世界よ優しく微笑んで

えくれあ

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ep.018 3人のお客様

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 昨日私が落としてしまったお花は、昨日メイドさんたちが拾い集めてくれたそうだ。
 落ちた衝撃で少し傷ついてしまった花びらもあったものの、今は花瓶に生けられてきれいに咲いている。
 私は現在、そんなお花を横目に、ルイスさんに文字を教わっている。
 ようやくアルファベットを覚えきって、最近では簡単な単語を教わるようになった。
 ルイスさんは無理のないようにと、いつも少しずつ教えてくれて、私はそれを、ルイスさんのお手本を真似ながら、必死に書いて覚えている。
 だが、こうして書いて覚えている間に、昨日までに覚えた単語たちを代わりに忘れてしまっていそうで、ちょっと心配だ。

「こちらをどうぞ、お嬢様」

 ふわっと暖かなブランケットが、肩からかけられる。

「今日は冷えますから」
「ありがとうございます」

 自分でも気づかないうちに、少し震えていたようだ。
 あたたかい気遣いに、心までほかほかになるような気がした。

「何かあたたかい飲み物をお持ちしましょう、何かご希望はありますか?」
「えっと……」

 何がいいだろう、と思った時、ふっとあるものが浮かんだ。
 ただ、ルイスさんが準備できるか、わからないけれど……

「ホットチョコレートって、お願いできますか?」

 そう聞くと、ルイスさんは、目を丸くして驚いている。
 やっぱりあれは、侯爵様しか知らないものだろうか。

「あ、無理だったら……」
「いえ、大丈夫です、ご準備いたしますよ。ただ、お嬢様からその名前が出るとは思わず、少々驚いてしまい……」

 申し訳ありません、とルイスさんは頭を下げる。
 驚いたくらいで謝るなんて、と私は慌てて大丈夫です、と伝える。
 確かに侯爵様以外の方に出してもらったことはなかったし、きっと私が知らないと思っていたのだろう。

「昨日、侯爵様にいれてもらったんです。甘くてとってもおいしかったんですけど、昨日ちゃんと飲めなくて……また、飲みたいなって思っていたんです」
「お口にあわなかったのでは、ないのですか?」
「いえ、とってもおいしかったですよ」

 なぜそんなことを聞くのだろう。
 あれが好きだなんて、そんなにおかしなことなのだろうか。
 でも、侯爵様もチョコレートが好きな私だからと用意してくださったのだろうし、どちらかといえば好きだろう、と思われる方が自然なのに。

「旦那様は、お嬢様がお気に召さなかったと思われたようでしたが……」
「ええ!?どうしてでしょう……最後までちゃんと飲まなかったから、気を悪くさせてしまったでしょうか?」

 おいしくて、とっても幸せだったのだけれど。
 でも、昨日は、こんなに迷惑かけてる自分にこんなに素敵なものを用意してもらって申し訳な気持ちもあったり、結局最後は泣き疲れて眠ってしまったこともあったりで、最後まで飲み切ることは叶わなかった。
 その所為で、侯爵様を不快にさせていたらどうしよう、と心配になる。

「いえ、旦那様が勘違いをされたのでしょう。旦那様にお嬢様がお気に召したと伝えておきましょう。きっと旦那様もお喜びになります」

 ルイスさんはにこにこと笑ってそう言うと、すぐ準備してきます、とお部屋を出て行った。
 侯爵様にちゃんと伝わるといいな、そう思いながら、私は教えてもらった単語の練習をしながらルイスさんの帰りを待つことにした。





「まぁ、あなたがリディアちゃんね!思っていたよりも、ずっとかわいいわっ!!」

 伯爵家のお嬢様がいらっしゃってから数日後、私は応接間に来るようにと侯爵様に呼ばれた。
 そうして扉をあけた途端、1人の女性にぎゅーっと抱きしめられている。

「叔母上、落ち着いてください」
「ブリジット、放してあげなさい」

 2人の声がして、私は声の方を見た。
 1人は侯爵様の声だったけれど、もう1人はいったい……
 そう思いながら見ていると、部屋の中には侯爵様の他に男性が2人座っている。

