虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅱ 幽閉

28. 憂慮の種

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「お兄様! いったい、どうなさったのです!?」

<議事の間>に戻った魔王を、サライヤと側近たちは緊張した面持ちで出迎えた。

官や識者たちを交えた国議の最中に、魔王は突然蒼白になり、席を立ち上がったかと思うと、「中断だ!」と叫び、消えてしまったのである。
その後、魔王がなかなか戻ってこないため、サライヤは側近たちと相談の末、国議を後日に延期し、皆を解散させていた。それを聞くと、魔王は頷き、まだこの場に残っている者たちをねぎらった。

「すまなかったな、皆……迷惑をかけた」

魔王は側近たちに手短に今後の指示を与えると、サライヤを呼び寄せ、彼女だけを伴って<議事の間>を後にした。

サライヤを連れて二つ隣の部屋へ入るなり、魔王の瞳がふっと どこか遠くを見つめ、静止した。――こんな表情をするとき、魔王は決まって<精霊たち>と交流している。それを知っているサライヤは、耳には聞こえないその「会話」が終わるのを待った。部屋には魔王とサライヤの二人しかおらず、静けさの中、<精霊たち>がせわしく飛び回る微かな気配を、サライヤはぼんやりと感じていた。

ほどなく魔王はサライヤに視線を戻すと、国議中に席をはずした事情を手短に説明した。
いつも冷静な兄が、血相を変えて<議事の間>を飛び出して行ったときから、サライヤは気付いていた。レイに何か、あったのだと。

「ではレイ様は、ご無事でしたのね。ああ……良かったですわ。……わたくし、肝が冷えましてよ。……もしや<最果ての間>に、良からぬ輩が、忍び込んだのかと……」

「私もだ。……鉄壁の守りに、ヒビが入らぬとも限らぬからな。レイの無事な姿を確認したときは、気が抜けて膝が萎えた……」

無理もない、とサライヤは兄を気の毒に思った。

レイは知るよしもなかったが、実は今、王宮内では、王妃の座を巡って、水面下の争いが繰り広げられていた。
事の起こりは数ヶ月前、王宮内で発言力を有する長官の一人が、完璧ともいえる王妃候補を擁立し、魔王に差し出したのである。
それを知り、対立する長官や有力者たちも、次々と王妃候補を打ち出した。
魔王はすべて退けたが、長官たちは諦めなかった。空位の妃の座を狙い、後見となって権を奪おうという企みは、今なお続き、魔王を悩ませている。

老獪ろうかい極まる長官たちの顔を思い出して、サライヤは眉をひそめた。

(もしあの者たちが、<最果ての間>でお兄様に幽閉されているレイ様の存在に……その意図に気付いてしまったら……)

――邪魔なレイを、即座に排除しようとするだろう。

サライヤは、ぞくりと体を震わせた。
魔王はレイを幽閉していることを隠し、<霧の宮>へも慎重に出入りしていたが、それでも策謀渦巻く王宮内で、魔王が毎晩<最果ての間>へ通っていることを、長く秘密にしておくのは難しいだろう。加えて<霧の宮>の警備に、王宮警備隊の中でも特に突出した者を配置している現状も、不自然さを醸し出している。

サライヤはふと、<精霊たち>の気配を濃厚に感じ、魔王に尋ねた。

「<精霊たち>は、レイ様を守ってくださらないのですか?」

<精霊たち>は契約によって、王と王妃、その嫡出子を守護する。
かつてサライヤも、父王が身罷みまかり兄が王位に就くまでは、<精霊たち>に守られていた。
実際に守護される立場になると、普段は気配すら感じることのない彼らの存在を、次第に肌で感じるようになる。そのため守護の対象から外れた今も、サライヤは<精霊たち>の気配を感じとることができる。

