美しい怪物

藤間留彦

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第1話 或る日の食事③

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「どう? 気に入った? 僕からのプレゼントだよ」

 呼吸が荒くなる。興奮しているのではなく、動転していた。床に転がった、それを目にしたから。

「なん、で……」
「なんで? 愛しい人が苦しんでいたら、助けてやりたいと思うのは正しい愛のありようだろう?」

 「愛」だなんて、嘘くさい言葉はないと思っていた。僕がそんな言葉を嘘偽りのない心で口にする日が来るなんて思わなかった。

 僕は床に転がっている、数分前まで人だったものを見詰めている彼を強く抱き締めた。

「今も激しい痛みに苛まれているんだろう? 命を投げ出したいほどに苦しんでいるんだろう?」

 誰かを抱き締めたいと思ったことは無かった。誰かを尊く想い慈しむことも無かった。自分自身さえ如何でもよかった。僕の人生は空虚そのものだった。彼に、出逢うまでは。

 身体を離し、彼の両肩を掴んで真っ直ぐに瞳を見詰める。

「でも君は百年以上前から今日に至るまで、いつだって自分の命を選んできた! だったら、今やるべきことは一つじゃないか!」

 僕の顔を見たシェーンは、まるで悪魔に心臓を握られてでもいるかのように恐怖に慄いていた。

 僕は放心しているシェーンを頭から血を流した、かつて女だった肉塊の前に誘導する。朱色の絨毯に水溜まりのような染みができているのを見て、次からは片付けやすそうな汚れてもいいものを部屋に敷いておこうと反省する。

「さあ君の餌だ! 食べて見せて!」

 シェーンの視界に入るように肉塊を挟んで正面の位置に回り、仰々しく両手を広げてみせる。

 奥歯を噛み締め、膝に置いた手を強く握り、苦悶の表情を浮かべたシェーンは、唐突に呻いた後、身体を抑えた。痛みが走ったのだ。このままでは数日と持たないだろう。

 その痛みが、彼に決断させた。

 一枚一枚丁寧に服を脱ぐ。服なんて破けようが汚れようがどうでもいいのだが、物を異様に大事にするのは彼の生まれが関係しているのだろう。
 一糸纏わぬ身体を見て、きっと多くの人間が美しいと評するのだろうと思った。オイレンベルク男爵もこの身体が欲しくて小姓にしたのだろうから。
 しかし僕はこれを美しいとは言わない。本当の美しさは、この肉体の向こう側にある。

 と、シェーンが前屈みになった瞬間だった。背中から背骨を裂くように棘のような牙のようなものが、ぶちぶちと音を立てながら現れた。かと思うと、殻を破るように人間の皮が弾け飛ぶ。内側に収まっていたとは思えない、三倍以上の体積の彼が目の前に出現した。辺り一面に腐臭が漂う。

「ああ……! 愛しのシェーン……!」

 感嘆の声を上げ、その美しい生き物を見上げる。

 鎌状の細長い手や六本の足、赤黒い肌、頭部は凡そ人ではなく、大きな双眸と口だけがある。見た目はザリガニなどの甲殻類に近いだろうか。口から垂れ落ちた消化液が時折絨毯に落ちて焼けるような臭いと音を立てる。そして身体のあちこちが腐れ落ち、体液が漏れ出していた。

 しかし、ただ二本の黒い腕だけが、人間の名残を残しているようだった。

 シェーンはその腕で足元の女だった物を抱え上げる。初めて人を殺したから、力の加減が出来ずに頭が潰れてしまったようだ。
 彼はぽろぽろとその大きな瞳から涙を溢し震えながら、しかししっかりと口を開けて、その肉に食らいついた。

 ──ああ、なんて美しいんだ!

 食事の邪魔をするわけにはいかないから、心の中で叫んだ。

 肉を喰む音、骨が砕ける音、消化液で焼ける肉の匂い──その全てを堪能しながら恍惚感に浸った。
 シェーンの美しさは凶暴なその姿で肉を貪るだけではないところにある。

 腐り落ちる肉体を保つため、ただ生きるために、人を食わずにはいられない。しかし命を喰らう罪悪感は百年以上経った今でも彼を苛み、こうして懺悔の涙を流し続ける。

 彼は正しく彼そのものが美しいのだ。

 シェーンはあっという間に全てを食べ尽くして、目の前にはわずかに女の服の一部だけが残った。

「泣かないで、美しい僕のシェーン」

 血で口を濡らしたシェーンに、そっと寄り添うように抱きつく。消化液が服についたのか焦げ臭い匂いがしたが気にしない。

「愛している」

 僕はただ惚けたようにそう呟いた。



 あの日僕の人生は変わった。真っ暗な世界に雷光のように鮮烈な光が差し込んだかのような、そんな大きな衝撃があった。
 たった一人の美しい君と出会い、恋に落ちたあの日から。
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