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第4章 陰謀渦巻く王都 編

第 172 話 仰せのままに

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「おはようアッキー……フワァー……早いねぇ?」

 最期の眠気を体内から追い出すように、エシャーは大きな欠伸をしながら声をかけてきた。

「あ、おはよう……なんだよ、眠いならまだ寝てれば良いじゃん」

 篤樹はゆっくりとした動きで両手を頭上まで掲げると、手の平を返し、今度はゆっくり下げながら静かに呼吸を整える。宿の裏の小高い丘の上、まだようやく周りの色彩が見分けられる程度の明るさを帯びて来た早朝からこの動作を繰り返していた。

「それがエルから教えてもらった『法力吸収』の基本なのぉ?」

 エシャーは珍しい動物でも見つけたかのように、大きな目を興味津々に見開き尋ねて来た。

「あ……うん……」

 もういっか……

 篤樹は自分の集中力が途切れたのを感じると、ゆっくり最後の深呼吸を済ませる。

「『あの後』……基本だけ教えてもらったんだ」

「あれだけ叱られた後で?」

 エシャーが楽しそうに笑いながら尋ねる。

 露天風呂での第二ラウンドは、宿の主人とレイラの突入により15分ほどで強制終了させられた。その後1時間以上、男3人は宿の食堂でレイラと宿の主人にたっぷり絞られることになったのだった。

「あ……うん……まあ……怒られて当然だしね……」

「さすがのエルもシュンとしてたねぇ」

 エシャーは思い出したように満面の笑みを浮かべる。

「なんか……タフカとあんな風に再会したり……俺たちに自分の秘密を全部話したりしたら……つい気持ちが緩んじゃったんだってさ。……色々とストレスも溜まってたんだろうね」

 幼い頃に遊んでもらった「近所のお兄さん」のように、自分と「全力で遊んでくれた」エルグレドとスレヤーの姿を思い出しながら、篤樹は自分でも「ちょっと生意気かな?」と思いつつ所感を述べる。

「まあでも、レイラさんのおかげで宿を出入禁止にならなかったし、法暦省にも通報されずに済んだから良かったよ」

 篤樹はエシャーに笑顔を向ける。エシャーも頷きながら応じた。

「だよねぇ。で? あの後は各自の部屋に『監禁』されたんじゃないの?」

「監禁って……まあレイラさんからの言いつけは守ったよ。『部屋に戻ったら朝まで出ちゃダメ!』って言われたから……部屋に戻る前に教えてもらったんだ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、篤樹はエシャーに答えた。一瞬驚いたような表情を見せ、エシャーは口を開く。

「あっ! 今のアッキーの笑い方。エルっぽかった! 何かズルした時のエルの顔!」

「ひどいこと言うなぁ……まあでも……とにかく『呼吸と同じくらい自然に法力を体内に取り込むこと』ってのが基本だからって……そもそも自分がどういう風に『呼吸』をしているのかをまず理解し、感じることが大事なんだって。で、この『呼吸訓練』を毎朝やるように教えてもらったんだ」

 そう言うと、先ほどと同じ呼吸動作をエシャーに実演して見せる。

「ふうん……」

 エシャーは興味深げに篤樹の動作を見終わると、無言で自分も同じ動作をやってみた。

「う~ん……分かんないなぁ? こんなんで法力が身体の中に入って来るの?」

「俺だってよく分かんないよ……とにかく、エシャーたちは『妖精種』だから呼吸と一緒に法力も自然に取り込んでるけど、人間種は意識的に『法力』を取り入れないと体内に溜められないんだってさ。法力を取り入れて溜められるようになれば、今度はそれを使って法術を発現出来るようになるって事だから……とにかく、エルグレドさんから言われた通り、日々の練習あるのみってこと」

 説明されている内容がやはりよく理解出来無いのか、エシャーはつまらなさそうに篤樹に尋ねる。

「ふうん……で、まだやるの?」

「あ……いや……今日はもう朝練終わり、かな?」

 東の空に完全に姿を現した太陽に、篤樹はチラッと目を向けた。

「今何時だろ?」

「私が出て来る時は7時だったよ。そろそろ朝ごはんの時間かも……」

 朝陽に照らされるエシャーの顔は、いつも以上に白く陽の光を反射する。髪の毛よりも少し濃いエメラルドグリーンの大きな瞳が、まるで南の海のようにキラキラと輝いて見えた。エルフ属特有の大きく尖った耳がピクッピクッと震えるように朝風に反応する。篤樹は我知らずその姿に見とれてしまっていた。

