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「疲れて帰ってきて、何故不快な思いをしなくてはならんのだ」
侯爵が帰宅すると、視界の隅にシーナが入った。出勤と帰宅時は、侯爵の目に触れないように必ず部屋に閉じ込めていたのだが、うっかりシーナが部屋から出てしまった。出迎えをしていた使用人たちの中で、家令が側の者に目配せをすると、その使用人がシーナを連れて侯爵の前に立たせた。
シーナはシュンとしながら謝罪の言葉を口にする。
「あの、ごめんなさい、おとうさま」
だが、侯爵はステッキを振り上げると、その幼い体に容赦なく振り下ろした。
「私を父と呼ぶな。汚らわしい」
シーナは叩かれた左の肩を押さえながら蹲っている。
「旦那様、申し訳ありません。わたくしが目を離したばかりに」
夫人がそっと侯爵の腕に触れる。
「何を言う。おまえのせいではない。ああ、戻ったよ、愛しい妻よ」
侯爵は夫人を抱き寄せ、頬にキスを落とす。
「ふふ、お帰りなさいませ旦那様。お待ちしておりましたわ」
夫人もキスを返すと、侯爵は夫人の腰を抱いて歩き出した。そして僅かに振り返ると、使用人たちに告げた。
「おまえたち、ソレを部屋に閉じ込めておけ。罰として一週間部屋から出すな。わかったな」
使用人たちは頭を下げた。
「貴様のような者が、何故このアビアント家にいるのだ」
思い切り舌打ちをして、侯爵は夫人を連れて去って行った。
嫡男ユーリと長女ラーナも、シーナを冷たく一瞥しただけで、両親の後についた。
使用人たちは、わざとシーナの左手を引っ張り上げ、引きずって部屋に連れて行き、手当てをすることもなく部屋に放り投げて鍵をかけた。
シーナは囁くように、大丈夫大丈夫、と繰り返した。
*~*~*~*~*
「ああもうっ、イライラするっ」
メイドが掃除をしていると、足下をおろそかにしていたため、水の入ったバケツに躓き転倒する。その弾みでバケツもひっくり返り、水浸しだ。悪態をつきつつ急ぎ片付けようとして、視界の隅にシーナが入る。メイドは口の端を上げてシーナに近付き、周囲に聞こえるように殊更大きな怒声を上げる。
「ちょっとお嬢様!私は忙しいのに何故邪魔をするのですかっ?!」
シーナはキョトンとメイドを見つめる。
「お嬢様がやったのですからきちんと片付けてくださいよ?!」
そう言ってメイドは雑巾をシーナに投げつけると、さっさとその場から立ち去った。近くにいた別のメイドも、シーナが関係ないことを知っていながらシーナを非難する。
「お嬢様はお暇かもしれませんが、私たちは忙しいのですよ?部屋でおとなしくしていればいいものを」
「しぃな、なにもしていないわ。それに、おへやそうじするからって、でていけっていわれたのよ」
「言い訳は結構です!さっさと片付けてくださいね!」
そのメイドもシーナを手伝うことなく去って行く。仕方なくシーナは濡れた床を片付けていると、階下で何かが割れる音がした。そして、シーナお嬢様が、と言う声が聞こえた。足音荒くやって来たのは、兄のユーリ。
「おい。おまえの存在は生きているだけで損害でしかない。それが更なる損害を我がアビアント家に与えるとはどういうつもりだ」
温度のない目がシーナを見下ろす。
「しぃな、なにもしていないわ」
そう言い終わるか終わらないかの内に、シーナは水浸しの床に倒れた。
「謝罪も出来ず言い訳か。本当に愚かだ」
シーナの頬を叩いた手袋を脱ぎ捨て去って行くユーリの背中を、シーナはジッと見つめた。ゆっくり起き上がりながら、濡れた質素なワンピースの裾を、バケツの中に絞る。
それでもやはり、シーナは笑っていた。
