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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 78 話 ガナブ

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「侵入者は3階だ! 急げ!」

「屋上に逃げ込んだぞ! 全ての階段から上り追い詰めろ!」

 灯りの消えた文化法暦省ミシュバ本庁庁舎内に、職員の怒鳴り声や階段を駆け上る靴音が響き渡っている。
 篤樹達は2階の特別応接室の中に待機していた。エルグレドとルロエは職責としてビデルを警護するため両脇に立っている。エシャーはルロエに抱き寄せられていた。

「……ビデル閣下が来庁しているこのタイミングでの非常事態となると……この部屋が狙われてくる可能性もあります……庁舎内の灯りが戻るまで、各自でしっかりと警戒してください。篤樹君、廊下の様子は?」

 エルグレドの指示に従い、篤樹はもう一度部屋の扉を開き廊下の様子を確認した。目が暗闇に慣れてきたのか、建物の外から射し込む月明かりや町の灯りでも何とか廊下を見通せる。どうやら庁舎内に残っていた大半の職員は、侵入者を追って上階に向かっているようだ。

 扉を開いて顔を出していた篤樹の後頭部を、何者かが突然「パチン!」と叩き、廊下を駆け抜けていった。

「痛ッ!」

 実際の痛みよりも、突然の予期せぬ衝撃に驚き、篤樹は声を上げる。

「どうしました!」

 エルグレドの声が背後から投げかけられた。篤樹は「いえ……」とだけ応じ、叩かれた後頭部をさすりながら「何か」が駆け抜けた方向に目を向ける。

 ……何だ? 人間? 小人?

 薄暗い廊下の先に人影らしきものがボンヤリと見えた。こちらを見ている視線を感じる。

「誰かが……」

 篤樹はその人影をよく確認しようと目を凝らした。

 小柄な人間……子ども?

 ゆっくりとエルグレドが篤樹の背後に近づく気配を感じる。その時、窓から差し込む月明かりで「人影」の顔が見えた。

 あ……さっき、馬車に乗っている時に見かけたあの子だ!

「ね……ねぇ! ちょっと!」

 篤樹が扉を完全に開き廊下に飛び出すと、ハッキリと「子ども」と目が合う。それどころか、その子は明らかに篤樹に向かって手招きしている。

「誰か居るんですか?」

 エルグレドが篤樹の背後から廊下に顔を出した瞬間、「子ども」は階段を駆け下りていった。

「追いかけます!」

 篤樹は状況の説明ももどかしく、一言だけ叫ぶと廊下を駆け出す。

「アツキ君! 気をつけて! 深追いはしないで下さい!」

 背後でエルグレドの声が響く。

 追いつけるかなぁ? 

 廊下の端まで辿り行き、篤樹は左側にある階段へ目を向ける。すぐ下の踊り場で「その子」は篤樹を待つように立っていた。

「あ! ねぇ、ちょっと……」

 子どもは再び「ついて来て」とでも言うように手招きをすると、階段を駆け降りて行く。

 ちょ……待てよ! 俺に? 何の用が……

 篤樹への手招きを不思議に感じつつ、とにかく真意を知りたいと後を追う。

 俺に用があるにしたって……わざわざこんな厳戒態勢の法暦省庁舎に侵入して……え? 侵入者って……じゃあ「あの子」がガナブ……って事? え?

 子どもを追って階段を駆け下り、1階のホールに降り立った篤樹は辺りを見回した。庁舎裏口に向かう廊下にあの子は向かっている。

 クソッ! 何だよ! 用があるなら……ここで立ち止まって話せよ!

「うわっ!」

「なんだ?」

 廊下にいた2人の職員が、書類箱を撒き散らして倒れていた。子どもは自分の姿を職員達に見られないよう、巧みに駆け抜け、裏口の扉から外へ出て行く。篤樹もすぐに扉まで駆け付けると、そのまま外へ飛び出した。
 裏路地には箱や袋が雑然と置かれていたが、それら障害物を上手に飛び越えながら「その子」は庁舎からどんどん離れていく。その後姿を追いながら……篤樹は何か懐かしさを感じていた。

 なんだろう? あの子の走り方……あの後ろ姿……。ってか、速ぇよ!

 子どもは路地裏を巧みに駆け抜け、法暦省庁舎から3ブロックほど離れた静かな緑地帯へと入って行った。追いかけてくる篤樹との距離を一定に保つ「こしゃくな真似」に熱くなり、エルグレドからの「深追いはするな」という忠告を無視して、篤樹は林の中まで駆け込んで行く。

 あれ? あの子……どこに行った?

 緑地帯の外縁に立つ木々を抜け、少し開けた草原に出た所で子どもの姿を見失った篤樹は、辺りをキョロキョロ見渡した。

「……しばらくぶりだのぉ。賀川ぁ」

 突然、背後から声をかけられた篤樹は驚き身をすくめる。だが、すぐには振り返られなかった。頭の中で、呼びかけられた言葉がグルグルと回り出す。

 しばらくぶり……カガワ……って?……え?

