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第二章
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しおりを挟む「…」
「…」
(…ちょっと、やり過ぎた?)
昼食会へ行き渋っていたロベルトを煙に巻くつもりでからかって、半ば強引に乗り込んだ貸し馬車の中、後を追ってきたロベルトが大人しく向かいの席に座ってくれたのはいいのだけれど、さっきから彼の挙動が怪しい。
(…チラ見されてる。)
対面に座って何かを言いたそうにする彼に、視線を向ければ逸らされる。それを、二度、三度と繰り返して、結局、視線が合わないから、こちらが折れた。
「…ロベルト?」
「…」
「さっきのは冗談だからね?」
「…ああ。」
やっと合った視線もフイと逸らされてしまう。何とも言えない空気にどうしたものかと悩む間もなく、馬車が止まった。目的地への到着を告げる御者の声と同時に、ロベルトが扉を開けて降り立った。こちらに差しだされた手を、有り難く支えにして降り立てば、乗せた手はそのまま、ロベルトの腕へと運ばれる。
仰ぎ見れば、いつもの顔で見下ろされていて、
「…傍にいる。」
「うん…」
寄り添う存在に確かな安堵を感じて、聳え立つ豪奢な鉄の門をくぐった。
「…閣下、本日はお招き頂きありがとうございます。」
「…お前たちか。」
穏やかな陽射しの中、華やかに飾り付けられた中庭の中央、設置された肘掛け椅子にその人は身を預けていた。前ソルフェリノ公爵、バナード・ソルフェリノ。爵位を息子に譲ってなお、その矍鑠たる存在感で社交界の重鎮であった彼も、前年に患った大病のせいで今は無理のきかない体になっている。
泰然と椅子に腰かけたままの老公の視線が、ロベルトではなく私に向けられた。鋭さのあるそれを受け止めて、頭を下げる。
「…お祖父様、お久しぶりで、」
「…イリーゼ、私はお前をかっていたのだがな。」
「…」
「こんな、愚かな真似をしでかすとは…」
「…」
「良いな?これ以上、ソルフェリノの恥を晒すことは許さん。」
「…承知、いたしました。」
挨拶さえまともにさせてもらえないままの叱責に、ただ黙って頭を下げ続けた。
隣でロベルトが身を固くするのがわかる。けれど、老公の視線は決してロベルトには向かない。公の場に呼びつけてなお、ロベルトとの関わりを拒絶する。対するロベルトも、実の祖父を前にしてその慇懃さを崩すことはないまま、
「…御前、失礼します。」
これ以上、話すことはないと言わんばかりの態度、堅く、暇を告げたロベルトに拐われるようにして老公の前を後にした。
「…」
「…」
「…ロベルト?」
「…」
「私なら大丈夫よ?」
らしくない性急さで手を引くロベルトを安心させたくて、そう伝えれば、
「っ!?すまない!」
慌てて立ち止まった彼がこちらを振り返った。不安げに様子をうかがう眼差し、それに「大丈夫だ」と頷けば、聞こえてきたのは大きな嘆息。
「…悪かった、ついカッとして、…無理をさせた。」
「無理ってほどのことはされてない。」
「…すまん。」
「ロベルト。」
謝り続ける彼を軽く睨んで牽制する。
「ああ、いや、そうだ、すまん、じゃなくて、何か飲むか?どこかに座って…」
「大げさよ、ロベルト。」
まだ完全には落ち着いていないのか、立食パーティーで、誰とも歓談もしていない内にそんなことを言うから、思わず笑ってしまった。それでも、飲み物を用意してくれたロベルトに連れられて、ガゼボへと足を向ける。
暖かな陽射しは遮られてしまったが、腰を下ろしたベンチ、隣に座る温もりを感じる。手にしたグラスの中の液体をじっと見つめながら、ロベルトが口を開いた。
「…さっきの、爺さんの台詞。あれは俺に言ってるようなものだから。イリーゼが気にする必要はない。」
「うん、大丈夫、もとから気にしてない…、けど、ありがとう。」
