を施させていただいた次第でありまして……」
致死的戦闘不能状態を放置していたジンに対し、この申し立ては効果的だった。治癒魔法術士が「心音消失確認」をしたという証言は、周りの観衆の耳にも届く。
「やっぱり戦闘不能だったんじゃないか?」
「生きてるのかしら? まだ起き上がらないわよ……」
辺りから漏れ聞こえる声に、ジンは身を震わせている。
「ジンよぉ……どっちでも良いぜ? 俺たちはよぉ。……縁者乱入による反則負けだろうが、致死的戦闘不能状態での敗北だろうが、おめぇの好きなほうを早いとこ宣言してくれや」
ジンの左肩に自分の右手を載せ、スレヤーは教え諭すように語りかけた。ジンはその手を払い除けスレヤーを睨み、そのまま王族観覧席へ視線を向けメルサと目を合わせる。メルサは怒りに満ちた目と、無理に作る平静を装った表情を向け、ゆっくり首を横に振り口を開く。
「困ったものですね。名誉の剣術試合に水を差す大馬鹿者が出ようとは……しかもよりによって『内調の者』でありながら!……仕方ありません。ジン大佐、宣言をなさい!」
下された指示を受け、ジンは方針を決めると大きく息をついた。
「この試合……当方縁者の乱入により、不本意ながら、我が剣士タリッシュの反則負けだ!」
ジンの宣言に続き、スレヤーも周囲を見回し大声で宣言する。
「先方立ち合い人ジン・サロン大佐の宣言を承知した! この試合……勝者は当方剣士カガワアツキである! 勝者の名誉を讃えよ!」
観衆から盛大な拍手と歓声が一斉に沸き起こった。王族観覧席でも、ルメロフ王をはじめ全員が席を立ち手を打って勝者への賛辞を表す。
闘剣場の真ん中に立つ篤樹の横にはすでにアイリが駆けつけ、右腕をしっかり包み込むように治癒魔法を始めていた。篤樹は響き渡る賞賛の声に動揺しながら、キョロキョロと周りに目を向ける。
「アッキー!」
そんな挙動不審な篤樹に向かい、スレヤーが声をかけた。視線を向けた篤樹にスレヤーは高々と右腕を天に突き上げ、勝利者の姿勢を見せる。つられるように篤樹も左腕をゆっくりと持ち上げた。
「勝者を讃えよ!」
再びスレヤーが大声を上げる。周囲の歓声は、さらに一段と大きくなった。
……終わ……ったんだ……よね? それに……勝った……勝ったんだ!
篤樹は急に勝利の実感が湧き上がって来る。勝った……勝ったぞ!
「勝ったぞーっ!」
心の喜びが、大きな叫び声となって飛び出すと同時に、篤樹は左腕を高々と天に突き上げる。鳴りやむことの無い大きな拍手と歓声が響き渡る中、篤樹は駆け抜けた活路を見つめる思いで、深く碧い空に目を上げた。
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