世界よ優しく微笑んで

えくれあ

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ep.026 思いがけない再会

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「これ、は……」

 息を弾ませたリディアが部屋へ入って来るのは、ルイスが去ってすぐの事だった。
 ルイスが訊ねてきた時には、もう部屋の外で待っていたのかもしれない。

「ミサンガです。ジーク様にお渡ししたくて……」

 俺が思っていたのとは、随分と違う用件だったようだ。
 いや、用件がこれだけだとは限らないけれど。
 目の前に差し出されたのは、三色の糸が編みこまれた、ところどころいびつに歪んだミサンガだ。
 最初に目についたのは、リディアの瞳を思わせるアイスブルーの糸、他に銀色と青色の糸が編みこまれている。
 歪んだ網目が、紛れもなく手作りのものであることを物語っている。
 ここまでいびつなものが、商品として売られているなど、まずありえないだろう。

「ママ……じゃなくて、母に教わって、作ったんです。本当は、ここに戻ってくるまでに作りたかったんですが、間に合わなくて……」

 リディアが恥ずかしそうに俯く。
 いつもわざわざ言い直さなくてもいいんだが、なんて思っていた気持ちが一瞬で吹き飛んだ。
 リディアが、毎日エルロード邸に通っていた理由は、これだったということだ。
 そのことに気づいた瞬間、なんだか俺まで恥ずかしいような気分になり、口元をつい手で覆ってしまう。

「あまり、上手にはできなかったんですが、貰っていただけますか……?」
「あ、ああ……」

 俺は、そんな中途半端な返事で、ミサンガを受け取るのが精一杯だった。
 リディアは、ミサンガを俺が手に取っただけで嬉しそうだ。
 一方の俺はといえば、我ながら珍しく動揺しているというのに。
 ミサンガを手に取ると、僅かだがリディアの魔力を感じた。
 意識的なものか、無意識によるものかはわからないが、糸とともにミサンガに織り込まれているようで、それがとても心地よいと感じる。

「騎士様なので、身につけると邪魔になるかもしれませんが……」
「いや、剣を扱うのは基本右手だ。だから左であれば、たいして気にはならない」

 そう言って、俺が左手首にミサンガをつければ、リディアがまた嬉しそうに笑った。
 貰った俺よりも、ずっと喜んでいるようにみえる。

「ありがとう、大切にする」

 そう言って、リディアの頭を撫でると、なぜかリディアまで、ありがとうございます、とお礼を言ってくる。
 これではどちらが貰った側かわからないな、そう思うと俺も自然と笑みがこぼれた。

「明日からもエルロード邸には行くのか?」
「いえ、無事完成したので、しばらくはお休みです。毎日向こうに行っていた所為で、ルイスさんとのお勉強も全然進んでいなくて……」

 聞けば、疲れて帰ってきているから、とルイスは新しい単語を何も教えてくれなかったそうで。
 ここ数日は今までの復習や、俺や叔母上たちの名前を書く練習しかできていないそうだ。
 それでも早く父上と手紙のやり取りができるようになりたいから、遅れた分を取り戻したい、と気合いを入れている。
 どうやら俺の心配は杞憂だったようだ、そう思うと心底ほっとする自分がいた。





 ***

「ルイスさん、すみません、少しよろしいでしょうか?」

 ようやく以前のように再開した、ルイスさんとの文字のお勉強。
 お手紙を書きたいという私の希望に沿って、お手紙で使うような単語も、いろいろと教えてくれるようになった。
 そして、最近はミアさんもいて、お茶やお菓子を準備したりしながら、私を応援してくれていることも多い。
 今日もそうして、ルイスさんとミアさんと一緒に文字のお勉強中だったのだけれど。
 ノックの音がして、ミアさんが扉を開けると、1人のメイドさんが少し慌てて駆けこんで来た。
 今まで私のお勉強に付き合ってくださっているルイスさんを、他の方が呼びに来たことはなかった。
 こんな事ははじめてで、私も、ミアさんも、たぶんルイスさんも驚いている。
 それだけ、お急ぎの用事なんだろう、きっと。