「…」
老公が言った「愚かな真似」、それが、エドワードとの離縁を指しているのではないと、わかっている。彼が言いたかったのはー
「…俺のこの髪色は、先祖返りだと言われてる。」
言って、前髪をかき上げようとしたロベルトの手を止める。
「触っちゃ駄目。せっかく綺麗にしてるんだから。」
「…」
上げた前髪も、緩く背中でまとめられた後ろ髪も、男性とは思えないくらい、惚れ惚れとするような輝きを放つ。だけど、
本来なら、彼のこの髪色はあり得ないー
「…お義父様もお義母様も、赤髪だったのよね?」
「ああ。…俺が小さいうちに母は家を出てしまったから、あまりよく覚えていないが。父は間違いなく…」
赤を持つ両親の間に突如産まれた白金に、起きた騒動の大きさは容易く想像できる。しかも、亡くなった義父は前公爵の次男。当然、ロベルトの母は貞節を疑われたはずだ。けれど、幸か不幸か、当時、隣国との関係がきな臭かった王国では、国境を完全に封鎖していた。外国人の入国は認められず、目立つ色持ちの流浪の民が国内、しかも王都周辺に近づけるはずもなかった為、ロベルトの母の潔白は―一応―証明された。
(…それでも、一度亀裂が入った夫婦関係はどうにもならなかった、てことかな…)
ロベルトの髪色が、「先祖返り」だと結論づけられたとは言え、疑いの目が完全になくなるわけではない。我が子を「罪の証」のように言われて、果たして心を病まずにいられるだろうか。
それに、もっと質が悪いのは―
「先祖返りというのは、都合のいい言葉だな。」
「…」
「先祖というのが有史以前の遠い過去をさすのか、それとも…」
ロベルトの視線が中庭で歓談する人々の間を彷徨う。赤の一族の宗主筋、誰もかれもが赤色をまとう中で、彼の探す色はここにはない。
「もっと身近な『誰か』、なのかもしれない…」
「…」
隔世遺伝―
ロベルトの血がもっと身近で疑われているのは、亡き彼の祖母、前公爵夫人の代でのこと。今ほど国の出入り規制が厳しくなかった頃、前公爵夫人にはお気に入りの旅芸人の一座があった。彼女とその一座の看板俳優が懇ろな仲だったという噂が、当時はまことしやかに囁かれていたらしい。
だから、前公爵はロベルトを拒絶する。彼の愛した妻に疑心を抱かせる存在をー
「…爺さんは、俺の結婚が許せないんだ。」
「…」
「もしも俺に子どもが出来て、その子が俺と同じ髪色を持っていたら?」
「…」
「そんなのもう、『先祖返り』なんて都合のいい言葉じゃ誤魔化せなくなるだろう?」
そう言って笑った彼の声が苦しくて、そっと見つめた横顔が痛々しくて。
漠然としていた思いが突如、明確な形を持った。
(…私、この人の子どもを産みたい。)
浮かんできた思い。何だろう、ただ、彼にこんな顔をさせたくないという思う。私なら、それが出来る、許されるんじゃないかという思いも。髪色が何色だなんて関係なく、彼がこんな顔をする暇がないくらい、たくさんの子どもをー
「…イリーゼ?」
「!」
ロベルトの声に、浮かんだ衝動は一瞬で霧散した。少し、心に熱を残したまま。問う視線に「何でもない」と答えて、ロベルトが促す先へ視線を向ける。屋敷の母屋から出てくる人影ー
ざわついた招待客たちの視線の先、現れた二組の男女。紅紫の髪を持つ壮年の男性が声を張りあげた。
「皆様、本日はお忙しい仲、我が息子の婚約の披露目にお越しいただき、誠にありがとうございます。」
当代、ソルフェリノ公爵のその言葉に、もう一人の紅紫の男、エドワード・ソルフェリノが一歩前に踏み出した。隣には、可憐な容姿の淑女が寄り添う。
「息子、エドワードと、婚約者のシンシア・ヘインズ嬢です。」
二人が、並んで頭を下げた、その一瞬、こちらに流された碧の瞳と視線が交わった気がした。
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