世界よ優しく微笑んで

えくれあ

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ep.023 愛称

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「ママはパパのこと、リックって呼んでるの?」

 昨日買ってもらった糸を使って、私は現在ママとミサンガ作りに格闘中である。
 やはりというか、私は本当に不器用で、何度もいびつな形ができあがってはやり直しというのを繰り返している。
 全くもって完成に近づく気がしなくて、気分転換も兼ねてミサンガ作りに関係ない話をしてみたりしている。

「そうよ、パパはパトリックって名前だから、リックって愛称で呼んでいるのよ」

 パパとママは、私にあわせてか、お互いにママ、パパと呼ぶこともあるけれど、ブリジット、リック、と呼び合っているのも何度か訊いた。
 ママには愛称は特にないようだけれど、パパはリックというのが愛称のようだ。
 そういえば、侯爵様もお名前はジークベルト様だったけれど、おじ様にもママにもパパにも、ジークと呼ばれていた。
 侯爵様は、ジークが愛称なのだろう。
 おじ様は何か愛称があったのだろうか……思い返しても、そもそも誰もお名前を呼んでいなかったように思う。
 なんだか、お名前を呼ばれるお姿が、想像できない。

「リディアは?愛称ってなかったの?」
「特になかったかな……親しい人は、みんなリディアって呼んでたから……」
「そのままでも、かわいい名前だものね」

 リディアという名前は、確かお母様がつけてくれた名前だ。
 だから、名前を褒めてもらえるのはとても嬉しい。

「ママの名前も、パパの名前も素敵!」
「ふふ、嬉しいわ」

 会話は弾んでとても楽しい、でも私の手元はなかなか上手くいかない。
 それでもママのアドバイスを聞きながら、私は必死にミサンガと格闘した。





 来客があったのは、その日の午後のことだった。

「え?帰ってしまわれるんですか?」
「ああ、こっちのことはジークに任せてあるしね。その代わり、領地の事はジークの代わりに結構私がやっていたりするんだ」

 だからそろそろ帰らないと、仕事が溜まっているだろう、とおじ様はおっしゃった。
 侯爵様は、寂しくならないだろうか、と私は一緒にいらした侯爵様を見る。

「別にずっと会えないわけではないから、心配するな」
「そうよ、うちの領地に比べたら、シュヴァルツ家の領地は首都の近くだもの。行こうと思えばすぐだわ」

 ママが、みんなの分のお茶を持ってきてくれたみたいだ。
 残念ながらパパはお仕事で外出中なので、カップは4人分だけテーブルに並んだ。

「そうなの?」

 確か、侯爵様の話だと、遠くはないけど頻繁に行ける場所でもなかったような……

「まぁ、だからといって、こことジークのとこみたいに頻繁に行き来できるような距離でもないけどね」
「やっぱり、そっかぁ……」

 あくまで、他の領地よりは行きやすい距離、ということみたいだ。
 そんなことを考えていると、なぜか侯爵様が驚いたようにこちらを見ていた。
 よく見ると、おじ様も少し驚いているようである。
 何か、あっただろうか。

「リディアは随分と、ブリジットに懐いたようだね」
「えっ?」
「あら、私だけじゃないわ。リックにも懐いてるわよ」

 ママはそう言って、自慢げに私を抱きしめる。
 それはすごく嬉しいのだけれど、私、そんなにパパとママに懐いただろうか。

「ひょっとして、リディアも自覚ないかしら?」
「なにが?」
「昨日、街に出かけた時、途中から敬語じゃなくなったのよ」
「あ……っ」

 そういえば、敬語でない方がいい、とは言われていたけど。
 敬語を使わなくなったのは、無意識だった。

「ごめんなさい、私……」
「今さら思い出して、敬語に戻すのはなしよ?」
「はい、じゃなかった、うん……」

 あらためて意識すると、つい敬語に戻ってしまいそうになる。
 でも、それだけ、意識せず2人に甘えてしまっていたんだと思う。
 きっと、2人といるのがとても心地よかったから。