「お嬢様、申し訳ございません。少し席をはずさせていただきます」

 メイドさんが、私には聞こえないようにルイスさんに何かを伝え、それを聞いたルイスさんの表情は一瞬で曇った。
 何かあった、ということは私にでもわかる。
 なにより、ルイスさんが、私に了承を得ることなく離れる、というのも珍しい。
 ルイスさんは私に一礼すると、お部屋に来たメイドさんと一緒に大慌てでお部屋を出ていった。
 私はその様子を見て、ミアさんと思わず顔を見合わせる。

「何か、あったんでしょうか……?」
「そうですねぇ……でも、大丈夫だと思いますよ」

 ミアさんは、私を安心させるように、笑ってそう言ってくださった。
 でも、私はなぜか妙に気になって、胸が騒いだ。



「あれは……」

 どうしても落ち着かなくて、私のペンは止まったままだった。
 それで、なんとなく立ち上がって窓から外を見ると、ルイスさん、さっきのメイドさん、他にも何人か執事さんや、メイドさんがいらっしゃる。
 でも、私が気になったのは、さらにその向こうにいる人だった。

「ごめんなさい、ミアさん、私ちょっと……っ」
「え?お嬢様っ!?」

 私は慌てて部屋を出て、外へと向かう。
 たぶんだけれど、ミアさんも、私を追いかけてついてきてくれている。
 けれども、私はそれを振り返って、確認する余裕はなかった。



「お嬢様!?どうしてこちらへ……?」

 私が駆け出してきたら、ルイスさんはとても困った顔をした。
 それから、たぶん、その向こうにいる人たちを、私に隠そうとしている。

「ごめんなさい、どうしても気になって……っ」
「お嬢様、申し訳ありません、現在少々立て込んでおりまして……」
「あ、あなたは、あの時の……っ!」

 ルイスさんは、私をゆるく押して、中へと戻らせようとした。
 けれど、その向こう側で執事さんに囲まれていた人が、隙間から私を視界に捉えたのだろう、声をかけてきた。
 同時に、ルイスさんがますます困った表情で顔を歪ませる。
 私に駆け寄って来ようとしたその人を、執事さんたちが抑えている。

「お嬢様、どうかお戻りください。外は少し冷えますし」

 ルイスさんは、どうしても私をどうしても戻らせたいみたいだ。
 けれど、強い力で追い返すようなことはしない。
 それをいいことに、申し訳ないと思いつつ、私は声の主の方へさらに近づく。

「お願いします、また、助けていただけませんかっ!?」

 必死な様子でそう叫んだ女性は、見覚えがあった。
 執事さんたちも、メイドさんたちも、私を近づけたくない様子だけれど、私を強く引き離してまで邪魔することはなく、私はすんなりその方の前に出ることができた。
 そこに居たのは、ジーク様とお出かけした時に出会ったお母さん。
 腕にはあの時魔法を暴走させてしまった男の子が、ぐったりとした様子で抱かれている。

「お嬢様、どうか早くお戻りを……」
「お部屋に戻りましょう、お嬢様」

 気づいたら、ルイスさんもミアさんも傍にいた。
 執事さんたちは、ルイスさんの顔色を伺うようにおろおろしている。
 困らせているのは、たぶん私なのだとわかる。
 申し訳ない気持ちはあるけれど、このまま立ち去るなんて私にはできなかった。

「どうしたんですか?」

 聞かなくても、なんとなくわかるけど。
 原因はわからないけれど、男の子の魔力に瘴気がまとわりついている。
 男の子がぐったりとしているのは、そのためだ。
 そして、私がここへ飛び出してきたのも、この子を放っておけないと思ったから。

「数日前からこの状態で、お医者様に診ていただいても、原因がわからないのですっ」
「だからといって、お嬢様にそのようなこと……」
「大丈夫です、ルイスさん」

 私を庇うように、前に出てくれたルイスさん。
 普通なら、お医者様にどうすることもできないことを言われたって困る、そう思って私のためにしてくれているのだとわかる。
 でも、私はやんわりとそれが不要であることを伝える。

