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第五話「亜光速ドライブ」②

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「さすがエリーや。ああ言う無駄に偉そうなおっさんの相手させたら、手慣れたもんやな」

「あんなの他の貴族に比べたら、可愛いもんですわ。ととっ……な、なんですの! これっ! ムギュっ!」

 エリーさんの身体にロックベルトが巻き付いて、最大拘束状態になってる……。
 
「シートフィッティング……すぐ緩くなる。発進カウントダウン始まるから、もうそのままでいて……ください」

「ビ、ビックリしましたの……」

 そこまで、派手なGをかけるつもりもないみたいで、エリーさんの拘束もあっという間に引っ込んでいって、4点式シートベルトのみになる。
 
 私はもう指先一つまで拘束バンドに覆われて、身体も全然動かせないけど、問題ない。
 
 おトイレも宇宙港に着いた時に済ませといたから、大丈夫!
 パイロットスーツじゃなくて、制服だからさすがにトイレに行きたくなったら、とっても困るところだった。

『全搭乗員に通達。出港手続きオールクリア、まもなく本艦は、出港プロセスに入ります。亜光速ドライブ起動、カウントダウン30、29、28……』

「あ、あたしもドキドキしてきたわ……。ユリちゃん……亜光速ドライブって初体験なんやけど、これってどんななんや?」

 アヤメ先輩が不安そうに聞いてくる……亜光速加速時の重力加速度シミュレーション実施……と。

「最大加速3G設定……ジェットコースター並?」

 もちろん、瞬間でってことなので、実際は大したもんじゃない。
 ただ、トイレ我慢してたりしたら、ちょっとした危機に陥る可能性は……ある。

「ユリコさん……わたくし、実は急におトイレに……」

 ……エリーさん、なんでそれ……今、言うの?
 も、もう手遅れなような……。
 
 でも、確かにそれは、乙女の尊厳に関わる事態だと思う。
 無重力環境でお漏らしとか、自分もだけど、周りも大惨事になる。
 
 ユリから言えることがあるとすれば……。
 
「エリー部長……今は耐えてっ!」

 ……もうこの一言しか無かった。
 エリーさん、ちょっと青ざめるんだけど……大丈夫!
 
 ユリはエリーさんがお漏らししても、墓場まで持っていきますから!
 
 そして、無情にもエルトランのカウントダウンは続く。
 
『重力カタパルト励起、電磁レールライン設置完了……誤差及び重力バランス修正完了、全パラメーター、オールグリーン。カウントダウン5、4、3、2、1……射出』

 ……音もなく、広いゲートから一瞬で宇宙空間へ。
 
 一面の星空……直後、電磁レールラインに沿って、ものすごい勢いで加速プロセスが始まる。
 同じところをグルグルと周りながら、段階的に加速……速度計表示が凄まじい勢いで上昇していく。
 
『速力1300……1500……2000……まもなく、0.01光速、秒速3,000km到達……。3300……本艦は亜光速領域へ入りました。イナーシャルキャンセラー正常動作中……最終加速時間は10分、最終速度0.1光速を予定』

 ……実際はとんでもない加速度が加わっているはずなのだけど、加わった衝撃や加速度をそのまま中和する反重力フィールドの展開により、加速Gはほぼゼロのまま……時折、微妙な電磁ガイドの隙間で姿勢を乱して、旋回Gや加速Gが加わり、瞬間的に3G近くまで跳ね上がるんだけど、うまく調整してるようで、すぐに安定する。
 
 エリーさんやアヤメさんの様子も問題ない……。
 どっちも目をつぶって、頭をヘッドレストに強く押し込みながら、余波の重力波に耐えているようだった。
 
 未経験の割に、割と適切な対応が出来ているのは、VRシミュレーターか何かで訓練してたのかも。
 人間、とっさに訓練してないことなんて、普通できない。
 
 窓の外を見ると、星がものすごい勢いでグルグルと流星雨のように流れていっている。
 じっと見てると目が回るので、横は見ない……亜光速ドライブの初期加速時の鉄則。
 
 けれど、徐々に加速レールラインの半径が広くなっていくので、その動きは徐々にゆったりとしたものとなっていく。
 一見すると、速度が落ちているように見えるけど、速度はむしろ上がっている。
 