魔王はサライヤの質問に溜息をつき、答えた。

「<精霊たち>はレイを傷付けないと約束してくれたが、守護については契約外だと言った。……正式な婚姻を結んでいない上、レイが私の申し出を……拒んでいるために……」

その事実を口に出すことさえ苦痛に感じ、魔王は眉をしかめて束の間 目を閉じた。
その様子に、サライヤもまた、心を痛め、表情を曇らせる。
やがて魔王は表情を改めると、妹に問いかけた。

「ところで……サライヤ、セラシャル葉という薬草を知っているか? 数日前、レイが欲しがっていると人形から聞いたのだが」

「ええ。仙界の薬草で、魔力回復に著しい効能を持つとか。魔界では採れませんし、入手は困難かと……」

魔王は頷いた。

「私はこれから人間界のラルカの街まで行こうかと思う」

「これからですか!?」

移動陣を使い距離を短縮した上、更に短距離移動の魔導術を駆使しても、帰る頃には日が暮れているだろう。

「なぜセラシャル葉を?――レイ様の魔力を回復させたいとお思いなら、魔界特産の代用品を……」

「それでも良いが、今は万全を期し、レイが口にしたことのある中で、最も薬効の高い物を与えたいのだ。レイの魔力を確実に、速やかに回復させ、今後の……万が一の事態に備えたい。あれの魔導術なら、よほどのことがない限り、自身を守れるはずだ。……それに……」

魔王は少し言い淀んだのち、サライヤから視線をはずし、先を続けた。

「私は先ほど……失言をして、レイの機嫌を損ねてしまってな……。できるなら、あれの望む物を与えたい」

「ああ……納得しましたわ。……とても」

サライヤは諦めたように肩をすくめた。兄が人を使わず、自分で行くというのも、何となく理解できた。恋というものは、人を驚くべき行動に掻き立てるものだと、サライヤはしみじみ感じた。
そしてふと、ラルカの街に、セラシャル葉があるだろうかと疑問に思った。
ラルカの街は、魔界へ通じる<界門>を近くに有し、仙界へ通じる<界門>からは遠い。魔界に縁の深い街は、自然と仙界との繋がりが希薄になる。

「でもお兄様、ラルカの街にセラシャル葉はあるのでしょうか?」

「ある。レイはセラシャル葉を、定期的にあの街の薬草店に卸している。仙界に強力な伝手つてを持つレイは、あちこちで重宝されているようだ」

「そうでしたの」

サライヤはホッとすると共に、妙な気恥ずかしさを覚えた。

(お兄様はレイ様のことなら、何でも良くご存知ですこと……きっとレイ様が贔屓にしている仕立て屋も、よく行く居酒屋も、そこでこぼす愚痴も、お気に入りの公園も、そしてその公園の中のよく座る椅子まで、すべて調査済なのだわ……)

妹の生ぬるい視線を感じて、魔王は端正な顔を歪めた。

「何か言ったか?」

「いいえ、何も。では行ってらっしゃいませ。さあ、早くお発ちください。なるべく早いお帰りをお待ちしておりますわ。――さっそくお兄様の予定をすべて変更しなければ。繰り越せるものは翌日に回しますが、お戻りになったら仕事が山積みですわよ。覚悟してくださいませね」

サライヤはにっこりと微笑んだ。美しいその笑みに、魔王が渋面を返す。

「うむ……。言われずとも覚悟の上だ。ではサライヤ、すまないが、後を頼む」

魔王はそう言うと、足早に部屋から出て行った。
室内で一人取り残されると、サライヤは深呼吸をし、気合を込めて両手を打ち鳴らした。

「さて……あの欲ボケ長官たちへの言い訳を考えなければ。国議の場での、お兄様の突然の退出を、何て言い訳しようかしら。……あら、いやだ、わたくし今、『ボケ』だなんて口にして。品がないわね。他の表現はないかしら。……『ギラギラ長官』……『強欲魑魅魍魎妖怪長官』…………どれもいまいちねぇ……」

サライヤはぶつぶつ言いながら、仕事に戻って行った。
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