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本編
26.絶望 Side K
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長時間に及ぶ尋問、スクロールの横流しに関しての執拗な聞き取り調査に、最後になんと答えたのかは分からぬまま、朦朧とした頭で魔導省を後にしたのは宵闇の頃、追跡の魔術付きとは言え、一旦、帰宅が許されたのは、己の身分がまだ辛うじて貴族籍にあるためだろう。それも、妻の実家の爵位ではあるが─
(…クソッ、どうする、…どうすれば…?)
昨日の夕刻、自邸へと訪れた王宮監査官に問答無用で連れ出されてから丸一日以上が過ぎている。その間、睡眠どころか、ろくな休息も与えられずに続いた尋問、魔力を用いたそれは、気力で対抗できるものではなく、マズいと思いながらも、ゴート商会の名を口にしてしまったことだけは覚えている。
(…ひとまず、家に帰って、逃亡の準備を…)
そこまで考えて、思いだす。自身の「家」が既に自分のものではないことに。昨日、監査の急襲を受けたと同時に、家は差し押さえられてしまっている。封鎖された屋敷に力ずくで押し入れば、直ぐにも再逮捕されてしまうだろう。
(クソッ、しかし、金も持たずに逃亡するのは無謀過ぎる…)
魔導省の追跡魔術だけならば、まだ何とかなる。だが、今や、ゴート商会にも追われる身、闇雲に逃げて逃げ切れるものではない。魔導省への差し入れ代わりに離縁届を置いていった妻の実家も当てにはならない。
(…そうだ…)
脳裏に浮かんだのは一人の女の姿。金で繋がった関係とはいえ、それだけで割り切れるほどの浅い仲ではない。共に逃げてくれるほどではなくとも、金を融通してくれるだけの情けはあるはず。
進路を変え、大通りを通いなれた方角へと進む。周囲への警戒を怠らずに歩くこと十数分、見えてきた家の窓からもれる灯りにホッとする。そのまま、家の扉を小さく叩けば、
「…はい?」
「…俺だ。」
「っ!」
扉の向こうで、慌てたような気配。扉が、直ぐさま開いて、
「ディー!良かった!無事だったのね!?私、あなたが捕まったって聞いて!」
「サリー、すまん。迷惑をかけるが、」
「いいのよ!とにかく、中へ入って!直ぐに食事を用意するわ!あなた、酷い顔よ?」
「…ああ。」
招かれた室内の温かさに、込み上げるものをグッと飲み込んだ。目の前の、温かな肢体に手を伸ばし、抱きしめる。
「…すまん。本当に、お前に迷惑をかけるつもりはなかったんだ…」
「…何を言ってるの。私はいつでもあなたの味方よ?…それより食事は?ちゃんと食べられたの?」
「ああ、…いや、そう言えば、何も食っていないな。…それどころではなかった…」
「そう。可哀想に。…座って?スープで良ければ直ぐに出せるから。」
「…すまん。」
再び謝罪を口にし、困ったように笑う女に促されてテーブルへとつく。出された食事、湯気の立ち昇るスープを口に運んだ。決して料理が得意とは言えない女の作ったスープ、いつもなら、文句の一つや二つ、口にしてしまうそれが、今はどんな高級料理よりも旨いと感じる。
「…今まで、すまなかった。」
「あら?何を謝ることがあるの?」
「…私は、今まで、お前を金で買った女だとしか思っていなかった。心無い言葉をいくつも口にした。」
「そんなこと、気にする必要ないのに。」
「ああ。…だが、お前は、帰る場所もない俺をこうして迎え入れてくれている。」
「…」
「…なぁ、頼みがあるんだ。」
「なぁに?」
こちらを見つめる女が笑みを浮かべる。何故だろう、その笑顔が遠くに見えて─
「…私と、一緒に、逃げてくれないか…?」
たまった疲労ゆえか、口が上手く動かない。意識が朦朧としている。
「逃げる?それは駄目よ。」
「…なぜ、お前は、私を…」
身体から力が抜けていく。椅子の上に座る力を失った身体が、床の上へと崩れ落ちた。見下ろしてくる女の視線。
よく、見えない。遠ざかる思考に、一つだけ、疑問が生まれた。
「…サリー、お前、私が捕まったと、なぜ、知って…?」
「ああ。それは簡単よ?ゴート商会の旦那に教えてもらったの。」
「…ゴート…」
「ええ。あなたがここに来たら教えて欲しいって。あなたを動けないようにするお薬ももらったわ。それに、さっき合図を送ったから、そろそろ、迎えが来るんじゃないかしら?」
「…迎え…」
「ええ、あなたのお迎え。」
こちらを見下ろす女、その後ろに、黒い人影─?
「お待たせしました。ケートマン室長。…おや、まだ意識があるのですね。流石は、腐っても魔導師。大したものです。」
「…」
恐ろしい声、だが、それがなぜ恐ろしいのか、上手く、思考が─
「ご安心下さい、室長。あなたの存在は我が商会が責任を持って、隠匿致しますので。魔導省にも決して見つからぬよう、その髪の毛一本、爪の先まで、有効活用させて頂きます…」
「…」
「室長ほどの魔導師というのは、なかなか手に入らないものですから。…我が商会も、本当に運が良かった。」
「…」
「…どうか、安らかにお眠り下さい。…あなたにとって、これが最後の…」
(…クソッ、どうする、…どうすれば…?)
