孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (24)

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 普段は片道一時間足らずで行ける母の眠る場所。
 それが今日は、行って帰ってで約三時間。向こうで休憩をして戻ってくれば、辺りは既に夕暮れが迫る時間になっていた。
 俺としては大分ペースを落としたつもりだったけれど、それでも小太郎には大変だったらしい。息を切らしながら必死に後ろを付いて来る他人の姿を気に掛けながら歩くのは、俺にとって初めての経験だった。

 あの場所へ誰かを連れて行ったことは、これまで一度も無かった。そもそもあそこに母が眠っていることを知っているのも、今までは爺さんと俺だけだったのだ。
 まさか今日のように誰かと共にあそこへ行くだなんて、考えたことすらなかったというのに。
『銀さん、またお墓参りに行こうね』
 戻ってココアを一杯飲んでの帰り際、小太郎はにっこりと笑ってそう言った。そのひと言に、心が満たされた気がしている。


 豊川に作品の提案をして以来ずっと、小太郎にどう伝えようかと迷っていた。
 小太郎の描いたデザイン等のイラストに触発されたのは事実だったし、アイツの夢の実現に、俺も立ち会いたいと思ってしまったことも事実。
 それでも、独り善がりな感情に突き動かされて、アイツの人生に踏み込んで良いのかと悩んだ。迷って、悩んで、結局答えを見付けることが出来ないまま、また週末がやって来て。
 これと言った会話を交わすわけでもなく、時折薪ストーブへと薪をくべながら一心にスケッチをしている小太郎と二人、狭い作業部屋にいる。それを心地好く思えてしまう自分は、やはり小太郎を手放したくないと思っているのかもしれない。
 そこに考えが行き着いた時に、決めたのだ。母の元で、全てを聞いてもらおうと。俺にとっての大切な、神聖な場所だからこそ、全てを話せるように思えた。

「……抱き付かれたのは、予想外だったな」
 パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら、窓の曇りを手の平で払う。
 そこにいるだけで賑やかに感じる小太郎の存在が消えたあと、その名残を惜しむように遅くまで作業部屋にいる自分に苦笑しながら、昼間の出来事を思い出す。
 俺の勝手な提案だ。却下されるか、良くて兄弟に相談するからと保留にされるものだと思っていたのに、俺の予想は見事に外れてしまった。
「俺と一緒に、生きた証を残す、か……」
 今までずっと独りで生きてきたから、自分の言動に一喜一憂する小太郎の様子は新鮮だった。
 自分で認めたばかりの小太郎への想い。
 自分の気持ちを口するという事が、こんなにも勇気を要するものだったのだと初めて知った。それと同時に、柄にも無く感じた照れ臭さに身悶えしそうになるほど。
 そうして得た結果が小太郎の体当たりだった。飛び付かれて抱き止めた小太郎は、思った通りすっぽりと俺の腕の中に納まった。まるで俺の腕の中に納まることが当然のような、ピタリとハマる感覚。
 小さくて頼りなくて、それなのに活き活きと瞳を輝かせ、興奮して目元を染めながら俺を見上げるアイツが、実際のサイズよりも大きく感じた。
 着膨れしたコートの中、尻の辺りに盛り上がって見える尻尾がパタパタと揺れている様が、愛おしく思えた。
『俺を信用していいのか?』
『もっちろん! だって銀さんだもん』
 余りにあっさりと承諾を得られたことで、俺の方が不安を覚えてしまっての問い掛けに、小太郎はいとも簡単に頷いて見せた。
 その瞳には一欠けらの翳りも無くて、抱き締めた腕の中、伝わる温もりからも俺への信頼が伝わって来た。
「離したくないと思うなんてな」
 暗くなる前には戻らなければと、抱き締めたままでいたい気持ちを押さえ込んで小太郎を引き剥がしたけれど、直前まで腕の中にあった温もりが消えていく冷たさが、あれほど身に凍みるものだとは思ってもいなかった。

 弱さだけではなく、強さも持っている小太郎。小太郎の持つ強さは、俺には無いものだからこそ、離れ難く感じるのかもしれない。
 初めて会った時に小太郎が言っていた 『 寂しい 』 という気持ちは、こういう事なのだろうかと、妙に広く見える部屋を振り返って思う。
 小太郎と出会うまでは知らなかった、気付こうとしなかった気持ち。
 独りで過ごすことに慣れた風に振舞いながら、この先も独りで生きていくしかないのだからと、いつもどこかで諦めてきた感情。
 けれどそれらは全て、自分がそう思い込もうとしていただけだった。思い込まなければ、この場所で独り暮らしていくことが出来なかったからだ。
 大切に想える相手を失うことの辛さを誰よりも知っているからこそ、無意識の内に自分自身で予防線を引いていたのだ。
「まさかアイツに気付かされるなんて……ん?」
 作業台の上に放り投げていた携帯がバイブレーションで着信を告げる。
 滅多に鳴ることの無い電話。番号もメアドも、必要最低限の相手にしか教えていない。作業小屋に引き篭もっている間は、母屋の電話には出られないのだからと、豊川から半ば強制的に契約させられた物だ。
「……着いたのか」
 液晶に表示された名前に、自分の表情が優しさを増すのが分かる。
 本当にどうしようもない。自分がこんなに誰かに、小太郎に振り回されるようになるだなんて。


