合法ブランクパワー 下記、悩める放課後に関する一切の件

ヒロヤ

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四月二十六日(火)夜 パブ・ホルン③

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白井はため息をついた。
 何がどう関係するのか見当もつかない。
 自分の役回りも一向に説明がないし、ただ座って酒を飲むだけなら誰でも良かったはずだ。

 麗華は、グラスを手に取ると、

「やっぱり、誰だって若くて綺麗な女の子が良いわよね」

 ねえ、そう言って笑いながら首をかしげた。

 白井は、退席したアヤメの姿を思い出してみた。確かに若くて綺麗な部類に入るのだろう。ただ、こういう店の雰囲気がそう見せているだけかもしれず、いずれにしても自分にはよくわからない。

 それにしても。

 白井は、麗華の声に耳を傾けた。
 さっきから、ホステスの年齢やアヤメの話ばかりだ。客であるこちらが聞き役になっている状況に、少し混乱する。話下手の自分としては、大いに助かるわけだが。

 しかし――。

 ――この声の感じは。

 麗華はなおも白井に話しかけた。

「私みたいに、もう四十過ぎてしまうと、働ける店も限られてしまってね」
「はあ」
「ふふ、私ばかり話してごめんなさい」
「あなたの声、何だか泣いているようですね」

 白井はグラスに付着した水滴を見つめる。
 藤石が一瞬こちらを見た気がした。

 ――しまった。

 白井は後悔したが、すでに遅かった。

 麗華が頭を下げている。

「……ごめんなさい。申し訳ありません」
「いや、こちらこそ失礼なことを言いました。気にしなくて大丈夫です」

 この言葉に、いっそう麗華は首を横に振った。

「いいえ。お客様を不快にさせて申し訳ございません」

 白井も慌てて首を振った。

「不快ではないですよ。僕が口下手なので、ずっとあなたが話を……」

 麗華は黙り込んだ。
 白井も黙るしかなかった。

 この状況、宇佐見ならどう切り抜けるのだろう。いや、そもそもこんな事態を招くような男ではなかったか。

 白井が肩をすくめると、

「寒いですか?」

 麗華が白井の肩に手を触れた。

「大丈夫です」
「でも、顔色が優れないから」
「これは生まれつきです」

 白井は肩に置かれた麗華の手から逃れたく、何となく身体を遠ざけた。
 しかし、手は置かれたままだ。
 戸惑いながらも、白井はどうにかコミュニケーションを続ける。

「僕よりあなたの服装が寒そうです。手だって冷たい」
「この格好は仕事だから。大丈夫よ」
「冷えは良くないみたいです。特に女性は」

 麗華は目を丸くして白井を見つめた。
 やがてゆっくり微笑んで、

「ありがとう。心配してくれて」

 白井の手を握ってきた。

 軽く頭が混乱する。今、これは一体どういう状況なのか――。
 華やかなシャンデリアの光が揺れる。
 結局、白井は麗華を気遣った。

「……やっぱり、手先が冷えてるみたいですね」
「白井さんの手が温かいのよ」

 はあと白井は曖昧に答えた。
 初対面の女性に手を握られた喜びなど欠片もないが、何も感じないほど鈍感ではない。何より、この麗華に対しての感情は何かが違った。

 とにかく、心配になる。
 あの少年――有平忠志に対する気持ちと似ていた。

 このどうしようもなく無力な自分が心配したところで力になれることなどないのだが。

 白井は思わず、すみません、そう言った。

「どうして謝るの?」

 クスクスと笑い声がする。

「はあ。何となく」
「それとも何かしら……私の冷えた手を温めてくれるの?」

 麗華は目を細めて白井の顔を見つめてきた。

 ――ああ、ここはそういう場所だった。

「すみません。僕は役に立ちそうにありません」

 そう答えて、白井は麗華の手から逃れた。

「ふふ、冗談よ。でも――」

 麗華がつぶやいた。

「白井さんの声も泣きそうになるわ」

 その声に再び胸がざわついた。
 さっきから、このホステスの声は何かをこらえるように震えているのだ。

 接客業は色々ある仕事なんだろうな、と白井は感じた。生身の人間を相手にするのだから、自分とは桁違いのストレスがあるはずだ。

 どんな仕事でも、泣きたくなる瞬間はある。
 強い人間ばかりではない。
 それでも求められる結果は等しく同じだ。
 努力しても報われないことばかりで、自分の存在意義さえ疑ってしまう。

 宇佐見や藤石のように自信に満ちた生き方が出来ればどんなに良いだろう。
 きっと、一生相容れない側面があると考えただけで、白井は心が暗くなった。

 ――何を考えているんだ、僕は。

 まさか、こんな時に三人の関係性まで想いを巡らすことになろうとは。

 不安と可笑しさが相まって、白井は麗華を見つめた。

「いっそのこと、一緒に泣いてしまいましょうか」

 麗華はうつむいた。
 何も喋らない。
 白井は本当に泣かせてしまったのかと、急に我に返った。
 何とか周りに事態を悟られないように、白井は麗華の耳元で謝った。
 それでも反応はない。