「別にいいじゃない!」

 ねぇ、と女性に同意を求められ、ドギマギしてしまう。
 侯爵様と同じ、きれいな銀色の髪、長くてサラサラな髪がさらりと揺れると、キラキラと光ってきれいだ。
 見惚れるほど美しいその女性は、髪色のせいかどことなく侯爵様に似ている。
 でも、瞳はエメラルドグリーンで、侯爵様の瞳の色とは少し違った。

「リディア、こっちに来い」

 侯爵様に呼ばれて、私は女性を見上げる。
 未だしっかりとこの女性に抱きしめられていて、動けないのだ。
 すると、女性は、もう、しょうがないな、なんて笑いながら放してくれた。
 侯爵様が隣に来るように促すので、私は侯爵様が座っているソファの方に向かい、隣に座った。
 そうすると、女性は向かい側にあるソファに座る。
 女性の隣には、淡い金色の髪に同じく淡い金色の瞳をした男性が座っていて、にこにことこっちを見ている。
 それから部屋の奥側、1人用のソファに男性が1人。
 侯爵様と同じ髪と瞳の色、何より容姿も雰囲気もびっくりするくらい侯爵様に似ている。
 もしかして、この人は……
 私がまじまじと見てしまっていると、そのことに気づいたのか、男性がこちらを向いて目があってしまった。

「すまない、怖がらせてしまったようだ」

 男性は慌てて目をそらしてしまった私に対して、ふわりと笑みを浮かべてそう言った。

「はじめまして、私はテオドール・シュヴァルツ。ジークベルトの父だ」
「あ、やっぱり……」

 思った通りだった、という心の声で終わるはずの言葉が、つい口をついて出てしまった。
 私はいたたまれなくなって、俯く。
 隣で、侯爵様がくすっと笑った。

「お兄様ばっかりずるいわ!私はブリジット・エルロードよ、それから、こっちが私の夫の……」
「パトリック・エルロードです」
「は、はいっ」

 そういえば、さっき女性はブリジット、と呼ばれていた気がする、侯爵様のお父様に。
 そして侯爵様のお父様が、ブリジット……様、のお兄様で、侯爵様は叔母上で呼んでいらして、でパトリック様はその旦那様で……
 頭がこんがらがりそうになりながら、目の前の人たちの関係性を整理するのに必死だった。
 そんな私を、目の前のお二人はにこにこしながら見ている。

「お兄様、ジーク、本当に私がもらっていいのね?」
「はい、ただし、あくまで了承を得られたら、です」
「私はブリジットがそうしたいのなら、かまわない、好きにするといい」

 ブリジット様は、侯爵様と侯爵様のお父様に何かを確認し、お二人はそれに了承しているようだ。
 しかし、私には、それが何のことだかさっぱりわからない。

「リディアちゃん、よね?」
「は、はいっ!」

 あらためて問われて、名乗ってすらいなかったことに気づいた。
 お三方ともきちんと名乗ってくださったのに、いっぱいいっぱいだったとはいえ、とんでもなく失礼なことをしてしまった。