 実物は見たことないけど、VRシミュレーター上で光速の9割の世界を体験したこともある。
 あれは、もうこんなもんじゃない。
 
 基底時間とのズレや、星の光が前方に集中していく、スターボウ……亜光速の世界では色々と不思議な事が起こる。
 でも、1光速も1/10光速も宇宙の広さの前には、大した違いはないのですよ……。

『現在、秒速15000……16000……17000……艦首プラズマシールド展開。キャノピー装甲展開します……以降、外界観測はモニター映像となりますので、ご了承ください。惑星クオン上空管制センターより、現在の空間状況からの推奨フライト軌道提示、ユリコ艦長、最終確認及び承認を願います。今日はなかなかの好天に恵まれたようで、問題も起きようがありませんね』
 
 モニターにコースが表示。
 亜光速状態のまま、惑星クオンを掠めるように一旦通過、折り返して、惑星の公転方向へ回り込みながらUターン、減速スイングバイ軌道を取りつつ、惑星クオン周辺で楕円周回軌道を繰り返し、減速、そのまま静止衛星軌道に乗るまでの行程。
 
 さすがに、惑星クオン上空にダイレクト軌道で飛ばして、キャッチさせるなんて無茶はしないらしい。
 一見非効率的に見えるのだけど、わざわざ遅く射出する方が電磁ガイドレールの再配置やら出力最適化で手間がかかるので、近くの場合でも、亜光速ドライブの標準速度……1/10光速で飛ばして、目的地付近をグルグル往復させて減速させるのが、一般的だったりするのです。
 
 いずれにせよ、管制AI達とエルトランが相談し合って、これが最適だと判断したのだから、特にこちらからケチを付けたり、注文する必要もないのです……この手の細かい軌道計算や効率計算はAIに任せるに限るのですよ。
 
 ……承認の意思提示、ほんの少しだけ人差し指をタッピング。
 
『艦長承認確認、フライトプラン確定しました。本艦速度、亜光速ドライブ規定速度、秒速30000kmに到達……加速フェイズ終了しました』

 軽くかかっていた横Gと加速Gが感じなくなる……慣性飛行中。
 
 グラビティーフリーフォール……そんな風にも呼ばれる重力の軛(くびき)から解き放たれた瞬間。

 ああ……私は、また宇宙(そら)に帰ってきたんだ……。
 
『本艦は只今、慣性航行状態で光速の10%の速度で惑星クオンへ航行中。本フライトにおける全行程は約1800万キロを予定しております……まもなく惑星クオン付近を通過しますが、本周回では視認範囲外となります。次回周回時以降であれば、もっと近くを通りますので、目視可能かと思われます』

 惑星クオンの周囲、一周大体350万キロくらいの楕円軌道を全部で6周ほど、グルグルと周回する感じ。
 惑星クオンの公転軌道の後ろから迫り、追い抜く形でUターンする減速スイングバイ軌道。
 
 惑星の公転運動エネルギーを減速エネルギーに転換する重力ブレーキとも言える20世紀の頃から使われてる古典的な航法なんだけど、エネルギー効率が良いので、今でも星系内航行では、当たり前のように使われている。
 
 初回周回所要時間は、わずか2分。

 徐々に減速していくので、周回時間は増して行き、クオンへの最接近距離も近づいていくことになる。
 所要時間は、加減速時間込みで30分程度……クオンとの150万キロの距離は通常航法だと遠くて、亜光速ドライブだとむしろ近すぎるので、こんな回りくどいとも言えるコース設定となる。
 
 惑星クオンを挟んで、恒星の正反対ラグランジュ点に浮かぶエーテル空間へ続くゲートまででも、亜光速ドライブだと所要時間は最短で2時間45分。
 
 長くても、4時間もあれば、ゲートまで着いてしまう。
 星系内移動には十分すぎるスピードだと思う。
 
 加速フェイズが終わってしまえば、後は宇宙を亜光速で漂いながら、時折軌道修正……たまに微細デブリがヒットしてるけど、前方に向かって吹き出しているプラズマフィールドで焼き払ってるので、問題にはならない。
 
