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第五章 魂に紡がれゆく謳
第五話
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「見つけた!」
「見つけられた! って、僕を捜してたの?」
歌を遮った楸矢を聴衆が睨み付ける。
柊矢と楸矢で小夜にピアノを教えているときに椿矢の歌声が聴こえてきたので、三人で中央公園までやってきたのだ。
「ま、とにかく、逃げないからさ。あと二、三曲歌わせてよ」
椿矢はそう言うと、ムーシカを続けた。
それを柊矢と楸矢はじりじりしながら待っていた。
小夜は二人の後ろで歌声に耳を傾けていた。
やっぱりムーシカは最高だ。
椿矢さんの優しくて甘い声。それに重なる澄んだソプラノや、低く響くアルトの歌声。様々な楽器の演奏も風に乗って聴こえてくる。
歌えなくてもこうして聴いていられるだけで幸せだった。
小夜はうっとりしてムーシカの旋律に浸っていた。
しかし、柊矢と楸矢はそれどころではなかった。いつもなら心地よい歌声も、今日は耳に入らなかった。地球人でさえ、もっと聴きたいと思う美しい旋律も、柊矢や楸矢の耳には入らなかった。
ようやくムーシカが終わり、聴衆が散ると、椿矢はブズーキを置いて柊矢達に向き直った。
「随分長いこと姿を見せなかったな」
「なんかあの人達に狙われてるような気がしてね。で、用件は?」
柊矢は事情を話した。
「あの毒、現存したんだ」
「毒のことを知ってるのか!」
柊矢と楸矢が身を乗り出した。
「なら、解毒剤も……」
「毒も解毒剤も地球のものじゃないよ」
椿矢が柊矢を遮って言った。
「毒が手に入るなら解毒剤だって……」
「残念だけど、僕に分かるのはこの森のどこかに生えてるって事だけ」
椿矢が手を振ってみせたので、周囲を見回すと、いつの間にか森が現れていた。
「解毒剤になる草は分かるけど……」
「凍り付いてるから使えない、か」
柊矢と楸矢は肩を落とした。
小夜は一人でスマホに何か書いていた。
「これがあの人達の手なのかもしれないね」
椿矢が言った。
「解毒剤のために俺達が森の眠りを覚ますだろうって読みか」
「悔しいけど、ここは沙陽の……」
そう言いかけた楸矢の裾を小夜が引いた。
「何? 小夜ちゃん」
小夜は柊矢と楸矢にスマホを見せると丁寧にお辞儀をした。
みなさん、ありがとうございます
もう十分です
「何言ってんの! 小夜ちゃん、ここで諦めるの!?」
小夜は更にスマホに入力した。
私はクレーイス・エコーです
その私が公私混同で森を起こすわけにはいきません
みなさんの気持ちだけいただいておきます
「小夜ちゃん」
私の代わりに封印のムーシカを歌ってください
小夜はもう一度お辞儀した。
「待ってよ! 小夜ちゃん! 諦めたらダメだよ!」
楸矢は小夜の両腕を取って揺すった。
「一時的に起こして、解毒剤の草だけ取って封印すれば……」
小夜は首を振った。
自分がクレーイス・エコーになった理由は分からない。
特に意味はないのかもしれない。
そうだとしても、ムーシケーの意志に反することはしたくなかった。
ムーシケーを覆っている旋律に憧憬の念を抱いているからこそ、それを冒涜するような真似はしたくない。
椿矢がブズーキを奏で始めた。
「待て……!」
椿矢を止めようとした楸矢の腕を小夜が掴んでもう一度首を振った。
「封印したら治癒のムーシカを歌うよ。それで手を打ってくれないかな」
椿矢が言った。
「治癒のムーシカなんてあるのかよ!」
「ありそうだな」
柊矢が言った。
その言葉に楸矢は黙った。
心の中で治癒のムーシカを望むと旋律が浮かんできた。
