孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (44)

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『小太郎、コタ、起きろ』
「……ん……あれ……? え?」
 普段よりも数倍の時間を掛けて戻った小屋では、ストーブの火もとっくに消えていた。
 体力も気力も使い果たして、余程疲れたのだろう。起きる気配の無い小太郎を、忍びないと思いながらも背を揺らして起こす。
『もう夜も遅い。今夜は泊まると家に電話しておけ』
 俺の背に乗ったまま、寝惚けていたのかピタリと動きを止めた小太郎が、掛けた言葉に我に返った途端に床へと転がり落ちた。
「わわっ……いったぁ……ッ」
『おい……全くお前は――』
「えっと……泊まって良いの?」
『ああ、構わん――』
 頷きを返せば小太郎の表情が花開くように綻んだ。
 その顔に満足感を得ながら、俺は変化を解くこと無く、小太郎が電話を終えるのをその場に伏せて待つ。

「……うん、うん。明日の夕方には帰るから。だからごめんって! 夢中になってたらいつの間にかこんな時間だったんだよ! え? 銀さん? えっと……銀さんは……今ちょっと離れたとこにいるから……うん」
 電話越しに何やら喚く声が聞こえてきたが、どうせ吾郎が騒いでいるのだろうと、ちらりと俺を見る小太郎の視線は受け流す。
 その内に向こうの方が折れたようだ。
 電話を切って得意気な顔でピースサインを見せる小太郎に笑いが零れる。
『お前の粘り勝ちだな』
「えへへ」
 通話を終えた小太郎を促し、飛び出した時の状態のまま散らばった俺の服を掻き集めさせた。ジーンズのポケットに入れてあった鍵を持たせ、二人で母屋へと向かう。
「銀さん、人型にならないの?」
『中に入ってからな。お前は先にストーブに火を入れておいてくれ』
「分かった!」

 人型にならないのではなく、なれなかったのだ。
 久し振りに本能を剥き出しにしたせいなのか、身の内に燻る興奮がなかなか過ぎ去ってくれなかった。小太郎を乗せて森の中を歩きながらも、競り上がる衝動を押さえ込むことに必死になっていたほどに。
(――年端も行かないガキじゃあるまいし……)
 コイツだけが俺のパートナー。そう言葉に出してしまったからなのだろうか。
 背から感じる温もりが、愛し過ぎて堪らなかった。あの状況で人型になれば、その場で小太郎を襲い兼ねないと、自分なりにインターバルを儲けたつもりだったのだけれど。
「お邪魔しまーす! うっわぁ、さすがにこっちは冷え冷えだね」
『……俺は着替えてくる』
「うん、ストーブは任せて!」
 危ういところで理性を保つ俺には気付かず、小太郎は無邪気に笑う。豊川に立ち向かう俺を止めた時とはまるで違う、幼さすら感じさせる笑顔で。
(ひと晩か……短くは無いな)
 自室へと向かいながら苦笑する。
 俺の気持ちは小太郎にも伝わってしまっただろうが、アイツが俺をどう想っているかは分からない。自身の欲を満たすためだけに、小太郎を傷付ける事だけは避けたいと、身を震わせて人型に戻りながら心に誓う。
「――失うことを怖いと思うようになったなんてな……」
『銀さぁん! 火点いたよっ!』
「今行く」
 冷え切った自室で適当な服を引っ掛けて、反応を示す雄を精神で諌める。小太郎は、初めて出来た大切にしたいと想う相手なのだからと、自分を律しながら。



「先に風呂に入れ。その間に何か簡単に食えるものを用意しておく」
「あ……」
「何だ?」
「……何かちょっと、残念だなあって、思って……ていうか、何か、人型の銀さんも獣姿の銀さんもやっぱり格好良いなあとか……ええと、お風呂借ります!」
 風呂の準備をしてから居間へと戻れば、飽きること無くストーブを眺めていた小太郎が、俺を見て動きを止めた。その頬が赤く色付いていたのは、俺の欲がそう見せているせいなのだろうか。
 けれどどうやら、気のせいでは無かったらしい。問い掛けに答えながら益々頬を染めて、逃げるように風呂へと向かう小太郎の様子に、律した筈の自身がいつまで理性を保てるのかと、俺は天井を仰ぎ見ることになった。