 なんだか……エシャーとこうして自然に話せるのって……楽しいよなぁ……

「……ねぇ?……ねぇ! アッキー?」

 つい、ぼんやりとしていた篤樹は、エシャーからの声かけに反応が遅れてしまった。

「あっ……ごめん! ちょっと……ぼーっとしてた。ごめん、何?」

「もう! あれ!」

 エシャーは篤樹の左腕を乱暴に掴み、強引に「回れ右」をさせると、左指で村の東側を指差し示す。言われるままにそちらを見ると、街道を村に向かい進んで来る複数の騎兵と馬車の車列が見えた。

「あれってエグデン軍だよねぇ? ミシュバに救援に行くのかなぁ……」

 エシャーは改めて「先ほどの問いかけ」を繰り返した。篤樹にはまだ馬列の掲げる旗標が確認出来ない距離だ。

「よく見えるなぁ……エシャーって目が良いんだね」

 視力検査をしたら両眼とも「A」だろうなぁ……しかも飛び切りの……

 変なところで感心しながら、肝心の質問には答えられないまましばらく目を凝らす。

「あ……うん……そうだね。エグデン軍の旗だし、あの服は軍部の騎兵だ……夜通し移動して来たのかなぁ?」

 2人は街道を進んで来る馬列をジッと見つめる。篤樹の左腕を握るエシャーの手に力が入った。

「痛ッ! ちょっと、エシャー!」

「あっ、ごめん!」

 篤樹の苦情を受け、自分の手に力が入り過ぎてしまった事に気付いたエシャーは慌てて手を離す。そのまま、今度は篤樹の左腕に自分の両腕を絡めるようにギュッと抱きついて来た。篤樹は一瞬どうしようかと迷ったが、そのまま「止まり木」のように左腕を貸しておくことにする。いつになく、不安と警戒をエシャーが感じているのが肌を通して伝わって来たからだ。

「……どうしたの? あの馬車……何か感じるの?」

 エシャーは馬列から目を離さずに篤樹に答える。

「……うん……すごく……いやらしい感じ……なんだかすごく不快で不愉快な気持ちにさせる……ワザとこっちに向かってその思いをぶつけて来てる感じ……」

 「いやらしい」という言葉に篤樹は一瞬ドキッとした。

 いや、でも俺は別に……いやらしい気持ちなんて……エシャーのほうからくっついて来たんだし……

 そんな自己弁護を心の中で繰り返しながら、なるべく自分の「腕」だけを貸すように、身体を少し遠ざけた。

「やれやれ……朝っぱらから面倒なことになりそうですねぇ……」

 いつのまにか、宿の窓枠からエルグレドとレイラも顔を覗かせていた。

「あっ……おはようございます!」

 篤樹は2人に朝の挨拶をしながら、この雰囲気には場違いな第一声だったかな?と感じ少し恥ずかしくなる。

「おはようアッキー……あなたを見てるわ……」

 レイラは笑顔を篤樹に向けて挨拶を返してくれたが、すぐに隣のエルグレドに語りかける。

 そっか……3人は「法術使い」だから、同じように気配を感じてるんだ……

 篤樹は気持ちを静め、ゆっくりと呼吸をする。エルグレドから教わった法力を取り込む呼吸をすれば自分も何かを感じ取れるのかも……

「何か嫌な匂いですねぇ……」

 宿のドアを開き、スレヤーが表に出て来た。エグデン軍旗を掲げた馬列を、全員が凝視している。

「スレヤーさんも分かるんですか?」

 篤樹は思わずスレヤーに尋ねる。

 法術使いじゃないのに……

「おお? おはようさんアッキー!……嫌な気配ってのは感じるもんだぜ? ここまで近付いて来りゃプンプン匂ってくんだろ?」

 匂いって……

 気配や匂いや「嫌な感じ」を車列からなんとか感じ取ろうと、篤樹も一生懸命に睨みつけるが……全く分からないまま馬列は宿の前まで進んで来た。騎兵たちの視線はジッとこちらを見ている。沿道の観客に 一瞥いちべつをくれているという感じではない。目的地を目指している視線だ。5人の予測通り、馬列は宿の前で停止した。