これで小夜を治せるのかは分からないが、治癒のムーシカがあることは確かのようだ。
椿矢が歌い始めると、他のムーソポイオスが同調して歌い始めた。
一重一重、重なって八重になるように、歌声が重なっていく。
歌声が流れ、通り過ぎていったところにある森が薄くなっていく。
森が徐々に消えていった。
ムーシカが終わりに差し掛かったとき、歌いながら椿矢が柊矢の後ろを指した。
森は殆ど消えているのに、わずかに地面が残っていた。
そこに一輪の花が咲いていた。
青い色をした、キキョウに似た小さな花だった。
凍り付いた旋律の大地に生えていながら、その花は凍っていなかった。
「これが……」
柊矢が花を手折ると森は完全に消えた。
「これが、解毒剤?」
楸矢が訊ねた。
「そうだよ」
椿矢が答えた。
「どうやって飲むの?」
「薬草なんだから煎じるんじゃないのか?」
「これは、こうして……」
椿矢は柊矢から花を受け取ると、器用に花を茎から切り離して小夜に差し出した。
「付け根のところから蜜を吸って」
小夜は恐る恐る口を付けると蜜を吸った。甘い蜜が一滴、喉を通った。
あ……
かろうじて聴こえるくらいの小さな声が出た。
出ました
かすれた声で囁くように言った。
「これで治ったって言えるの?」
楸矢が椿矢を睨んだ。
楸矢さん、楸矢さん、声、出てますよ
小夜が楸矢の袖を引っ張った。
「小夜ちゃん、悪いけど聞こえてないよ」
楸矢が首を振った。
「そこで僕たちの出番でしょ」
椿矢はブズーキを弾きながら歌い始めた。
すぐに他のムーソポイオスも歌い始める。
歌声が集まって小夜を優しく包む。
小夜は目を閉じて聴いていた。
小夜を中心に大きな八重咲きの花が開いていくようだった。
ムーソポイオスの歌声に、喉が治っていくのが感じられた。
もう大丈夫だ。
柊矢は確信した。
このムーシカが小夜を癒やしてくれた。
柊矢はキタラを持ってこなかったことを悔いていた。
自分もこのムーシカに参加して小夜の喉を治したかった。
「あーあ、笛持ってくれば良かった」
楸矢も同じ気持ちらしい。盛んに残念がっていた。
治癒のムーシカが終わると、小夜が歌い始めた。
声はすっかり戻っていた。
透き通った優しい歌声が広がっていく。
三人が一様に驚いた表情をした。
「これは……」
「これ、ムーシカ……だよね」
楸矢が確かめるように柊矢と椿矢を見た。
耳に聴こえる肉声とは別に〝聴こえてる〟からムーシカのはずだ。
だが、知らないムーシカだった。
既存のムーシカなら聴いたことのないものでも知ってるはずなのに。
だから、確信が持てなかったのだ。
「小夜ちゃんが創った新しいムーシカなんだよ」
椿矢が言った。
だから、他のムーシコスは誰も知らないのだ。
これはムーシカだから他のムーシコスの元にも届いている。
だが、小夜のムーシカだから他のムーシコスは参加していない。
歌っているのは小夜だけだが、それは沙陽のようにムーシコスが味方していないための独唱ではない。
これは、小夜から他のムーシコスへのお礼のムーシカだ。
だから他のムーシコスは大人しく聴いているのだ。
小夜の歌声が風に乗って街へ広がっていく。
有難う、柊矢さん、楸矢さん、椿矢さん。
有難う、ムーシコス。
「こうやって、ムーシカは出来てきたんだな」
小夜の歌声を聴きながら柊矢が言った。
ムーシケーを凍り付かせている旋律は、きっと全てムーシコスの先人達の作ったものだ。
ムーシコスが、心に思うだけで旋律が溢れてくるのは、それが魂に刻まれているからだ。
こうやって新しいムーシカが生まれる度に、ムーシコスの魂に刻まれてきたのだ。
小夜のムーシカも同じようにムーシコスの魂に刻まれ、次からは他のムーシコスも奏でるだろう。