『……ぎ、銀さんっ』
『どうした? 早く帰らないと暗くなるぞ』
『銀さんにもらった懐中電灯があるから平気だよっ! って、そうじゃなくて!』
 帰り際、いつものように見送る俺の前で、珍しくモジモジとしていた小太郎が窺うような視線を向けてきた。
『あのね、銀さんの携帯のアドレス……聞いてもいい?』
『……ああ、そうか……そうだな、今後のことを考えれば、知っておかないと色々と不便だな』
 普段使うことも無いからと、思い付きもしなかった。連絡先など知らなくとも、週末になれば小太郎はここに来るのだと、心のどこかで思っていたせいもあるのだろう。
『それもそうなんだけど、そういうことじゃなくて……ま、いっか』
 携帯を取りに戻る俺の後ろで小太郎が何か言っていたけれど、その言葉の意味すらよく分からなかったくらいだ。
「……嬉しいものなんだな、誰かとこうして、繋がっているというのは」
 届いたメールの中身を見て、先ほど感じた 『 寂しい 』 という感情が、少しだけ温かなものに包まれた気がした。


 ―――― Sub::家に着いたよ
 
      今日は色々とありがとう!
      ビックリしたけど、嬉しかった。
      オレ頑張るね!
      携帯教えてくれてありがとう。
      おやすみなさい!
                 コタ ――――

 たったそれだけの文章に、心が満たされる。


 ―――― 風邪引くなよ、おやすみ ――――

 俺が返した言葉なんてそんな程度のものだったけれど、電波の先で受け取った小太郎の反応を想像するだけで、愛しさが募る。

「……問題は豊川か」
 森からの帰り道、今後のことをあれこれと話しながら戻って来た。
 交渉については俺に一任すると言ってくれた小太郎の気持ちを裏切らないように、アイツの夢を叶えるためにも、小太郎にとっての不利益が生じるようなことだけは避けなければならない。
「人嫌いだなんだとばかり、言ってもいられないな」
 多くの他人と係わることが面倒だからと、これまでは仕事の手を広げることもしてこなかった。それが今になって悔やまれる。
 こうして小太郎と出会う未来が待ってると分かっていたのならば、もっと自分の世界を…人脈を含めて広げておくべきだったのかもしれない。
「豊川のところとの繋がりが切れても大丈夫なように、基盤を作らなけりゃな」
 そう、懸念すべきはそのことだけだ。
 どの道そう遠く無い将来的には、豊川とは手を切りたいと思っていた。けれど新たな道を模索することが面倒で、見知らぬ誰かと新たな関係をイチから築くことに躊躇したまま過ごして来た。
 爺さんが死んでからは複数年契約ではなく単年契約に切り替えたことが、せめてもの反抗だっただろうか。
「小太郎のために……」
 俺は変われるのか?
 両親を亡くした時に、爺さんに拾われた時に、全てを諦めた俺に。幸せなんていらないと、大切な存在など必要ないと、全てを投げ捨てて生きてきた俺に。
「……っ、メールか……」
 薪の爆ぜる音だけしか聞こえない静かな部屋の中、手にしたままだった携帯が突然震え出したことにいささか驚く。

 ―――― Sub:!!!

      銀さんから返事もらえるとは思ってなかった!
      おやすみ!
      銀さんも風邪引かないでね!
                 コタ ――――

 いつの間にか考え込んでいた俺の緊張が、その文章で一気に解ける。
「全く……何で、コイツなんだろうな」
 雌でも無ければ同種でもない、年下の騒がしい雄犬だ。体力も無くて世間も知らずに、幸せな家庭で愛情をいっぱいに受けて育ってきた男。
 男と呼ぶのも躊躇してしまいそうに小さくて、細くて、軽い……そんな小太郎のくるくると変わる表情が、良く動く耳や尻尾が、愛おしい。
「気に入っちまったもんは、仕方無いよな。理屈じゃないんだ……だよな、母さん?」
 夜の闇が落ちて、遠目にすら見ることの出来ない森の中。母の眠る木の方向へ目を向ければ、口元に自然と笑みが浮いて出た。


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