「仲が良さそうでよかった。だがこうして見ていると、私の娘にできなかったのがすごく残念に思えてくるな」
「あら、お兄様、もう遅いわよ」
「うちは男ばっかりだからね、本当は娘も欲しかったんだけどね……」

 男ばっかり、というか侯爵様しかいないのでは?
 今は奥様もいらっしゃらなくて、おじ様と侯爵様のお二人だから、ということだろうか。

「もしもリディアが私の娘になっていたら、ジークがリディアの兄になっていたね」

 もうそんな事は起こりえないのだけれど、おじ様にそう言われて少しだけ想像してみる。

「私、元の世界でも一人っ子だったから、兄がいるのもちょっと憧れますね」

 それがお優しい侯爵様のような兄なら、とっても素敵だろうなと思う。

「それなら、ジークを兄だと思えばいい。ジークと君はいとこになったのだから」
「そうね、いとこを兄や姉のように慕うものもいれば、弟や妹のようにかわいがるものもいるものね」

 聞けば、貴族の家は兄弟姉妹があまりいない事の方が多く、いとこ同士も兄弟のように接することが多いのだとか。
 そして現在、私と侯爵様もいとこ同士だなんて、侯爵様との繋がりができたようで、すごく嬉しい。
 ただ、侯爵様が私を妹のように思ってくださるかはわからないけれど。
 ここで私がそれを求めても、侯爵様を困らせてしまいそうだ。

「そうなると、リディアはもう、私にとっても娘みたいなものかな?」
「お兄様、それはちょっと飛躍しすぎではなくて?」
「いいのではないですか?母上が病気で伏せってからは、叔母上も俺にとって母親代わりみたいなものでしたし」
「あら、そう思ってくれていたなら嬉しいわ。でも、あの頃は私も子どもがいなくて暇だったのよ。今はリディアの母として忙しいから、残念ながら、あなたにはもう、あまり構ってあげられそうにないわ」
「残念ながら、俺ももう、母親を恋しがるような歳ではありません」

 なんだか、どんどんと話が膨らんでいく。
 みんな軽口を叩き合っているようだが、とても楽しそう。
 これが、この世界の家族、ということなのかもしれない。



 私たちはお茶を飲みながらしばし談笑し、そのまま領地へ向かうというおじ様を見送ることになった。

「パパが居なくて残念ですが……」
「リディアに見送ってもらえたら、十分だよ」
「また、お会いできるでしょうか……?」
「もちろん、私もまた首都へ来るし、よければ今度はリディアがこっちへ遊びにおいで」

 私はそんな提案を受けて、許可を求めるように侯爵様を見た。
 すると、侯爵様はこくんと頷いてくださった。

「はい!必ずお伺いします!」
「待っているよ」
「それと、あの……!」
「なんだい?」
「私、今、ルイスさんに文字を教わっているんです。まだ、全然書けるようになってないんですけど……」
「そうか。では字が書けるようになったら、是非お手紙をもらえるかな?」
「……っ!?」

 私が言いたかった事を、おじ様が先におっしゃってくださった。
 驚いたけれど、同時に嬉しくもある。

「はいっ、必ず書きます!!」
「楽しみにしているよ」

 おじ様はそう言うと、私の頭をなでてくださった。

「私も書くことにしよう。ちゃんと読んでもらえるかな?」
「もちろんです!!がんばって読みます!」

 まだ読める文字は少ないけれど、頑張って覚えておじ様と手紙のやり取りができるようにしよう。
 そう思って、気合いを入れるようにぐっと両手を握りしめる。
 すると、隣に侯爵様が立った。

「父上、お元気で」
「ああ、ジークもな」

 お二人の会話は、親子にしてはそっけない気がしたのだけれど。
 でも、通じ合っているからこそ、なのかもしれない。
 それからおじ様は馬車に乗り込んで、領地へと帰ってしまわれて。
 私と侯爵様は、馬車の姿が見えなくなるまで、おじ様を見送っていた。