三人はただ黙って小夜の歌声を聴いていた。
「見つけられた! って、僕を捜してたの?」
歌を遮った楸矢を聴衆が睨み付ける。
柊矢と楸矢で小夜にピアノを教えているときに椿矢の歌声が聴こえてきたので、三人で中央公園までやってきたのだ。
「ま、とにかく、逃げないからさ。あと二、三曲歌わせてよ」
椿矢はそう言うと、ムーシカを続けた。
それを柊矢と楸矢はじりじりしながら待っていた。
小夜は二人の後ろで歌声に耳を傾けていた。
やっぱりムーシカは最高だ。
椿矢さんの優しくて甘い声。それに重なる澄んだソプラノや、低く響くアルトの歌声。様々な楽器の演奏も風に乗って聴こえてくる。
歌えなくてもこうして聴いていられるだけで幸せだった。
小夜はうっとりしてムーシカの旋律に浸っていた。
しかし、柊矢と楸矢はそれどころではなかった。いつもなら心地よい歌声も、今日は耳に入らなかった。地球人でさえ、もっと聴きたいと思う美しい旋律も、柊矢や楸矢の耳には入らなかった。
ようやくムーシカが終わり、聴衆が散ると、椿矢はブズーキを置いて柊矢達に向き直った。
「随分長いこと姿を見せなかったな」
「なんかあの人達に狙われてるような気がしてね。で、用件は?」
柊矢は事情を話した。
「あの毒、現存したんだ」
「毒のことを知ってるのか!」
柊矢と楸矢が身を乗り出した。
「なら、解毒剤も……」
「毒も解毒剤も地球のものじゃないよ」
椿矢が柊矢を遮って言った。
「毒が手に入るなら解毒剤だって……」
「残念だけど、僕に分かるのはこの森のどこかに生えてるって事だけ」
椿矢が手を振ってみせたので、周囲を見回すと、いつの間にか森が現れていた。
「解毒剤になる草は分かるけど……」
「凍り付いてるから使えない、か」
柊矢と楸矢は肩を落とした。
小夜は一人でスマホに何か書いていた。
「これがあの人達の手なのかもしれないね」
椿矢が言った。
「解毒剤のために俺達が森の眠りを覚ますだろうって読みか」
「悔しいけど、ここは沙陽の……」
そう言いかけた楸矢の裾を小夜が引いた。
「何? 小夜ちゃん」
小夜は柊矢と楸矢にスマホを見せると丁寧にお辞儀をした。
みなさん、ありがとうございます
もう十分です
「何言ってんの! 小夜ちゃん、ここで諦めるの!?」
小夜は更にスマホに入力した。
私はクレーイス・エコーです
その私が公私混同で森を起こすわけにはいきません
みなさんの気持ちだけいただいておきます
「小夜ちゃん」
私の代わりに封印のムーシカを歌ってください
小夜はもう一度お辞儀した。
「待ってよ! 小夜ちゃん! 諦めたらダメだよ!」
楸矢は小夜の両腕を取って揺すった。
「一時的に起こして、解毒剤の草だけ取って封印すれば……」
小夜は首を振った。
自分がクレーイス・エコーになった理由は分からない。
特に意味はないのかもしれない。
そうだとしても、ムーシケーの意志に反することはしたくなかった。
ムーシケーを覆っている旋律に憧憬の念を抱いているからこそ、それを冒涜するような真似はしたくない。
椿矢がブズーキを奏で始めた。
「待て……!」
椿矢を止めようとした楸矢の腕を小夜が掴んでもう一度首を振った。
「封印したら治癒のムーシカを歌うよ。それで手を打ってくれないかな」
椿矢が言った。
「治癒のムーシカなんてあるのかよ!」
「ありそうだな」
柊矢が言った。
その言葉に楸矢は黙った。
心の中で治癒のムーシカを望むと旋律が浮かんできた。
これで小夜を治せるのかは分からないが、治癒のムーシカがあることは確かのようだ。
椿矢が歌い始めると、他のムーソポイオスが同調して歌い始めた。