*つづく*
侯爵が帰宅すると、視界の隅にシーナが入った。出勤と帰宅時は、侯爵の目に触れないように必ず部屋に閉じ込めていたのだが、うっかりシーナが部屋から出てしまった。出迎えをしていた使用人たちの中で、家令が側の者に目配せをすると、その使用人がシーナを連れて侯爵の前に立たせた。
シーナはシュンとしながら謝罪の言葉を口にする。
「あの、ごめんなさい、おとうさま」
だが、侯爵はステッキを振り上げると、その幼い体に容赦なく振り下ろした。
「私を父と呼ぶな。汚らわしい」
シーナは叩かれた左の肩を押さえながら蹲っている。
「旦那様、申し訳ありません。わたくしが目を離したばかりに」
夫人がそっと侯爵の腕に触れる。
「何を言う。おまえのせいではない。ああ、戻ったよ、愛しい妻よ」
侯爵は夫人を抱き寄せ、頬にキスを落とす。
「ふふ、お帰りなさいませ旦那様。お待ちしておりましたわ」
夫人もキスを返すと、侯爵は夫人の腰を抱いて歩き出した。そして僅かに振り返ると、使用人たちに告げた。
「おまえたち、ソレを部屋に閉じ込めておけ。罰として一週間部屋から出すな。わかったな」
使用人たちは頭を下げた。
「貴様のような者が、何故このアビアント家にいるのだ」
思い切り舌打ちをして、侯爵は夫人を連れて去って行った。
嫡男ユーリと長女ラーナも、シーナを冷たく一瞥しただけで、両親の後についた。
使用人たちは、わざとシーナの左手を引っ張り上げ、引きずって部屋に連れて行き、手当てをすることもなく部屋に放り投げて鍵をかけた。
シーナは囁くように、大丈夫大丈夫、と繰り返した。
*~*~*~*~*
「ああもうっ、イライラするっ」
メイドが掃除をしていると、足下をおろそかにしていたため、水の入ったバケツに躓き転倒する。その弾みでバケツもひっくり返り、水浸しだ。悪態をつきつつ急ぎ片付けようとして、視界の隅にシーナが入る。メイドは口の端を上げてシーナに近付き、周囲に聞こえるように殊更大きな怒声を上げる。
「ちょっとお嬢様!私は忙しいのに何故邪魔をするのですかっ?!」
シーナはキョトンとメイドを見つめる。
「お嬢様がやったのですからきちんと片付けてくださいよ?!」
そう言ってメイドは雑巾をシーナに投げつけると、さっさとその場から立ち去った。近くにいた別のメイドも、シーナが関係ないことを知っていながらシーナを非難する。
「お嬢様はお暇かもしれませんが、私たちは忙しいのですよ?部屋でおとなしくしていればいいものを」
「しぃな、なにもしていないわ。それに、おへやそうじするからって、でていけっていわれたのよ」
「言い訳は結構です!さっさと片付けてくださいね!」
そのメイドもシーナを手伝うことなく去って行く。仕方なくシーナは濡れた床を片付けていると、階下で何かが割れる音がした。そして、シーナお嬢様が、と言う声が聞こえた。足音荒くやって来たのは、兄のユーリ。
「おい。おまえの存在は生きているだけで損害でしかない。それが更なる損害を我がアビアント家に与えるとはどういうつもりだ」
温度のない目がシーナを見下ろす。
「しぃな、なにもしていないわ」
そう言い終わるか終わらないかの内に、シーナは水浸しの床に倒れた。
「謝罪も出来ず言い訳か。本当に愚かだ」
シーナの頬を叩いた手袋を脱ぎ捨て去って行くユーリの背中を、シーナはジッと見つめた。ゆっくり起き上がりながら、濡れた質素なワンピースの裾を、バケツの中に絞る。
それでもやはり、シーナは笑っていた。
*つづく*
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