 少し離れて立っているだけでも、強く感じる瘴気の気配。
 魔力があるものであれば、多少の瘴気を弾き飛ばすくらい簡単だけれど、今のこの子はかなり弱っているし、これだけ強い瘴気を弾き飛ばす力はないだろう。
 魔法で瘴気を砕くこともできるけれど、これだけこの子の魔力に纏わりついている状態だと、それも危険すぎる。
 だとすれば、浄化するしかない、そう思ってぐっと両手を握りしめたときだった。

「いったい何の騒ぎだ?」

 騒ぎを聞きつけたのか、後方からジーク様の声がした。





 ***

 珍しく、何やら外が騒がしいと感じ、執務室の窓から外を眺めた。
 そこには使用人がわらわらと集まっていて、ルイスまでいる。
 それなら、まあ、まだ無くはない光景だった。
 招かれざる客が現れて、それを使用人たちが当主に告げることなく追い返す、ということも執事長の判断次第ではどこの貴族の家でありえる話である。
 だが、その中心になぜかリディアの姿がある。
 さらに、先日街で見かけた親子の姿もあり、どうにも嫌な予感がして俺は執務室を飛び出した。



 俺が声をかけると、すぐにリディアが振り返る。
 同時に、その前方にいた女が顔を上げてこちらを見た。

「あなたが、シュヴァルツ侯爵様だったのですか!?」

 なぜか、非常に期待に満ちた表情で、女は俺の元へ駆け寄ろうとした。
 だが、執事たちがすぐに阻み、それは叶わなかった。

「俺に、何か用が?」

 さすがに、あの街で会っただけの俺たちを訪ねてきたわけではないだろうとは思っていた。
 あの状況から、俺たちが誰であったか特定はできなかっただろう。
 目の前の女はあの時出会った人物ではなく、ただシュヴァルツ侯爵を訪ねてここに来たらしい。

「この子を、助けてください。お願いしますっ!」

 先日魔力を暴走させた少年が、ぐったりと母の腕に抱かれている。
 苦しそうな様子に、また魔力暴走でもさせたか、と思うがどうやら違うようだ。
 瘴気のせいか、と思うがこれは魔法使いにどうこうできる類のものではない。

「悪いが専門外だ、その様子なら、神殿を訪ねた方がいいだろう」

 これ以上、ここにいる必要はない。
 リディアを連れて、早く中へ戻ってしまおう、そう思ったが女は諦めなかった。

「お医者様に診ていただいてもダメで、神殿でも手に負えないと言われたのです。ですが、魔力の強いシュヴァルツ侯爵様なら、何かできるかも、と……」

 なるほど、手に負えなかった神殿の連中が、苦し紛れに俺の名前を出したらしい。
 だが、苦しんでいる少年には悪いが、俺にも手立てなどない。

「悪いが俺にもできることはなさそうだ。お引き取り願おう」

 俺はそう言うと、リディアの元へ行き、腕を掴んで引っ張ったのだが。

「待ってください!」
「放っておけない気持ちはわかる、だが、これは無理だ」

 魔力で下手に瘴気を破壊すれば、それこそ少年の命を保証できない。
 少年自身で、どうにか瘴気に打ち勝つしか、手立てはない。

「私ならできますっ!!」

 そう言うのではないか、という懸念はあった。
 だから、早く中へ連れ戻したかったのだ。
 リディアの言葉を聞いた女は、案の定、期待に満ちた眼差しでリディアを見つめている。

「やめておけ、前に倒れたのを忘れたのか」

 思い出されるのは、大量の魔獣を浄化してみせた日のことだ。
 あれだけの魔獣を浄化したのだから、リディアなら浄化できるかもしれない、とは思った。
 だが、リディアがこの世界で魔法を使って、無事だったことなどない。

「でもっ、このままだと、この子が……」
「お願いしますっ、どうか、助けてくださいっ!!」

 リディアの言葉に重ねるように懇願してくる女を、つい恨みがましく見てしまう。
 この前もその少年を助けたリディアがどうなったことか、そう怒りをぶつけたくなりそうになった時だった。
 リディアのペンダントが光りだす。