「すっかり忘れてましたね。そう言えば遺跡には『彼』もいたんでした……」

 エルグレドはうっかりミスで点を落とした答案用紙を受け取る学生のように、苦笑いを浮かべて呟いた。

「あら? やっぱりエルのお知り合いですの? あの『いやらしい方』は」

 レイラが微笑みながら問いかける。

「『やっぱり』とはどういう意味ですか? レイラさん」

 エルグレドも余裕の笑みで受け答えた。スレヤーはまるで木の枝で遊んでいる子どものような自然体で、鞘に収めている剣を片手で握って肩にトントンと弾きながら口を開く。

「どうします? 大将。作戦あれば指示を宜しくです」

 こちらも何だか楽しそうだ。不安と緊張を表面に現してるのは結局、篤樹とエシャーの2人だけだった。

「何もしなくても大丈夫ですから。そうですね……作戦名は『仰せのままに』といたしましょうか? 今後、何があっても、私からの指示があるまでの間は『直属指揮権を持つ誰か』に指示された通り従う、という事で」

 レイラとスレヤーは少し間を置くと、了解を示し頷く。

「分かったわぁ……隊長さんの仰せのままに」

「了解。大将の作戦なら間違いないでしょうからね」

「えっと……どういうことですか?」

 素直に聞き従った大人2人に比べ、こちらの2人は意味が分からない。篤樹の問いかけに対し、スレヤーが応える。

「ああ、アッキーとエシャーは何も難しく考えなくていいからよ。とにかく、大将からの指示があるまでは、言われるがままに過ごしてりゃ大丈夫って事だ。……要は『勝手に暴れるなよ!』ってこと。ほら……おいでなすったぜ……」

 完全に停車した馬車の御者台から手綱を握っていないほうの兵士が降り立つと、貨車の扉前に踏み台をセットし扉を開く。最初に降りて来たのは外套をまといフードを被った人物……あの「内調隊」の人間だと篤樹もピンと来た。次に降りたった人物も同じ格好をした内調の人間……その2名を従えるように最後に降り立った人物は、内調隊の外套をまとってこそいるがフードは被らず顔を見せていた。

「あっ……」

 篤樹は短く驚きの声を上げる。

「アッキー? 知ってる人?」

 降り立った人物と篤樹を見比べるように、エシャーが尋ねる。

「あの人……」

 馬車を降り立った3人は真っ直ぐ宿に向かい歩み寄りながら、窓から顔を見せているエルグレドに顔を向ける。

「おやおや、お気づきでしたか? エルグレド補佐官」

「馬車の中からあれだけ熱心に見られていれば、誰だって気がつきますよ、『 ミゾベ課長・・・・・』」

 丸顔の頬に押し上げられたような細い目の男……見た目30代の「デスクワーク専門」を思わせる体型のミゾベは、作られた愛想の笑みを浮かべエルグレドに応じる。

「ああ、お伝えしないといけませんね。わたくし、昨日正午付けでミシュバの危機管理室担当を外れましてね……国内情報調査即応部隊に配属されたんですよ」

「また……内調?」

 エシャーが小声で篤樹に呟いた。

 あの人……エルグレドさんが言ってた「あちら側」の人間……従王妃ミラ様って人の手先?

 篤樹はミシュバット遺跡でのミゾベの不審な態度を思い出し、ジッと推移を見守る。

「とんだ左遷をくらったもんだねぇ、課長さん」

 宿の扉前に立つスレヤーが、嫌味たっぷりの皮肉で出迎える。ミゾベは明らかにムッとした表情を浮かべたが、すぐに愛想笑いを取り戻す。

「栄転と言うんだよ、スレヤー伍長。君は階級が下がるほど偉くなるとでも思ってるのかね?」

 そう言うと、頭1つ分以上は背が高いスレヤーの前に真っ直ぐに立ち顔を上げる。

「私は軍階級置換で言えば曹長同等なんだよ? 意味は分かるね?  伍長・・・

「なんだよ……やっぱりピュートより下か……」

「プっ……」

 篤樹たちにも聞こえるほどのスレヤーの呟きに、2人は思わず吹き出した。ミゾベは顔を真赤にすると語気を荒げる。

「伍長!」

「はっ! 失礼いたしました曹長殿! どうぞ!」

 スレヤーはまるで門衛兵のように仰々しく軍隊式敬礼を行うと、宿の扉を開いてミゾベ達に道を譲った。

「きさ……クソッ! 礼儀をきちんとわきまえたまえよ、伍長!」

 捨て台詞を吐くミゾベを先頭に、内調隊3名が宿の中へ入って行く。エシャーはその背中に向かって大きく「あっかんべぇ!」と舌を出した。スレヤーは篤樹と視線を合わせると、中へ入るように顎で促す。篤樹、エシャー、スレヤーの順に列を組み、3人は一緒に宿へ入っていった。
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