歌のふる里

月夜野 すみれ

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第五章 魂に紡がれゆく謳

第四話

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 次の日から小夜は楸矢にピアノを教わるようになった。
 柊矢も楸矢が帰ってくるまで小夜にピアノを教えていた。
 椿矢を捜すといっても、歌声が聴こえないときに中央公園に行っても無駄だろう。
 ムーソポイオスならベンチに座って鳩に餌をやるよりは歌いたいはずだ。
 だから、歌っていないなら少なくとも中央公園にはいないと言うことだ。
 こんなことなら連絡先を聞いておくべきだった。
 ムーシコスといっても現代の日本人だ。スマホくらい持ってるだろう。
 今度会ったら聞いておこう。

 椿矢は公園で歌ったりして暇そうに見えたが案外忙しいらしい。
 なかなか彼の歌声は聴こえてこなかった。

 椿矢の歌声が聴こえてくるまで待つつもりだったが、何日たっても聴こえてこないのにれて中央公園に向かったときのことだった。

 やっぱり、いないか。
 いつも椿矢がいるベンチの辺りに来たものの、そこに座っているのは孫を連れて遊びに来たらしい高齢の女性だけだった。
 引き返そうと踵を返すと、そこに沙陽が立っていた。
 柊矢は黙って沙陽を睨み付けた。
 沙陽が解毒剤を持っているのではないかということは真っ先に考えた。
 毒がある言うことは、万が一自分にかかってしまったときのために解毒剤も持っている可能性が高い。
 だが、沙陽にだけは頼りたくなかった。
 もっとも、沙陽がくれるとも思ってないが。

「どう? 条件を呑むならあの子の喉を治してあげる」
「条件?」
「ムーシケーを溶かすのに協力することと、あの子を家から追い出すこと。金輪際あの子に関わらないって約束すれば、もう手は出さない」
「それを信じると思ってるのか? あいつを家から追い出した途端殺すんだろ」
 お前の腹は読めているんだとばかりに答えた。
「そんなことはしないわ」
 白々しさを通り越した言葉に、柊矢は呆れて言葉も出なかった。
 ムーシカでなければ封印できないのだ。
 柊矢と楸矢が演奏すれば他のムーソポイオスが歌うとは言え、ムーソポイオスの協力が必要な柊矢や楸矢と違い、小夜は他のムーシコスの協力がなくても一人で封印できる。
 柊矢と楸矢が――楸矢が協力するとは思えないが――沙陽に荷担しても小夜が封印のムーシカを歌えばムーシケーは凍り付く。
 あくまでムーシケーの意志に従う小夜は沙陽にとって障害でしかない。

「考えてることは分かってるわ。あの子の喉を治すのはムーシケーを溶かしてからよ」
 沙陽は何とか柊矢を説得しようと下手したてに出ていた。
 しかし、柊矢は答えなかった。
 何度溶かしても、封印のムーシカを歌われた時点でムーシケーは凍り付く。
 それは沙陽だって分かっているのだから小夜の喉を治したりするはずがない。

 そこまでして森を、水を、大地を凍り付かせておきたい理由が、ムーシケーにはあるのだ。
 それがどうして沙陽には分からないのか。
 自分の利益のために自然の法則をねじ曲げる。
 それは地球人が大昔からやってきた過ちだ。

 ムーシケーから来た者だからこそ、ムーシコスだからこそ、それが理解できなければならないのではないのか。
 沙陽はムーシコスであることにこだわり、自分と地球人は違うと思っているようだが、やろうとしてることは地球人と全く同じだ。
 だが、そんなことを言っても無駄だろう。
 沙陽には沙陽の理屈があるのだ。

 二人が分かり合うことはない。
 小夜は関係ない。
 これは柊矢と沙陽、二人の認識の違いだ。

 沙陽にとっての現実や考え方が、柊矢のそれとは違いすぎるのだ。
 だが、それすら沙陽には理解できないだろう。
 言い回し的な意味ではなく、現実に二人は違う世界に住んでいて、全く違うものを見ているのだ。

「あの子を助けたくないの?」
 沙陽が期待を込めて訊ねた。
「あいつは助ける。お前の手を借りないでな」
 柊矢はそう言って沙陽に背を向けると、駐車場に向かって歩き出した。

 こうなると、椿矢も危ないな。
 椿矢は残留派だ。
 沙陽にとってはいる価値のない人間だ。
 小夜の命を狙ったこともあるくらいなのだから、柊矢の手に解毒剤が渡るのを阻止するためなら、椿矢の命を奪うこともいとわないだろう。
 なんとしても沙陽より先に見つけないと。
 柊矢達にとっては唯一の希望なのだ。

「交渉決裂か」
 陰から見ていた晋太郎が言った。
「彼だってムーシコスだもの。あの森の良さを分からせてみせるわ」
「森の召還も、旋律を溶かす方法もあるんだ、あいつらを排除した方が早いと思うがな」
「椿矢を消すのが先よ。あのに声を取り戻させられたら計画が台無しだもの」

 二週間後の夜、ようやく椿矢の歌声がした。
 柊矢は中央公園にやってきた。
 楸矢は買い物へ出掛けていた。
 帰りを待っている時間がしかったので小夜だけ連れてきた。