「麗華さん」

 すると、白井の手の上に再び冷えた手が重ねられた。

「ありがとう」

 やはり声は震えていた。

「すみません……あの、大丈夫ですか」
「えぇ」

 その時、テーブルに置かれていた藤石のスマートホンが盛大に鳴り出し、思わず白井は身体を浮かせた。

「はい。ん?誰だ?偽マジメか?」

 その呼び名に、相手が有平家の忠志だとわかった。

 藤石が声を荒らげた。

「はああ?そんなの店員に言えば良いだろうよ。あーあーあー、もうわかったよ。ちょっと待ってろ。……ったく」

 電話を切ると、藤石は一気に疲れた顔になった。
 そして眠そうな目で白井を見る。

「ちょっとバカガキの様子を見てくる。アイツまたゲーセンでトラブル起こしやがった。シロップは残ってて良いぞ」
「えっ」

 さすがにこの時間帯、忠志が心配である。

 しかし、そんな白井の手を麗華が強く握った。

「白井さん、待って」
「はあ、でも」

 そこへ、氷を用意したリナが戻ってきた。

「ええーっ。藤石さん帰っちゃうの?」
「うん。もう下準備としては充分やれることはやったし、無駄な金も使いたくな……イヤ。死ぬほど名残惜しいよリナさん」
「やだやだやだっ!藤石くん!カノン帰さないぞぉ!」
「困ったなあ、どうしようかなあ。カノンちゃんはワガママさんだなあ」

 などと言いながらも、さっさと藤石は帰り支度を始めた。
 そこへ、今度は奥からアヤメが戻ってきた。

 何とタイミングの悪い――。

 いや、藤石にしてみれば好都合だったのだろうか。

 立ち上がる藤石にアヤメが気づき、歩調を緩めた。

「お帰りになるのですか」

 見た目とは違い、割と低い声だった。

「えぇ。残念ですが急用です」

 藤石はアヤメを見つめた。
 そして、すれ違い様に何かをアヤメの手に握らせた。
 耳元で何かを囁く。

 驚くアヤメをすり抜け、藤石は風のように外へ出て行った。

 アヤメは少し動揺した顔を見せたが、すぐに平静さを取り戻し、三田が待つ席に急いだ。
 三田も、アヤメの姿を確認すると安心したのか、嬉しそうな顔を見せた。

 白井は困り果てた。

 金のことは心配なかったが、この状況を一人で乗り切る自信がなかった。
 リナは藤石がいなくなったことで手持ち無沙汰になり、白井に接近しようとしたが、すぐに意地悪い笑顔になって、

「すみません、少し外します」

 席を立って行ってしまった。

 白井の左手を、麗華がしっかりと握っている。

 ――厄介なことになった。

「今日は0時までなのよ」

 ふいに麗華が白井に囁いた。

「はあ」
「その後、いかがですか」
「は?」

 きっと、今の自分の顔はものすごく狼狽した表情を浮かべているに違いない。

 それを悟ってか、麗華も悲しい笑みを浮かべた。

「いえ、何でもないわ。ごめんなさい。まだお話しがしたくて」

 その泣きそうな声にまた翻弄される。
 何でもないと言いながら、麗華は白井の手を放そうとはしなかった。

 一体、何なのだ。

 こう見えて麗華は意外に強引なホステスなのかもしれない。

 ――ホステス。

 白井は改めて自分が置かれた空間を見渡すと、にわかに冷静さを取り戻した。
 すべては金を使わせるための作戦ということも考えられる。

 麗華の顔を観察する。

 そして、賭けに出た。

「今日は無理です。僕も帰ります」

 麗華は残念そうに笑った。

「そう。仕方ないわね」
「お話しがしたいというなら、明日の昼過ぎから一時間くらいなら空いてます。仕事の合間ですけど」

 麗華は呆れたように口を開けた。
 白井は無表情でそれに対峙する。

 空気が読めない客を装い、相手から手を引いてもらえば良いのだ。

 昼間の一時間では、さすがに店へ同伴というわけに行かないだろう。そもそも、彼女は寝ている時間かもしれない。
 金にならない付き合いなど、意味がないはずだ。
 ここで振り切れれば、自分がこのホステスと関わることも二度とない。

 白井はゆっくりと麗華の手から逃れた。

 しかし、しばらく間を置くと、麗華は微笑みながら白井の腕に触れた。

「良いわ。連絡先を教えていただける?」

 今度は白井が口を開ける番だった。
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