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第2章 ミシュバットの妖精王 編
第 76 話 朗報
しおりを挟む「生きて……エル……」
木漏れ陽のようなキラキラした光をまぶたに感じる。
「あなたは……生きて……お願い」
イヤだ……もう……独りぼっちで生きるのは……「キミとの時」が終わって……独りで生きるなんて……
「お願い……生きて……」
無理だよ……フィリー……君がいるから生きていられた……君を失った世界で生きるなんて……無理だ……
「生きて……お願い……いきて……きて……エル……おきて……起きて! エルグレド!」
エルグレドは自分の名を呼ぶ声にハッと目を覚ました。
巻き上げられた後ろ開きのほろが馬車の動きに合わせて揺られ、陽の光を断続的に遮る影を作っている。
「ねえってば!」
エシャーが荷台後部で寝ているエルグレドの身体を揺すっていた。エルグレドは自分が「あの森の中」ではなく馬車の中にいる事を思い出し、完全に夢から現実に目覚めた。
「やっと起きた! エル、起きたよー!」
エシャーが御者台のレイラに向かい声を上げる。エルグレドは半身を起こし、荷台の枠木にもたれかかった。
久し振りに……「あの頃」の夢を見た……何年ぶりだろう……
「えらくうなされてましたけど、大丈夫ですかい?」
正面に座っているスレヤーが心配そうに声をかける。
「え? うなされてましたか……」
「ねぇねぇ、どんな夢見てたの? 涙なんか流して」
「涙……?」
エルグレドはエシャーからの指摘で、自分が「泣いていた」ことに気づく。
なんでだろう? 悲しい夢? あの時の……
「ねぇ、『フィリー』って誰? もしかしてエルグレドの恋人?」
「フィリー……そんな名前を言ってましたか?」
「エシャーは耳が良いなぁ? 俺ぁ聞こえなかったぜ?」
スレヤーが驚いた声をだす。エルグレドは首を振りながら答える。
「……昔の……友人の名前です。そうですか……うなされていましたか……」
「ちょっとぉ、エル? 起きたんならこちらに来てくださる?」
御者台からレイラの声が聞こえた。エルグレドは立ち上がり荷台を前方へ移動する。御者台に座るレイラの後姿……長い髪……エルフ族の特徴的な大きく尖った左右の耳が、頭部の側面から出ている。
そうか……レイラさんのせいで思い出してしまったのか……
「どうしました?」
エルグレドが御者台そばに顔を見せると、レイラの横に座っている篤樹が地図を片手に見ながら尋ねる。
「あ、エルグレドさん。この先で道が分かれてるそうなんですけど、左がミシュバットの遺跡で右がミシュバの町ですよね。予定よりちょっと早い時間なんで、先に一度遺跡に寄ってから町に入るのもありかと……それともやっぱり予定通り、まずは町に入りますか?」
エルグレドは篤樹の手から地図を受け取り、懐中時計を取り出し時間を確認する。
「そうですね……ザッとでも全体を見ておけば、明日からの探索を考える時にみんなのイメージも湧きやすいでしょう。では遺跡を回ってから町に入るとしましょうか? レイラさん、代わりますか?」
「ミシュバットを出る時に代わって下さる?」
「分かりました。では遺跡まではこのままお願いします」
エルグレドはそう告げると荷台へ戻ろうとした。
「……フィリーってどなたですの? 夢でまでお会いされるような仲のお方?」
レイラが茶化すように尋ねてきた。
「え? 私、そんな大きな寝言を言ったんですか?」
「ええ、聞こえましたわ。お名前と……あとは何だかうなされてるお声が……」
「レイラさん耳良いですねぇ。僕は何も聞こえませんでしたよ?」
篤樹がレイラの『地獄耳』に驚く。
「さぁ? 昔の友人の名です……でもどんな夢を見たのかは秘密にしておきます」
エルグレドはそう言って笑うと荷台に戻りながら考えた。
エシャーさんとレイラさん……エルフのお二人か……。これほどの時間を「エルフ」と過ごすのも久し振りな上、ビルの一件もあったから……影響を受けたんでしょうねぇ……
馬車はほどなく進むと分かれ道を左へ曲がり、ミシュバット遺跡方面へ進んで行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あれがミシュバットの遺跡……」
