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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 74 話 レイラの弟子

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「みなさーん、清々しい朝ですわよー! さぁ、出発しましょう!」

 大賢者ユーゴの出身地、法術士の聖地リュシュシュ村の村長屋敷に、朝早くからレイラの声が響き渡る。

「おお、レイラさま。こんな朝もお早くに……おはようございます」

 村長が眠そうな目を必死に開きながらレイラの下へやって来た。

「あら、村長。昨夜は大層なお振る舞いをありがとうございました。朝の湯浴びも堪能させていただきましたわ。本当に素敵な温泉ですわねぇ!……ところで殿方のお部屋はどちらかしら? お屋敷が広くって、お部屋が分かりませんの」

「あ……ああ……男性陣はまだお休みのご様子ですか? そうだ! どうですか、村を一巡りお散歩されて来られては? お戻りになられる頃には朝食のご用意も整うでしょうし、皆さまもお揃いになられるかと」

 村長の提案にレイラも興味を示す。

「あら、素敵な御提案ですわね!……それじゃ、エシャーも誘って行ってこようかしら?……そう言えばエシャーを見かけませんでした? 朝起きたらお部屋に姿が見えなくって……」

「あ、ああ、エシャーさんですか? 昨夜は私の妻と遅くまで話しておりましたから、そのまま妻の部屋で休まれたのではないかと……お声掛けしておきますから、どうぞお出かけ下さい」

 レイラは「ん?」と首をかしげる。

「あら……それは失礼をしましたようで……ま、それじゃ私、少しお散歩に行ってまいりますから、皆さんにはそのようにお伝え下さいますかしら?」

「はい。かしこまりました。お勧めは西の丘の上でございます。目覚めの早い法術士らが修練しておりましょうが、この時間でしたら村に注ぐ朝陽の絶景が拝めるはずでございますよ」

 村長はレイラを玄関先まで送り出すと、懐中時計を取り出した。

「5時か……皆さんがご心配されておられた通り、酒癖の悪さと朝の目覚めの良さは王国一の女傑のようですね……」

 大きな欠伸をしながら、村長は屋敷の中へ戻って行った。


◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「ああ、何て美味しい空気なの! こんな日は良いことばかりが起こりそう!」

 レイラは御機嫌で村の中をのんびり歩く。牛や鶏の鳴き声が遠くから近くから聞こえてくる。木々の上からは、姿は見えないが小鳥のさえずりも鳴り響く。

「ホントに……素敵な朝ですこと」

 レイラは鼻歌を響かせながら歩を進めた。牛や馬や小鳥達の鳴き声が、やがてレイラの鼻歌に合わせるようなメロディーに変わっていく。レイラはますます気分がよくなり、とうとう高らかに歌い始めた。
 四方を山に囲まれたリュシュシュの村に響き渡るレイラの美しい歌声と動物達のハーモニーが、東の山から顔を出し始めた朝陽に照らされ、目に見えない光の粒のように村全体を覆っていく。

「……ああ! 気持ち良かった!」

 目の前に見えてきた村の西の丘の手前で一曲を終えると、レイラは丘の上に目を向けた。

「あら、本当に朝早くから修練なされてるのね……」

 丘の上に数人の人影が見える。

「みなさーん! おはようございまーす!」

 丘に見える法術士達にレイラは声をかける。しかし、その声に気付いた人影はなぜか丘を大きく迂回しつつ「まるで逃げるように」パラパラと散って行ってしまった。

「あら? ランニングのお時間かしら?」

 レイラは不思議に思いながら丘を登り、残っていた若い法術士に近づいた。

「あっ、レイラ様! おはようございます!」

 レイラが近づいて来たことに気づいた若い法術士は満面の笑みで挨拶をする。まだ相当若い……というよりも『子ども』だ。

「おはよう、坊や。朝早くから精が出てるわねぇ」

「はい! 一流の法術士になるには法力の整えが一番大切だと師匠に言われてますから! 朝一番の空気と陽の光を受けて力のコントロールを身体に刻み付けているところです!」