「……どしたぁ?」

 再度の呼びかけで、ようやく篤樹は背後にゆっくりと顔を向けた。そこにはあの「子ども」がニコやかな笑みを浮かべて立っている。追いかけ続けて来た疲労と息切れを急に感じる……だがそれ以上に、目の前に立つ「子ども」の言葉に、篤樹は思考が停止したように呆然となっていた。

「おいおい! しばらく見んうちに、ずいぶん衰えたんじゃなかろぉかい? 見た目はあん頃のままなんに」

 あの頃……のまま……? このしゃべり方……え? 何で……

「はる……か?」

 篤樹は、自分でもこの答えがどんなに馬鹿な答えかを分かっていながら……そう聞かずにはいられなかった。
 どう見たても「こっちの世界」の子ども……リュシュシュ村のビルよりもまだ幼い、小学校4年か5年くらいの……ボーイッシュな少女というか、可愛らしい男児というか……とにかく、高山遥とは似ても似つかない外見のこの子どもに対し、問いかける言葉ではないと頭では分かっている。
 しかし、篤樹の中の「同族との波長」とも言うべき思いは……大きな期待に膨らみ出していた。

「おお! さすが賀川じゃ!……長年離れておったのに、見事に見抜かれたかぁ!」

 その「子」……いや、高山遥はその外見通りの幼い声でコロコロと笑う。

「久し振りじゃ! 賀川ぁ!」

 ひとしきり笑った後で遥は子犬のように篤樹に駆け寄り、両手を広げて腰に抱きついて来た。

「ホントに……はる……か……?」

 飛び込んで来た「子ども」をしっかりと抱きしめながら、しかし同時に今、何が起こっているのか……篤樹の思考は停止したままだった。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「……そおかぁ。湖神様とかになっとる先生だけじゃなく、香織たちにも会えたんかぁ……良かったぁ! ずっとあの2人の事が気になっとったんじゃ」

 想像もしていなかった同級生高山遥との再会に驚き喜びつつ、とにかく篤樹はあのバス事故の後に自分の身に起こった一連の出来事をざっと説明した。

 2人は草原に置いてある、ちょうど手頃な岩に腰掛けていた。

「……だからさぁ、遥ぁ……お前とはもう、こっちの世界でも会えないんだろうって……俺、マジで心配したし、寂しかったんだぜ……」

 篤樹は亮たちから「遥が殺された時の話」を聞き、どれほどショックだったかを改めて言葉にして伝えた。

「そうそう!……ウチもショックやったわぁ。まさかウチ、自分が殺されとるなんて夢にも思ぉとらんかったからなぁ」

「大体、なんでお前……そんな『子ども』になってんだよ?」

「ん? どうした? 羨ましいか? この『若さ』が」

「バカ! 若いんじゃなくて幼いんだよ!……ってか、えっとさぁ……男の子? 女の子?」

 篤樹はとりあえず気になる所を確認してみる。

「おおっと、露骨に失礼な! まさか賀川がウチを女子と認識してなかったとは……」

「じゃなくて! その……今の……その身体のお前だよ。……大体なんで『この世界の子ども』になってんだよぉ?」

「ああ、この身体か? 女子じゃ。という事で見せて証明してやることは出来ん! 諦めぇ」

「別に見たかねぇよ!……どっちか分かんないなぁって思っててさ……お前、今日、俺が馬車に乗ってる時から見てただろ?」

 篤樹は法暦省に向かう馬車から「今の遥」を見たことを告げる。

「お! 嬉しいねぇ。さすが同級生! ウチの熱い視線にやっぱり気付いてくれとったかぁ。追いかけて来た甲斐があったぞ」

「……で、なんでそんなんなってるわけ? 35~36年前なんだろ『殺された』のってさぁ……こっちの世界で『生まれ変わり』とか体験したってのか?」

 遥は岩からポンッと飛び降りて篤樹を正面に見る。薄緑色の虹彩が特徴的な大きな目、白い肌、緑色のショートヘアに帽子を被る「ボーイッシュな少女」からは、元の遥の姿を微塵も連想出来ない。