篤樹は眼下の広大な廃墟群をみて息を飲んだ。イメージしていた『遺跡』はピラミッドのような建造物がいくつか建っている程度のものだったが、今、小高い崖の上から見下ろすミシュバットの遺跡は10km四方はあろうかと見える広大な面積の「町」だった。木々の生えていない茶色い山に三方を囲まれ築かれている古代の都市……
「2000年以上も経っていながら、こんなにきれいに町の姿が残っているなんて……」
篤樹から驚き洩れる呟きにレイラが答える。
「戦や災害で滅んだ町じゃ無いからよ。一説によれば一時期は2万人以上が住んでいたそうよ。それがある日……突然誰一人住む者がいなくなってしまった……町を囲む山もどんどん木々が枯れ、山肌がむき出しになり、命を示すものが何も無くなってしまった。あまりに異常で突然の町の終焉の姿から『呪われた都市ミシュバット』と人々は恐れ、数百年間誰も近寄らなかったそうよ。……それに、人がいないからサーガも興味を示さなかった。おかげで破壊もされなかったのが、町が原型を留めたまま遺跡として残された要因ね」
レイラの言葉にエルグレドが続ける。
「法暦省の管轄として本格的に調査が始まったのも、ここ10数年です。それまでは人がまとまって立ち入る事も無かった遺跡ですので、保存状態は極めて良いと言えます。ただ、建造物としての風化は激しいので僅かな衝撃でも簡単に倒壊してしまいます。そのせいで調査隊の作業も慎重に慎重を重ねてのものなので、まだ遺跡全体の10分の1の地域も調査を終えていない……という現状です」
ゴーストタウンっていうヤツか……
篤樹はテレビでみたことのある「捨てられた町」の姿を思い浮かべた。町の姿はそのままに、ただ人だけがいなくなった町……草木が生える地なら2000年も経てばジャングルのような状態になるのだろうが、ここはまるで砂漠のような荒野だ。町全体が砂で築かれたようにベージュ色に染まって見える。
「まあ、私達は遺跡の調査ではなく町の北側……あの山の切れ目付近に在る『結びの広場』を中心に、ルエルフ村へ入るための手がかりを探すことが今回の目的ですから……そんなに危険は無いでしょう」
エルグレドが指差す先には、山肌もあらわな低い岩山が見える。
「で……今日はこれから遺跡に入りますの? それともミシュバへ向かいます?」
レイラが引き馬の手綱を片手で握り、エルグレドに渡す素振りを見せる。
「町に向かいましょう。今から遺跡を回るとさすがに夜になってしまいますから。『結びの広場』跡地の探索は準備を整え、予定通りに明日から始めましょう」
篤樹が荷台へ退き、エルグレドが手綱を持つ。レイラは御者台の横へずれて座る。
「あ……それと、エシャーさん?」
エルグレドが馬車を動かす前に荷台に声をかけた。
「え? なぁに?」
「朗報ですよ。お父様もビデル閣下の護衛でミシュバの町に来られているはずです」
「え! お父さんが?」
エシャーが喜びの声を上げる。
「サガドの町で大臣の予定を確認しました。急遽ミシュバの町を視察する用件が出来たようですね。王都から向かわれているので、恐らく今日にはお着きになっておられるはずです」
「やったー! お父さんに会えるぅ!」
エシャーは大喜びで篤樹に抱きついて喜んでいる。
ルロエさんが……一週間ぶりだなぁ……
篤樹もルロエとの再会は楽しみだ。
だけど……
エシャーの喜びを全身に受け止めつつ、篤樹は両親や姉妹達の姿を思い浮かべた。
10日以上も家族と離れ離れに過ごすなんて……今まで考えたことも無かった。生まれた時からずっと一緒に暮らすのが『当たり前』の存在だった家族……3日間の修学旅行が終わればいつものように会えるはずだった家族……。何の心の準備も出来ないまま10日以上も会えなくなるなんて……いや……10日どころじゃない! この先、ずっと……永遠に会えないのかも……
エシャーを抱きしめる篤樹の手から力が抜けた。その様子に気付き、エシャーがゆっくり離れる。
「ごめん……アッキー」
篤樹の目から涙がこぼれたのを見て、エシャーははしゃぎ過ぎた自分を反省するように謝った。