 少年はゆっくりした動きで、自分の周りにある空気を確かめるように手足を動かしている。

「ふうん……人間は私達と違って生まれながらに法力をコントロール出来ないから大変よねぇ。でも、あなた筋は良さそうね? おいくつ?」

「今年で13になります。まだまだですよ……」

 レイラの言葉を励ましのお世辞と受け取ったのか、少年は首を横に振り修練を続ける。

「あら? お世辞じゃなくてよ。エルフの目は人間の法術レベルを読み取る力があるんですから。間違いなくあなたには素質がありますわよ」

「ホントですか!」

 少年はレイラが真剣に自分を評価してくれていることを感じたようで、今度は体の動きを止めてレイラの目を見て確認する。

「本当よ。……せっかくだから、他の皆さんの法術も見ておきたかったのに……急におられなくなってしまったわね。何かスケジュールがおありだったのかしら?」

「あ、いえ。多分みんなレイラ様のことを恐れたのではないでしょうか? 昨日のお働きを見ていた者たちですから」

 臆面も無く答える少年に、レイラは引きつった笑みを向けた。

「あら? そうですの……私を『恐れて』逃げ出した、と……。あなたはどうなのかしら? えっと……あなたお名前は?」

「あ、ぼくビルジャロンと言います。みんなからは『ビル』って呼ばれています。僕はレイラさまを恐ろしいなんて思いませんよ。お声がけいただき、光栄です!」

 レイラは一瞬ドキッとした。朝陽に照らされたビルの顔は、まるで絵画に描かれている伝説の妖精王のように美しい光を放っている。

 あら? この子……将来色んな意味で有望かも……

「あ……あらあら、そう? ビル、ね。よろしくねビル」

 レイラは何だか焦ってしまった。純粋で真っ直ぐな瞳……邪気のない希望に満ちた眼差し……この少年……なんだかイイカンジだわ!

「ねぇ、ビル。あなた魔法は何か使えるの?」

「え……いや……今はまだ何も……今は『技』よりも基本を身に付ける時期だからと師匠が……」

「ふうん……随分と慎重な御師匠さまなのねぇ。私から見れば、もう充分以上に基礎は備わっていそうだけど……」

 レイラは足元に転がっている石を拾う。

「この石の組成は何か分かるかしら?」

「え? それは……安山岩……ですよね?」

「正解。構成物は?」

「えっと……」

「頭で考えないの。知識として蓄えているのなら、あとは『これ』を見てその組成をイメージするのよ。よく見て」

 ビルは言われた通りジッとレイラの手に持つ石を見る。

「分かる? 斜長石、輝石、角閃石、黒雲母に石英……」

「はい……見えます……分かります……僅かだけどチタン石に磁鉄鉱……」

「そうよ。この一つの石はいくつもの物質がつながりあって出来てるの。それぞれの物質もまた原子レベルの小さな粒がつながりあって出来ている……」

「はい……全ての『粒』を感じます……見えます」

「じゃあ、その『粒の膜』……そのつながりが解かれるようにイメージをして」

 ビルはレイラの言葉に従って集中する。自然と右手がレイラが手にする石へと向けられていく。

「さあ、この『つながり』を解いて!」

「はい!」

 ビルが返事をすると同時に、レイラが手に持っていた石が粉々に分解された。

「あ!」

「ね? 簡単でしょう? あなたの今現在の法力が有れば、この位はすぐに出来るわ。その歳でこれだけの法力を身につけてる人間はそうそういないはずよ。分かった? お世辞ではないって」

 ビルは自分の右手をジッと見ながら驚いた表情でいる。

「あ……ありがとうございます! 凄いです! 僕、初めて……初めて『法術』を使えました!」

「お師匠様とやらにしっかりお礼をすることね。あなたの素質を理解して、あなたに必要な修練を導いて下さってたからよ。ちょっと教えが遅い気はするけど……ま、今のは『分解』だけだけど、これから『抽出』や『結合』や『成形』など、色々と応用の法術を学んでレベルを上げれば、目指す以上の法術士になれると思うわよ」

 ビルは未だに自分の初めての法術となった『分解』魔法に驚きを隠せない様子だ。

「やっぱり……森の賢者様は人を導く業にも優れておられますね!……みんなも御教授いただけば良かったのに……」

 ビルはニコニコしながら呟いた。

「こんなに優しい素晴らしい方なのに……」

 ん? 意味深なビルの呟きにレイラは固まった笑顔のまま首を傾げた。

「おい! ビル! そこで何をしてる!」

 丘の上の林の中から、エルグレドと同年代ほどの若い男が出てきた。

「あっ! 師匠!」

 ビルはピシッと気をつけの姿勢になり頭を下げる。師匠? あれが? レイラは我が目を疑った。

「ちゃんと修練はやってんのかぁ?」

 そう言いながらジロジロとレイラを見る。

「エルフのレイラさんが俺の『弟子』に何か御用ですか?」

 レイラは口元の笑みだけを残し、冷ややかな目で男を見つめ首を傾げた。

 こいつ……なんか……違うわねぇ……

「ガブロさん見て下さい! これ!」

 ビルはレイラの手の平に残る「砂」を指差しながら嬉しそうに声を上げる。

「僕の法術で出来たんです! 初めて!『分解』が分かったんです! レイラさんに教えてもらって! ガブロさんの……師匠の教えが良かったんですって! ありがとうございます!」