 しかし、椿矢の姿はなかった。
 歌声はしているからどこか別のところにいるのだ。
 こんな時間じゃ聴きにくる者もいないだろうし家で歌っているのか。
 柊矢が諦めきれずに辺りを見回していると、小夜が袖を引っ張った。

 小夜は俯いていた。頬が赤く染まっている。
 どうしたのかと思って再度周囲に目を向けると、ベンチはカップルで埋まっていた。
 薄暗いのをいいことに、みんな辺りをはばからず、かなり派手にいちゃついている。
 奥手の小夜は目のやり場に困っているようで、下を向いて髪で視界を遮りLINEに、

 かえりましょう

 と書いてきた。
 帰りませんか? ではない辺り、相当狼狽えているようだ。

「帰ってもいいが……、どうせなら俺達も混ざらないか?」
 え?
 小夜が驚いて顔を上げた。
 何と書けばいいか分からず、おたおたしているうちにベンチに座らせられていた。
 柊矢が小夜の頬に右手を添えた。

「初めてか?」
 え……、え! ええ!!
 動転している小夜に柊矢の顔が近付いてくる。
 どどど、どうしよう、
 耳まで真っ赤になってるのが分かる。
 ほ、本気の訳ない。
 きっと、またいつものようにからかってるだけ。
 だって、柊矢さんが子供の私に本気になるわけないんだから。
 しかし、柊矢の顔はどんどん近付いてくる。
 ホントに本気だったらどうしよう。
 いや、絶対そんなはずはない。
 必死に自分に言い聞かせているが、心臓の鼓動が疾走して止まらない。

 そのとき、柊矢が低い声で、
「覗きは楽しいか?」
 と言った。

 驚いて顔を上げると、沙陽が木陰から出てきた。
 なんだ、沙陽さんに見せるためだったのか。
 狼狽えて損した。

「そっちこそ、下手なお芝居して面白い?」
「芝居じゃないって言ったら?」
 え?
 思わずどきっとした。
 それを慌てて押さえる。
 お芝居なんだってば!
 勝手にどきどきしている胸に言い聞かせる。
 芝居じゃないはずがない。
 沙陽さんがいることに気付いてたんだから。
 柊矢さん、ひどい。

「あなたがそんな子に本気になるわけないわ」
「お前が俺の何を知ってる」
「あなたのことならよく知ってるわよ」
「俺もお前のことはよく分かってると思ってたよ。思いちがいだったがな」
「どうしてよ! そんな子のどこがいいって言うの!」
 沙陽が声を荒げた。今にも地団駄を踏みそうだ。

 小夜が左右を見回すと、周りのカップル達が興味津々といった様子でこちらを見ていた。
 これって、もしかして痴話喧嘩?
 て言うか、修羅場?
 修羅場だとしたら、柊矢さんと沙陽さんと私は、浮気男と本命の彼女と遊び相手?
 やっぱり柊矢さん、本気じゃないんだ。
 胸の奥に痛みが走った。

「全てだ」
 その言葉に沙陽がきっと小夜を睨み付ける。
 この言葉も、ただ、沙陽さんを怒らせるためだけのもの?
 小夜が切なそうな表情を浮かべたのに気付いた柊矢は、
「用がないなら消えろ。こっちはいいところなんだ」
 と言って小夜に向き直った。
 小夜の頬に手を添え、顔を近付けてくる。
 え? え?
 沙陽は足音も荒く去っていった。
 それでも柊矢はそちらを見ようともせずに、顔を近付けてきた。
 小夜は慌てて。

 っっt

 焦ってしまって入力が出来ない。

「字になってないぞ」
 と言われ、顔を上げて、

 柊矢さん!

 小夜が口をぱくぱくさせると、
「俺の名前を書こうとしたことは分かった。で?」
 なんとか、

 からかわないでください

 と入力した。

「俺は本気だが」
 真面目な顔で言って小夜の後頭部に手を添えて引き寄せようとする。
 小夜はスマホを取り落とした。
 思わず柊矢の胸に手を当てて押し戻してしまった。
 柊矢が溜息をついた。
「お前がその気じゃないなら無理強いはしないよ」
 柊矢はそう言って手を放した。
 え?
 小鳥ちゃんじゃなくて、お前?
 もしかして柊矢さん、本当に本気だったの?
「行こう」
 小夜を立たせスマホを拾うと、肩を抱いて歩き始めた。

 あの!

 と言おうとしても声は出ない。

 口には出来なくても手紙でなら言えると言うことは良く聞くが、今の小夜はスマホに書こうにも手がいうことをきいてくれそうになかった。
 声が出れば本気なのか聞くのに。
 こんな大事なときに声が出ないなんて。

 柊矢さんもひどい。
 こんな思わせぶりな態度を取るなんて。
 なんで恋って、これから始めようって決めたときに始まらないんだろう。
 いきなり好きになって、こんな風に気持ちが高ぶったり落ち込んだりするなんて困る。

 清美ならなんて言うかな。
 あ、でも、清美も柊矢さんが好きなんだっけ。
 清美にも相談できない。
 楸矢さんに言ってもからかわれるだけのような気がするし。
 小夜は思わず溜息をついた。
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