「どうしたよ、アッキー?」
異変に気づいたスレヤーが声をかける。
「あ、いや、ごめん……一週間ぶりに……ルロエさんに会えるのは……俺も嬉しいよ……ただ……俺は家族といつ会えるのかなぁって……そもそも、また会えるのかなぁって……」
篤樹はエシャーに謝りつつ、自分の気持ちを素直に語った。
「あ? 家族に会えねぇってのはそんなに悲しい事なのか? 俺ぁ、生まれてこのかた『親』も『兄弟』も知らねぇから分かんねぇなぁ……そんなに良いもんなのかい?」
「私も母以外は知らないわよ。『父』なんてあんなのですから。その母とも50年以上会っていないし、どこにいるのやらも……」
スレヤーとレイラが持論を述べる。それを聞いてエルグレドは苦笑いを浮かべながら話に加わった。
「レイラさんもスレイも特殊なケースですよ。生まれて以来ずっと一緒に過ごしてきた肉親と、ある日突然会えなくなってしまったアツキ君の気持ちも考えて上げて下さい」
2人は「あ、しまった?」という表情で篤樹を見る。
「あ、いや……大丈夫です。すみません。僕……ちょっと」
「ごめんね……アッキー……」
エシャーも心配そうな顔で篤樹を見る。
ええい、俺は何を言ってるんだ! せっかくエシャーが喜んでるのに……
「いや、ホントに。そりゃ、ちょっとは『いいなぁ』と思うし、俺だってまた家族に会いたいなぁって気持ちはあるけど……でも、それとこれとは別だよ。俺だってルロエさんに会えるの楽しみだよ」
篤樹は笑顔でエシャーにそう答え、エルグレドに話を振る。
「エルグレドさんのご両親やご家族は元気なんですか?」
「私は……1人っ子でしたから。両親とも幼い頃に死に別れ、孤児院のような場所で育ちました。両親の事はハッキリと覚えていますし、2人と離れた後は絶望的な気持ちでしばらく過ごしましたよ。『一緒にいて当然』の家族とある日突然会えなくなるのは本当に辛いものです……家族だけでなく、親しい人との別れなら……全て同じでしょう」
篤樹はハッ! とエーミーを思い出した。
そうだ! エシャーだって……お母さんとあんな『お別れ』をしたばかりなのに……
エルグレドの話を聞きながらうつむいてしまったエシャーに、篤樹はもう一度声をかける。
「ごめん……でも、ルロエさんに会えるの、楽しみだね」
エシャーは複雑な表情を一瞬見せたが、しっかりとした笑顔を浮かべた。
「うん!」
「じゃあ、出発しますよ。座ってください」
エルグレドが手綱を打つと、馬車はゆっくりミシュバの町に向かって進み始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミシュバの町は、ミシュバット遺跡から馬車で30分足らずの平野に建てられていた。サーガや獣の侵入を防ぐため、法力増幅素材の高い壁で町全体が囲まれている。雰囲気としてはタグアの町に似ているが、あちらは大規模な農地までを囲っていたのに比べ、ここは市街地域だけを囲っている、という感じだ。
「……一応確認までに伺いますけど、まさかここでも法暦省の職員宿舎が宿……なんてことはないでしょうね?」
レイラが手綱を握るエルグレドに尋ねる。エルグレドはニッコリ微笑みながら応じた。
「一応確認はしたんですが、残念ながら宿舎の利用は断られました」
「あら、それじゃ……」
レイラはどこの宿に泊まれるのかと、嬉しそうにエルグレドの次の言葉を待つ。
「ですから、今夜から遺跡の探索が終了するまでは探索隊用のベースとして1軒の家を借りる事になっています」
「ええっ? 借家って……お食事は? お風呂は?」
レイラが抗議の声を上げる。
「当然、自炊ですよ。お風呂は付いている家ですからご自由に使われて下さい。あと、門限はありませんから探索に支障が生じない程度にはご自由にお過ごし下さっても結構ですよ」
エルグレドはすまして答える。
「朗報でしょ? 貸家を格安で手配していただいた分、食費は少し贅沢できますよ」
西陽を背後から受けながら、探索隊の馬車はミシュバの町の門をくぐっていった。
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