三原色の世界で

リコピン

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第三章

3-7

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その日は朝から雨が降り続けていた。

子どもを賭けのダシにした後悔と罪悪感は抱えたまま、それでも、ロベルトの存在に子を守る勇気をもらった日からおよそ二週間後、朝から感じていた腹部の違和感は、昼頃にははっきりとした兆しへと変化していた。

陣痛に苦しむ私をサラサに任せて、ロベルトは街に産婆のヨハナを迎えに行った。この日のために馬車を購入し、新たに御者まで雇っていた用意周到さが功をそうして、雨の中、大荷物を抱えたヨハナは無事に屋敷に到着した。

初めての出産、終わりの見えない痛みに耐え、そうして何とか無事に我が子を産み落とした頃には、日が再び昇っていた。

「お疲れさんだったねぇ、よぅ頑張った。元気な男の子だぁ。」

ヨハナの手で産湯を済まされ、おくるみに包まれた我が子が、力尽きた身体の隣に寝かされる。

(…可愛い…)

フニャフニャ、シワシワ。体に力が入らず、顔だけを向けてその寝顔にうっとりと見惚れていれば、

「…イリーゼ…」

お産が済むまで部屋から追い出されていたロベルトが、漸く入室を許されたらしく、寝台へと近づいてきた。

「…」

「…」

何も言えずに二人して、子どもを眺める。ホワホワの紅紫の髪の息子をじっと見つめるロベルトの視線、その温かな眼差しに確信めいた思いが込み上げる。

(…ああ、この子は間違いなく、私とロベルトの子だ…)

触れることさえ出来ずに、ただ、食い入るように我が子を見つめるロベルト。不意に、-何が気にくわなかったのか-フエフエと泣き出した我が子に、目を見開き慌て出す。助けを求める視線を向けられたけれど、こちらもどうしていいかわからない。

役立たずの両親の間に割り入る声がして、

「こんくらいで怯えてちゃぁ、先が思いやられるねぇ。」

泣く子をひょいと抱き上げたヨハナが、その小さな身体をユラユラと揺らせば、泣き声はピタリと止んだ。そのまま再び眠りにつこうとする子を、ヨハナがロベルトへと差し出せば、咄嗟に手を伸ばしたロベルトが受け取った。途端、我に返ったロベルトが狼狽し出す。

「ま、待て!」

「いーっぱい抱っこして、さっさと慣れるしかないよぉ。」

「しかし、これは、何と言うか、小さすぎる、柔らかすぎて、怖い。」

言って、腕に抱えた我が子を凝視しながら固まってしまったロベルト。その姿にヨハナが笑う。

「予定より、ちーっと早く産まれたにしちゃぁ、身体もしっかりしとる、心配することないよぅ。」

「…」

「そうそう、後ねぇ、出生の届け出、国に出す申請書、あれぇ、今日は忘れてしまってねぇ。まぁ、落ち着いたら、私んとこに取りにおいで、用意しとくからねぇ。」

ヨハナの言葉に、ロベルトと顔を見合わせて、それから頭を下げた。

「…感謝する。」

ロベルトの言葉に、ヨハナはただ、ニコニコと笑って返す。

その後も、母乳で育てることに決めた私のために色々なアドバイスを残し、ヨハナは帰って行った。

部屋には親子三人。抱く腕に力が入りすぎているロベルトは流石に疲れてきたようで、腕に息子を抱いたまま、ベッドの端に腰かけた。

「…この子の名前だが、本当にアベルでいいのか?」

「うん。」

産まれる前から決めていた名前は、亡くなったロベルトの父からもらったもの。

「…ありがとう。」

ロベルトが、緩く目元で笑う。

「その…、名前だけでなくて。この子を産んでくれたことも…」

「…それなら、私もありがとう。傍にいてくれて。」

昨日からの奮闘で、私も相当ボロボロだけれど、ロベルトだってよく見ればヨレヨレ。昨日の恰好のまま、着替えもしていないらしい。仮眠くらいはとってくれていれば良いんだけれど。

「…君が、…無事でよかった。」

「…うん。」

ロベルトの心からの言葉に、心から頷く。この世界でのお産は、前世よりもリスクが高い。『育児百科』を読んである程度覚悟していたはずのロベルトは、むしろ読んだからこそ、「もしも」という可能性を次々見つけては、どんどん不安が大きくなっていったようだった。だから、無事に産まれて本当に安心している。

「…出生の届け出を、一週間遅らせようと思う。」

「…うん。」

これにも頷いた。アベルは予定日より一週間遅れて産まれたが、更に届を遅らせることで、本来の予定日より二週間遅く、公表していた予定日より二週間早く産まれたことになる。エドワードの子である可能性を完全には否定できないが、ロベルトとの婚姻後の子であると主張できるタイミング。

それでももし、何かあった時には、ヨハナに「月満たずに産まれた」と証言してもらえれば、ロベルトの子と認められるだろう。

「…ヨハナに頼んで良かったね。」

「ああ。」

ロベルトの腕の中、立派な体格の、丸々とした我が子を眺める。ポヤポヤと生えている髪は紅紫。その瞳はまだ開いていないけれど―

「…今年のシーズンは王都に出るのはやめておこう。子が産まれたばかりだ、それを理由いいわけに出来る。」

「ええ。」

「それから、警護の人間を雇おうと思う。」

「…」

ロベルトの視線がこちらを向いた。私の不安が伝わったのか、励ますように笑って、

「この子を、ずっと隠し続けるわけにもいかない。魔石のこともある以上、そのうち気づかれる。赤ん坊の内はまだしも、動き回るようになってまで部屋に閉じ込めておくわけにはいかないだろう?」

「…うん、わかってる。」

「…色で苦労するということがどういうことか、俺には理解できる。」

「…」

「意味は真逆だから、この子は誘拐なんかを気にしないといけないだろうけどな。それでも、なるべく好きなように生きていかせたいから。」

「俺が、父や君にそうさせてもらったように」と言うロベルトの言葉に頷いた。

産んで終わりではなく、産んで新たにスタート。始まったばかりの子育てで、でも、ロベルトと一緒ならきっと、何とかなる。そう思える幸福に笑った。





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