「はぁ?『分解』? なんだそりゃ?」

 ガブロはビルに近づく。

「俺が言ったメニューをこなさなきゃ、法術士なんかにゃ一生なれねぇぞ!」

 そう言うと、ビルの頭を強くはたいた。

「あっ……すみません!」

「あんたも、人の弟子に要らん口出しせんでくれや!」

 ガブロはレイラのそばに立つビルの手を掴んで引き離そうとする。

 このガキ……

 レイラの頬《ほお》に満面の笑みが浮かんだ。

「それと、ビル! 今月の授業料、今日こそは持って来ただろうな?」

「あ、す、すみません……昨日のサーガの件でリュウさん達も大変だったみたいで……今日お給金をもらいますから明日の朝には必ず……」

 返答の途中で、ガブロはもう一度ビルの頭をはたく。

「今日もらうんなら、今日、俺のとこへ持って来い。仕事終わったらすぐに!」

「あ、はい……」

「ちょっとよろしくて?」

 2人が振り向くと、レイラがにこやかに背後に立っていた。

「おわっ……な、なんですか! あんた! もう用は……」

「ガブロさん……でしたっけ? 少しお話しをよろしいかしら?」

「はあ? 俺は別にあんたと話なんか……」

「まあまあ……」

 レイラはガブロの右肩に手を置いた。

「ちょ、何……い、痛て、痛い、たたた、グワーッ痛ッ!」

 ガブロは右肩を抑え、地面に倒れると苦しそうに悶える。

「あら? 大丈夫ですか?」

 レイラは痛みに転がるガブロの右足を掴んだ。

「な……ぐ、グァー! 痛ってぇー!」

「ちょ、ちょっと……レイラさん? え? し、師匠! どうしたんです!」

 ビルが心配そうにガブロへ駆け寄る。

「クソー! 痛いって! 何だよ! いってーよー!」

「これも『分解』の一種ですわ。ご存知無いのかしらぁ? 法術指導者なんでしょ?……『基礎をしっかり教えてあげる良い指導者』なのかと思えば、どうやら基礎しか知らない『エセ指導者』だったってことかしら? 免状が無い者が法術を指導した場合、どうなるかは当然御存知ですわよねぇ、師匠さん」

 ビルはどうすればいいのか、何が起こってるのか分からずにオロオロしている。レイラは苦痛に転がり続けるガブロを見下ろすとタメ息をついた。

「この程度でお話しも出来なくなるなんて……ホントに……」

 そう言ってレイラは屈むと、ガブロの右足に手を置き、引き続き右肩に手を置いた。ガブロはしばらく地に転がっていたが、痛みが引くと恐怖に引きつった顔でレイラを見上げる。

「な、何をするんです! 痛い……痛いじゃないですか!」

「大袈裟ねぇ。ちょっと骨と筋を『分解』しただけでしょ。医療魔法の基礎でもあれば自己治癒魔法で『結合』出来るでしょうに……あなた『もぐり』でやってるわね? 法術指導」

 ガブロは何も言い返せずに目を泳がせる。

「どうなんですの?」

「いや……資格はあるんだよ、ちゃんと……その……免状をもらう手続きだけなんだ……あとは……」

「無資格ですわね?」

 レイラがさらに問い詰める。ガブロは「クソッ!」と言って立ち上がる。

「おい、ビル! 行くぞ!」

「行かせませんわ!」

 ビルを連れて立ち去ろうとするガブロを、レイラの厳しい声が引き止める。

「はぁ? いい加減にしろよ! こいつは俺の弟子で……」

「免状を持たない無資格者が法術指導をした場合、最高刑は死刑ですわよ?」

 ガブロの顔がみるみる蒼ざめ、そして紅くなる。

「クソッ……ビル……お前ぇは今日で破門だ! 授業料は今日中に……」

「そのお金を受け取ったなら、立派な違法指導の証拠になりますことよ」

「チッ……わぁかったよ! 金も要らねぇし指導もしねぇ! それでいいかよエルフさん!」

 レイラは満面の笑みでガブロを見つめる。

「理解する能力は法術の基本ですわ。よく出来ました」

「クソッ!」

 そう言い残し、ガブロは再び林の中へ姿を消して行った。ビルは2人のやり取りを見ながら、何も言えずにオロオロしている。

「あの……僕、これからどうすれば……」

「ついていらっしゃい」

 レイラはそう言うと丘を下り始めた。ビルはガブロが立ち去った林を心配そうに見たが、意を決したように翻ると、レイラの後を追って坂を下っていった。
 ビルが後方から駆けて来る足音を聞きながら、レイラは満足そうに微笑みを浮かべる。

 ほら、やっぱり良い事に出会えたわ!
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