「さて、俺も帰るか……」

 おじ様の馬車が見えなくなって、侯爵様がそう呟いた。

「あ……」

 引き留めようと思ったけれど、やっぱりご迷惑かもしれない、と思うと上手く言葉が出ない。
 私は少しの間お会いしていないだけで、もう随分長く会っていなかったような気がして、離れがたいのだけれど。
 侯爵様はそうでもないだろうし、きっと、何かとお忙しいだろう。

「どうした?」
「いえ、その……」
「言いたい事があるなら、言うといい」
「その……もう少しだけ、お時間をいただけませんか?」

 私がそう言うと、侯爵様は驚いたご様子だった。
 けれど、すぐに了承のお返事をくださった。

「では、あの、私のお部屋にいらしてくれますか……?お見せしたいものがあって……」
「ああ、かまわない」
「よかった!」

 私は、嬉しくてそのまま駆けだそうとしたのだけれど。

「わっ」
「危ないっ」

 危うく転びそうになったところを、侯爵様に助けられる。

「まったく、危なっかしいな……」

 侯爵様はそう言うと、私の手を引いてくれる。
 そうして、私はそのまま侯爵様に手を引かれながら部屋へと向かった。



「あれ……?」
「どうした、入らないのか?」

 今私がいるのは、紛れもなく私の部屋の扉の前、なのだけれど。
 侯爵様はここまで、1度も私に訊ねることもなければ、迷うこともなく私の手を引いてここまで来た。
 私が案内したわけではない、私はむしろ侯爵様にここに連れて来られた状態だ。
 侯爵様は、私の部屋の場所を、ご存知だっただろうか……

「リディア?」
「あ、はい、入ります!」

 きっと、何かのタイミングでパパかママに事前に聞いていたのだろう。
 とりあえずそう考えて、私は部屋の扉を開け、侯爵様にはソファに座ってもらう。

「これ、侯爵様にも、見ていただきたかったんです!」

 私はそう言って、1枚の紙を侯爵様に渡す。

「戸籍の写しか……」
「はい、侯爵様のおかげで、私はパパとママの娘になれました。だから、侯爵様には、ちゃんと報告したくて」

 それを侯爵様に望まれているかは、正直わからない。
 あくまで、私が報告をしたかっただけにすぎないけれど。

「そうか、おまえがそう思ってくれているなら、俺も嬉しい」

 侯爵様は、そう言って微笑むと、また戸籍の写しに視線を戻した。

「リディア・フォルティエ・エルロード、か……」
「あ……」

 私のフルネーム、ただ紙に書いてあるそれを読んだだけにすぎないはずなのに、侯爵様に読まれるとなんだか特別な名前になったような気がする。

「ジークベルト・アルロ・シュヴァルツ」
「えっ!?」
「俺の、フルネームだ」
「侯爵様の、フルネーム……」

 フルネームは、確か、大切な時にしか名乗らないはず……

「安心しろ、深い意味はない。ただ、俺だけ知っているのも不公平だと思っただけだ」

 私が勝手にお見せしただけなのに、侯爵様は本当にお優しい。
 そして、そんな理由であっても、侯爵様のフルネームを知る事ができたのが、すごくすごく嬉しい。
 ジークベルト・アルロ・シュヴァルツ、絶対に忘れたくないお名前だと思った。

「あの、お名前、ここに書いてもらってもよいでしょうか?」

 私は紙とペンを侯爵様に差し出した。
 侯爵様のお名前も、ちゃんと書けるようになりたくて。
 すると、侯爵様は意図を理解してくださったのか、紙とペンを受け取り、とてもきれいな字でお名前を書いてくださった。
 これは戸籍の写しと一緒に大切に保管し、絶対に宝物にしようと思う。

「あの……っ、ジークベルト様、とお呼びするのは、失礼、でしょうか……?」
「ジークでいい、親しいものはみんなそう呼ぶ」
「ジーク、様……」

 そう呼ぶと、ジーク様がふわりと笑った。
 お名前を呼べたら嬉しいと、そう思っただけだったのに、まさか愛称で呼ぶことを許してもらえるなんて。
 ジーク様は、この世界で、私がはじめて愛称でお呼びした方になった。
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