「ごめんなさい、ちゃんと名乗りもせず……」
「かまわないよ、僕たちはもう知っていたし、何より突然の事で驚いただろうしね」

 パトリック様が、あいかわらずにこにこしながらそう言ってくださった。
 その言葉に、ほっとする。
 だが、それも、ほんの一瞬のことだった。

「リディアちゃん、私の娘になってくれないかしら?」
「はい?」

 私は困って、思わず侯爵様を見た。

「やっぱり、嫌かしら?せっかく1番目の権利を貰ったのに……」

 さっきの確認は、これだったのだろうか。
 しゅんと、ブリジット様が落ち込んでしまった。

「叔母上、突然すぎるのですよ」

 侯爵様が呆れたように言っている。
 侯爵様のお父様も、同じような表情で頷いていらっしゃる。
 本当によく似ていらっしゃる。

「しょうがないですよ、ブリジットは今日を楽しみにしていたんですから」

 そう言うと、パトリック様は真っ直ぐに私を見る。

「僕とブリジットの間には子どもがいなくてね、リディアちゃんが僕たちの子どもになってくれたら嬉しいなと思って、今日はここに来たんだ」
「え……?」
「ちょうどジーク君から相談を受けてね。君にこの世界で、後ろ盾となれるような親を用意したいと」

 私は驚いて、侯爵様を見た。
 きっと、この前のことを気にしてくださって、考えてくださったのだ……

「ジーク君は、お父上であるシュヴァルツ前侯爵と、叔母にあたる僕の妻、ブリジットに相談を持ちかけたようなんだけど……」
「私もお兄様も、あなたを娘に迎えていいと思っているわ。でもお兄様にはすでに子どもがいるから、子どものいない私に譲ってくださったのよ」
「でも、お子様はこれからお生まれになる可能性も……」

 私がそう言うと、ブリジット様の表情が曇った。
 何か、間違えたみたいだ。

「ブリジットは昔、僕の子を身ごもったことがある。でも残念ながら死産でね……」
「ご、ごめんなさいっ、私……」

 ブリジット様が、お腹のあたりをおさえていらっしゃる。
 きっと、その時のことを思い出させてしまったのだ。

「いいのよ、知らなかったのだから、しょうがないわ。私はね、その時もう子どもは産めない身体になってしまってね……」
「ブリジットは僕に、他の女性との間に子をもうけるように薦めてくれたんだけど、僕はそんな気にはなれなくてね」
「そんな時に、ジークからあなたの話を聞いて、なんだか運命のような気がしてしまって」
「僕たちの子も、死産だったけれど、もし生きていれば女の子で、ちょうど君くらいの年齢なんだよ」

 お二人が、すごく優しいお顔で私を見ている。
 その向こうに、もしかしたら亡くなられた娘さんを見ていらっしゃるのかもしれない。

「エルロード家は子爵家だが、歴史が古く皇家の信頼も厚い。下手な伯爵家よりも格上の扱いをされるような家柄だ」

 だから、何も心配することはない、と侯爵様が言う。
 私がブリジット様の娘になることを、きっと侯爵様は望んでいる。
 これは、侯爵様が私のためを思ってしてくれたこと、お受けしなければ、そう思うけれど……

「勘違いするな、無理強いする気はない」

 侯爵様の手が、私を撫でてくれる。
 なんだかとても、ほっとする。

「あら、あらあら、ジークもそんな顔をするのね」
「……っ」

 ブリジット様の言葉に、侯爵様のお顔が赤くなる。
 周りの視線から逃れるように、顔を背けた。
 こんな表情をされる侯爵様なんて、見たことなかった。
 ご自分より年長の親族の方々に囲まれていらっしゃるせいだろうか、非常に珍しいものを見た気がする。

「私たちでは、嫌だったかしら?」
「答えは、すぐでなくていいんだよ?」

 優しくお声をかけてくださるお二人は、きっと素敵な方たちなんだろうと思う。
 この世界で、お二人の娘として過ごすのも、きっと幸せなことなのだろう。

「お二人が嫌なわけではないんです、でも、やっぱり、私……」

 ちらっと侯爵様を見ると、侯爵様と目があった。

「心配するな、おまえがどんな選択をしても、おまえがここで暮らすことはこれから先も変わらない」
「へ?」
「それを心配していたのではないのか?」
「いえ、その通り、なんですけど……」

 どうやら娘になるのと、一緒に生活することは別だったみたいだ。
 私がさっき心配していたことは、あっさりと事前に侯爵様に解決されていたのだ。
 家名や爵位がないと憂いていたことも、それでもここに居たいと言ったことも、侯爵様はちゃんと考えてくださっていた。