 今回のフライトは、エルトランのお手並拝見ってことで、もう一任することにしたので、ユリも割と暇なのです。
 
 宇宙を飛ぶ……訓練飛行で一回飛んだきりなんだけど……。
 VR体験はそれなりの時間行っていたので、思ったより感慨は沸かない。
 
 でも、やっぱり気持ちいいなぁ……上も下もない。
 視覚を遮断すると、どこまでも落ちていくような……何もかもから解き放たれたような感覚に包まれる。
 
 もっとダイレクトリンクの深度を深めたいって、誘惑に駆られるんだけど……。
 それやっちゃうと完全に一人の世界……せっかく誰かと一緒なんだから、それはないよね……。

「……宇宙の旅……エリーさん、アヤメさん……どう?」

 二人の感想を聞きたくて、名前を呼ぶ。
 
「意外とすんなり行ってしまって……正直、拍子抜けですけど、実は目が回ってますの……それに心なしか気持ちが悪いですわ……」

「だ、大丈夫?」

「た、多分……乗り物酔いですわね……情けない話ですわ」

 加速度病……要するに、乗り物酔い。
 
 普段、体験しない方向からの加速度や揺れ、見慣れない視覚情報の影響で、身体の平衡感覚と実際の身体状況の間にずれを起こしてしまい自律神経障害を起こす……誰にでも起きうる症状。
 
 私みたいな無重力環境や高重力環境向けに調整されてる強化人間だと、全く無縁なのだけど。
 生身の人間、それもコロニー育ちにはキツかったのかも……。
 
 アヤメさんも、やっぱり青い顔をしながら、口元を押さえてる。

「エ、エルトラン……!」

『……バイタルモニター値は、正常範囲内かと。拘束を緩めた上で、ナノマシン処置を行うことも可能ですが、いかが致しましょう?』

「なんのこれしき、わたくしは大丈夫ですわ。リバースとか間違っても致しません! わたくし、淑女なのですから!」

「あ、あたしも大丈夫やで……。ちょっと気持ち悪くなったし、クラクラしとるけど、平気平気……」

 加速プロセスの光景……超高速回転する流星雨……アレは確かに酔う。
 目を瞑るなり、映像処理を施せば、加速度自体は問題ないレベルなので、あまり問題なくなるのだけど……。
 
 その辺、全然考えてなかったし、ちゃんと注意しとけばよかった。
 
「……そんなに、心配そうにしないでくださいまし。もう大丈夫ですから……」

「せやな……。あたしら乗り物慣れしとらんって、ちゃんと言わなかったのも悪かったしな。と言うか、前にバスでコロニーの端っこの工場まで、見学行った時のほうがしんどかったで」
 
「あの中途半端な揺れ……なかなかキツイものがありましたわね……」

 まぁ、そんなもんかも……。
 ユリも今度、無人バスとか乗ってみよう……。
 
 それにしても、エルトランの操艦……めちゃくちゃ上手い。 

 イナーシャルキャンセラーの出力調整が巧み過ぎて、加速Gも最低限だったし、姿勢制御や進路変更のスラスター制御も無駄ってものが全然ない。

 ……私でもびっくりするほど上手い。
 うーん、ユリもなかなかスジがいいって褒められたけど、さすが60年選手のベテランAI……全然、比較にもならない。
 こりゃ、他の艦や管制AIから、一目置かれてるのも当然。
 
「これから、何度も……だから、慣れて」

 そう言いながら、やっぱり、心配なので思わずエリーさんをじっと見つめてしまう。

 ユリは人一倍頑丈なので、普通の人には気を使いすぎるくらいで丁度いい……そう思ってるのです。

「そうですわね……。もう大丈夫ですから、ねっ!」

 エリーさんが気丈に微笑む。
 まぁ……心配してもしょうがないか。
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