一重一重、重なって八重になるように、歌声が重なっていく。
歌声が流れ、通り過ぎていったところにある森が薄くなっていく。
森が徐々に消えていった。
ムーシカが終わりに差し掛かったとき、歌いながら椿矢が柊矢の後ろを指した。
森は殆ど消えているのに、わずかに地面が残っていた。
そこに一輪の花が咲いていた。
青い色をした、キキョウに似た小さな花だった。
凍り付いた旋律の大地に生えていながら、その花は凍っていなかった。
「これが……」
柊矢が花を手折ると森は完全に消えた。
「これが、解毒剤?」
楸矢が訊ねた。
「そうだよ」
椿矢が答えた。
「どうやって飲むの?」
「薬草なんだから煎じるんじゃないのか?」
「これは、こうして……」
椿矢は柊矢から花を受け取ると、器用に花を茎から切り離して小夜に差し出した。
「付け根のところから蜜を吸って」
小夜は恐る恐る口を付けると蜜を吸った。甘い蜜が一滴、喉を通った。
あ……
かろうじて聴こえるくらいの小さな声が出た。
出ました
かすれた声で囁くように言った。
「これで治ったって言えるの?」
楸矢が椿矢を睨んだ。
楸矢さん、楸矢さん、声、出てますよ
小夜が楸矢の袖を引っ張った。
「小夜ちゃん、悪いけど聞こえてないよ」
楸矢が首を振った。
「そこで僕たちの出番でしょ」
椿矢はブズーキを弾きながら歌い始めた。
すぐに他のムーソポイオスも歌い始める。
歌声が集まって小夜を優しく包む。
小夜は目を閉じて聴いていた。
小夜を中心に大きな八重咲きの花が開いていくようだった。
ムーソポイオスの歌声に、喉が治っていくのが感じられた。
もう大丈夫だ。
柊矢は確信した。
このムーシカが小夜を癒やしてくれた。
柊矢はキタラを持ってこなかったことを悔いていた。
自分もこのムーシカに参加して小夜の喉を治したかった。
「あーあ、笛持ってくれば良かった」
楸矢も同じ気持ちらしい。盛んに残念がっていた。
治癒のムーシカが終わると、小夜が歌い始めた。
声はすっかり戻っていた。
透き通った優しい歌声が広がっていく。
三人が一様に驚いた表情をした。
「これは……」
「これ、ムーシカ……だよね」
楸矢が確かめるように柊矢と椿矢を見た。
耳に聴こえる肉声とは別に〝聴こえてる〟からムーシカのはずだ。
だが、知らないムーシカだった。
既存のムーシカなら聴いたことのないものでも知ってるはずなのに。
だから、確信が持てなかったのだ。
「小夜ちゃんが創った新しいムーシカなんだよ」
椿矢が言った。
だから、他のムーシコスは誰も知らないのだ。
これはムーシカだから他のムーシコスの元にも届いている。
だが、小夜のムーシカだから他のムーシコスは参加していない。
歌っているのは小夜だけだが、それは沙陽のようにムーシコスが味方していないための独唱ではない。
これは、小夜から他のムーシコスへのお礼のムーシカだ。
だから他のムーシコスは大人しく聴いているのだ。
小夜の歌声が風に乗って街へ広がっていく。
有難う、柊矢さん、楸矢さん、椿矢さん。
有難う、ムーシコス。
「こうやって、ムーシカは出来てきたんだな」
小夜の歌声を聴きながら柊矢が言った。
ムーシケーを凍り付かせている旋律は、きっと全てムーシコスの先人達の作ったものだ。
ムーシコスが、心に思うだけで旋律が溢れてくるのは、それが魂に刻まれているからだ。
こうやって新しいムーシカが生まれる度に、ムーシコスの魂に刻まれてきたのだ。
小夜のムーシカも同じようにムーシコスの魂に刻まれ、次からは他のムーシコスも奏でるだろう。
三人はただ黙って小夜の歌声を聴いていた。
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