孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (23)

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 お前なら一人でもちゃんとやって行けるだろう、そう太鼓判を押されて一度は人間界へと出た吾郎。
 オレのせいでこっちの世界に呼び戻すことになってしまったけれど、それが無ければ吾郎はきっと、人間界でもバリバリと仕事をこなしていただろうし、こっちにいる時と同じように皆から頼りにされていたに違いない。
 双子のはずなのにオレは全然外の世間を知らないままに生きてきた。ただでさえ広くは無い獣人界の中の更に狭いエリアである家と学校、オレのほとんどはそれだけだったから。

 だけど今は違う。
 これからはもっと違ってくるはず。

 人間界でも溶け込めるように、その練習も兼ねて、こうして毎週銀さんのところに通ってるわけだし。でもまあ、銀さんに会いたいからっていうのが、一番の理由なんだけど。
「小太郎? コタ、聞いてるか?」
「んあ? あ、ごめん! 聞いてなかった」
「だろうな……耳が動きまくってた」
 ちゃんと銀さんの話を聞こうと思っていたのに、いつの間にか自分の世界に入り込んでいたらしい。何度か名前を呼ばれて我に返れば、苦笑を浮かべた銀さんに耳をちょんっと触られて、忘れていたドキドキが戻って来てしまって困る。
「そ、それで? えっと、オレはどうすれば良いの?」
「お前はどうしたい?」
「え?」
 慌てて話題を戻したオレに、銀さんがとんでもない問い掛けをして寄越す。どうしたい、って……そんなこと、急に言われても。
「他人を信用していない俺が言うのもなんだが、お前が俺を信用してくれるのなら、交渉は俺が引き受けてもいい。お前が直接遣り取りをしたいと言うなら、お前の不利にならないように付き添う心積もりはしている。後は小太郎が、デザインをするかしないか」
「オレが……決めて良いの?」
「ああ。お前の意思を確認する前に、勝手に試作品を作って先方に提案したことは悪かったと思ってるが、この先はお前の意思に任せるつもりだ。ただ――」
「ただ?」
「俺が……お前のスケッチを見ていて、意欲を覚えたのは確かだ。お前のデザインした品を、実際に作ってみたいと思った。そしてそれが世の中に出回った姿を見てみたいとも思っている」
 このひと言を聞いた瞬間、全身に逆毛が立った。尻尾も耳も、一気にブワッと。オレを見ていた銀さんが珍しく驚いた顔をしたくらい、勢い良く一斉に。
 だって銀さんがオレのデザインを作ってみたいって、それが世の中に流通するって……そんな嬉しいことが現実になるかもしれないだなんて、夢みたいだ。

「もちろん今すぐにどうのってことじゃない。業者から依頼されている仕事も、年明けまでは埋まっているからな。早くても春以降の話だ」
「春……」
 琥珀に吾郎を迎えに来てもらおうと思っている季節。それまでにオレが自分の身の振り方を決められていれば、吾郎も家を出て行きやすいに違いない。
 オレ自身は春が来ても、まだ人間界では生活出来ないかもしれないけど、少しずつでもそのための足掛かりを作れるなら、否が応があるはずもない。
「……銀さんは、いいの?」
「何がだ?」
 先ほどとは逆だ。オレの問い掛けに、今度は銀さんが首を捻る。
「だって銀さん……本当は、オレともあんまり付き合いたく無いんだよね? 銀さん優しいから、こうやってオレに構ってくれてるけど。オレも、銀さんと一緒にいるのが嬉しいからさ、こうやってつい銀さんの優しさに甘えちゃってるけど……」
 あれ? オレ、もしかしてものすごく恥ずかしいこと言ってる?
 途中で気付いたけど、一度口に出した言葉を無かったことには出来ない。それに、本当はずっと気になってたんだ。
 初対面の時から、他人との交流は出来るだけ避けたいと、銀さんはことある度に口にしていた。さっきもそんなようなことを言っていた。
 それなのに、今の銀さんの話を総合すると、オレとの付き合いは今よりも増えていくってことになる。週に一度、半日だけでも迷惑なんじゃないかって心の奥で思っていたから。
「……お前といるのは、悪く無い」
「……え?」
「自分でも不思議だとは思うが、どうやら俺は、お前と過ごす時間が嫌いじゃないらしい」
 銀さんにしては珍しく小さな声。
 そっぽを向いてボソボソと告げる銀さんが、ちょっぴり照れているように見えるのはオレの気のせいだろうか?
「それ本当? ね、銀さんっ、本当?」
「ッ、冷えて来たな、帰るぞ」
「ちょっと銀さん!」