昨日の夕刻、自邸へと訪れた王宮監査官に問答無用で連れ出されてから丸一日以上が過ぎている。その間、睡眠どころか、ろくな休息も与えられずに続いた尋問、魔力を用いたそれは、気力で対抗できるものではなく、マズいと思いながらも、ゴート商会の名を口にしてしまったことだけは覚えている。
(…ひとまず、家に帰って、逃亡の準備を…)
そこまで考えて、思いだす。自身の「家」が既に自分のものではないことに。昨日、監査の急襲を受けたと同時に、家は差し押さえられてしまっている。封鎖された屋敷に力ずくで押し入れば、直ぐにも再逮捕されてしまうだろう。
(クソッ、しかし、金も持たずに逃亡するのは無謀過ぎる…)
魔導省の追跡魔術だけならば、まだ何とかなる。だが、今や、ゴート商会にも追われる身、闇雲に逃げて逃げ切れるものではない。魔導省への差し入れ代わりに離縁届を置いていった妻の実家も当てにはならない。
(…そうだ…)
脳裏に浮かんだのは一人の女の姿。金で繋がった関係とはいえ、それだけで割り切れるほどの浅い仲ではない。共に逃げてくれるほどではなくとも、金を融通してくれるだけの情けはあるはず。
進路を変え、大通りを通いなれた方角へと進む。周囲への警戒を怠らずに歩くこと十数分、見えてきた家の窓からもれる灯りにホッとする。そのまま、家の扉を小さく叩けば、
「…はい?」
「…俺だ。」
「っ!」
扉の向こうで、慌てたような気配。扉が、直ぐさま開いて、
「ディー!良かった!無事だったのね!?私、あなたが捕まったって聞いて!」
「サリー、すまん。迷惑をかけるが、」
「いいのよ!とにかく、中へ入って!直ぐに食事を用意するわ!あなた、酷い顔よ?」
「…ああ。」
招かれた室内の温かさに、込み上げるものをグッと飲み込んだ。目の前の、温かな肢体に手を伸ばし、抱きしめる。
「…すまん。本当に、お前に迷惑をかけるつもりはなかったんだ…」
「…何を言ってるの。私はいつでもあなたの味方よ?…それより食事は?ちゃんと食べられたの?」
「ああ、…いや、そう言えば、何も食っていないな。…それどころではなかった…」
「そう。可哀想に。…座って?スープで良ければ直ぐに出せるから。」
「…すまん。」
再び謝罪を口にし、困ったように笑う女に促されてテーブルへとつく。出された食事、湯気の立ち昇るスープを口に運んだ。決して料理が得意とは言えない女の作ったスープ、いつもなら、文句の一つや二つ、口にしてしまうそれが、今はどんな高級料理よりも旨いと感じる。
「…今まで、すまなかった。」
「あら?何を謝ることがあるの?」
「…私は、今まで、お前を金で買った女だとしか思っていなかった。心無い言葉をいくつも口にした。」
「そんなこと、気にする必要ないのに。」
「ああ。…だが、お前は、帰る場所もない俺をこうして迎え入れてくれている。」
「…」
「…なぁ、頼みがあるんだ。」
「なぁに?」
こちらを見つめる女が笑みを浮かべる。何故だろう、その笑顔が遠くに見えて─
「…私と、一緒に、逃げてくれないか…?」
たまった疲労ゆえか、口が上手く動かない。意識が朦朧としている。
「逃げる?それは駄目よ。」
「…なぜ、お前は、私を…」
身体から力が抜けていく。椅子の上に座る力を失った身体が、床の上へと崩れ落ちた。見下ろしてくる女の視線。
よく、見えない。遠ざかる思考に、一つだけ、疑問が生まれた。
「…サリー、お前、私が捕まったと、なぜ、知って…?」
「ああ。それは簡単よ?ゴート商会の旦那に教えてもらったの。」
「…ゴート…」
「ええ。あなたがここに来たら教えて欲しいって。あなたを動けないようにするお薬ももらったわ。それに、さっき合図を送ったから、そろそろ、迎えが来るんじゃないかしら?」
「…迎え…」
「ええ、あなたのお迎え。」
こちらを見下ろす女、その後ろに、黒い人影─?
「お待たせしました。ケートマン室長。…おや、まだ意識があるのですね。流石は、腐っても魔導師。大したものです。」
「…」
恐ろしい声、だが、それがなぜ恐ろしいのか、上手く、思考が─
「ご安心下さい、室長。あなたの存在は我が商会が責任を持って、隠匿致しますので。魔導省にも決して見つからぬよう、その髪の毛一本、爪の先まで、有効活用させて頂きます…」
「…」
「室長ほどの魔導師というのは、なかなか手に入らないものですから。…我が商会も、本当に運が良かった。」
「…」
「…どうか、安らかにお眠り下さい。…あなたにとって、これが最後の…」
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