「あら、ジークの思い込みではなかったのね。リディアちゃんがどんな選択をしても、ここで暮らしたがるはずだから、それは受け入れてほしいってやつ」
「みたいだね、リディアちゃんにその気があれば、うちで3人で暮らせるかもって思っていたけど、これでは無理そうだ」

 そう言いながらも、お2人は楽しそうに笑っている。

「今はシュヴァルツ家の遠縁ってことにしてあるんでしょう?そこからうちの養子になることは、別に誰も不思議なことだとは思わないわ」
「ブリジットがシュヴァルツ家の侯爵令嬢だったってことも、うちとシュヴァルツ家が縁戚関係にあるのも有名だしね」
「そして、1度うちの養子に入ってしまえば、その前はどうであれ今はエルロード子爵家の人間になる。誰も表立って、過去のことを詮索できなくなるわ」

 聞けば聞くほど、私にだけ都合のよい話な気がしてきた。
 きっと貴族の家の娘だと名乗れるようになることは、この世界ですごく価値のあることなのだろうという事はなんとなくわかる。
 でも、どうしてここまでしてもらえるのだろう。
 果たして、私にそんな価値はあるのだろうか。

「あまり難しく考えなくていい。この世界で貴族の戸籍ができる。それはおまえにとって悪い話にはならないだろう」

 侯爵様の手が、膝の上に置いていた私の手に重ねられる。
 はじめて、自分がものすごく強く両手を握りしめていたことに気づいた。

「だが、もしこの方法が嫌なら、別の方法を考えればいいだけだ。だからあれこれ考えず、自分がどうしたいかだけを考えてくれればいい」
「えっと……」

 他の方法、なんてあるのだろうか。
 というかそこまでして、侯爵様は私に貴族の戸籍を用意する必要が?
 私にとって悪い話ではないのはすごくわかるけれど、侯爵様には必要なのだろうか。
 これだっていろいろ考えてくださったはずなのに、私がそんな簡単に決めてよいものなんだろうか。
 もし侯爵様にとっても必要なことならば、侯爵様に都合のいい選択肢を、侯爵様が私に強要することだって可能なはずなのに。
 私には、何の力もないのだから……
 俯いてぐるぐると考えていると、目の前に影が落ちた。
 慌てて顔をあげると、にこやかに微笑んだ侯爵様のお父様がいらした。

「少し、私とお散歩に付き合ってくれないかな?」
「へ?」
「この家に来たのは久しぶりでね。久々に庭園を見たいから、案内を頼めないだろうか」
「わ、私、ですか……?」
「嫌かい?」
「いえ、決してそんなことは……」
「それはよかった、では行こう!」
「え、ちょ……っ」
「父上っ!」
「お兄様っ!!」

 私は侯爵様のお父様の強い力によって立ち上がらされ、そのまま扉の方へと引きずられていた。
 さすがは元騎士団長様、というべきなのだろうか。
 後ろから、焦ったような侯爵様とブリジット様の声が聞こえる。

「まぁいいじゃないか、難しい話ばっかりじゃつまらないし、気分転換だよ」

 侯爵様のお父様はへらりと笑って、ひらひらと手をふっている。

「わ、私なんかよりお詳しいのでは?」
「いや、数年ぶりだし、もう記憶も曖昧でね……ジークとよく散歩してるんだろう?」
「それは、そうなんですが……」

 このお邸の元当主様と、最近ちょくちょく散歩をするようになっただけの人間……
 後者の方が、この家のお庭に詳しいなんて、果たしてありえるのだろうか。
 侯爵様が最近大幅に作り変えた、とかでなければありえないような……
 でも、そんな、最近できた感じのお庭な気もしないのだけれど。
 もちろん、過去を知っているわけではないから、憶測でしかない。
 そんなことを考えているうちに、太陽の眩しさを感じて、私は手を引かれるままに外に出たことに気づいた。
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