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第三節「杯の魔女、あるいは神敵【魔王】の帰還」
SCENE-058 真性竜種にかすり傷一つ負わせられるようなスペックではない
しおりを挟むエヴナ庭の中をぐるぐると何周もして。ちょこまかと飛び回る小竜のことを捉えきれない伊月が音を上げるよりも、想定以上の魔力を流し続けられた〔イチイバル〕の魔力流路が焼き切れる方が早かった。
「あぁっ!?」
そのうちまずいことになるだろうとは思いつつ。もうちょっと、あと少しだけ……と〔イチイバル〕の警告表示を見て見ぬ振りしていた伊月は、ついになんの反応も返さなくなったスラスターにこれでもかと悲痛な声を上げて。思ったように曲がりきれず、空中を流れてしまった機体の上で小さな子供のように足をバタつかせた。
「もうちょっとで当たりそうだったのに!!」
そうは言いつつも、当初十二枚あった浮遊装甲は七枚にまでその数を減らしていて。すばしっこい小竜を得意の精密砲撃ではなく弾幕でやり込めようと、非殺傷設定とはいえ魔弾の撃ちすぎで、〔イチイバル〕に砲撃ユニットの部品として埋め込まれた魔力結晶はその輝きを見る影もなくくすませている。
下手に知識や技術のある伊月から酷使された〔イチイバル〕はだいぶん限界だった。
メインフレームに組み込まれた主砲が無事なのは、それが実体弾を使うタイプの魔砲で手加減のきかない代物だったからという、それだけの理由でしかない。
もっとも、仮に伊月が〝的当てゲーム〟のルールを忘れて〔イチイバル〕の主砲をぶちかましていたとしても小竜にはかすりもしなかっただろうし、万が一当たったところでどうということもなかっただろうが。
「(さすがに当たらないよ)」
〔イチイバル〕が使い物にならなくなるほど飛び回っておきながら、疲れた様子もない。
羽ばたきの音もさせずにすーっと近付いてきた小竜が機首にとまると、慣性で宙を漂っていた機体がその場にぴたりと静止する。
「かすりもしなかったら私がご機嫌斜めになるかもしれないとか、そういうことは少しも考えなかったわけ!?」
「(〔影の皇〕は使わなかったし、あんまり手加減したらその方が嫌かと思って)」
「それはそうなんだけど! くやしい! わざとギリギリで避けてたでしょ!? もてあそばれた!!」
小さな子供のようにじたばたするのを止められない伊月がきゃいきゃい騒ぎながらも、観測用プローブ代わりに飛び回らせていた浮遊装甲を手元に戻すと。〔エヴナ〕の描き出した魔導円が伊月と奈月、ついでに小竜のことも乗せた〔イチイバル〕を工房の中へと回収した。
「おかえり」
「ただいま!!」
一人だけ工房に居残っていた鏡夜は〝伊月の弟〟として〔エヴナ〕にもてなされ、仮眠用のカウチですっかり寛いでいる。
〔エヴナ〕が自身の仕事のために保有している人型端末の一体が、主人である伊月は呼んだ覚えもないのにカウチのそばで控えていた。
「〔エヴナ〕ぁ、交換部品はストックしてあるやつを使わないで、神経銀はドラグーンで使われてる一番いいやつ発注して」
「――はい」
ちょうどいいやと〔イチイバル〕から降りた伊月が声をかけると、お仕着せ姿のオートマタは控えめに首を傾げる仕草。
「砲撃ユニット、及び推進ユニットも損耗率が交換推奨レベルに達していますが、そちらも現行の構成からグレードアップを行いますか?」
「そこまでいくと一から組んだ方が早くない? ドラクレアからの魔力供給ありきだとあとはどこかアップグレード推奨なの? お金足りる?」
「見積もりを出しますね」
奈月も降りた〔イチイバル〕――まだ〔浮遊〕しているくらいのことはできる故障機――をメンテナンスユニットの方に押しやってから。カウチの前にやってきた伊月が、ローテーブルにあった飲みかけのアイスティーを鏡夜に断りもなく煽り、飲み干すと。空になったグラスと交換するよう、〔エヴナ〕のオートマタが仮想端末の表示領域を差し出してくる。
そこにずらっと並ぶパーツの一覧は、伊月が予想していた通り〝だいたい全部〟。
いったい何を残せるのか教えてもらった方が、いっそ話は早く済みそうな有様で。
最後に記されたパーツの合計額も、既製品なら何かしらのブランド名を冠しているような〝ちょっといい機体〟が一括購入できてしまうくらいの金額になっていた。
「ひゃー……」
「お金なら、私が出してあげようか?」
思わず情けない声が出た伊月に、金額を確認することもなく太っ腹なことを言い出した奈月は、伊月に対してだけ異様なほど腰を低くしているが、これでもティル・ナ・ノーグの最高権力者だ。
ティル・ナ・ノーグの全てはドラクレアのもので。ティル・ナ・ノーグにいる限り、ドラクレアの思い通りにならないことなど、そうはない。
そして、伊月はそんな貴種に見初められ、吸血鬼としての〝牙〟を捧げられた〝薔薇の君〟。
ドラクレアが際限なく甘やかそうとするから。主人の意を汲んだ人造王樹によって、伊月とて、変に意地を張らなければ、このティル・ナ・ノーグ――扶桑樹が丹精込めて整備している王庭――で何かに困るということはそうそうありえない立場を、望むと望まざるとにかかわらず手にしているわけで。
「いやべつに。それは大丈夫。前はドラクレアの伴侶手当てを使わないようにしてたから、私もだいぶ溜め込んでる。功罪配当があるティル・ナ・ノーグなら生きてるだけで毎日収支プラスだし。ドラクレアもそうだけど、私がお金に困るレベルの散財って逆に難しくない?」
「扶桑に言って用意させればその支払い自体、発生しないよ?」
「まぁ、物質的に満たされたティル・ナ・ノーグでの通貨って、ないと不便だから設定してる、って感じのやつだしね」
すんっ、と真顔になった伊月が見積もりの表示された表示領域を返すと。〔エヴナ〕のオートマタは殊更恭しい態度でそれを受け取った。
「もういっそタンデム機を別で組むから、〔イチイバル〕は一旦買い置きのパーツで飛べるようにだけしておいて」
「かしこまりました」
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