「困ったもんじゃのぉ……ウチも……その原因をずっと探しとるんじゃ……」

「え? お前、自分でも分かってない……ってワケ?」

「そういうこっちゃ……亮と香織を小屋ん前に残して、山ん中歩いとってなぁ。ちょっと高い所から見渡したら、なんか見えんかなぁって思って……で、手頃な岩によじ登ろうした所で、後ろから何者かに襲われてな。そこでまず1回目の記憶飛びじゃ。気が付いたら、何や手足縛られて、口にも何か巻かれとってな……袋ん中に入れられとった。誰かにどこかに運ばれて……で、袋が開いたら変なおっさんが何人かおってな。そん時に『実験体』とか『身寄りが無い』とか言うとった。で、また袋詰めじゃ。あん時ぁ辛かったなぁ……一体ウチどうなるんやろう? って不安で不安で。そっから、どっかの施設に連れて行かれた感じじゃった。そこで変な匂いの布を鼻に押し当てられてな。で、二回目の記憶飛びじゃ。んで、誰かに無理矢理起こされてな……そん時、『チガセか?』とか聞かれたんで『中学生です』って答えたんじゃ。そしたらその『チガセ』とやらにそのまま勘違いされて……『身体は助けてやれんが助けてやる』って言われてな。で、3回目の記憶飛びから目覚めたら……この身体になっとったっちゅうわけじゃ」

 遥も『チガセ』だから助けてもらったって事か?

「……ワケは分からんし頭も痛い。身体も全然自由に動かせんまま……古いお城みたいなところに入れられてな。妙な婆さんと2人っきりで1年ほど過ごしとった。なんや『身体と馴染むまで』って言っとったから……脳みその取っ替えっこでもされたんかな? と。後から聞いたら開発途中の『心意転移魔法』とか何とか言いよったなぁ。ワケ分からんけど……とにかく生きとるし、何とかみんなと会わにゃあ思って……少しずつリハビリに励んだんじゃ。でも、自由に動けるようになるまで結局……2年ちょっとかかったかのぉ。にしても変な婆さんと2人っきりの2年間はむごかったぞぉ。料理は抜群に美味かったけど、色んな意味で話の通じん婆さんでなぁ。気ィが狂いそうじゃった!」

「……そのさぁ、途中で誰か来たりしなかったの? そのお婆さんも誰かに頼まれただけで……もともと遥を助けてくれたのって、別の人だったわけだろ?」

「それな! ウチもそれが知りたくって情報集めを始めたんよ! そしたらさぁ、ウチを助けてくれた誰かさんやら、ウチをさらった誰かさんやらの着てた服が『文化法暦省』ってとこの職員の服だったってのが分かってさ……で、狙いを定めて法暦省ってとこの情報収集を始めたんじゃ」

「……じゃあ、やっぱり遥が『ガナブ』って盗賊なわけ?」

 篤樹の問いに遥は薄く笑むと、首を横に振った。

「『ウチが』ってより……『ウチら』がって感じかのぉ?」

 すぐ近くで法暦省職員や巡監隊の笛の音が鳴り響く。篤樹が笛の音に驚き周囲を見回した一瞬の間に、遥は林のそばまで移動していた。その周りには「今の遥」と同じ年代に見える「子ども」が20人近く集まっている。

「ハルさん! 早く!」

 1人の子どもが声をかける。

「分かってる!……賀川ぁ……『アイツら』とツルむんなら……よぉけ気ィつけぇよ。特にあの部屋ん中におったヤツにはなぁ……それと……ウチらの事はうまく誤魔化しててな……侵入者はホビットみたいなヤツやったとでも言っといてー!」

 子ども達がサッと林の中へ駆け込んで行く。篤樹は慌てて遥に声をかけた。

「ちょ……なんで……? 遥ぁ!」

「……ウチをこげんにしたのは『アイツら』なんじゃあ!」

 林の中から遥の声が返って来た。

「遥……なんで……」

 篤樹は突然の……しかも短時間の……そして予想もしていなかった「同級生」との再会に、喜びを噛み締める間もなく、また「独りぼっち」になった寂しさに包まれた。

 アイツ……生きていたんだ……「子どもの身体」になって……。でも……なんでその身体が子どものまんまなんだ? 成長しない特別な身体? その件に法暦省が絡んでる? 遥の「元の身体」を切り刻んで殺したのが……法暦省? ガナブはその真相をまだ探っている途中で……遥がガナブのリーダー? 気をつけろって……エルグレドさん? それともビデル大臣? だめだ! 全然分からない!

 遥からの情報に混乱する頭をなんとか整理しようと、篤樹は立ったまま考えを巡らせていた。

「誰だ! そこで何をしている!」

 林の中から数人の男が飛び出して来た。服装から見て法暦省の職員と巡監隊員のようだ。手にはエルグレドが持っていた先端の光る棒やランタンを持っている。

「あの……僕……」

 言いかけた篤樹は、ふと格好をつけたくなった。子どもの姿ながら何となく「盗賊のリーダー」の風格を見せた遥に触発されたのかも知れない。

「おい! 答えろ!」

「僕は……エグデン王国文化法暦省大臣兼王室非常時対策室室長ビデル・バナル閣下の……補佐官エルグレド・レイさん……と一緒に旅をしている者です……」

 結局、自分には何の地位も名誉も権限も無い事を思い知るだけの「見栄」にしかならない。
 しかし、並べ立てた「大物」の名前効果で、職員らは篤樹の身元をすぐに確認すると、丁重に庁舎まで送り届けてくれることになった。
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