 思わずズズズイッっと顔を寄せたオレの頭を無造作に引き剥がした銀さんが、中身を飲み干したカップを片付け始める。火元の確認に立ち上がった銀さんへと不満の声を上げるオレに、やはりこちらは見ないまま、銀さんは更に嬉しいひと言をくれた。
「お前の人生だ。小太郎の好きに生きれば良い……でも俺は今、お前と一緒にいる自分は、イヤじゃない」
「銀さん」
「それから……自分以外のヤツをこの場所に連れて来たのは、お前が初めてだ」
 独りの方が気楽だなんて言っていた銀さんが、オレとは一緒にいても良いって思ってくれてるの? オレはそれを、信じちゃっても良いの?
 だって、誰も連れて来たことの無いこの場所に、オレを連れて来てくれたのって……そう思ってくれてるってことだよね?
「耳と尻尾、さっさと引っ込めろ。行くぞ」
「あっ、待って! オレ、オレやるっ、やるよ!」
「ッ! 小太郎っ、危ないだろ!」
 銀さんのお母さんの前で伝えたかった。銀さんが連れて来てくれたこの場所で、一緒に聞いて欲しいと思った。
 独りぼっちで過ごす銀さんを心配していたと思うから、お母さんにも安心してもらいたいって、そう思ったら考えるよりも先に身体が動いていたんだ。
「うわ、ごめんっ! でもそんなことより、ねえ銀さん、オレやりたい! 銀さんと一緒に、オレの生きた証を残したい!」
「……お前は、全く……」
 オレの準備が整うのを待ってくれていた銀さんに、堪らずに思いっきり飛び付いた。不意打ちだったと思うけど、銀さんは少しよろけただけで、オレをしっかりと抱きとめてくれる。
 並べば銀さんの肩ほどまでしか身長の無いオレは、下から見上げる形で銀さんに自分の決心を告げたのだけど……何でか苦笑いされてしまう。
「分かった。交渉は直接するか?」
「オレは良く分からないから、銀さんに任せる!」
「俺を信用していいのか?」
「もっちろん! だって銀さんだもん」
 抱きとめられた格好のまま、短い会話を交わす。
 間髪入れずに応えるオレに、銀さんの視線が珍しく揺れ動いた。
「……そうか……帰るぞ」
「うんっ」
 銀さんの腕の中にすっぽりと包み込まれて、銀さんの匂いを胸いっぱいに吸い込んだら、心の中の深いところが、きゅうってなった。暖かくて、ふわふわして、何だかとっても幸せで。
(ああ……オレ、銀さんのことが好きなんだ)
 まだ飛び出したままだった耳ごと頭をわしゃわしゃと掻き回されたのを切っ掛けに、銀さんがオレから離れた瞬間、ふわふわしていた気持ちが自分で分かるくらいに萎んでいく。
 自分との間に空けられた距離が寂しくて、切なくて……そう思ったら、好きの二文字がストンと空から降ってきたんだ。
 士郎に惚れてるって言われても良く分からなかった。銀さんに近付くだけでドキドキが止まらなかった。会いたくて、傍にいられるだけで嬉しくて……それでも理解出来なかった自分の感情に、今初めて気付けた気がする。
(銀さんも、オレと同じ気持ちなら良いのに)
 誰かと共に生きることを拒否して生きてきた銀さんだから、今はまだ、一緒にいることを認めてもらえただけで喜ぶべきなのだろう。
 第一オレ、男だし……琥珀と吾郎のような、想い合える関係にはなれないかもしれない。
 見た目は女の子みたいに華奢な自覚はあるけれど、付いているモノは間違いなく男の象徴で。柔らかな乳房もなければ、ふわふわとした触り心地だってしない。何より、銀さんの子を孕むことすら出来やしないのだ。
 そんなオレがそういった意味で銀さんに見初められる可能性なんて、無いのかもしれないけれど……それでも、オレ自身が銀さんを想うことは、許してもらえたら嬉しい。

 来た時と同じようにあっさりとこの場所から立ち去ろうとする銀さんに続いて歩きながら、オレは一度だけお母さんの眠る木を振り返る。
 銀さんがもう寂しくないように、オレが傍にいることを認めて欲しいと願いながら。


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