「フィーネ……」
『プリンセス、だめ』
「で、でもっ!」

 どうやらリディアを止めに来たようだ。
 思わぬ加勢だったが、この状況では非常にありがたい。

『今のプリンセスだと、そもそも魔力が足りない。中途半端にやっても、その子は余計に苦しむだけ』
「だけど、このままじゃ……っ」
『無理なものは、無理』

 フィーネにそう言われ、リディアは落ち込んだ。
 この様子だと、リディアも本当は無理だとわかっていたのかもしれない。
 それでも、少年を放っておけず一か八かの賭けにでも出ようとしていたなら、なんとも恐ろしい。
 ここにフィーネがいて、本当によかった。
 リディアがぎゅっと両手でスカートを握りしめて、俯いた。

「リディア、戻ろう。ここに居ても俺たちにできることは、何もない」
「そんなっ!!さっき助けられると……っ!」

 さらに追い縋ろうとする女を、俺は睨みつけて黙らせる。
 幼い少女がどうすることもできず、これほど落ち込んでいるのに、まだ何かさせようと言うのか。

『何を言っても無理。今プリンセスが何かしたとしても、その子は今より悪化するだけ』

 フィーネがふわふわと女の近くまで飛んで、そう告げる。
 女はその言葉を聞いて、項垂れ、泣き出してしまった。

「リディア、戻ろう」

 これ以上、ここに居ても辛くなるだけだ。
 だが、腕を引いても、リディアは動こうとはしてくれない。

「リディア」

 もう一度名を呼んだ時、リディアは何かを思いついたようにバッと顔を上げた。
 なぜだか、とてつもなく嫌な予感がする。

「ジーク様、この近くに湧き水が出るところとか、ないですか?」
「は?」
「湧き水がなかったら、きれいな水が流れる小川とかでもっ!」

 リディアは必死な様子で問いかけてくる。
 つい答えてやりたくなるが、答えてはいけないような気がした。

「湧き水でしたら、裏庭に……」
「ルイスっ!!」

 同様に、つい答えたくなってしまったらしいルイスを、俺は珍しく声をあげて制した。
 ルイスもそれで何かに勘づいたらしく、それ以上は何も言わない。

「湧き水、あるんですか?案内してくださいっ!!」

 リディアはすぐにルイスに詰め寄った。
 だが、ルイスは俺の意に反するとわかっているから、決してそれに応じることはない。

「申し訳ございません、お嬢様」
「ルイスさん、どうかお願いします……!!」

 いくらリディアが縋りついても、ルイスがそれに応えることはない。
 ルイスは長くこの家に使えている優秀な執事長だ、たとえどれほどリディアに情があろうとも、当主の意に反するような行動は絶対にしないはずだ。
 リディアも、何度かルイスに頼み込んだ後、ようやくそれに気づいたらしい。

「ジーク様、お願いします、湧き水の出るところ、教えてくださいっ!!」

 頼み込む相手を、俺に変更してきたようだ。

「悪いが、それはできない。戻るぞ」
「あの子のこと、助けられるかもしれないんですっ」

 だが、おまえが無事かはわからないだろう。
 使った魔力はいつまでも回復する気配はない、最初に出会った時よりも、魔力は確実に減っているのに、そこまで無茶する必要がどこにあるのか。
 そう思うと、ため息が出る。

「とにかく駄目だ、諦めろ」

 そう言って、再度を腕を引くと、リディアはそれを振り切って走り出そうとする。

「待て、どこへ行く」

 慌ててより強い力で、リディアを引いて引き留めた。

「教えてもらえないなら、自分で探してきます。裏庭、なんですよね?」

 リディアはどうしても譲らないらしい。
 裏庭、と一言に言っても、それなりの広さはある。
 探すのがどれだけ大変な事か、果たしてわかっているのだろうか。
 また、深いため息が出た。

「わかった。湧き水の場所は教えてやる」

 俺は女が妙な事をしないようしっかり見張っておくように執事たちに伝え、リディアの手を引いて裏庭へ向かった。
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