 風呂場から聞こえてくるシャワーの音に気を取られながら、台所を物色する。
 オンボロな家だが、爺さんが寝付いた頃に風呂場だけはリフォームというやつをした。さすがに爺さんと一緒に湯船に浸かろうとは思えなかったが、一人で風呂に入れたんじゃ溺れる可能性もあったからだ。
 素人の俺でも入浴の補助をしやすいようにと、システムバスと云われる近代的な風呂に直した。
 古く汚らしい浴槽に入らせずに済んだことに、少しばかりホッとする。薪で湯を沸かしていたようなあの当時の風呂では、今の時代に沿った暮らしをしているだろう小太郎にはハードルが高かっただろう。

 今は独りきりで過ごすこの家で、誰かが……愛しいと想う相手が使う水音を耳にするのは、初めてのことだった。
「……チャーハンで良いか」
 気が引き付けられてしまうその音を誤魔化す為にも、作る時に音が立つ料理の方が良いかもしれない。

 風呂の準備をしながら汚れた身体をざっと洗い流して、纏わりついていた豊川の臭いも全て落とした。水滴が滴る髪を覆っていたタオルを巻き直し、二人分の食事を作る。
 自分以外の誰かの為に食事を用意するのも、爺さんが生きていた頃以来だ。それだけのことに心が満たされるのも、作る相手が小太郎だからこそなのだろう。
「うっわぁ、良い匂い! 銀さん何作ってくれたの? あ、チャーハンだ!」
「ッ、危ないだろ……それは向こうに運んでくれ。味噌汁を温めて持って行く」
「はぁい」
 出来たチャーハンを皿に盛っているところで、小太郎がひょっこりと台所に顔を出す。台所に、というよりも、俺の腰にしがみつく型で背後から顔を覗かせるものだから、やっと治まり掛けていた衝動が再加熱しそうになる。
手伝いを頼まれたのが嬉しかったのか、笑顔で皿を運んでいく姿に小さく息を吐き出す。
 やはり今夜は、眠れそうにない。


「――何だ?」
「ッ! な、なんでも……チャーハン美味しいね」
「そうか……お前のところの兄貴と比べりゃ、雑な飯ですまないが」
「美味しいよっ、そりゃもちろん、士郎ちゃんのご飯も美味しいけど」
「もうこんな時間か――疲れただろう? 食い終わったら布団を敷いてやる」
「あ、うん……」
 向き合う形で座る小太郎が、スプーンを口に運びながら、何か言いたそうにしていることに気付いた。見られている視線に顔を上げれば目を逸らされ、こちらが視線を逸らせばまた見て来る。
 どうやら俺を見ることは止められないらしい。
「……俺の顔に何かついてるか?」
「ご、ごめん!」
「いや――言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ。俺には他人の考えを読める能力は無いからな」
 食後のお茶を出した後にも、小太郎からの物言いたげな視線は続いていて。半変化の状態で頭に飛び出た耳も、忙しなく動いていた。

 風呂上りの良い匂いを振り撒き、汚れた服の変わりにと貸した、小太郎には大き過ぎる俺の服を身に纏った姿で、ちらちら上目遣いをされたんじゃ堪ったものじゃない。これ以上この空気が続けば、確実に襲い掛かってしまうだろうと、こちらから話を振ってやる。
「俺が怖くなったか?」
「違うっ! それは無い、絶対に無いよ! だって銀さんすっごく格好良かったし、めっちゃ綺麗だった!」
「……そうか」
 自嘲しながらの言葉に、わざわざ俺の隣へと擦り寄って来た小太郎が心外だと頬を膨らませた。懸念がひとつ消えたことには安堵したが、だとすれば、小太郎が気にしているのはひとつしかないだろう。
「じゃあ、何だ?」
「う……えっと、あのね……銀さん、オレのこと、生涯唯一のパートナーだって――あれって、本当に?」
 気付かないふりで問い掛ければ、返って来た予想通りの質問に内心苦笑してしまう。
 物言いたげだった瞳に緊張の色を乗せて俺を見る小太郎は、真剣な表情をしていた。嘘や誤魔化しは許さないとばかりの強い視線。
「本当だ。こういった感情を持った経験が無いから、正直最初は戸惑ったが……俺にとってお前は、掛け替えの無い存在だということに気付いた。あの時の言葉に嘘は無い」
「それって、あの……オレと仕事やっていきたいって言ってくれたのって――」
「お前の才能にも、お前自身にも惹かれた。色眼鏡だけで誘いを掛けたわけじゃない。だがまあ、計算が無かったとは言い切れんな――仕事という大義があれば、お前と一緒にいられると思ったことも事実だ」
 どうやら小太郎の中では、俺の発言から更に踏み込んだところまで気に掛かっていたらしいと、問われて初めて気が付いた。


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